守る誇りは1
*
うーーーん。
頭が痛いなあ。
昨日いろいろあったせいで、気持ちがまだ落ち着いてないのかな。
今日は『世界会議』の三日目。
ユートレクトも言ってたけど、今日は国家元首しか出席できない極秘の会議が開かれる。
議事にあがってないことが突然話に出てくるかもしれないから、連日のことだけど言動には気をつけなきゃ。
でも、極秘といってもうちの場合は、私が全部ユートレクトに報告しちゃうから極秘にならないんだけどね。
昨日の夜からぱらついてきた雨が、今日は本格的な降り方になっていた。
頭痛はこの雨のせいなのかもしれない。
今日は一人で朝食を摂る。
私は昨日と同じ『清き泉の間』での会議だけど、ユートレクトたち閣僚代表は部屋を移動しての会議になるから、朝食会場も別の場所の方が都合がいいらしい。
昨日の朝の焼きたてパン、美味しかったなあ。
私は今日も焼きたてパンを楽しみにしながら、昨日と同じ第三朝食会場に向かっていた。
「おはよう、アレク女王」
聞き覚えのある声がして振り返ると、クラウス皇太子が穏やかな笑顔で立っていた。
朝から驚くことがあると、今日一日も心配になってくるけど。
今日こそは、本当に何事もなく無事に終わりますように!
「おはようございます、クラウス皇太子殿下。先日は大変お世話になりました」
私は自分で満点をあげたいような仕草で、一礼することができた。
「クラウスで構わないよ、今日は一人かい?」
「はい……」
では私のこともどうぞアレクとお呼びください、とお願いしてから、今日は朝からユートレクトと別行動なことを説明した。
「そうか、では一緒に朝食を摂らないか? 私も今日は朝食がまだなんだ。第三朝食会場で摂るのだろう?」
……えええ!
天下のローフェンディア皇太子と一緒にモーニング!?
今日は焼きたてパン十個くらい食べてやろうと思ってたんだけど、どうやら断念しなくちゃいけないみたい。
でも、一応聞いてみる。
「はい……ですが、私などとご一緒でよろしいのですか?」
「もちろんだよ、昨日はリースルも世話になったみたいだしね。それに、少し相談したいことがあるんだ」
何の相談かな。
全く見当がつかないけど、私はクラウス皇太子のありがたくも少し残念なお誘いを受けることにした。
「昨日は、リースルと話してやってくれて本当にありがとう。リースルがとても喜んでいてね。
今日も会議であなたに会うと言ったら、とても羨ましがられてしまったよ」
「恐縮です……妃殿下はとてもお美しい方でしたので、私、舞い上がってしまって。
失礼なことを口走らなかったかと心配で心配で」
「そんなことはないよ。リースルは人見知りが激しいし、他人と会話するのが苦手だから、アレクが国のことをたくさん話してくれて本当に楽しくて嬉しかったと言っていたよ」
第三朝食会場に着くと、私はクラウス皇太子と一緒にビュッフェのおかずや焼きたてパンを取ったりして、会場の中でかなり目立ちながら席に着いた。
「人見知りなさる方だとは、とても思えませんでした。
私の方こそ、楽しいひとときを過ごすことができました。
喜んで頂けたのでしたら私も嬉しいです、リースルさまにも宜しくお伝えください」
クラウス皇太子は焼きたてパンを二個しか取らなかったので、私も同じ数だけお皿に乗せた。
小食なのね、ユートレクトとはえらい違いだわ。
「わかった、伝えておくよ。
実は、相談したいことというのは、リースルのことなんだ」
クラウス皇太子は急に声をひそめた。
「なんでしょう、私でお役に立てることでしたら」
自然に私の声も小さくなる。
「今日から……もちろん『世界会議』の間だけ構わない、リースルの部屋で寝泊りをしていただけないだろうか?」
私は焼きたてパンをちぎりかけていた親指を滑らせて、ほかほかのパンの中に思いっきり突っ込ませてしまった。
**
クラウス皇太子は私の親指の危機には気がつかない様子だった。引き続き小声で、
「リースルはあの事件以来、とても怯えてしまってね。
日中は無論侍女たちや友人たちと過ごしているんだが、夜まで一緒にはいられない。侍女と枕を並べるわけにもいかないし」
「それは確かに……ですけど、枕を並べるのは無理でも、となりに別のベッドを設けて寝てもらうことはできないのですか?」
私は親指をさりげなく冷たいお手拭きで押さえながら訊ねた。
私だったら、侍女さえ『はい』と言ってくれたら、同じ部屋だろうと一緒のベッドで寝ようと全然問題ないんだけどなあ。
ローフェンディア級の国になると、身分の壁がすごく高いというのはなんとなくわかるけど、ベッドは別でも一緒の部屋で寝るのもありえないのかな。
「そうだね。私もそう思って侍女たちに頼んだのだが、侍女たちが恐縮してしまってね。
リースルはそういったことに頓着しないんだが」
クラウス皇太子も、身分の差による壁に困っているようだった。
「リースルの友人たちにも一応お願いしてみたんだが、類は友を呼ぶというべきか……誰も引き受けてくれなくてね」
リースル皇太子妃のお友達ならそれ相応の貴族だろうから、侍女ほど身分にとらわれずに一緒にいられるはず。
でも、貴族のご令嬢が、いくらお友達のためとはいっても、そんな怖い思いをするかもしれないお役目は引き受けてくれなかったってわけね。
それで私に白羽の矢が立ったってことは、よ。
「クラウスそれはつまり、私だったら不意に襲撃されたりしても、なんとかするだろうと……そういうことですか?」
私は思い切って核心を突いてみた。不本意だったけど。
いくら私だってねえ、寝込みに刃物持った人たちに襲われるかもしれないと思ったら怖いわよ!
