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鉄腕少女

作者: 水原 順

 この話はフィクションです。登場人物・登場団体は全て架空のもので、実在の人物・団体とは一切関係ありません。漫画でも読むつもりで楽しんでいただければ幸いです。

 いたずら好きの前田タケルが、休み時間に岩本隆司の席で、ごそごそ何かやっていた。

「舞ちゃんほら、見てよあれ」

 親友の汐海葵(しおみ あおい)に言われ、山根舞子(やまね まいこ)は岩本の席を見た。岩本は、トイレにでもいっているのだろう。岩本の、算数のノート。ページを一枚づつ、のりで貼っている。横で、デブの杉山英樹と、いつも格好ばかりつけている相沢竜一が、笑ってそれを見ていた。

「どうする、舞ちゃん?止める?」

 葵の目が、期待に輝いている。

「デブ山も、前田のバカも、格好つけの相沢も、何であんなつまらない意地悪するのかなあ。岩本君が、自分で怒らなきゃ。いつまでたっても、意地悪されちゃうわ」

「まあ、そうね。男の子だもんね。でも、無理だと思うよ」

 葵と舞子は、他の生徒に聞こえないように、小さな声でひそひそと話していた。

「やめなさいよ、あんた達。そんな事して、何が面白いの?」

 クラスで、一番の美人と言われている河合麗奈が、三人に冷ややかに言った。

「うるせえ。黙ってろ、ブス」

「そうだ、そうだ。格好つけるな」

 杉山と前田が、麗奈に向かって言った。相沢は、なにも言わない。麗奈が、好きなのだ。ネタはあがっている。それにしても、ミス六年一組に向かって、よくブスなんて言えたものだ。ちなみに、クラスの中には、舞子が一番だと言う声もちらほらあるのだが、この際それは置いておく。

「なによ。いい加減にしないと、先生に言いつけるわよ。頭が悪いんだから、せめて性格が良く無いと、救いようがないわよ」

 そうだそうだ、言え言えー。舞子は、心の中で叫んだ。でも、三人のバカも負けてはいない。前田が、麗奈のスカートを、いきなりめくったのだ。

「キャー!」

 麗奈は、スカートを押さえて、床に座り込んでしまった。前田は、スカートの裾から手を離さず、麗奈を引きずりはじめた。教室のみんなが、この騒ぎに注目したが、だれも止めない。杉山たちは、すぐに仕返ししようとする。クラスの、嫌われ者だ。

「やめろよ、お前ら」

 顔も性格も良い、武田誠が見かねて止めに入った。

「何だよ、武田。お前、河合が好きなんだろう。正義の味方のつもりかよ?格好(カッコ)いいじゃねえか!」

 杉山が、鼻の穴を広げて言った。武田なら、正義の味方のヒーローに、ぴったりだ。行け!勇者・武田。怪獣ブタゴジラを、やっつけろ!舞子は心の中で、がぜん武田を応援した。武田と、三人の睨み合い。相沢は、恋敵(こいがたき)に対し、三人の中で一番おっかない顔で武田を睨んでいた。しかしそこで、喧嘩を止めるかのようにチャイムが鳴った。トイレから帰ってきた岩本が自分の席の前で起きている事件を見て、おろおろしている。そんなことだから、いじめられるのだ。自分のノートがのり付けされていようなどとは、まだ知るよしもないのだろう。

 教室のドアがガラリと開いて、担任の宮崎明美先生が入ってきた。二十八歳の、優しい先生だ。

「こら、みんな。早く、席に座りなさい」

 先生は、笑って注意した。事件を見物していたみんなも、ぞろぞろと席に戻って行く。

「ちょっと、ドキドキしたね」

 葵が、舞子にウィンクして自分の席へ戻った。舞子も、何事も無かったように自分の席へ戻った。

 舞子には、みんなが知らない秘密がある。物心がつく前から、お父さんに格闘技を叩き込まれていた。お父さんは昔、プロのキックボクシングの選手だった。と、いっても若いころプロデビューして、たったの二回しか試合をやっていない。しかも二回とも負けたらしい。

 もともと格闘技オタクだったらしく、格闘技に対する理論にはうるさい。しかし、やるのは向いていなかったようだ。今は格闘技を題材にした小説を書いていて、けっこう売れている。いくら好きでも、なにも娘に格闘技なんか仕込まなくてもいいようなものだ。それも、物心がつく前から。

 蹴り方、殴りかたはもちろん、関節技や寝技まで。一体、どう言う娘に育てたかったのだろうか。それでも舞子は、見た目は可愛いお嬢様タイプの女の子。身長百四十九センチ、体重三十二キロの、強さとは無縁に見えるか細い女の子だ。

 お父さんの持論では、格闘技の強さはスピードと握力で決まるらしい。幼いころから毎日、反復横とびを百回やらされ、ハンドグリッパーと言う、握力を鍛えるためのバネ仕掛けの器具を、左右百回づつ握らされ続けてきた。おかげで今はすっかり習慣になってしまい、好きでも無いのに毎朝やらないと体調が悪くなる。

 葵は幼稚園のころの親友で、小さい時から歌やダンスが好きな明るい女の子だった。小学校に上がってからは、劇団に入ってお芝居やダンスの練習をやっている。小学校へ上がる時、舞子は一度県外へ転校した。お父さんの小説がまだ売れていない頃、出版社に通って原稿を売り込むために、東京へ引越ししたのだ。

 舞子と葵は、小学校に入ったら字の練習をして、文通をしようと約束した。いつまでも友達である事を誓い合った。東京の小学校に入学した舞子は、すぐに友達も出来て楽しい生活を送った。葵と、手紙でお互いの学校の事を教え合ったりもした。

 三年生になった時、クラスにいじめが起こった。舞子の後ろの席に座っている、明日香という女の子がいじめの対象だった。仲間外れ。それから始まり、男子がからかい始め、持ち物を隠したり壊したりするまでにエスカレートしていった。

「いい加減にしなよ、あんたたち」

 見かねた舞子が、ついに口を出した。

「何だよ、山根。いい子ぶりやがって。お前代わりにいじめられてみるか?」

 いじめのリーダー格の男子が言った。その言葉に、舞子は右ストレートで返事をした。爆風にでも巻き込まれたように、男子は教室の後ろまで吹き飛んだ。その日から、舞子は暴力でクラスを押さえ込むようになった。

 クラスからいじめは無くなったが、舞子に友達も無くなった。無視などはされない。むしろ、舞子のご機嫌を取ろうとする者は多かった。寄って来ない者も、舞子に話しかけられると、明らかに気を使っているのがわかった。それは、舞子に助けられた明日香も、同じだった。

 舞子は、学校生活をあきらめた。舞子の楽しみは、葵との文通だけになった。しかし、それも段々と回数が減っていった。いじめを無くしたところまでは手紙に書いたが、それから自分が孤独になってしまった事は、書かなかった。心配をかけたくなかったのだ。そこを隠して手紙を書くと、どうしても手紙に嘘が混じってしまう。それが、手紙を書く手を重くさせたのだ。

 四年生になってから、元の町の学校へ転校出来る事になった。お父さんの小説が売れるようになり、元々あまり東京へ行きたくなかったお母さんが、おばあちゃんが住んでいるこの町へ帰りたがっていたからだ。舞子は救われたのだ。

