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日輪の異端審問会  作者: 称名湖畔
1/5

牢獄の中で①

 

 この独房に入れられてどのくらいの時が経っただろうか。

部屋の頂点から12時間ごとに覗く僅かに届く太陽の光はもう両手で数えるのは超えた。


元は白かったであろう石造りの壁は青緑の苔と年月を重ねるうちについた煤のような汚れによって黒ずんだ灰色でなんとも陰気なものだ。


過去に部屋上部にある窓から脱獄を試みた囚人モノの痕か、部屋の中央部分はまわりより一層黒ずんでおりここが罪人を飲み込む怪物の腹の中だと錯覚させる。


また縦長に掘られた部屋には外に出るための鉄製の扉がある。そこから一定の時間毎に監視官の冷たい両目が覗く。必ず1回は覗きに来るのはなんとも律儀なものだ。こんな身動き何一つしない男を見に来て気が滅入らないのだろうか。


俺以前に牢に入れられた囚人は、ここでどのような時間を過ごしたのどうだろう。


死を宣告されたものもいただろう。いつ外に出れるのか、太陽のもとを歩けるのかなどと考え、牢の扉が開くのをただただ待った物もいるだろう。


そうした恐怖や悲哀が部屋の隅々まで染み込んでいるようだ。時折扉越しに聞こえる、男や女の痛ましい叫び声と鉄の鎖を引き摺る音がこれから自分に起こりえる未来だと言わんばかりに木霊する。


 都市部の外れにあるこの監獄塔は大都市フルヒテゲベックの傍を流れるゾラス川を跨る橋の奥にあった。

この監獄塔に入るには必ずこの橋を通らなければならない。今までに橋を渡って帰ってきた罪人はいないらしい。


独房には簡易的なベットや飲むための水、排せつのための穴などがある。外で暮らす貧民層よりは快適な暮らしだろう。

そしてこの独房には――この国独自のモノだろう――苔むした石の独房には似つかわしい、金属製の像。

不思議なことに錆や汚れ一つすらない。


世界に数多存在する神の中でもこのあたり一帯を治めるアルメイア王国が支持し、また熱心な信者でもある太陽神テダンその姿を模った像。


この王国領土内で暮らす民であれば、盲目でなければ必ず目にする像だ。

かく言う俺もこの像を見なかった時期は無かった。

村で過ごした時も都市で勉学に励んだ時もそしてこの独房に入った時もだ。


王国で生活するものはまずこの太陽神テダンへの入信をする。これはもう数百年と続けられて来た伝統であり文化だ。俺の母も祖母もそのまた母も延々と受け継げられてきたものだ。その伝統になんの疑問も持たなかったし、今でも太陽神テダンへの信仰はあり毎日の礼拝は欠かさず行っている。


