ネクラでプロローグ
「そういえば……昨日、ヒーローにスカウトされたんだよね」
いつも通りの高校生の放課後。
波のない池のような漫然とした日常の談義に、「今日宿題忘れたんだよね」並みのノリで、ナトリウム製の一石が投じられた。
「……は?」
思わず俺は間の抜けた声で聞き返す。
「いやだから、ヒーローにスカウトされたんだって」
別に聞こえなかったわけじゃねぇよ。
「ヒーローって……あの?」
俺の隣に整然と座っていた女子──井出 優香が、珍しく狼狽した様子で聞き返す。
あの、という指示代名詞は、別にテレビの中の登場人物を表している訳ではない。
二十年前、突然世界中で怪人が現れるようになり、それと同時期に各地で現れマスコミに報道されるようになった、リアルでホットなヒーローの事を指す。
「そう。あの」
そしてどうやら我が友人──大路 黒羽は、そのリアルなヒーローにスカウトされたらしい。
「なんかこの地域のヒーローが引退したらしくてさ。街歩いてたら『YOU、来ちゃいなよ』って言われて」
そんなアイドルみたいなノリでスカウトされるのかヒーロー。
それでいいのかヒーロー。
「オウジ君、流石」
その大路の横で、熱い視線を彼に向ける無口系少女──音多 静香。
ちなみに大路は我々の間ではオウジという徒名(?)で呼ばれている。
その名に負けず劣らず、オウジはゆるふわ系美青年として学内の人気という人気を欲しいままにしている。
常にキラキラトーンが発生する系男子。歩けば黄色い歓声が飛び交う系男子。微笑めば桃色空間発生する系男子である。
「ヒメ……」
そしてその学内一のアイドルであるオウジは、無口系少女の音多と交際中である。
音多の徒名は「ヒメ」
別に名前にちなんでも、見た目にちなんでもいないのだが、オウジの彼女という理由でヒメと呼ばれている。
学内のジェラシーというジェラシーを欲しいままにしている系女子だ。
何の前触れもなく突然にお互いを熱く見つめ合い、桃色空間を発生させる二人。これで平常通りの運行なのだから恐ろしい。
リア充爆発しろ。
「しかし、オウジの場合『突然ヒーローにスカウトされた』と言われても妙に頷けてしまうな」
典型的瓶底眼鏡をかけた男子──瓶原 篤が、顎に手を当てて唸る。
なお瓶底眼鏡に隠されているが、彼の顔面は怜悧なイケメンフェイスである。眼鏡さえ無ければオウジに並び立つほどである。
頑なに瓶底眼鏡を取らないのは何故か。知る由もない。
伊達眼鏡だし。
眼鏡と苗字から、彼には「ビン」という徒名が授けられた。
本人曰く気に入ってるらしい。彼のセンスが心配になってきた。
彼の言うとおり、オウジはその風貌故か、何らかの面倒事に巻き込まれても何ら不思議ではなく思えてしまう。
今までアイドルにスカウトされなかったのが不思議なくらいだ。
「で、結局引き受けたのか?」
ずっと気になっていた質問をぶつけてみた。
彼の話では、まだスカウトされたというだけ。ヒーローになるという話を受けただけなのだ。
「いや?」
彼は首を振った。どうやら確かに日常の一コマであったらしい。
だがそこで話が終わるかと思いきや、オウジは
「一人は寂しいからって断ったんだ。そしたら、『友達も誘って戦隊ヒーローになったらどうだ?』って言われたんだよ」
と続ける。
「友達?」
オウム返しがごとく聞き返すと、オウジは微笑んでキラキラトーンを飛ばしつつ、俺達を見た。
「ヒーロー……一緒にやらない?」
俺達五人の、日常を吹き飛ばす言葉であったのは、言うに難くない。
+-+-+-+-+-+-+-+-+
「ここが地球防衛軍日本支部か……」
少しばかりお約束な言葉を呟きつつ、見上げる俺達五人の前には、地球防衛軍とかいうチープなムード漂う集団。
その日本支部なる建築物が、そこそこ空高くそびえ立っていた。
ああ、うん。言いたいことはわかる。
我々五人は何をトチ狂ったか、ヒーローのスカウトを受けることを決断してしまったのだ。
そう、我らが地球を救うために。
決して俺は、給料の良さとか勤労時間の短さとか、ヒーロー出動で学校休めば公欠扱いとか、その他手当など諸々の待遇の良さに惹かれた訳では無い。
バイトやるより効率良いとか全然思ってない。
「自分で言っておいて何だけど、ビンや井出さんも受けてくれるとは思ってなかったよ。ネクラはともかく」
オウジが失礼なことをほざきやがる。
ネクラはともかくって何だ。
あ、自己紹介が遅れた。俺の名前は根倉 結城。
「ネクラ」と呼ばれているが、断じて徒名ではない。