 葵は、大喜びしてくれた。舞子は、葵に東京の学校での辛かった生活を話した。

「だったら、うちの学校じゃ猫かぶらなきゃあね。格闘技の事は、二人の秘密だね」

 葵は、笑ってそう言った。今から二年前の事だ。

「じゃあ、この問題が解けるひと!」

 先生が、黒板に書いた算数の問題を指して言った。みんながいっせいに手を挙げる。もちろん舞子にも解けたのだが、それより岩本がふと気になって、ちらりと横目で見てみた。岩本は、机の下にノートを隠し、のり付けされたノートのページを一枚一枚剥がしていた。それを、笑いながらみている杉山達の顔も、見たくもないのに目に入った。

 三人にも腹が立ったが、岩本にも腹が立った。岩本が、腹を立てている様には見えなかった。ただ、今にも泣き出しそうな顔でノートを剥がしている。

「山根さん。血管が浮き出すほど、難しかったかしら?」

 先生に言われて、舞子ははっと我に返った。歯を食いしばって怒りを堪えているのを先生に見られ、コメカミに血管が浮き出すほど、必死に考えているように見られたのだ。

 しかも、黒板に書いてある問題は昨日のおさらいで、解けないのは前田や杉山くらいのものだろう。クラス中が、大爆笑だった。

「すみません…」

 顔を真っ赤にして、舞子は下を向くしかなかった。葵は大笑いしている。

「いいわよ。ほかにも、解けない人がいるかもしれないし。先生、もう一度いまから解き方を教えるから、今度は覚えてね」

 先生は、笑顔で優しく言ってくれた。私はちゃんと解っています!声を大にして、そう叫びたかった。葵は、舞子の心の中を全部見透かしているらしい。声を殺して、まだ笑っていた。


 放課後、帰ろうとした武田を杉山達が呼びとめた。

「おい武田。ちょっと来いよ」

「なんだよ杉山。俺、今日は塾があるんだ。また今度にしてくれないか」

「何だよ、お前。英樹が怖いのか?」

 前田が、バカにした笑いを浮かべて言う。

「分ったよ。行ってやろうじゃないか」

 挑発に乗ってしまった武田は、三人に囲まれるようにして校舎の裏へ連れて行かれてしまった。

「さっきの続き、やろうじゃねえか」

 校舎の裏へ行くと、相沢が格好をつけて言った。まるで、テレビに出て来る不良中学生だ。

 やるしかない。武田は覚悟を決めた。前田と相沢が、一歩前に出てきた。杉山は反対に一歩下がり、腕組みをしてニヤニヤと見物している。まるで、ギャングのボス気取りだ。前田は、チビだがすばしっこい。相沢は、武田より少し背が高い。あまり喧嘩はしないタイプだが、いつも格好をつけているだけあって、運動神経はまずまずだ。

 運動神経なら、武田も負けてはいない。飛びかかってきた前田をかわし、相沢に掴みかかった。相沢のパンチが顔に当たったが、武田も、殴り返した。

 背中に何かぶつかった。前田に、後ろから飛び蹴りをくらったのだ。倒れそうになった武田は、必死に相沢にしがみついた。相沢ともつれ合い、地面に転がる。もみ合っている所へ、前田の蹴りが何発も飛んできた。痛くて悔しくて、涙が溢れてきた。相沢と離れて立ち上がった。前田が、いない。いや、後ろにいる。

 いきなり、後ろから腰にしがみつかれた。振りほどこうと必死になっている武田の顔を、相沢が続けて三発殴った。武田は、顔を押さえてうずくまってしまった。しゃがみ込んだ武田を、前田と相沢が、何度も踏みつけるようにけりまくる。ついに武田はうつ伏せに倒れ、声をあげて泣き出してしまった。

「もう、いい格好するんじゃねえぞ!おい、行こうぜ」

 三人は泣いている武田を置いて、さっさと帰ってしまった。

 次の朝、学校で武田の目の周りにある痣が、クラスで話題になった。

「家で、兄弟喧嘩しちゃって…」

 心配した宮崎先生が聞くと、武田はそう言った。杉山達に決まってる。クラスのみんなは分っていたが、武田が言わない以上だれも見た者はいないし、杉山達だという証拠も無い。休み時間、武田ファンの葵が舞子に少し興奮した口調で言った。

「ゼーッタイ、杉山たちの仕業だよ。放課後、待ち伏せされたのかなあ」

「多分ね。正義が勝つとは、限らないのよね。あたしが見てたら、絶対先生に言いつけてやるのに」

「武田君に、本当の事聞いてみようよ」

「聞いて、あたしにぶっ飛ばせって言うの?」

「ちがう、ちがう。あたしが目撃した事にして、先生に言いつけちゃうの」

 葵は大きな目をくりくりさせながら、得意げに言った。

「だめよ、そんなの。武田君は自分で戦って、多分負けちゃったのよ。男の子なんだから、そんな事、女の子に言えないわ」

 葵は大きなため息をついた。

「おい、武田君。その痣、どうしたんだい?教えてくれよ」

 チビの前田が、自分の席で座っている武田にちょっかいをかけている。虫けらめ。舞子は、ひねり潰してやりたくなるのを、ぐっとこらえた。

「ねえ、やめなよ。武田君は、お兄さんとケンカしたって言ってるじゃない」

 舞子は、きわめて穏便な口調で前田を止めた。そんな舞子の気持ちを逆撫でするように、前田が言った。

「うるせえな、ブス!スカート、めくるぞ」

 言いやがった。この舞子様をつかまえて、ブス?舞子が一歩前へ出ようとすると、あわてて葵が間に入った。

「だめよ、舞ちゃん。女の子だもんね」

 普段は、舞子がガマンしているのを面白がって観ている葵だが、秘密の事は大切に思ってくれているのだ。舞子は、グッと足を止めた。

「ううん。大丈夫よ、葵ちゃん。スカートなんかめくられたら、あたしはちゃんと先生に言いつけるから」

 舞子はそう言って、葵に向かって笑いかけた。しかし舞子の笑顔を見た葵は、タジッと一歩後ろへ下がった。たしかに口元だけは笑っていたが、目が笑っていない。おまけに、コメカミに血管が浮き出していたからだ。

「ハハ…。そう?大丈夫よね?」

「おっ!こいつ、やる気かよ。じゃあ、かかって来いよ」

 よせばいいのに、前田が舞子をあおる。いつの間にか、クラスの注目が集まっていた。武田はすっかり別人のように、下を向いて黙っている。

「おー、おー。やれやれー」

 杉山。いや、デブ山。今すぐ、叩きのめしてやりたい。でも、それをやってしまうと前の学校の二の舞だ。舞子は、唇をかんでこらえた。

「よしなさいよ。舞ちゃんが、かわいそう」

 普段おとなしい吉本鈴香が、ぽつりと言った。

「デブは、黙ってろ!」

 杉山が、鈴香を押した。鈴香の眼鏡が床に落ち、カランと音をたてた。舞子の頭の中で、血管が切れる音がブツンと聞こえた。もう、がまんなんて出来ない。こうなったら人気の無いところへおびき出し、怒りの鉄拳を食らわせてやる。

