女王の椅子1
私は、待っていた。
さっきから、手足が震えてどうしようもない。
この衣装を用意してくれたマーヤに叱られそうだけど、両手でぎゅうっとドレスを握り締めていた。
ここは、世界最大の国ローフェンディア帝国の迎賓館のとある一室。
今日から一週間、世界中の君主や首脳、お偉いさんたちが集まって、世界のあらゆる問題を議論・検討する『世界会議』が開かれる。
え、どうしてそんなすごそうなところに私がいるかって?
「陛下」
扉をノックする音と同時くらいに、うちの宰相が部屋に入ってきた。
洗練された物腰で静かに扉を閉める。
「あ、ああ、遅かったのね、ユートレクト。もうそろそろなの?」
私はこれでも一応陛下と呼ばれる身分なのだ。
「……おまえな」
なのに、臣下に『おまえ』と呼ばれる私……いいの、もう。慣れたから。
いつも思うけど、扉を閉めて外面気にしなくてよくなったら途端に口調変える、この妙な切り替えの早さはなんだろう。
「はい?」
「今日のところは俺がなんとかする。おまえは一切口を開くな」
「え、何も発言とかしなくていいの?」
「そうだ。自己紹介が終わったら、絶対に口を開くなよ。自己紹介の台詞も覚えているだろうな」
「もちろんよ! それだけはきちんと覚えてきたんだから」
「行くぞ、お呼びがかかった。開会式だ」
「はーい!」
私は踏みつけそうになるマントを翻して部屋を後にした。
どうして私がこんなところにいるかって?
それは私が、センチュリア王国の女王だから。
*
私が女王になったのには、他の国王さまたちとは少し違ったいきさつがある。
本当はこういうところもね、
『女王に即位したのは、他国の王たちとは異なった経緯がある』
とか言うとかっこいいんだろうけど、難しい言葉は苦手なので勘弁してね。
難しいのは執務だけで本当に手一杯なのよ、もう。
で……話の腰を自分で折っちゃった、ごめんね。
四年前まで私は、街中のアパルトマンに住むただの食堂の(自称)看板娘にすぎなかった。
私には、父はなく、兄弟もいなくて、母と二人で生活をしていた。
決して豊かではなかったけど、とても楽しくて暖かい暮らしを送っていた。
そんなある日のこと。
年末も近くて、食堂も大忙しな時だった。
酔っ払ったお客さんたちをおまわりさんに差し出し、ごったがえしたフロアやキッチンの後片付けを終えて、ようやっと家の扉を開けたところで、
「ただいまー!!
聞いてよー今日は本当に大変でさー! 酔っ払いが十人もいたのよ、十人も!
そのうちの一人がもよおしちゃったもんだから、お店中臭いのなんのって……」
忘れもしない。
既に帰宅しているはずの母に向かってこう嘆きながら、家に入ろうとしたら。
家の中が妙に狭かった。
家のインテリアは淡い色で統一されているはずなのに、わが家ではほとんどお目にかからない黒い色があちこちに立っていた。
「お帰りなさい、アレク。今日は大事なお客様がおみえになっているのよ。疲れているでしょうけど、こちらにいらっしゃい」
黒い色たちの奥から母の声がした。
穏やかな優しい声。
黒い色たちはよくよく見れば人だった。
そして、よくよく見れば三人くらいしかいなかった。
私たちの家が狭かったから、とてもたくさんいるように見えたのだろう。
黒い人たちはとても偉そうなのに、それでいてどこか落ち着かないような、なんだか奇妙な顔つきをしていた。
「はい……こんばんは、いらっしゃいませ……」
私は黒い人たちの間を挨拶しながらすり抜け、母の横に立った。
と、ここまでくれば、おわかりの方も多いでしょ?