皆の発言するその呼称が、若干別のニュアンスを含んでいる気がしないでもないが、あくまで徒名ではない。
例え俺の容姿が、目にかかるくらいの髪、生気を失った瞳に、目の下の隈が目立つような、根暗を体現するようなものであろうと、徒名では断じてないのである。
ただの苗字だ。
「……そうだな。俺は、ネクラが行くだろうと思ったから付いて来ただけだ」
「同上。ヒメはオウジ君に付いていって、ビン君はネクラに付いていくと思ったからよ。一人残されるのは流石に寂しいからね」
ビンと優香もよってたかって「ネクラは行くだろう」って……。
俺をなんだと思っているんだ。
確かに目に隈が出来るほどバイトのシフトを入れていて、金のにおいがする話に「お、ラッキー」と二つ返事で飛びついたのは確かだが。
三人の会話の前で一人静かに憤然としていると、ビルからスーツ姿の事務員らしき人が近づいてきた。
「大路様方、お待ちしておりました」
どうやら地球防衛軍からのお迎えらしい。
彼に連れられ、五人仲良くぞろぞろとビルのロビーにお邪魔する。
受付のお姉さん方に揃った挨拶を受け、少々値段の張るホテルのチェックインを幻視した。
特に手続きもなく、お迎え事務員さんとのコミュニケーションも特に発生せず、あっさりとエレベーターに案内される。
上のフロアへとご招待かと思いきや、男性事務員さんは階層番号の並んだボタンを押すことなく、扉を閉めた後その下の鍵穴に鍵を差し込み、ガチャリと捻った。
スライド式の金属板がずらされると、中から登場したのは地下階の番号が記されたボタン列であった。
疑問符しか頭に浮かばないので、中年ダンディー男性事務員さんとの初コミュニケーションに挑む。
「地下に行くんですか?」
「ええ。地上の建造物はデコイです。支部自体は地下にあります。何せ地球防衛軍の秘密基地ですから」
秘密基地。
小中学生までならロマンとパトスを感じざるを得ないが、高校生となるとやたら子供じみた響きをもって聞こえてくるミラクルワードだ。
ダンディーなスーツ姿の事務員さんが、真顔でこれまたダンディーに渋い声色で「秘密基地」というミラクルワードを真剣に発せられると、若干のシュールさが滲み出てくる。
ゴウンゴウンと腹の底に響くような機械音。
下に行く度暗くなっていく照明。
蛍のように青白く光る床。
使い所の分からないSF臭さを感じるエフェクトに困惑している内に、目的の階に付いたようだ。
チンッというタイマー式オーブンのようなわざとらしい音。
ウィーンガシャンと大げさな音を上げて開くエレベーターの扉。
確か一階でこのエレベーターに乗り込んだ時は、静かにに扉が開閉していたと思うのだが、記憶違いだろうか。
わざとらしい継ぎ接ぎの壁面に囲まれた物々しい廊下を、数度の暗証番号付き自動扉を経て進む。
男性事務員の暗証番号を入力する指の動きを見るに、全ての扉にそれぞれ異なる暗証番号が登録されているようだ。
面倒臭いことこの上ない。
最後に指紋認証付きの自動扉を通り、一つの部屋の前に案内された。
「こちらで、支部長がお待ちです」
確かに扉の上の表示には、支部長室と言う文字が記載されている。
この札の表示だけ一般オフィスのそれと同じ物で、その他の雰囲気との違和感を拭い去れない。
しかも何故か支部長室に繋がる扉だけ、暗証番号が付いていないどころか自動ドアですらない。
せめて最後ぐらい統一感を持たせて欲しい。
金属製の極普通のドアノブを回し、一人ずつ中に入る。
支部長室の中は、普通だった。
いや、別に普通の部屋というわけではなく、確かに調度品といい良い物が揃っているようだが、極普通の社長室だ。
さっきまでのSFチックデザインはいずこに。
「大路君と、そのお友達だね。待っていたよ」
デスクに座っていたのは、如何にもって感じの中年でかなり太ったおじさんであった。
油が浮いてテカった額、年齢を感じさせる薄い頭頂部。
恐らく値が張るのだろう、綺麗な茶色のスーツ。
ザ・一般企業の重役という形である。
支部長という肩書きが似合いに似合うが、地球防衛軍日本支部長という肩書きとなるととことん似合わない。
そんな感じのおっさんである。
「あ、支部長。お久しぶりです」
大路がいつもの爽やかプリンススマイルで挨拶する。
てか大路、支部長と知り合いだったのか。
「Youも、良く来てくれたね」
支部長も、社交的なおっさんスマイルで挨拶を返した。
まさか大路を「You、来ちゃいなよ」ってスカウトした張本人か?
