-始まりの旅路の果てに- 後編
はい、「始まりの旅路の果てに」の後編です。
…ただ、二人を仲良くしたかったんだ……!
トリテ森林の何処か。薄暗いそこにその場の雰囲気には似合わない光が現れた。それは徐々に大きくなっていき、人一人分の大きさで形を保つ。
次の瞬間それが勢い良く弾け、中から人が出て来た。
ティアルは腰にある杖を握り直し、周りを警戒するように見る。安全が確認出来たところで杖を下ろし、近くの木の幹に腰掛けた。
「――ここ…何処だろう…」
森林の中だということは確かだな、と考えつつティアルは小さく溜息をつく。
どうやら、慌てて技を発動したことにより変な場所に来てしまったらしい。だが、とりあえず逃げれたのでそれは良しとしよう。
それよりも、あの三人が言っていた言葉だ。
レイは気にするな、と言った。しかし、そう言われて気に出来ないほど自分は出来た人間ではないとティアルは思っている。
二年前。ティアルはレイに救われた。行き倒れていたティアルをレイが拾ってくれた、生かしてくれた。
そして一年前のあの日も、魔物に襲われていたティアルをレイが助けてくれた。
その時、ティアルは心に決めたのだ。
この恩人より強くなって、何時か自分が守るのだと、恩返しをするのだと。
その為にティアルは強くなろうと努力した。体力をつけ、自分に相性の良い魔法や道具を見つけ、修行もしてきた。今はまだレイには勝てないが、肩を並べられるほどの実力をつけた。レイにも認めて貰えた。しかし、まだまだ弱い。他のS級魔使士の様に一撃で魔物を沈められるわけでもないし、どんな時も冷静でいられる訳でもない。
レイの足を引っ張っている自覚はあるし、自分がいた方が迷惑なのもお荷物なのも分かっている。だが、そのせいでレイに何かをされたり言われたりするのは嫌なのだ。だから、その元凶であるティアルがその場を離れるのだ。優しいレイが自分の為に何も顧みずに誰かを咎める前に。誰かを傷つける前に。
それが逃げることだと分かっていても、ティアルはやるのだ。
「…はぁ……」
溜息だけが深く暗い森林に響いていった。
「――あいつは、ティアルは人に優しくされたり、人が傷つくのが嫌いなんだ」
ティアルがこの場から消えて少しして。
下を俯いて何かを考えていたレイがポツリと言葉を発した。
ビスティスはそれに口を出さず、ただ話を聞く態勢をとる。それはただ話を聞きたい、という理由もあるが、レイがこんな様子を他人に見せるのが珍しいからだった。まだ会ってから何年も一緒にいた訳では無いが、そばに居た数日だけでビスティスはレイの性格がよく分かっていた。
「人に傷付けられて、最初はお前の言う通り俺に懐いちゃくれなかったし、どんな行為も疑われたよ。だから、色んなものを見て世界を知って、少しずつ心を開いてくれたらなって思ってた。でも、心を開いても、まだ怯えてるんだ。自分のせいで、ってきっと思ってるんだろうな……」
「へぇ、そんな事あったのか……。じゃあ、俺余計な事言ったかな?」
申し訳なさそうにビスティスが言うとレイは苦笑した。
「まぁ感謝半分迷惑半分って所だな」
「何だよそれ…」
微妙な反応に納得いかないビスティスは声を上げたが、レイはそれを無視する。
「てか、レイでも悩みとかあるんだな」
チラッとビスティスはレイを見る。そんなビスティスにレイは呆れながら肩を竦めた。
「何言ってんの、俺は頭脳派だよ?悩みは尽きないんだよ?」
迫り来るように言葉を紡いでいくレイに引きながらビスティスは悪い悪い、と顔を引き攣らせる。
「いや、ほら。見た感じお前って絶対頭脳派じゃなくて運動派じゃん。だから気楽に生きているのかなぁ……と」
「は??何を言っているのかねそんな訳ないだ―――」
突然言葉を切り、ピクリとレイは動きを止めて勢い良く空を仰いだ。そして、先程と違い表情が真剣味を帯びる。様々な表情を見せ、何かに頷いたかと思うとレイは勢いよく振り返ってこちらを見やる。
「ビスティス」
「――はい?」
やはり何処か雰囲気が違くて。
見たことの無いレイにビスティスは戸惑いながら返事を返す。そんなビスティスなど知ったこっちゃなく、レイは黒とエメラルドグリーンの瞳を真っ直ぐ向けて来た。
「お前はここに居てあいつらの面倒見とけ。俺はティアルを迎えに行ってくる」
言いたい事だけ短く伝え、レイは暗い森林の方へ走り出す。ものの数秒でその姿は見えなくなった。
「おい!お前も荷物持ってかないのかよ!」
ビスティスの叫びは森林に響き渡ったが、応える声はなかった。
キャンキャンキャン
よく分からない鳥の様な声が闇に包まれたように暗い森林中を駆け巡る。
それに体を軽く震わせ、こんなんじゃ駄目だと頭の中で再確認する。
あまり見えない地面に杖で絵を書いていく。と言っても書いているものはほとんど見えないのでどうしても感覚的なものとなり、実際に上手く書けているのかは定かではないが。
「――はぁ……」
溜息だけが口から漏れ出ていく。
確か、『溜息をつくと幸せが逃げる』と誰かが言っていた気がする。
では、いま自分の口から”幸せ”が逃げているというのだろうか?