 ちょうどチャイムが鳴り、みんなぞろぞろと自分の席へ帰っていった。すぐに先生が入ってきたので、杉山達も席へ戻った。

「山根さん、汐海さん。早く、座ろうね」

 ふと見ると、葵がまだ心配そうに、舞子の横にちょこんと立っていた。舞子は、葵にウインクした。

「大丈夫よ、葵ちゃん」

 葵は心配そうな顔のまま、自分の席へ戻って行った。舞子のウインクが、怒りで引きつっていたからだ。


 放課後、舞子と葵は、一番に教室を飛び出した。作戦開始だ。

「早く、早く」

「待ってよ、舞ちゃん。あたし、そんなに早く走れないよ」

 舞子は、あわててスピードを落とした。五十メートルを六秒三で走る舞子に、葵が付いて来られるはずがない。

「一体、何をするつもり?」

 葵は、息を弾ませながら言った。

「変装するのよ、男の子に」

「変装?そんなの、すぐにばれちゃうよ。髪の毛はどうするの?」

 舞子の髪は、肩まであるロングヘアーだ。

「大丈夫よ。頭から袋でもかぶるから。それより、協力してほしい事があるの」

「なあに?戦うのは、あたしは無理よ」

「そんな事、させるわけないじゃない」

 すぐに舞子の家に着いた。舞子の家は学校から歩いても、十分もかからない。

「お帰りなさい。あら葵ちゃん、いらっしゃい」

「こんにちは、おばさん。おじゃまします」

 ただいまの挨拶もそこそこに、二人は二階へ駈け上がった。タンス部屋へ、葵を引っ張り込む。

 舞子は、トレーニング用のジャージを着込み、お父さんの野球の帽子を深めに被って、顔を隠した。葵には、弟の翔太郎の服を着せた。背の低い葵に、四年生の翔太郎の服は、ピッタリだった。元々、ショートヘアーで、ボーイッシュな葵は、どこから見ても、少し美形の男の子だ。翔太郎の野球帽を深く被れば、もう葵には見えなかった。

 お母さんが、用意してくれたおやつもそっちのけで、二人は家を飛び出した。目指すは、学校だ。杉山が、まだ帰っていない事を祈りながら、二人は走った。

 校門へ入ると、二手に分かれた。作戦は、こうだ。葵は、男の子のふりで杉山たちを呼び出し、舞子の待つ、校舎の裏へ連れて行く。舞子が戦っているところをだれかに見られても、二人は変装しているので、問題は無い。そしてやっつけた後、ボスの杉山に、クラスでの乱暴を止めるように、脅しをかけるのだ。

 葵は、一度深呼吸してから、校舎に入った。まだ、たくさんの生徒が残っている。六年一組の教室は、三階にあった。階段を二階まで上がった時、三階から前田と相沢が、下りて来るのに出会った。葵は胸のドキドキをこらえ、男の子の声で二人に話しかけた。

「おい。杉山は、どうしたんだ?」

「誰だよ、お前」

「いいから、言えよ。杉山は、帰っちまったのか?」

「生意気なチビだな。お前、何年生だ?」

 お前だって、チビじゃないか。確かに、あたしより、ほんの少し背が高いけど。葵は思ったが、自分の正体に、二人とも全く気付いていないのがおかしかった。もちろん、帽子のツバで目は見えないようにしているのだが。

「杉山って言うくらいだから、下級生じゃないよな。この学校の、生徒じゃないだろう?正直に言わないと、痛い目をみるぜ」

 相沢が、格好をつけて言った。階段の途中で、葵は二人に挟まれる格好になった。こうなったら、仕方が無い。黙って行かせてくれそうも無い以上、このチンピラ二人だけでも連れて行くしかないだろう。

「分ったよ。じゃあ、だれもいないところで、俺が誰なのか教えてやるよ」

 葵は、軽い足取りで階段を下りはじめた。二人が、後をついて来る。

「逃げようったって、無駄だからな」

 後ろから、前田がすごんだ。葵は、かまわず校舎の裏へ回った。

 そこには、黒いトレーニングウェアに身を包み、頭からすっぽりと黒い布の袋を(かぶ)り、おまけに指の先だけが少し出る、黒い手袋をはめた危ない人が待っていた。本当に舞子かと、葵は一瞬不安になった。黒い袋の中央に、小さな丸い穴が二つ開いている。

「ハッハッハ。なんだよ、こいつは。お前の仲間か?」

 葵は、思わず下を向いた。はずかしくなったのだ。お世辞にも、格好良いとは言えない。それでも葵は、打ち合わせ通りの台詞をしゃべった。

「ふん。日ごろ乱暴なお前たちを、こらしめる為にやって来たのさ。今から、お前達を退治してやる。覚悟しろ」

 お芝居なら、ここで悪者達に緊張が走るところだ。

「ワッハッハ!あの変な奴がか?袋なんか被っちゃって、あいつ頭がおかしいんじゃねえの?」

 前田が、大笑いした。仕方がない。正体を知らなければ、葵もそう思ったかも知れない。袋男(ふくろおとこ)の頭から、湯気が出ているのが見えるような気がした。それを見て葵は、間違い無く舞子だと思った。

 袋男が、ずかずかと近寄ってきた。前田は、拳を構えて、ボクサーのようにピョンピョンとはねた。袋男も、ファイティング・ポーズをとった。背丈は、チビの前田とほとんど変らない。

 相沢も、じりじりと二人に近寄っていく。相沢は、少し怖がっているように見えた。確かに、袋男のファイティンク・ポーズは、葵が見ても、少し不気味だった。

 前田が、素早さを生かして動き回る。相沢は、袋男より十センチ以上高いノッポだ。葵は、少し不安になった。もし負けちゃったら、どうしよう。舞子が強いのは知っているつもりだったが、よく考えてみたら、戦っているところは見たことが無い。

 いきなり前田が飛び込んで、右のパンチを出した。袋男は頭を軽く振ってパンチをかわし、カウンターで前田の顔面に、右ストレートを叩き込んだ。まともにくらった前田は、三メートルほど吹っ飛び、空中で一回転した後、地面にのびてしまった。

 袋男は、一瞬しまったと思った。手加減の具合が、上手く掴めなかったのだ。まあ、死んではいないだろう。それより、相沢を逃がすと面倒だ。前田のやられ方を見て、相沢は逃げるのも忘れて凍りついていた。袋男は、すばやく近づき、左のパンチを腹へ、息を詰まらせ身体を縮めて低くなった顔へ右のパンチを打ち込んだ。もちろん手加減したが、相沢はうずくまり、泣き出してしまった。それより、前田だ。