支部長直々にスカウトしたのかよ。
あんたジャ○ーさんか何かか?
「さて、他の四人は初めましてだね。まずは自己紹介をさせてもらおう。地球防衛軍日本支部長の、松平 清和だ。よろしく」
名前が厳か。
多方面でギャップが酷い。
ともかく、こちらも自己紹介をした方がいい流れだろう。
だが四人の内誰から始めるか、と逡巡していたところに、自然な流れでオウジが話を運び始める。
「じゃあ僕が一人ずつ紹介しますね」
なるほどごもっともだ。我々四人はオウジの紹介の元赴いた次第。
ならばオウジが紹介するのは当然の流れである。
流石オウジ。
こういう場面に慣れているな。
こういう場面というのを具体的に説明するとなると俺の語彙では不備が生じるが、とにかく慣れている。
「まず一番左から。僕の彼女で、音多 静香と言います」
第一に自分の彼女を先じて紹介するとは、恐ろしい奴だ。
五人横一列に並んでいる中、入室順となったためか、一番右にオウジ、一番左にヒメという配置になっている。
普通近い奴から紹介しないかな?
まあオウジは普通じゃないからハナから議論にならないのだろう。
そして俺が一番最後に紹介されることが決定した瞬間である。
オウジのとなりに配置されているのが、幸か不幸か。
「音多です……よろしく」
そしてさもオウジの行為が当然であるかのように、平然と立ち振る舞うヒメ。
というか平常通りである。
「あ、あぁ、そうか。よろしく」
ほら松平支部長も困惑なさっている。
ちょっとした非難の匂いを混ぜた視線を隣のオウジに向けると、彼はキラキラトーン振る舞う素敵な微笑みで相殺してきた。
ん? なんの笑いだ?
なにを含んだ笑いなのだ?
謎の微笑みの真相を探るため己の思考に没頭する間に、オウジは淡々と紹介を進めていく。
「で、井出 優香さん」
「よろしくお願いします」
「瓶原 篤」
「よろしく」
「最後に、根倉 結城です」
ヒメにだけは「自分の彼女」というステータスを付属しておいて、残る人達は名前だけって言うのはどうなんだ?
やはりわざとなのか? あの微笑みの含有成分は腹黒なのか?