すでに”幸せ”など枯れてしまった自分から?
どうやって逃げていくというのだろうか。
ふっと、ティアル顔に自嘲が浮かぶ。
逃げていくも何もないじゃないか。
こんなに、
こんなに、
駄目駄目なのに。
役に立ててないのに。
一番大切だった人からすらも裏切られた自分は、
もう、
どうすればいいというのだろうか。
そんな事を、考えていたからだろうか。
ティアルは気付かなかった。
普段なら見逃さないその些細な気配に、その荒い息遣いに、その殺気に。
――自分を仕留め、格好の餌としているその存在に。
森林の闇に有効な赤い眼が獲物を捉える。
体制を整え、尚且つ相手には気付かれないように狙いを定める。
そして、一気に迫るっ―――!
もう駄目だ。
そう本能が感じた、その時。
「――ティアルーーーっ!!!」
ズシャッ。
耳に入ったその音が、やけに五月蝿くティアルには聞こえた。
「―――え………?」
自分に覆い被さってくる人に、先程聞こえた声に、ティアルはただただ動揺するしかなかった。
だがそれは徐々に疑問へと変わり、やがて頭が冷静さを取り戻す。
周りに広がっていく黒い、否、赤いと思われる液体。
目の前で光る赤の双眸と辛うじて見えるその爪に付いている液体。
どんどんティアルの頭の中で先程起こったことが予想される。
つまり、だ。
思考に没頭していたティアルを狙っていた魔物から今力無く覆い被さっている人――レイが庇った、という事だ。しかも、レイの受けた傷は深い。
その事実に頭がクラっとした。
だがここで止まっていることは今のティアルには許されない。
杖を握り直して魔物目掛けて魔法を放つ。
「天が導く水の大海原よ!
我の意志に応え、その水に敵を滅するだけの力をっ!
水神滅殺咆哮っ!!」
杖から水の渦が魔物を巻き込み遠くまで飛ばしていった。
魔物がいなくなったのを感じたティアルはすぐさま視線をレイに向ける。
「レイ!レイ!ねえ、起きて、起きてよぉっ!」
体を傷つけない程度に力を込めてレイを抱く。
あぁ、体が冷たい。
もしこのまま死んでしまったらどうしよう。
誓ったのに。
守るって、役に立つって、決めたのに。
――私は、こんなにも無力で。
強くなったというのはやはり思い上がりだったのだ。
ただ自分がそう信じたかっただけなのだ。
恐怖に怯え、強ばって震えているティアルの体をレイがゆっくりと、そっと、抱き締めた。
「ティアル」
そう一言、名が呼ばれる。自分に向けて、レイが痛みに顔を顰めながらも笑顔をつくる。それと同時にレイの小指にあるピンク色の石がはまった指輪が光を放ち、少しずつレイの傷を癒していく。
それを見て、ティアルの見ているその光景と前の記憶とがデジャブする。
それは一年前のあの日。
自分のミスで怪我を負う所をレイに助けてもらったとき。
いつもと変わらない笑みで、いつもと変わらない口調で自分の名を呼んだレイ。それはまるで幼い自分を慰めていて、不安から守っていた。それが、当時はとても嬉しかった。
ーー一年経っても、何にも変わらないんだなぁ。
漠然とそう思って、そう感じて、安心した。
そして――。
ティアルの閉じた心がプツンと切れたように弾け出す。
「レイ、レイ!ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいっ!わ、たし、何にも役に立てなくて、レイを助け、るんだって決めた、のに何にも出来なくてっ…!」
今まで奥底で溜めていた感情が曝け出される。それが止まる気配は決して無く、しかしティアルは嗚咽をしながら泣いていたのでほとんど聞き取れない。
だが、レイには分かった。分かっていた。
ティアルがどんなに優しいか。どれだけ周りに気を使って来たか。どれ程自分の感情を押し殺してきたか。
だから。だから、今はただこの小さな少女が素直でいられるように。そうあれるように。
レイはそっと背中を撫でながら相槌を打ち続けた。