私は国王の私生児だった。
**
それから後のこと……王宮に入るまでのことは、よく覚えていない。
本当にばたばたしていて、人生の中で二番目に疲れた。それだけだった。
王宮の高官たちだった『黒い人たち』と、母の話をまとめると。
母は以前、王宮にお針子として仕えていた。
その時に『恐れ多くもたまたま国王陛下に見初められて、一夜限り!』という約束で国王と関係を持ち、私を身籠った。
それがわかると母は、『陛下がどうしても理由を言えとおっしゃったから話したけど!』『陛下以外には、誰にも何も言わずに!』王宮を辞した。
『!』がついているところを、母が特に強調して言ってたのは鮮明に覚えている。
日頃はおとなしく茶目っ気もあったけど、芯の通った人だった。
母は私を生むと、戸籍上は『父親:なし』として、一人で育ててきたのだけど。
国王が突然、崩御された。
国王には姫が一人いるだけだった。
その姫さまが後を継いで女王になれば、話は丸く収まったのだけどそうはいかなかった。
この姫さま、私にとっては異母姉になるのだけど、となりの大国、グラムート王国の皇太子に見初められてしまったいた。
これが、普通の国の皇太子とかでない王子だったら、
『わが国にはわたくししかいないのよ、わたくしの夫になりにおいでなさい!』
とか言えたのだけど、相手は大国でしかも皇太子……つまり次期国王さま。
自慢じゃないけど、私が治めるセンチュリア王国、実はこの世界で一番小さな王国で。
それでも今まで存続してきているのは、永世中立国を宣言していることと、交通の要所であること、そしてなにより、世界中でここでしか採れない鉱物の鉱脈があるからだ。
グラムート王国の皇太子と姫との関係は、国王が存命の頃から悩みの種だったらしいけど、国王はあまり名君だったとは思えない。
その証拠に周囲が気がついた時には、姫はグラムート王国の皇太子とまじめな恋仲になってしまっていた。
国王は姫がかわいくてかわいくて、目の中に入れても痛くないほど姫を溺愛していた。
姫の願いなら何でも叶えてあげたい国王は、無謀にも姫を嫁に出すことにしてしまった。
「それでは、わが国はいかがなさるおつもりですか!?」
と、重臣の一人がとうとう国王に問い詰めたとき、国王から出てきた言葉が、
「心配いらぬ、余にはもう一人娘がおる。あれを女王に据えればよい」
あれ……そう、私のことよ。
「若い時分に、お針子と一夜を共にしたときの子じゃ。余の血を継いでいるゆえ、王位継承権はあるじゃろう」
更に悪いことに、国王には兄弟がいなくて、姫|(と私)の次に王位継承権を持つのは、国王のお父さんのお姉さんの娘さんの……もっと続いてたけど忘れてしまった。
とにかく、その方よりは、私の方が国王との血の繋がりは強い。
血の繋がりだけは。
国王直系の血を尊び、母方の出自はあまり問わない国風が、私に白羽の矢が立つ原因になった。
「名前は……そう、文に書いておった。アレクセーリナと名付けたと。
母親に似て優しい娘に育っておるじゃろうて」
こうして私は、その年が終わる二日前王宮にあがった。
***
「陛下……」
ああ、あの時は本当に死ぬかと思った。
あれ以上のことが待ってたなんて、当時の私に想像できたわけがない。
「……陛下」
アレクセーリナ・セシーリエ・タウリーズ・フィア・センチュリア。
即位して、これが私の正式名とやらになったのだけど、あまりにも長いから、年が明けてからの戴冠式の後で、
『アレクって呼んでくださいね』
って全国民の皆さんの前でお願いしたくらいだもの。
平民時代からの友人たちが、お腹を抱えて大笑いしているのを見つけたら、私まで笑ってしまった。
後からこの話を聞きつけたユートレクトに、こっぴどく説教されたけど。
「陛下」
礼儀だけは完璧だけど気圧の低い声に、はっとして頭を上げた。
「なにかしら、ユートレクト?」
こちらも平静を装って言葉を返す。
ひょっとして、何回も呼ばれてたみたい。
顔を見ればわかる。
水色の瞳が礼節の奥で冷ややかに私を見つめている。
ここは『世界会議』の開会式がある『黒水晶の間』というところ。公的な場所では気は抜けない。
「もう間もなく開会式が始まります。いかがなさいましたか? 長旅のお疲れもあろうかと思いますが……」
こう言われると、心配してくれているのかしらと思うでしょ? 違うのよ、本当はね、
『もうすぐ式が始まるというのに、ぼーっとするな。何度呼ばせれば気が済むのだ。
ここに着くまで三日間、ずっとはしゃいで勝手に疲れたのだろうが。ここへ何をしにきた、本分を忘れるな、たわけが』
って言いたいのよ、間違いなく。
でも、ここは公式の場だからね、私も、
「大丈夫よ、ありがとう。心遣い感謝します」
とすまして応える。
疲れているわけじゃない。ぼーっとしているわけでもない。
私はユートレクトのとなりで、気づかれないように、だけど確実にどきどきしていた。
どこを見ても、偉い人ばっかりだよ……当たり前だけど。
他の女王さまや王妃たちのドレスも、私のものとは比べ物にならないくらい無駄に派手……いやいやご立派だし。
うわー本当に私、こんなメンバーと一週間も過ごして身がもつかなあ。
となりの宰相閣下はといえば、何食わぬ顔で懐中時計を磨いている。
こんな時、本当にこいつって大物なのねーと思う。
同じ非嫡出児でも、奴はこのローフェンディア帝国の皇子さまだからね。
聞こえてるはずなのにさっきから。
小声もあるし、わざと聞こえよがしな大声もある。
「ほら、あれが例の……」
「なぜ彼ほどの方が、あんな小国に」
「しかも今度の女王は、平民の出だというではないか」
「あの国も、いよいよ帝国のものとなるか」
「平民出の小娘なら、たやすく篭絡できようぞ」
「しかし帝国もいい時期に目をつけたものだ」
私がどきどきしているのは、こんなことを言っている人たちの権威に圧されているからじゃない。
こんなことを言っている人たちを、どつき倒さないで我慢していられるか。
それが私(とユートレクト)の一番の心配だった。
平民出身をなめてると痛い目見るわよ、物理的にもね。
王族ならびにお偉方さんたちったら。
それに、ユートレクトの顔に泥を塗るようなことを言う輩を、私は絶対に許さない。
私が今こうして立てているのは、彼のおかげなんだから。