……………っと待て、今俺の名前が呼ばれた気がする。
「……宜しくお願いします」
深く沈んだ思考を水揚げするのに少々インターバルが開いてしまったが、不自然だっただろうか。
自分では限りなくアウトに近いセーフだと思う。
つまりセウトだな。
さて審判のジャッジメントや如何に。
「うん、こちらからも宜しく頼むよ」
朗らかに挨拶するおっさん。
いや、松平審判。
どうやら判定はセーフのようです。
「じゃあ、一度大路君から軽く説明を受けているだろうけど、ここでもう一度私が概要をざっと確認するから、質問があれば躊躇なく聞いてくれ」
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
待遇に関しては、オウジから聞いた通りだった。
給料は出来高……倒した怪人の強さ及び数、依頼であれば、その依頼料も上乗せされる。
出来高となると少々不安に思えてくるが、一つ一つの金額が馬鹿でかいのだ。
雑魚怪人一体倒せば、五人で山分けしても何ら問題ないほど。
この五人の中で、両親からの仕送り等が無いのは俺だけだが、他の五人はいくらか報酬を融通して良いという話だ。
さらに、希望すれば地球防衛軍日本支部が管理している、セキュリティー万全の寮に住まわせて頂けるらしい。
朝晩二食付きで。
めでたく、食費と家賃がゼロにできるわけだ。
これでバイト付けの生活からも脱却できるだろうか。
一通りの確認を終えた後、松平支部長に連れられて、またもSFチック廊下をぞろぞろと歩いていく。
少々造りというか、装飾が雑になっている気がするのだが気のせいだろうか。
ああ、あそこのメタリック塗装が剥げている。
「さて、もちろんヒーローといっても、生身や銃剣でファントムを倒せ、等とYou達に言うつもりはない。You達も見たことがあるだろうが、ヒーローはファントムと戦うための力を持っている」
怪人──どうやら正式にはファントムと言うらしいが、それらの類とヒーローが戦っているシーンは、テレビで放映されているのを幾度とか見たことがある。
そしてインターネットの電波上には、ヒーロー専門のチャンネルが存在している。
日本用、世界用とあり、日本用ですら毎日数回ヒーローとファントムの戦いが映され、世界用では四六時中放送が止まることなく、それどころか各国で複数の戦いが被ることもある。
俺はわざわざヒーローチャンネルを覗きに行くような事はしなかったが、ニュースの一枠として取り上げられることもしばしばだから、勿論目にしたことはある。
「ファントムを倒すための力──ヒーローパワーを、君達にも授けようと思う」
ひーろーぱわー。
また新たなミラクルワードが飛び出してきたな。
しかもこれは厨二盛りの中坊ですら、自ら執筆する黒歴史ノートに書き込むのを躊躇うほどのスペシャルワードだ。
「君たちはヒーロースターを手にする事で、ヒーローパワーとヒーローウェポンを自らの物とできる」
ひーろーすたー。
ひーろーうぇぽん。
これはもしかして笑うところなのだろうか。
頭頂部が薄いテカテカ中年男が連続して口に出して良いような言葉ではないような気がする。
笑うのを堪えるのと同時に、敢えて先手を打ってみようと思い至る。
「ヒーロースーツも貰えるのですか?」
ニュースでみる限り、ヒーローという者は誰も彼も、タイツに似たカラフルなコスチュームに仮面といった、昭和の特撮物のようなスタイルで戦闘していたはずだ。
その戦闘服も、ヒーロースーツなどと胡散臭いネーミングを付けられていると思ったのだが。
俺のこの質問に、松平支部長はしばし顔面を硬直させた後、プッと小さく吹き出した。
そのままクスクスと口の中で小さく笑い始めるテカテカ禿げ親父。
「あの……?」
「いや、すまない。存外昭和っぽいと言うか、子供っぽい事を言うものだなと」
このクソデブ禿げ野郎は喧嘩を売っているのかな?
眼前の男の中にある、子供と昭和の定義を今すぐ問いただしてみたい。
ヒーロースターはセーフなのに、ヒーロースーツはアウトなのか?