その後。レイの後を追ってきたビスティスと以下三名と合流し、とりあえずリーダーの大男の元へ向かった。そこで森林からの撤退と依頼達成を言い渡されたのだ。レイを考えてのこともあるだろうが元々撤退のつもりでいたのだろう。その為、その行動は今決めたようには見えない程迅速で、ものの五分で全員が集まってトリテ森林から去った。
無事とは言い難いかもしれないが、何とか森林を抜け街へと着いた一行はその場で解散し、報酬云々は明日となった。ティアルとビスティスは傷は塞がったもののまだぐったりとしているレイを泊まっている宿屋に運び、服を着替えさせてベットへ寝かせた。勿論、手に着けた指輪は外してやる。
レイの寝顔は何処かスッキリとしていて、それがやけに死人の様に見えた。
本当に死んでしまったらどうしよう。
そんな不安に襲われて、ティアルはレイの傍にずっと居た。時には顔色を伺い、きちんと呼吸をしているか確認もしていた。
次の日になってもレイは起きず、報酬はビスティスが代わりに受け取りティアルに渡した。
「――ティアルちゃん、しっかり寝たらどう?」
ビスティスの気遣いの言葉にティアルはゆっくりと首を横に振る。
「ありがとう、ビスティスさん。でも、私がそうしたいだけだからこのまま看病してるね」
曇りのないその眩しい笑顔に少し顔を顰めながらもビスティスは分かった、と口にした。
結局、レイが目を覚ましたのはそれから二日後であった。
地平線の奥にあるオレンジの太陽が海の中へと沈んでゆく。それと入れ替わるように空には月があった。その間の空間は綺麗なオレンジと紫色になっていて、まるで世界を二分しているように見えた。
優しく波を立てる海。その砂浜にいるのは膝を抱え、頭を埋めている赤いセミロングの艶やかな髪の少女。小一時間程前に来た少女はその体勢のままその後、一ミリも動くことは無かった。
そこに流れる音は波が出す水の音。空を飛ぶ鳥が鳴く声。風で揺れる木々の葉。
静かに、しかしはっきりとそれらは耳を刺激する。
ザリッ、と突然砂を踏みつける音がした。ティアルは顔を少しあげてそちらを見やる。そこには、数時間前までは白いベットに居たはずの人物がいた。
黒く短い髪を風に揺らし、珍しい虹彩異色症を広大な海に向けながらレイがティアルの隣に座る。片足は伸ばし、後ろに両手でつき支えるその格好はとてものんびりとしていて、寛いでいるのが見ているだけで分かった。
「――ティアル、いつ街を出て行く?」
真正面からの風を気持ち良さそうにレイは浴びる。ティアルも同じようにしながら、少し答えるのを躊躇う。レイは人に話を急かさないので待ってくれていると信じ顔は見ない。
少しして、ティアルは自分の考えを告げる。
「レイが治った後なら何時でも。お任せする」
答えて、また海を見る。
波が押し寄せて、引いて、それだけを繰り返す。
それだけのはずなのに、その繰り返している波が酷く美しかった。
一つも狂わないその動作。それが、今心が揺れているティアルとは正反対に見えて、何だか嫌になる。だが、そんな気分になってもティアルは視線を前に固定したまま逸らさない。それをじっと、目に焼き付けるようにティアルは海を見る。
「――そっか、りょーかいした。んで、だ」
一旦言葉を区切り、レイは普段は決して発さない低い、真剣な声で言う。
「ティアルは俺に何か言いたい事、あるか?」
その声は、ティアルに逃げ道は無い、誤魔化すな、と告げているような気がした。自分の気持ちをキチンと話せ、と言っているようにも聞こえた。
はなからそんなつもりなど無かったのだが、改まると何だか変な気分になった。
それをティアルはレイとの旅で築かった経験と知識で抑え込み、姿勢を少し正した。
「――私はまだまだ弱いと思うの」
その発言にレイが目を見開いた気がしたが、それを無視してティアルは話を続ける。
「レイの役には立ててないし、技も未熟だし、種類も豊富にあるわけじゃない。
でも、でもね、私はレイの隣に立ててる、そう思ってる」
喉が、声が、体が、自分の心を曝け出していく度に震えた。
「役に立てなくても、技が未熟でも、レイの隣に居てあげることは出来るって思うの、だから…」
――だから、
「だから、こんな私でも、隣に置いていて欲しいの……」
駄目、かな…?