この独房の設計つくりも太陽が最も高い時に顔を見せるのも、そんな理由があるはずだ。

部屋の頂点から差し込む光は、手から零れ落ちた過去への思いが、直前まで平和に過ごしてきた、今はもうない故郷への思いが胸の中に沈み込む。


人が健全に暮らす世と隔絶されたこの場所は、時が経つにつれて幾重ものヴェールで現実感を薄らぎさせるようだった。


だが、あの晩にすべてを失った俺にとっては好都合だったのかも知れない。

まともな精神をしていれば数日で他の囚人同様精神が中途半端に壊れ、泣き叫ぶだけの肉の塊になっていたかもしれない。

もしくは部屋の中央でつぶれた屍肉となり果てていただろう。




 普通の暮らしをしてきた俺はたった一つの冤罪によってこの牢に落とされた。

あってはならないことだった。


父による裏切り、あろうことか父は、テダン教ではなかった。異教徒だったのだ。

別にただの異教徒であれば問題はなかった。

世界に人族は多く、様々な人種があって、共に支えあって生きている。その数だけ、生活の場所や気候にあわせて信仰する神や教えは変わってくる。

人の信仰を拒絶するほどテダンの教えもそこまで排他的ではない。


だが、父は違った。

あろうことか父は蛮族の神を信仰していたのだ。

でなけばあのような身の毛もよだつ悍ましい行為をしないであろう。

思い出すだけで裸足で冬の夜の森を歩くような、わずかな餌を求める彷徨う人喰い狼の吐息を感じるような感覚に陥る。

しかし、すべては終わったのだ。俺はもうここで朽ちてもいい。

あの晩、あの時、俺のすべては終わりすべきことは全てなした。

将来を誓いあった幼馴染の仇も、俺を育ててくれた母や、近所に住む弟分や暖かくそれを見守ってくれていた夫婦の仇もすべて獲ったのだ。

元凶である父を殺し、一人茫然としているところに騎士が駆け付け俺は捕縛された。父が異教徒であるという事を知ったのはそのあとだった。

村一つを巻き込んだ邪教の事件の首謀者の息子として俺はろくな話を聞いてもらえないままこの牢に入れられ、その時を待つばかりとなる。

しかしここを出てどうなるのだろうか。

俺にはもう戻る場所も、守るべきものも――無いのだから。

ドンドンと鉄製の扉が叩かれ、のぞき穴から見下すような目が見える。いつもの監視官と同じだ。


「明後日の朝、縛り首とのことだ。神のもとに旅立つ前に身を清めておけ。」


のぞき穴からひょいと銀色の何かが投げ込まれる。こつんと床で鈍い音をたてたそれは、短い刃の剃刀だった。


「最後までこの牢で生きていたものは少ない。脱獄をしようとして落ちて床を汚してきたやつは何人もいた。最後くらい身なりを整えたって罰は当たらないだろう。」


と言い残し去って行った。

床に落ちた剃刀を拾い上げる。どうやら新品の様でとても切れ味が良さそうに思えた。

首に当てれば自刃することもできる。

監視官は俺の事を哀れんだろう。外で衆目の元で死を晒すのか、今ここで誰にも、何を言われることなく死ぬかを選ばさせてくれたのだ。

しかし心は既に決まっている。

死を晒す事で、皆に顔向けできると。その責任を、懺悔を、謝罪を、果たすことが出来るだろう。


剃刀を片手に薄く張った水面に顔を見ようと顔を近づけるが暗くてよく見えなかった。見えなくてもある程度できるだろうと、手を当てる。

何日も放置した家の裏手の雑草のように生い茂った髭は顎から耳にかけて伸びている。

顔を傷つけないように慎重に刃を当て少しずつ剃っていく。時間はあるのだからゆっくりと撫でるように刃を滑らす。


 気が付けば、天井には星が見えた。

ここからは確認できないが月が明るいのか、いつも以上に青白い光が差し込み壁に生えた苔はわずかにその光を反射して光っているように見えた。


(あぁ......。こんな場所でも美しいと感じることはできるのか。)


ふと、影が差したような感覚がする。

月が雲に隠れたのだろうと考え横になろうとしたとき、ふと視界の隅に黒い影を捉える。

いつもならテダンの像が見えるその場所に違和感を覚え身を起こした。

それは見間違えでもなく、死を目の前に見た幻覚でもない。

そこにいたのは光を全て飲み込むような漆黒のローブだ。月明りが差し込むこの牢獄でそのローブが立っている場所だけが、おどろおどろしく暗いような気がする。

おそらく人であり、その背丈は高く、体つきから男性のように見えるが、顔の部分はフードを深く被っており暗闇のヴェールに包まれている。


(なんだ......?扉が開いた気配や音はしなかった。どうやってここに。まさか天井からか?)


人が飛び降りて無事な高さではない。であれば魔法だろうか、魔法は生活にも密着しておりさほど珍しいものでもない。

しかし浮遊魔法となると、相応の知識と訓練が必要と学生時代に教わっていた。


「お前は......なんだ?俺が死ぬのを見届けに来た死神か?」


なぜこんなところにという疑問もあったが、突然のことに頭が追いついていなかった。

ローブから鍛えられた腕が伸びる。

そしてローブのフードに手をかけ、今まで影のヴェールに包まれていた素顔が顕わになる。

髪は白髪だがきちんとまとまっている。年齢は40代くらいだろうか、若いころは十人が十人振り向くだろうと思わせる整った顔立ちだ。

そして何よりその暗くてもはっきりと見える青い双眸は見たものを委縮させ身を震わせるだろう。

男は微笑むと、口を開いた。


「いや、違うとも。君は――リック・フレイザー君だね?」


男の言葉には確信めいたものを感じる。

太陽が昇り沈むように、この問いは当たり前のことの確認作業だ。

俺は静かに頷く。そして「お前は何者なんだ」と問おうと口を開きかけたとき男は手でそれを制す。


「君の問いは『お前は何者なのか』だろう?それは時間の無駄だよ。今は答えられないからね。さて私がここにやってきた理由だが、君の父は――異教徒だったと。」


月光の差すこの牢をまるで舞台の上で演じる役者のように男は、左右に歩きながらそして大きく手振り身振りをする。

当然こんな牢の中にわざわざ自分を尋ねにやってくるのだ。

事件の全貌や父の事だって調べがついているのだろう。

しかし何故今となって、来たのか。自分も異教徒と疑われているのか。


「君の疑問はもっともだとも。もちろんだが、君の事は事前にすべて調べさせてもらった。君の家族構成から学歴まで。君の心内までは把握できないが、恐らく君は――我々の目が節穴でなければ――間違いなくテダンの信徒であろう。それも熱心な。ここにいるのは冤罪だろうね。全く碌々調べもしないのは悲しいことにいつの世も同じだ。」



意外な答えに驚く。

確かに自分は人よりテダンを信仰しているという気持ちはあった。

だからこそ父が異教徒であると思ったときは心から悲しかったし、怒りも沸いた。

しかしこの目の前の男どこまで自分の事を知っているのだろうか。

大きく動いているがその反面全くの隙を感じさせない。得体の知れなさが心を縛る。まるで湖の底に潜む古魚のようにじっとこちらの様子を伺っているそんな気さえした。


「......その通りだ。俺は異教徒では無い。テダンの信徒である事を太陽神テダンに誓おう。」


と囚人服の袖を捲る。

肘と肩の間、上腕の中央辺りにテダンの信徒である証である聖印――太陽示す輪と日を表す炎の印――を男に見せる。

国家宗教とはいえ、聖印を持っている信徒は珍しい。ましてや体にその印を掘るというのはごく一握りの信徒だけだろう。


「あぁ――それは素晴らしいね。やはり君は私が思った通りの人間の様だ。さて、ここからが私のきた理由だ。君はここから出たいと思わないのかな。このままだと明後日には死刑が決まっているのだろう?」


「ここは思いの外、居心地が良くてな。帰る場所も守るべきものも失った。仇も討った。もう為すべき事は全て成したさ。」


そう。全ては終わったのだ。

事件から心が壊れてしまったのだろう。

俺はこの世に未練は無く、本当に心からそう思っていた。男はそれを聞いて悲しそうな顔をする。


「私は悲しいよ。リック。敬虔な君は本当に為すべき事を成したと心から思っている様だ。しかし君はそう思っているだけだ。思わされているんだよ。」


「どういうことだ......?」


男は俺が思ってもいなかった事を口にした。

その一言は、壊れた心を炉に焚べ燃やし熱くする程だ。あってはならない恐ろしい一言だった。


「君の父親の――オコーネル=フレイザーは生きている。」


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