誤審です。松平審判に誤審の疑いです。
チャレンジを要求します。
「テレビでよく見るであろう、ヒーローが着ている服は、国が開発した対ファントム戦闘用特殊防具だ。個人個人に合わせたデザインに修正してあるがね。あと、ヒーロースターやヒーローウェポンは、公的に認められた用語なんだよ」
大丈夫か公。
センスが大分暴走しているぞ。
「この名称は誰かがつけたってものではなく……っと、すまんな。説明が終わるまでに付いてしまった」
松平支部長曰わくの目的地に合ったのは、今までの陳腐なSF扉とは、ある意味で同類で、ある意味で別物であった。
端的に言えばそれは、厳重な扉であり、詩的に言えばそれは侵入せんとする何者も拒む番人のような門であった。
先刻に支部長室に向かう廊下にあった扉は、枚数ほど多けれど、暗証番号の桁は四桁が精々と言ったところであったが。
一転。
十六桁程の暗証番号、指紋認識、眼球の網膜認識、電子カードのタッチ、エトセトラエトセトラ。
何をやっているのかも分からない動作もあったが、それらが全セキュリティ解除のための幾重にも張られた罠を解く手順であることに疑いの余地はなく。
先程までのハリボテ共では及びも付かない、いわゆる敵進入に対する荘厳たる防衛装置は、しがない只あんよが上手な一般高校生である我々に、コメディな空気が粉砕された事を予感させた。
ゴゴゴゴゴ、と、おふざけなしの本気の低周波振動を足の裏と体の底から感じつつ、我々が出来ることと言えば、門がゆっくりと左右に開いていく様子を静かに見守るのみである。
「さて、You達にこれから見せるのは、我々地球防衛軍の最重要機密とも言える物体」
ゴンッと、開門が完了した旨を、振動が伝える。
門の脇には警備員らしき人物が並んでいるが、その気配も只者ではない。
それ以外にも、白衣を着た研究員らしき人物が、支部長に向かって礼をしていた。
「ヒーローパワーの根源であるヒーロースター、そのさらにまた根元である、マザースターだ」
門の先には窓があった。
そして窓の先に、水色の綺麗且つ奇妙な物体が、何の支えもなく浮かんでいる。
この摩訶不思議物体こそ、支部長の言っている「マザースター」なるものだと言うことは、容易に想像が付いた。
「これからYou達は一人ずつこの部屋に入り、ヒーロースターを受け取ってもらう。中に係員が居るはずだから、困ったことがあれば聞いてくれ」
窓の先にある、明らかに隔離された部屋。
その中に一人で入るとなると勇気が要るのは当然の話で、トップバッターの押しつけ合いの末、ジャンケンで順番を決めることになったのもまた、我々五人にとっては当然の話であった。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
「プフッ……はい次、ネクラの番だよ」
マザースターとやらの部屋に入り、ヒーロースターなるものを受け取ってきただろうオウジが、いつもの軽いノリで俺の肩を叩いてきた。
……俺の顔を見てプッと吹き出したのは何故だ。
結局順番は、ヒメ、オウジ、俺、ビン、優香の順番となった。
いつも「世界が敵に回っても、僕だけはヒメの味方だよ」とかほざいてやがるオウジは、この際あっさりとトップバッターをヒメに譲ったのであった。
まあ性格が悪いというか、オウジの腹が黒いのは何だかんだ言って昔からなので特に驚きは無いが。
本当の本当にヒメが危機になれば、オウジは迷いなく自分の命をベットするだろう人物であることも周知の事実だ。
閑話休題。
ヒーローパワーが何たるか、ヒメやオウジに聞いても「行けば分かる」としか頑なに話さない。
とにかく次に生贄、もとい入室するのは俺であり、ここで尻込みしても足踏みしてもしょうがないので、さっさと入室せんとす。
「失礼します」
軽くお辞儀をしながら扉を開け、体を入れる。
中に居たのは、パソコンを片手で弄りながら、もう片方の手をこちらに挙げて返事をする、一人の白衣の男であった。
「ほいこんにちは。君は、えーっと……根倉 結城君だね」
「こんにちは、宜しくお願いします」
そこでようやく画面に集中していた男の顔がこちらを向いた。
迸る親近感。
まるで生き別れの兄弟に会ったような戦慄が旋律を奏でる。
俺の顔を見た白衣の男が、ハッと目を見開いた。
そして男が口も開く。
「あれめっちゃ親近感」
同感ですけど、多分顔ですね。
男の顔は、若干のたれ目、目の下に隈、目にかかりそうなボサボサの髪。
まるで俺の年齢にプラス五歳したような男が、目前に居た。
……あ、オウジが俺の顔を見るなり笑ったのは、これの事か。
「実は生き別れの兄弟だったりしない?」
同じ発想せんで下さい。
「俺の名前、地尾沢 晃樹って言うんだけど、名字に聞き覚えは?」
「……確か、どこかの企業の社長さんが、そんな名字だった気がしますが……」
「ああ、まあ俺の父親は確かに社長的な仕事をしてるけど」
本当に社長様の息子さんご本人だったらしい。
ちらっとニュースの会見か何かで見ただけだが、確かに隈以外の顔立ちは似てる気がする。
そうなると同値変形的に、俺も地尾沢社長さんと似てるのか?