 袋男は、気を失っている前田を抱き起こした。

「ウヒャー!ゆ…許して!」

 意識を取り戻した前田が、袋男を見て悲鳴をあげた。袋男は、ホッと胸をなでおろした。葵がそれを見て、またお芝居のような口調で、しゃべり始めた。

「殴られると、痛いだろう?それが分かったら、もうクラスで乱暴するんじゃないぞ。これで直らなけりゃ、俺達はいつでもまた来るからな」

 二人とも、泣きながら頷いた。袋男は立ち上がり、葵と二人でさっさとその場を走り去った。

「舞ちゃん、やっぱり強―い」

 学校から少し離れた、住宅街の路地裏。袋を脱いだ舞子に、葵が感心したように言った。

「あいつらが、弱すぎるのよ。それより、前田が気絶しちゃった時は、ちょっと焦っちゃった」

「あたしも。死んじゃったかと思って、大声あげそうになったわよ」

「まあ、これであいつらも少しは懲りるかもね。肝心の杉山がいなかったけど」

「手下が大人しくなったら、一人で暴れたりしないわよ」

 二人は笑い合い、舞子の家に向かった。もちろん、女の子に戻るためにだ。


 次の日、倍に腫れ上がった前田の顔を見て、杉山は驚いた。相沢も、左の頬に痣がある。

「何だよ、お前ら。誰にやられたんだ?」

「知らない奴さ。この学校の奴じゃ、無いと思うけど…」

「ああ。とんでもなく強かったな。英樹でも、危ないと思うぜ」

 前田も相沢も、誰にやられたのか。分らなければ、仕返しにも行けない。

「ちぇ。まあいいや。ところで、今日は吉本の描いた絵に落書きでもしようぜ。タケル、吉本の隙をみて、ノート盗んで来いよ」

 吉本鈴香は、昨日舞子をかばおうとしてくれた女の子だ。百五十二センチ、四十八キロのぽっちゃりタイプで、大人しくて優しい。クラスで一番絵の上手な子で、イラスト用のノートにいつも何か描いている。

「…今日は、やめようぜ」

「何だよ、昨日誰かにやられたくらいで」

「そうじゃ無くてさ。昨日の奴が、言っていたんだ。クラスで乱暴すると、ただじゃおかないって」

 相沢が、怯えた声で言った。前田も同じように怯えている。どんな奴だったんだろう。

「そいつ、英樹の事探していたんだぜ」

 前田が、おそるおそる言った。

「何?それで、どうしたんだ?」

 二人は、昨日の事を始めから杉山に話した。それを聞いた杉山は頭に血が上った。一体、どこのどいつだ?杉山は、勉強にはあまり使わない頭を働かせた。

「まてよ。どうして、俺達の事を知っているんだ?もしかしてクラスの誰かが、親戚か他の学校へ行っている友達に、俺達をやっつけるように頼んだんじゃねえか?」

「なるほど。でもまてよ。英樹はいなかったのに、俺とタケルを見て、杉山はどうしたって言ってたよな」

「ああ、確かに言った。そいつ、始めから俺達の顔を知っていたんだ」

 三バカにしては、なかなか鋭かった。そりゃあそうだろう。正体は舞子と葵なのだ。三人の顔も悪事も、当然知っている。

「じゃあ今日は、思いきり乱暴してやろうぜ。そうしたら、また出て来るんだろう?それで、みんなでやっつけてやろうぜ」

「とんでもない!言っただろう?化け物みたいに強いって。二度と遇いたくないね」

「なんだよ、タケル。意気地が無えぞ」

「英樹はやられてないから、そんな事が言えるんだ。見ろよ、タケルの顔。俺だって、ごめんだね」

 相沢が、前田の味方をした。杉山は面白く無かった。二人とも、自分よりも袋男の方が強いと思っている。

「意気地無しめ!いいよ。お前らなんか、絶交だ!」

 杉山は、一人で教室を飛び出した。二人は、顔を見合わせてホッとした。言う事を聞かないと、杉山にも殴られるかも知れないと思っていたのだ。でも、袋男の恐怖には耐えられなかった。

「舞ちゃん。あいつら、仲間割れしちゃったみたいよ」

 杉山たちの仲間割れを、葵が目ざとく見ていたらしい。

「袋男さんのおかげで、クラスに平和が訪れたね」

 葵が、くっくっと笑った。

「もう。袋男って言わないでよ。あたしだって、恥ずかしかったんだから」

 舞子と葵も、目立たないように顔を寄せ合って、ひそひそと話していた。チャイムが鳴った。みんな、ぞろぞろと自分の席へ戻った。杉山は帰って来なかった。舞子は、それが少し気になった。

 ガラリとドアが開いて、宮崎先生が入ってきた。

「あれ?今日は杉山君、お休みなのね」

 朝の挨拶の後、先生が心配そうに言った。前田も相沢も、何も言わない。

「朝、ちゃんと来てましたよ」

 河合麗奈が、あっさりと告げた。それを始めに、みんな口々に杉山が学校へ来ていると言い出し、教室が騒がしくなった。

「はいはい、分りました。じゃあ何処へ行っちゃったのか、誰か知ってる人?」

 教室は、またシンと静まった。

「いいわ。先生、ちょっと探してくるから、自習にしていてね」

 そう言うと、先生はパタパタと教室を飛び出して行った。自習になると大喜びする前田なのに、今日は自分の机で下を向いて黙っていた。

 その頃杉山は、校舎の屋上に寝転んで空を見ていた。また、一人ぽっちになってしまった。

 杉山は、小さなころから太っていた。今は百五十八センチ、六十四キロの超巨体だが、三年生まではチビの小太りで、よくいじめられていた。太っているから運動は苦手。勉強は、嫌いなので苦手。すぐにからかわれるから、あまりしゃべらない。だから友達など出来ず、いつも一人ぽっちだった。学校へ来るのも、毎日苦痛だった。

 四年生になって、みるみる背が伸び始めた。あっと言う間に、クラスで背の順番に並ぶと後ろから三番目くらいになった。それでも、やはり気は弱かった。

 ある日、当番で教室の掃除をしていると、クラスのいじめっ子に邪魔をされた。杉山が掃いた所へ、ゴミ箱の中身をまき散らかすのだ。杉山は何も言えずに、二回まで黙って掃きなおした。三回目に、思わずそいつを突き飛ばした。突き飛ばされたいじめっ子は、教室の端まで吹っ飛んだ。

 いじめっ子は、杉山が抵抗するなど、夢にも思っていなかったのだ。信じられないという顔をした後、立ち上がってすごい勢いで殴りかかってきた。杉山も夢中で手を出した。いじめっ子は一発殴っただけで簡単にぶっ飛び、泣き出してしまった。

 自分の強さに初めて気付いた杉山は、そこでケンカに勝つ快感を憶えてしまった。

 次の日から、杉山の恐怖の仕返しがはじまった。杉山は、今まで自分をいじめたり、からかったりして来た連中を次々と痛めつけ、みんなに恐れられるようになった。それでも、やっぱり杉山は一人ぽっちだった。今度は、杉山を恐れて、だれも近寄って来なくなったのだ。四年生の三学期に、前田が転校して来るまでは。

 転校して来た前田は、いきなり杉山にケンカを売った。もちろん、あっさりと杉山が勝った。でも前田は、杉山を恐れて遠ざける事はなかった。転校する時、自分の兄に言われたのだ。転校したら、クラスで一番強そうな奴に、ケンカを売れ。そうすると、他の奴からいじめられなくなるし、そいつとも友達になれる。転校が不安だった前田は、この過激なアドバイスを丸々信じて実行したのだ。杉山は、嬉しくて涙が出そうだった。それから、前田と杉山はコンビになった。そして五年生になって、これも転校して来た相沢が加わり、三人組になったのだ。

 その前田が、たった一度やられた袋男に、あれほど怯えている。

 袋男め。杉山は、自分の普段の行いも忘れ、自分から仲間を奪った、袋男を恨んだ。必ず見つけて、やっつけてやる。教室へ戻る気には、なれなかった。それから三十分後に宮崎先生に見つけられるまで、杉山は屋上でそのまま寝そべって、雲を眺めていた。