そう問い掛けてくるティアルを見て、レイは我に返る。
レイに聞きながら、ティアルは不安そうに揺れる目をずっと向けていた。
――そんな事、分かりきっているだろうに。
そうレイが思っても、言葉にしない限りティアルは不安で仕方ないのだ。昔付けられた傷が、痛みが、ティアルの心を未だに支配しているから。
「――本っ当に、ティアルはしょうがない子だなぁ」
軽く溜息をつき、レイはハッキリと告げる。
「俺と一緒に、色んなものをこれからも見て行こうぜ」
にっとレイはティアルに向けて笑う。
それを見て、ティアルも両目に一杯涙を溜めて笑った。それはどこまでも綺麗で、儚くて。
レイはゆっくりとだが力強くティアルの頭を撫で回す。ティアルは少し恥ずかしそうにしていたが、その小さな変化がまた嬉しくて、レイの手はどんどん頭を撫で回していった。
暫くして満足して、レイは頭を撫で回すのを止めた。本当はもっとやりたいのだか、太陽が殆ど沈んで、辺りが暗くなっていたのだ。このままここに居て、変な輩に絡まれるのだけは御免なので、ティアルと共にさっさと引き上げようとした、したのだが。
どうやら、そんな些細な願いさえ神はそう簡単に叶えてはくれなく。
「キャーーーッ!」
甲高い女性の声がレイ達がいた所の少し先で発せられた。
ティアルとレイはお互いに顔を見合わせ、悲鳴のした方へ駆ける。
辿り着いたそこには、砂浜に座り込みズルズルと後ろへ下がっている女性と本来ここにいるはずの無い魚人型の海洋魔物――シーサバルが女性に迫っていた。
ティアルは咄嗟に腰に手を当てたが、そこに杖が無いことに気付き軽くパニックになる。そんなティアルの真横で強い緑色の光が瞬く。
それがレイの指輪だと認識している頃には、彼は技を出していた。
「風の竜巻!!」
指輪から出た風の渦が砂浜の上を走り、魔物を捕らえて高く持ち上げた。その威力に負け、魔物は消えていく。
それを確認したティアルが女性の元へと走って行く。しかしレイはその場に留まり、安全を確認して周りの事よりも思考することを選んだ。
(――何であんな所にシーサバルか居たんだ?彼奴は確かここよりももっと東の地域でしか出てこない筈。それがこんな場所に居たってことは……)
――ここ最近凶暴化した魔物達。
――本来居る筈の無い場所に出現した魔物。
――単体での出現が減り、一定数以上で襲いかかるようになった魔物達。
どう考えても、この状況は可笑しい……。
「――これはまた、会議だなぁ……」
この世界に異変が起こっている。
その否定出来ない可能性を導いたレイは大きく溜息を吐いた。
持ち物の整理と状態の点検、足りない物の補充や確認を済ませ、レイとティアルはこの街を出て行った。次に目指すのはトリテ森林を抜け、近くにある山を一つ超えた先にある村である。近くにある山、と言っても実際は三キロメートル程先のものだ。また白いピカピカなベットとは暫くのお別れである。それがいつも通り寂しくて、二人が夕食を食べた後直ぐに寝たのはここだけの話だ。
荷物をしっかりと背負い、地図をティアルが、防水加工済みのマントをレイが手で持って街の外へと出る。
薄暗い街道を進んで森林から抜け、道のない地面を地図を確認しながら歩く。
それを何度も繰り返し、数えるのが面倒になった頃。ティアルは急に空気が冷えたように感じた。体がブルッ、と震え、腕を摩る。何でいきなり。そう思っていると、ティアルの後ろにいたレイが声を上げた。
「おお!見ろよティアル、雪だぜ!」
妙にテンションが高いのはレイが大人でも一人の男の子だからだろうか。
そう思い、直ぐにそのくだらない考えを放棄してティアルは空を仰いだ。
「ーーうわぁ!」
上から降り迫る白い雪。暫く見ていなかったその光景にティアルは思わず口を開く。それを見たレイがこっそり笑っていたのでとりあえずお腹に容赦なく鉄拳を食らわせておく。
手を払いながらティアルは歩みを進める。そこで蹲っていたレイも後を追う。
くるくると回りながらティアルが微笑む。それに釣られて、レイも口角を上げる。
「なぁ、ティアル」
クスリ、と笑い、レイがティアルを呼ぶ。
「何、レイ」
いつも通り素っ気なく返しているが、ティアルの顔は笑顔のままだ。どうやら雪のお陰でかなりテンションが上がっているらしい。
「――マント、使う?」
分厚い雲が覆う空の下。
雪がしんしんと降るそんな空の下にマントを羽織った二人の男女がいた。
二人はマントを羽織っているもののフードは被らず、お互い顔を見ながら楽しそうに会話をしている。
それはまるで、暗闇を明るく照らす一筋の光のようだった。
―始まりの旅路の果てに―
END
「始まりの旅路の果てに」後編、お読み頂きありがとうございましたm(_ _)m
連続投稿なのは元々書いていたからですw
でも、次のはまだ何にも書いていないので遅くなります。
次も…前後編ですかね。まだ分かりませんが。
のんびりとやっていきます。
ではまた、今度は「光の皇と闇の皇の哀歌」で会いましょう。