あまり当時そうは感じなかったと思うのだが。
「それは置いといて、個人的に聞き覚えはないか?」
「ありませんね」
「じゃあ君の母親がウチの父親の愛人説は無いか」
なぜ想像の中で自分の家庭を昼ドラ展開に持ち込まんとするのか。
「いや、そもそも俺は物心付いた時から施設育ちなので。両親の顔も名前も知りません」
話によると、どうやら段ボールの中に入っている捨て猫宜しく、養護施設の玄関に手紙すら無しで置かれていたらしいが。
「ふむ。となると俺の父親がどこぞの女を孕ませて、堕ろす堕ろさないのめくるめく胸糞展開からなんやかんやで君が捨てられた可能性は……」
「どんだけ自分の父親に罪を着せたいんですか」
加えて途中経過を端折り過ぎでは無かろうか。
「えっと……父親が浮気性だったりとか?」
「いや妻一筋だけど」
じゃあ本当に何でなんだ。
「いやまあ先程までの会話は、自分の日常に刺激あるフィクション的展開が訪れないかと期待して云々言っていただけだから気にしなくていい。とにかく、本題に移ろうか」
閑話休題という訳である。
いや最初から本題では無かったから、この表現は適切では無いのだが。
地尾沢さんは、机の上に置かれている一つの宝石のような物を手に取り、俺に見えるように掲げた。
大きさは10センチに満たない程。
透き通った青色が綺麗な石であるが、形が奇妙であった。
多面体的で、それぞれの面は研磨された様にフラットで美しいが、石が三つの菱形を合わせたような形をしていた。
丁度、○菱とベ○ツのマークの中間のような形だ。
「これが俺のヒーロースター。ヒーローの一人一人が、これと類似した形のスターを持っている」
「……地尾沢さんは、ヒーローだったんですか?」
少し質問が本題とズレている気がするが、取り敢えず疑問に思ったのでクエスチョン。
バリバリの研究員の様相であり、とてもタイツ姿に返信してファントムと戦う奴らと同類には見えなかった為だ。
「ん、今更だね。この地球防衛軍に勤務している人間は、一応全員がヒーローだ。この部屋の外にいた警備員も、白衣も、君達を案内しただろう事務員も」
結構衝撃的な話である。
あのダンディな男性事務員さんも「正義の味方」であったわけだ。
「まさか、エントランスに居た受付の人も、ですか?」
「幾らダミーとはいえ、ファントムに襲撃される可能性のある建物に一般人を勤めさせたりはしないさ。こちらにとってもあちらにとっても、心休まる話ではない。……続けていいかな?」
「あ、はい」
先程から話が中々進まない。
今回に関しては話の腰を折ったのは俺であるから、引き下がって静かに話を聞くことにする。
「で、このヒーロースターは人によって様々な形に変化する。こんな風に……」
地尾沢さんの掲げるヒーロースターなるものが、突如ぼんやりと光り出したと思うと、本になっていた。
……本になっていた。
光が収まったときにはもう、先ほどの宝石のようなヒーロースターの面影は消え失せ、革張りの古びた表紙が渋い、本になっていたのである。
「これが俺のヒーローウェポン。ヒーロースターが変形して、武器になるんだ。ヒーローによっては、剣だったり盾だったり、色々だがね」
「……武器?」
どう見ても本ですが?
本でどう戦えと言うのか。
まさか必殺技は本角アタックなのか?
「これで戦うんだよ。……ちょっと見てな」
そう言って地尾沢さんは、手に持った本をパラパラと捲り、あるページを開いて、そこに手を突っ込んだ。
そして抜き出した手には、一つのビーカーのようなものが握られていたのである。
……本からビーカー?
因果関係が行方不明で全く理解がついていかない。
「……まあツッコミどころはあるだろうが、今は置いておけ。とにかく、ヒーローウェポンにはそれぞれ摩訶不思議な能力があってな。俺達はこれをスキルと呼んでいるが、ヒーローはこのスキルを使ってファントムと戦う訳だ……浮かない顔だな?」
「疑問が氷解していないというか……結局そのビーカーでどう戦うんですか?」
ビーカーでファントムを殴るのだろうか?