「舞ちゃん、それなあに?」

 舞子はいつものカバンとは別に、もう一つ手提げ袋を持っていた。それを見て、葵が言った。

「まさか…」

「当たり。でも、もう必要ないかもね」

 手提げ袋の中身は、袋男の変身セットだった。しかし今日の杉山達を見ていると、もう使う事はないかも知れない。

 杉山は、二時間目からちゃんと戻って来た。今日一日は、一人でボーっと机に座って、何も悪さはしなかった。前田も相沢も、杉山に近づこうとはしなかった。ちょっと、薬が効きすぎたか?いいや、今までがひどすぎたのだ。これくらい、当然の罰だ。

 杉山は、宮崎先生に職員室で訳を聞かれたが、勉強が嫌でサボっていただけだ、としか言わなかった。

「まあ、そんな時もあるかもね。いい?もう、勝手にいなくなっちゃ、だめよ。今回だけは、お母さんに黙っていてあげる」

「はい。すみませんでした」

 杉山はすぐに釈放されて、二時間目から教室に戻ったと言う訳だ。

 放課後、杉山は一人で教室を出た。前田が何か話しかけてこようとしたが、無視した。今日一日考えて、しばらく誰とも喋らないと決めたのだ。見そこなったと言っても、杉山にとって前田は初めて出来た友達だ。前田が袋男のことをそれほど怖がっているなら、自分と関わっていると、また自分のいない所で袋男にやられてしまうかも知れない。

 どうせ、クラスの誰かが連れてきたのだ。明日から自分一人で乱暴していれば、今度は間違い無く、自分を襲ってくるだろう。そこまで、友達のことを思いやる気持ちがあるのなら、この機会に乱暴はやめて、みんなと仲良くする方法でも考えれば良さそうなものだが、それが出来ない性格だから、今までろくに友達も出来なかったのである。

 明日から、どうやって暴れてやろうか?そんな事を考えながら校門を出て、少し歩いたところで、中学生にぶつかった。

「こら、デブ。気をつけろ!」

 見たところ、自分とそれほど背丈も変らない。体重は、杉山の方が有りそうだ。

「うるせえ!中学生だからって、いい気になるな。お前だって、よそ見して歩いていたんだろう」

「何?こいつ、目上に対する物の言い方ってやつをしらねえな。痛い目に合わせてほしいのか?」

「ふん。ケンカだったら、負けないぜ」

 杉山は、今にも突進しそうな勢いだ。

「じゃあ、付いて来い」

「ああ、行ってやるとも」

 中学生は、少しはなれた所にある古い小さな公園へ杉山を連れて行った。しまった、と思った時は遅かった。この公園は、中学生がよく溜まり場にしている公園で、学校でも近づいてはいけない場所になっているのだ。

 案の定、他にも四・五人の中学生が、タバコなどを吸ってたむろしていた。

「おい清水。何だ、そのデブ」

 しゃがんでタバコを吸っていた、眉毛(まゆげ)の無い奴が言った。杉山を連れてきたのが、清水という名前らしい。

「生意気なデブでさ。ちょっと、教育してやろうと思ってよ」

「バカか、お前?小学生じゃねえか」

「待てよ。こいつ、いい体格してるじゃん。清水とだったら、いい勝負だぜ」

「ハハハ。清水対、デブ小学生か。こりゃ面白いや。どっちが勝つか、賭けようぜ」

 大変なことになってしまった。いまさら逃げようったって、面白がっている中学生にぐるりと取り囲まれていて逃げられそうも無い。こうなったら、やけくそだ。杉山は覚悟を決めた。しかし、公園の外からこの様子を見ている者がいた。

 前田と相沢だ。杉山になんとか話しかけようと、学校から後をつけていたのだ。

「どうしよう、タケル」

「相手は、中学生が大勢だし。…そうだ!竜一。お前、教室へ行って、袋男が誰の知り合いか、聞いて来い。連れて来てもらうんだ」

「そんなの、間に合わねえよ」

「バカ。だったら、先生呼んで来い!」

「お前は?」

「大勢で英樹を殴ろうとしたら、俺が飛び込むよ」

「分った」

 相沢は、大急ぎで学校へ向かった。学校まで、走れば三分くらいだ。

 そのころ袋男、いや、舞子は葵と掃除当番を終え、掃除用具を片付けている所だった。

「さあ、帰ろう葵ちゃん」

「あーあ。今日は、ダンスのレッスンか。なんだか、気分が乗らないなあ」

「サボって、あたしの家で遊ぼうか?」

「サボるとお母さん、すごく怒るの知ってるでしょ?」

 葵がブツブツ言いながら帰りの支度をしている所へ、血相変えた相沢が飛び込んできた。

「おい、お前ら!袋男の居場所を知っていたら、教えてくれ!」

 血相を変えているくせに、やはり相沢はいつものように、欧米人のように両手を広げたポーズを付けて叫んでいる。本人は、もちろんふざけてやっているわけでは無い。

「何よ、相沢君。変なポーズ付けて。格好付けてる場合じゃあ無いように見えるんだけど」

 河合麗奈が、冷静な口調で相沢に言った。

「杉山が、中学生の不良に、立ち入り禁止の公園へ連れていかれたんだ」

 やはり、相沢はダンサーのように腰をひねったポーズを付けて叫んだ。もちろん、相沢本人はあせっているつもりである。たった今まで憂鬱(ゆううつ)な顔をしていた葵の目に、キラキラとたくさんのお星様が輝いた。それを見て、今度は舞子が憂鬱になった。

「袋男さん、出番よ」

 葵が、生き生きとした顔を舞子に寄せてささやいた。

「袋男って、言わないで」

 舞子は葵にささやき返すと、変身セットの入った袋を引っつかんで教室を飛び出した。待ってましたと、葵が付いてくる。トイレに飛び込む。上手い具合に、だれもいなかった。舞子は手早くトレーニングウェアに着替え、頭から黒い布袋をすっぽりと被った。手袋をはめると、袋男の出来上がりだ。

「カッコイイー!」

「はしゃいでる場合じゃないわよ。はい、これ被って」

 舞子は、葵に野球帽を手渡した。

 袋男をあきらめ、職員室へ向かおうとしていた相沢と、トイレを飛び出した袋男がトイレの前で鉢合わせした。

「うひゃー!で、出たー!」

 相沢は、格好をつけるのも忘れて腰を抜かした。二人は尻餅をついた相沢の前を、風のように走り抜けた。目指すは、立ち入り禁止の、公園だ。

「出たーって、人をお化けみたいに」

「しょうがないじゃん。その格好でいきなり飛び出したら、だれでもビックリするよ」

 葵は走りながら、満足そうに笑っている。何人かの生徒が、自分を見ておどろいているのを横目で見ながら、校庭を駈け抜けた。何度やっても、やっぱり恥ずかしい。

 あっという間に、公園へ着いた。公園の中へ入ると、杉山と前田が四人の中学生に小突き回されていた。他に、ガラも頭も悪そうな眉毛の無い奴が一人、杉山たちがやられているのを、ウンザリした顔で見ている。