残念ながら、クラウス皇太子のお返事は私の予想に反してくれなかった。
「面目ない……」
クラウス皇太子に頭を下げられて、私は慌てて頭を上げてくれるように懇願した。
別にリースル皇太子妃と一緒にいたくないわけじゃないのよ。
だけど、どうして私なわけ?
リースル皇太子妃と仲がいい、身分相応の淑女なら他にもたくさんいそうな気が……いるじゃない、適任者。
「あの、私は決していやというわけではないのですが、リースルさまとは昨日お会いしたばかりですし、私よりもっと以前から親しくしていらして、ふさわしい方がいらっしゃるのではないかと思うのですが……例えばラ」
「ララメルはだめなんだ。彼女は夜が……いろいろと忙しいからね」
そうだった……
私はがっくりと肩を落とした。
ララメル女王なら、私よりも二人と交友も長そうだし、適任かと思ったんだけど。
でも、ララメル女王、何度も刺客に狙われてると言っていたけど、一昨日のあの怖がりようからすると、いざというとき頼りになるか少し心もとない。
何より『運命の殿方探し』をしている方のベッドを、皇太子妃と一緒にできるはずがない。
クラウス皇太子は、コーヒーを一口飲むとため息をついた。
「リースルは、本当に交友が少なくてね。
私が一緒にいてやりたいのは山々なんだが、『世界会議』の間はほとんど徹夜に近い状態でね。ずっとそばにいてやることができないんだ。
もちろん、部屋の周囲に護衛は置いている。アレクはリースルのそばにさえいてくれればいい。身の安全は私が保証する」
でも『それでももしも』のときの、私の行動力(?)を買ってくださってのお願いなのよね……
私がまだお返事できずにいると、クラウス皇太子の最後の押しが入った。
「普通なら私も、ここまで無理なお願いはしないのだが、実はリースルは……懐妊しているんだ。
不安定な時期だから、少しでも安心させてやりたくてね。
これも、こちらの勝手な事情に過ぎないのだが……」
ああ、そうなんだ。
リースル皇太子妃、妊娠していらっしゃるんだ。
ユートレクトも、きっともう知ってるんだろうな。
ここまで言われて引き受けなかったら、なよなよの貴族令嬢の仲間入りしちゃうじゃないの。
それだけは、ごめんこうむるわ。
「わかりました。私でよろしければ、謹んでお引き受け致します。ただ……」
私は極端に寝相が悪いので、リースル皇太子妃と同じベッドで寝ると、お腹の赤ちゃんに悪影響が出る恐れがあることを申し出ておくのは忘れなかった。
***
『清き泉の間』は、会議の出席者が昨日の約半数になったので、がらんとした感じがした。
『世界会議』七日間の中でも、国家元首だけで話し合うのは今日だけ。
私は会議の準備に向かったクラウス皇太子と別れてからは、決められた席におとなしく座っていた。
「アレク女王」
ふと後ろから声をかけられて声の主が一瞬わからなかったけど、振り返ると、威風堂々としたご老人が立っていた。
センチュリアの東隣にある、サブスカ王国の国王陛下だった。
『中央大陸縦貫道』がサブスカ王国を通ることは決まっていたので、オーリカルクの交易に使わせてもらう交渉をしたとき、何回かお会いしていて面識がある方だった。
私にとっては、緊張度がまだ低いままで話せる数少ないお偉いさまでもある。
もうかなりお年を召していらっしゃるのはずなのに、体格はがっしりとしていて、真っ白な長いあごひげが王としての威厳をより高めている。
かといって、ローフェンディアの皇帝陛下ほど近寄りがたい感じはしない。
世界的にも名君の一人に数えられている方だけど、実際にお話をしてみて私もそう思っている。
私は静かに席を立つと、敬愛を込めて返礼した。
「陛下、おはようございます。今日はあいにくの雨でございますね」
「うむ……雨になると身体の節々が痛くてかなわぬ」
サブスカ国王はそう言うと、しゃんとしているまっすぐな腰をとんとん叩いた。