粉々に割れそうだ。ビーカーが。
本角アタックの方がまだマシである。
「戦い方? 濃硫酸ぶっかけたりとか?」
「想定外に攻撃力過多でビジュアルがエグい」
ファントムに濃硫酸ぶっかけまくるヒーローは、ヒーローと呼ばれていいのだろうか。
お茶の間に放送して良いのだろうか。
ファントムの悲鳴をBGMに、皮膚が炭化していく様子を子供が見たら、一生もののトラウマになる事安請け合いである。
「まあスキルだの何だのの細かい話は、ヒーロースターを授かってから聞けばいい。というか聞くことになるから、ここで委細説明する必要はない。概要さえ理解してくれれば良いんだ」
「概要といっても、今から超能力あげるよ、と言うことしか分かりませんが」
「大分ざっくらばんとしているが、要約はそれでいい。まだ後二人居るし、さっさと済ませちゃうか」
椅子から立ち上がった地尾沢さんは、奥の部屋に入るためのドアのノブに手をかけ、そこで一瞬であるが停止する。
そして俺を振り返り、
「本当ならばここで言わない事なんだけど」
と切り出した。
「なんです?」
「生き別れの兄弟のよしみで教えて上げよう」
「そんなよしみは知る由もないです」
何故生き別れの兄弟を確定して話を進めようとするのか。
「この部屋に入ってからは、君は引き返せなくなる」
「閉じ込められる……って事ではないですよね」
「ああ。まあ簡単に言えば」
それまで手に持っていた本をヒーロースターに戻し、何の意図か此方に見せる。
「ヒーロースターの所有権は、基本的には死ぬまで失われない。そしてヒーロースターを手に入れた者は、この地球防衛軍に所属していない限り犯罪者──いや、除外すべき脅威と見なされる」
彼が口にした言葉は、端的に言ってしまえばそれは──
「……一度ヒーローになった者は、死ぬまでヒーローでなくてはならない、と言うことですか」
──地球防衛軍、いや、ヒーローの闇とも言える姿であった。
「そうだ。だから引き返せない。決断するならここだよ」
「行きますよ」
「……随分と即決だね」
「まあ、そんぐらいのつもりで来てますから。日常に、フィクション的展開が訪れないかと期待しても良いでしょう?」
それは俺の本心というよりは、意趣返しというに近いものであったが。
「……ふむ。やはり兄弟だね」
「勝手に納得せんで下さい」
地尾沢さんは満足そうに頷くのであった。
「じゃあ、開けるよ」
ドアノブに手をかけながら、その手は何かしらの操作をしているようにも見えた。
最後の関門が、只の扉であるわけが無いという事か。
開けられた扉。
空調もなく、機材が立ち並び独特の籠もった臭いがする部屋。
そしてその中心に浮かんでいる、奇妙と叙述するよりかはおぞましいと表現した方が的を射ている様な、そんな何か。
「…………」
思わず絶句した。
その自発的な沈黙に、なんたる理由が含まれていたか。
俺自身にすら表現出来ぬ、感情の乱流。
「あれが、マザースターだ」
窓から見えていた青色の宝石塊はあくまでも側面であり、一部でしかなかった。
同心円上に並ぶ、ヒーロースターのようにも見える透明な石。
そしてその中心にあるのは、能面と言うには人間染みた、人間にしては無機物染みた、不気味なほどに白い顔。
眉毛は無く、頭というよりは正に顔面のみを解体したようなそれは、僅かに開いた瞼の間、光を灯さぬ瞳を通して、此方を覗いて居るように見えた。
「さて、根倉君。別に意味はなく慣例的に全員に聞いている事なのだけど……これを見てどう思う?」
どう思う?
どう想う?