「葵ちゃん。その木の陰から、出ちゃだめよ」

「うん。でも、五人いるよ」

 葵は、急に心配になった。袋男は葵を木の陰に押し込み、中学生に向かって走り出した。

「やめろ、お前ら!」

 木の陰から葵が男の子の声で叫ぶと、中学生は手を止めて振り返った。

「何だ、お前は?」

「おいおい、また変なのが出てきたぞ」

 中学生は、袋男をみて口々に言った。

「来てくれたのか、本当に」

「何だよ、タケル。こいつが袋男か?強そうに見えねえぞ」

 鼻血を垂らしながら、杉山が言った。前田は、それに涙も混じっている。中学生のくせに、小学生を相手に。袋男の頭の中で、血管がブツリと切れる音がした。

 袋男は、一瞬で中学生の輪の中に飛び込んだ。そのままの勢いで、正面に立っていたヒョロリとした男のボディに、右のストレートを叩きつける。

「ガウッ!」

 ヒョロリ男は、身体をくの字に曲げてうずくまった。

 中学生たちの顔から笑いが消え、緊張が走った。後、四人。デブ。金髪。細目。眉無(まゆな)し。もちろん、全員袋男より十センチ以上も背が高い。眉無しが、少し手強(てごわ)そうだ。さっき、やられている杉山たちを、つまらなそうに見ていた奴だ。

「この、ガキ!」

 金髪が飛びかかった時には、袋男はそこにいなかった。横にいた細目が、殴りかかってきた。袋男は左腕でガードしながら、左の足で腹を蹴りつけた。ウッと息を詰まらせ、前かがみになった細目の顔面に、手加減無しの右ストレートを叩き込む。細目は真後ろへ派手に吹っ飛び、動かなくなった。

 後ろから、金髪に抱きつかれた。袋男は、(かかと)で金髪のつま先を思いきり踏みつけた。ギャッと声をあげて手を離した金髪に、振り向きざまの右廻し蹴りを放った。袋男より十五センチは高い金髪の顔面に、廻し蹴りは見事に決まった。倒れる金髪を横目に振り返ると、デブが掴みかかってきた。

 いかにもデブらしい鈍い動きだったので、掴まれる前に袋男の右ストレートが腹にめり込んだ。しかし、デブはモノともせずに袋男の左右の肩を、両手で掴んできた。デブといっても、杉山どころではない。身長百六十五センチ、体重八十キロは有りそうだ。ボディへのパンチでは、どうしようも無い。くそ。実力を、体重でカバーしやがって。袋男は軽く舌打ちをした。仕方が無いので、顔面を攻めるために、デブの両手の親指をそれぞれ握った。下へむけて、ひねる。

 参考までに言うと、舞子の握力は右も左も六十二キロだ。大人でも、そんな握力を持っている者は、なかなかいないだろう。

「アデデデデ…、アデデデ…」

 デブはたまらず、地面に両膝をついた。袋男はぱっと手を離し、目の前に下りてきてくれた座布団のようなデブの顔面に、右ストレートを思いきり打ち込んだ。鼻血とともに、デブは後ろへのけぞり、地響きをたててゆっくりと大の時に倒れた。その先に、眉無(まゆな)しが悠然と立ってこちらを見ていた。

 袋男は、ゆっくりと眉無しの前へ歩いていった。三メートル手前で立ち止まる。二人の間に、緊張が走った。…と、眉無し男が急に声をあげて笑い始めた。

「いやあ、お前強いなあ。小学生なんだろう?まあ、こいつらみんな弱っちい奴ばかりなんだけどな」

「…」

「俺も、ちょっとだけお前とヤッてみようかと思ったんだけどよ。まあ、やめとくか。お前の友達は、あの清水って奴とケンカしたんだ。清水の奴、あのデブ君にも負けそうになってたぜ」

 そう言って、眉無しはカッカッカと笑った。

 最初にぶっ飛ばしたヒョロリが、清水だった。つまり杉山と清水がケンカをして、負けそうになった清水に、金髪が加勢した。それを見た前田が飛び出して、細目とデブも参加したのだ。

「まあ、中学生にケンカを売るなんてマネ、あのデブ君ももうやらないだろう。ただ、友達をやられてお前の腹の虫が治まらないなら、俺が相手になってやってもいいぜ。あんまり、気は進まないけどよ」

 眉無しは、袋男に恐れをなした訳では無さそうだ。袋男は、緊張を解いて両腕をだらりと下げた。杉山と前田は、黙って見ていた。四人の中学生は、まだ当分動けそうも無い。

 袋男はくるりと背を向け、公園の外に向かって走り出した。木の陰から、帽子を被った葵が飛び出してくる。そのまま二人は、公園を走り去ってしまった。

「おい、お前ら」

 眉無しが、突っ立っている杉山達に言った。二人は、ビクッと身体を震わせた。

「年上に、舐めたマネするなよ。俺達みたいな奴に近付くと、そのうち大怪我するぜ。いい薬になったろう?もう、行っちまいな」

「はいっ!」

 二人は、声をそろえて答え、慌てて公園から逃げ出した。

 舞子と葵は、住宅街の人気の無い路地に、飛び込んだ。布袋を脱いだ舞子に、葵が抱きついた。

「すごい、すごい!袋男、最高!格好良かったなあ。大きな身体の悪者達が、コテンパンだったもんね」

「はいはい。暑いから、ちょっと離してよ」

「あ、ごめん。つい…。今度は、いつ悪者が現れるかしら。あたし、すっごく楽しみになっちゃった」

「何言ってるの。何度も、こんな袋被って戦えますか。二度とごめんだわ。あー、恥ずかしかった」

「えー?もったいない。これからは、二人で悪者探して、やっつけてまわろうよ。正義のヒーロー袋男!どう?」

 葵が目をキラキラさせながら、危ない事を言い始めた。殴る相手を探してまわるヒーローなんて、どこの世界にいるもんか。

「バカな事言ってないで、早く帰らないとダンスのレッスンがあるんでしょ?」

「あーあ、そうだっけ。いきなり現実に戻されちゃった。それに、杉山達がこれで改心しちゃったら、もう袋男の出番も無いかもね。つまんないなあ」

「あたしは、ぜひともそうなって欲しいな。それに葵ちゃん。来週から、夏休みじゃない」

「あ、そうだった。わーい。いっぱい遊ぼうね」

 葵の顔が、またパッと明るくなった。


 いつもの時間に、目覚ましが鳴った。朝の六時だ。舞子は蒲団から伸ばした手で、目覚まし時計の頭を、引っ叩(ひっぱた)いて止めた。蒲団から這い出し、隣でイビキをかいている、弟の翔太郎(しょうたろう)をたたき起こす。小学四年生だ。

「起きな、翔太郎」

「ハイハイ…」

 翔太郎は、寝ぼけ(まなこ)を擦りながら、蒲団から這い出した。二年生の妹の愛子は、まだすやすやと、気持ち良さそうに眠っている。

「いいなあ、愛子は。トレーニングが無くてさ。俺も、女に生まれりゃ良かった」

「あたしだって、女の子でしょ。ぶつぶつ言ってないで、早く用意しなさい」

 お母さんは、せめて愛子だけは普通の女の子に育てたかったらしく、愛子に物心がつく前からトレーニングをさせようとしたお父さんを、止めたのだ。

 翔太郎など、朝のトレーニングの他に、週に二回空手の道場へ通わされている。結構強くなったが、翔太郎は練習が嫌いだった。

「あーあ。今日から、二学期か」

 トレーニング・ウェアに着替えながら、翔太郎が憂鬱(ゆううつ)そうに言った。学校がと言うより、勉強が嫌いなのだ。いつも友達と遊んでいたいと言う奴で、今に杉山達のようにならないかが、舞子の心配の種だ。まあ、そうなったらこのお姉様が叩き直してあげるのだが。そう言う舞子も、勉強はあまり好きではなかった。楽しかった夏休みも昨日で終わり、今日から二学期が始まるのだ。