私もまだ頭が少し痛む。
「ところで昨日は、じゃじゃ馬ぶりを遺憾なく発揮しておったの」
一体ねえ、昨日の武勇伝はいつまで皆さんの記憶に残るんだろう。
時間をさかのぼれるものなら今すぐさかのぼって、昨日の私に手を挙げるのをやめさせるのに。
「いえ、何も事情を知らずに発言してしまい、議事を混乱させてしまったこと、悔いております」
「なになに、気にすることはない。あれくらいのことがなければ、会議など退屈極まりないものじゃよ」
サブスカ国王は豪快に笑うと、優しいまなざしで私を見て、
「政界は人の出入りが激しい。
指導者が変われば、政策を引き継ぐどころか、全く逆の方針になることも多いというのに、一事業に対する思いを引き継いでいくことは、不可能と言ってもいいじゃろう。
皇帝陛下もそれを痛感されたようでの。
今日、新たな『中央大陸縦貫道』の試案をみなに発表すると、昨日の晩餐会でおっしゃっておったわい。そなたの発言の賜物じゃな」
うわ……それって、試案の見直しをしたってことよね。
そんな大事になるとは思わなかった。
試案って言うと簡単そうに見えるけど、作るのには膨大な時間と労力がかかるのよ。
まず、なぜその事業が必要なのかの説明。
今回は、中央大陸地域全体の意思統一を改めてするためにも、もう一度文面を検討しないといけないはず。
それも大変だけど、もっと面倒なのは、各国の費用負担や『中央大陸縦貫道』がもたらす経済効果とかの数字的なもの。
これは、まっさらなところから作るのに近い手間と時間がかかる。
『中央大陸縦貫道』の建設の話があがったのは、今から十七年前くらい前の話。
十七年も経てば、各国の経済状況もがらっと変わってる。
物価や景気の状態、誘致する土地の地価から人件費まで……道路を作るのに必要なすべての数値を現在のものに置き換えて計算しないと、今の時代には全くそぐわないものになってしまう。
しかも『中央大陸縦貫道』は複数の国が関わる事業。
となれば、誘致される各国の経済状況を全て把握して、国ごとに計算しなくちゃいけない。
おまけに、完成するのはまだ先のことになるから、完成後の経済効果を試算するのはもっと大変な作業になる。
これを全部センチュリアでしろって言われたら、私とユートレクト、それから他の重臣たちとその道のプロの役人たち、総出演・徹夜のフル稼働でやったとしても、一週間で終わるかどうか……やっぱり無理ですごめんなさい! っていうくらい、労力がかかることなのよ。
さすが世界最大最強のローフェンディア帝国ね、それを一晩でやってのけちゃうんだから。
多分、狩り出されたお役人さんたちは、今ごろ精魂尽き果てて机の上で突っ伏してると思うけど。
……ごめんなさい、本当にごめんなさい。
私は心の中で、皇帝陛下と狩り出された官僚の皆さんに手を合わせた。
「とんでもありません。まさかそんな大事になるとは思っていなかったのです。
皇帝陛下や皆さまに申し訳なくて、顔向けできません」
私は少し心がくじけて、サブスカ国王に本心を告げてしまった。
「なにをしょげておる、皇帝陛下はやる気まんまんであったぞ。
まあ、臣下たちは今ごろ机の上で伸びておるじゃろうが、それは皇帝陛下がねんごろに慰労するじゃろうて」
サブスカ国王が私の背中をぽんとたたいた。私と同じことを考えていたことに、少し力づけられた。
「大事なのは、これで中央大陸地域のみなが、また心を一つにできる機会を持てるということじゃ。
『中央大陸縦貫道』の建設には、それが一番欠かせぬことなのじゃからな。
これからもあの宰相に鍛えられたじゃじゃ馬ぶり、楽しみにしておるぞ」
「はい、ありがとうございます、陛下」
『あの宰相に鍛えられた』って……世間さまにはやっぱりそう見えるのね。事実そうなんだけど。
サブスカ国王のその言葉が妙に嬉しくて、私は自称だけど華のような笑顔で応えた。