そんなの表現しようがない。
現時点で自らの内面の様子でさえ、言語化するのに難航している状況なのだから。
だが答えようと思って、ふと口から出た答えは、だからこそ俺の想いを十全に表現しようとしていたのかもしれない。
「俺を見ている……睨んでいる様に見えます」
ストンと落ちたようで、それで居て何かが魚の小骨のように引っかかっている。
そんな若干の違和感を残しながら、俺の内心は一応の納得を見せたのか、心身ともに強張りが幾何か解けた。
端的に言えば、冷静になった。
「へぇ、それはまた意外というか……」
「意外? ですか?」
「人によって第一印象が違うんだよ。例えば君の前の二人は、『不気味だけど特に何も』と言っていたね」
確かに改めてよく見ると、只不気味なだけで、先刻まであれほど混乱していたのが嘘のようである。
確かに趣味が悪い形だとは思うが、どこぞの美術館に飾ってある、現代美術と称した奇怪な物体の方が余程恐ろしく感じるだろう。
「第一印象を統計して、プロファイリングの真似事のような事をやっているのだけど、まあ正確性の無い、血液型での性格診断みたいなものだから、気にしなくていい」
雑談のような会話を交わしながら、地尾沢さんはマザースターに近づいていく。
正直近寄り難い物体ではあるのだが、仕方なく追従し、マザースターの目の前に立った。
「じゃ、マザースターの手を握ってくれ。それだけで良い」
見てみれば、マザースターの顔面の下から、手と表記するのが躊躇われるような物がぶら下がっていた。
四つの腕が伸び、一つの左手の平に収束している様な形である。
その手の甲には、蛇のような刺青のようなものが刻まれていた。
手を握ると、妙に柔らかく、冷たい感触が神経を伝う。
握ってみて初めて、それが女性の手であることを認識した。
「……うわ……」
目の前の光景に鳥肌が立ち、思わず苦い声が漏れる。
握った手の平から、四つの腕を伝ってマザースターの顔面へ、蠕動運動が始まったのである。
そして数瞬後、マザースターの細い目から、青色のどろっとした液体が、涙の如く頬を伝って流出した。
ほうれい線を超え、マザースターの口の端にまで到達したかと思えば、マザースターの口が突如開き、青色の液体を吸い込み、飲み込んだ。
「……まじか」
地尾沢さんが心底驚愕した様な声を漏らしたが、気にしている余裕は無かった。
マザースターの四つの腕の蠕動運動が逆流を始め、俺の手に向かって何かを流し込む。
そして俺の手の平から俺の中へ何かが侵入してきた時点で、俺のSAN値は限界だった。
「──きしょいわっ!!」
嘗て無いほどの生理的嫌悪感を声に含ませ、強引に手を振り払う。
先程まで握られていた手に、何か異変がないかを本能的に確認する。
「これは……」
右手の甲を確認したとき、異常に気づく。
手の甲の中心に、溶接したようにダイヤ型の青い石が嵌め込まれていた。
「ヒーロースター?」
形は違えど、それは先に地尾沢さんが手に取り見せた、ヒーロースターに他なら無かった。
そして、体全体が妙に火照り、謎の全能感が蔓延っている事に気づいた。
「まさか三人とも『ボディ』とは……流石に異常事態だね」
呆れた様子で呟きながら、地尾沢さんはマザースターの正面に立ち、手を伸ばす。
見れば、マザースターの口からはみ出る形で、丸まった紙のような物が姿を見せていた。
地尾沢さんはその紙を口から引き抜き、此方に投げて寄越す。
まさか此方に投げてくるとは想定もしておらず、慌ててキャッチ。
マザースターの咥内の唾液なのか、粘性の液体が付着している。
率直に言って汚い。
指先で摘まむように持ち直す。
「これはなんですか?」
「トリセツ」
「トリ……取り扱い説明書ですかね?」
「意訳すればそうだね。正式名称が『トリセツ』なのが頭を抱えたい所だけれど」
公のセンスがまたも暴走していらっしゃる。
「簡単に言えば君のスキルの説明書だ。名前とか使い方とか効果とか、ある程度細かくある程度大雑把に説明されている」
それは大雑把と表現すべきでは無かろうか。
だがスキルを扱う上では拝見する必要があるものなのだろう。
このベタベタの紙をしっかりと掴んで開くのは、潔癖的な勇気が居るが、南無三。
御神籤のように折り畳まれた紙を広げ、説明とやらを覗き込む。
そこには、日本語でこう記されていた──
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リア充爆発しろ☆
所有者:根倉 結城 (ヒーロー)
型:ボディ(右手の平)
タイプ:アクティブ
レベル:ファーストフェイズ
詳細:カップルを爆発させる能力。使用者の対象カップルへの妬みが強ければ強い程、爆発の威力が増す。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+
──前途多難そうだな、というのが、一目見たときの感想だった。