 夏休みの間も、トレーニングは欠かさなかった。お揃いの、黒のトレーニング・ウェアに着替えた二人は、そろそろと階段を下りて外へ出た。

 軽く準備体操をして、走り始める。家を出て、学校と反対の方向だ。しばらく走ると、パン屋さんが見えてくる。右へ曲がった。やがて、正面に児童公園が見えてきた。舞子の家から、走って十分くらいの距離だ。

 結構広い公園で、朝のこの時間は、お年寄りがよく散歩をしている。たまに、舞子らと同じ年くらいの子供たちが犬を散歩させていたりもするが、校区が違うので知っている子はいなかった。公園に着くと、軽い柔軟体操をやった。毎朝会うおじいさんが、ベンチで一休みしている。舞子たちに笑いかける。舞子も笑顔を返し、頭を下げた。

 白いトレーニング・ウェアを着た、舞子と同じ年位の男の子が、鉄棒の横で腕立て伏せをやっていた。初めてみる子だ。新学期を機会に、トレーニングをはじめたのかな?それにしては、もくもくと馴れた様子で、リズムよく腕立て伏せをやっている。運動神経は、かなりよさそうだ。

「さ。始めるよ、翔太郎」

 他人に、構っている場合でもないので、男の子はひとまず置いて、舞子が言った。

「うん。線を引くから、待って」

 翔太郎は、五十センチの間隔で、地面に線を三本引いた。真中の線を跨いで立ち、スタートの合図で右の線、また真中の線、次に左の線、最期にまた真中の線を順番に跨いで、一回。それを百回、出来るだけ素早くやるのだ。反復横とびと言う、敏捷性を養うトレーニングだ。

 舞子は、それを三分三十秒でやる。翔太郎は、四分以上かかるが、それでもかなりのものだ。普通は、百回も続けて出来るものでは無い。

 舞子の合図で、翔太郎が飛び始める。舞子は数を数えながら、ストップウォッチに時々目をやった。三十回を越えた辺りで、翔太郎のペースは落ちてくる。息使いも、かなり荒くなってきた。百回。四分十七秒。翔太郎は、ぜーぜーと荒い息をしながら、地面にへたりこんだ。

「まだまだね、翔太郎。あたしがやるから、タイム計ってね」

 舞子は、腕時計を外して翔太郎に渡した。返事をする余裕もないまま、翔太郎は時計を受け取った。ストップウォッチのボタンくらい、押せるだろう。

 舞子が飛び始めた。まるで忍者だ。あっと言う間に、三十回を超えた。四十回。汗がしたたる。止めていた息を吐き、素早く吸った。五十回。まだ、ペースは落ちない。汗が飛び散る。六十回。少し、ペースが落ちてきた。息を止めていられなくなった。呼吸をしながら、続ける。かなり息が荒くなっている。八十回。はっきりと、ペースが落ちる。息が苦しくなってきた。百回。舞子はぜーぜーと荒い息を吐いたが、へたり込まず、少し歩いた。何度も深呼吸を繰り返し、少し息が楽になってきた。

「何秒だった?」

「三分二十六秒。記録更新、出来なかったね」

 舞子の最高記録は、三分十九秒だ。夏休みの前に、一度だけ出た記録だった。

「お前ら、面白い事やっているな」

 振り向くと、さっきの白いウェアの男の子が、笑いかけていた。

「反復横とびか。かなり、鍛えているな」

「まあね。小さい頃から、ずっとやらされてるからね」

「へえ!そりゃ、すげえや。なあ。俺にも、一回やらせてくれよ。タイム、計ってくれないか?」

 舞子と翔太郎は、顔を見合わせた。ちょっと図々しいけど、そんなに嫌な感じはしない。それに、白ウェアはかなりやれそうだ。見てみたいという興味もあった。

「いいよ。やり方、知ってるわよね?」

「ああ。右と左を往復して、一回だろ?でも、百回なんてやったこと無えからな」

 白ウェアは、真中の線を跨いでたった。舞子が、ストップウォッチを構える。スタート。

 早い。舞子が、驚くほどのスピードだ。三十回。まだ、息をとめたままだ。四十回。息は、まだ止まっている。どんな肺活量を持っているのか。五十回。汗がしたたる。息を、吐き出した。素早く吸い込む。六十回。息を止めていられなくなったようだ。ペースが、少し落ちた。荒い息をしながら、八十回を過ぎた。ガクンとペースが落ちた。百回。舞子は、正確にストップウォッチを、止めた。

 タイムを見て、舞子は目を丸くして驚いた。三分二十三秒。やりそうだ、とは思ったけれど、まさか自分が負けるとは思わなかった。

 白ウェアは地面に大の字になって、激しく胸を上下させながら荒い息を吐いている。

「すげえや、このお兄ちゃん。三分二十三秒だ。お姉ちゃんより、早いじゃないか」

 時計を覗き込んだ翔太郎が、まるでテレビのヒーローにでも遭ったような声で、叫んだ。白ウェアは、まだ地面に寝転がったまま、右の拳だけ挙げて、新しくできたファンの声援に、応えて見せた。

「すごいわね。あたし達もう帰るけど、大丈夫?」

 少し楽になってきたのか、白ウェアは頭だけあげて舞子に笑いかけた。息は、まだ荒い。

「ああ。ありがとう」

「じゃ」

 舞子と翔太郎は、白ウェアを公園に残して家へ向かって走り始めた。

 すごい奴も、いるもんだ。舞子は感心もしたが、少し悔しいような気持ちもあった。これから帰って、ハンドグリッパーを握らなければならない。いつもの時間より少し遅くなってしまったが、毎日の習慣を変えるつもりは無かった。


 学校へ行くと、みんなよく焼けていた。とくに杉山たちは、真っ黒だ。きっと夏休みの間中、野人のように遊びまわっていたのだろう。前田の机の上に、木で出来たガラクタが置いてあった。よく見ると、どうやら船らしい。自由課題の力作のようだ。

 岩本の席に、人だかりが出来ていた。

「おはよう、舞ちゃん。すごいよ、岩本君」

 人だかりの中から顔を出した葵が、舞子に手招きをした。

「なに、なに?あたしにも見せて」

「いいよ」

 岩本は、嬉しそうに言った。立て横五十センチくらいの箱が、机の上に置いてある。蝶の標本だった。色々な大きさの、いろんな色の蝶が、まるで模様のように綺麗に並べてあった。

「すごい、岩本君!これ、自由課題ね」

「へへ…そうなんだ」

 青びょうたんの岩本も、よく焼けていた。勉強ばかりしていたのではないらしい。

「やるじゃん、岩本。まあ、おれの戦艦も負けてねえけどよ」

「あら、前田君。あれ、沈没船じゃなかったの?」

「うるせえ、河合!女には、俺の作品の味が理解出来ねえんだよ」

 みんなが、ドッと笑った。杉山も、麗奈に言われた前田も、笑っていた。

 夏休みに入る前から、杉山たちはすっかり変わっていた。相沢の格好をつける癖は、やはり治っていないが、それはそれで、結構笑える。

 葵は少しがっかりしたようだが、やはりクラスの仲は、良い方がいいに決まっている。よかったね。舞ちゃんのおかげだよ。葵は笑って言ってくれた。

 チャイムが鳴って、みんなぞろぞろと、自分の席へ戻っていった。

 ガラリとドアが開き、宮崎先生が入ってきた。みんなが、ざわめいた。先生の後から、男の子が入って来たからだ。

「みんなに紹介します。隣町の、青葉(あおば)小学校から転校してきたお友達です。今日から、みんなと一緒に勉強します。仲良くしてあげてね。さあ、みんなに自己紹介してね」

 先生に言われ、転校生は一歩前に出た。

「青葉小学校から来ました。真田一平(さなだ いっぺい)です。よろしくお願いします」

 みんなが、拍手をした。正面を向いて笑った一平の顔をみて、舞子はびっくりした。今朝、公園で会った白ウェア。普段見ない顔だと思っていたら、転校生だったのだ。

 舞子に気付いた様子は、無かった。無理も無い。トレーニングの時、舞子はポニーテイルにしているが、今は髪の毛を下ろしている。おまけに、白地に花柄の可愛いワンピースを着ているのだ。それでも、近くで見られると、ばれるかもしれない。なにしろ、今朝の事だ。舞子は少しうつむき加減になり、顔をなるべく見られないように努力した。

「あら、山根さん。そんなに恥ずかしがらなくていいわよ。まあ、真田君は確かに男前だけど」

 またこの先生は、トンチンカンな事を。舞子はカッと赤くなった。クラス中、大爆笑だ。冷やかしの口笛まで吹いているバカもいる。どうせ、前田か杉山だろう。

「へへ…まいったな」

 一平は、照れながら頭を掻いた。お前が照れると、ますます冷やかされるだろうが。舞子は思ったが、とても顔を上げられる状況ではなくなっていた。

「はいはい。もう、そのへんにしなさい!」

 宮崎先生が手を叩きながら、大きな声で言った。あんたが一番の原因だ。舞子は、心の中で叫んだ。

「じゃあ、真田君の席は…。そうね、リクエストにお応えして、山根さんの隣ね。ほら、真田君。あそこで照れている、可愛い女の子の隣よ」

 …まったく、この先生。どこまであたしを苦しめるのか。袋男になって、スカートでもめくってやろうかと、舞子は思った。冷やかしの声援の中、一平は平然と舞子の隣に腰をおろした。

「よろしくな」

 そう言って笑った一平に、舞子はうつむいたまま返事をした。

「こちらこそ…」

「おいおい。こっちが挨拶しているんだから、ちゃんと顔、上げろよ」

 クッ。こいつめ、調子に乗りやがって。舞子は、血管の浮き出た顔をあげて、大声を張り上げた。

「こ!ち!ら!こ!そ!」

「そんな、怒る事ないじゃんか」

 舞子の形相に、一平は一瞬たじろいだ。クラス中が、またドッと笑った。



「お前さあ。青葉小学校から来たって、言っていたよな」

 休み時間に、前田が一平に話しかけた。一平の周りには、新しい転校生に興味を示し、他にも何人かが集まっている。

「そうだよ」

「空手の全国大会で、お前優勝したろ?夏休みに、テレビで見たぞ」

「ああ、そうだよ!俺も知ってる。夏休みに隣町のおばあちゃんの家へ行った時、青葉小学校の校舎に、優勝おめでとうって垂れ幕張ってたよ」

 武田も、知っているようだった。只者では無いと思っていたが、空手の小学生チャンピオンだったのか。そう言えば、今年の小学生の空手チャンピオンは、隣町の小学校から出たとお父さんが言っていた。テレビでも中継する、有名な大会だ。

 舞子が出ていれば、優勝しているのに。格闘技オタクのお父さんが、悔しそうに言っていたのを、今思い出した。

「じゃあお前、かなり強いんだな」

「そりゃ、そうよ、杉山君。チャンピオンなんだもの。あんた、悪者やめてて良かったわね。退治されちゃう所だったわよ」

「ワッハッハ、そりゃいいや!」

「笑うな、タケル!てめえを退治するぞ」

 みんな、楽しそうに盛り上がっている。

「すごいね。空手のチャンピオンだってさ。袋男と、どっちが強いかしら」

 舞子の耳元で、葵が嬉しそうにささやいた。例によって、眼が輝いている。舞子は何も言わず、葵をキッと睨んだ。葵は肩をすくめて、チラリと舌を出した。

「ところでさ。お前、たしか…」

 耳元で、声がした。そちらへ顔を向けると、一平の顔が目の前にあった。舞子の顔を見て、ニヤリと笑う。気付かれた。

「ちょっと、来て!」

 舞子はいきなり立ち上がり、一平の腕を掴んで走り出した。

「おい、なんだよ!何処へいくんだ?」

 舞子は、一平を引っ張ったまま教室を飛び出した。そのまま非常階段を上へ向けて、駆け上がる。途中の人気のない階段の踊り場で、やっと舞子は立ち止まった。

「なんだよ。どうしたんだよ?」

「お願い。朝のトレーニングの事、内緒にしててよ」

「え?どうして?」

「どうしてもよ。反復横とびのタイム、計ってあげたでしょ?その恩、忘れたの?」

「そんな大袈裟な。分ったよ。なんだか知らねえけど、内緒にするよ」

「約束よ」

 舞子は、念を押して教室へ戻った。二人が戻ると、また冷やかしの声援が待っていた。

「ひょう、ひょう!お二人さん!」

「舞ちゃん。あなた、結構積極的なのね」

 冷静な、麗奈まで…。

「違う、違う!そんなんじゃ、無いってば」

「何言ってんだ、山根。お前、すげえ勢いで真田を引っ張っていったじゃねえか。なあ、真田。本当の事、言っちゃえよ。告白されたんだろ?」

「え?ああ…。いや、前からの知り合いだったんだ。そう。母さんどうしが、友達でさ。だから、前から知ってたの」

「そ…そうそう。それで、この前貸した漫画の本、いつ返してくれるのか聞いたのよ」

「えー?真田君、女の子の漫画なんて読むんだ。あたしも、今度貸してあげる」

「へ?ああ、わりと好きなんだ、そういうの」

 お節介やきの加藤美穂ちゃんに言われ、一平は真っ赤になってしまった。

「ギャハハハ。空手のチャンピオンが、女の子の漫画かよ。こりゃ、傑作だ」

 杉山の言葉に、みんなが爆笑した。一平が向けてきた抗議の視線を、舞子はそっと外した。


「何だよ?今日は、みんなとドッジボール、やらねえの?」

 最近、みんなとすっかり馴染んだ杉山達が、久しぶりに三人で校舎裏に集まった。杉山が、呼び出したのだ。

「なあ、タケル。俺、思うんだけどよ」

「何だよ、英樹」

「例の、袋男だよ」

「袋男?英樹、まさか助けてもらったくせに、まだやっつけようなんて…」

「違うよ、バカ。あんな奴にかないっこねえし、俺達あいつのお蔭で、今は前より楽しいもんな。それより、正体だよ」

「正体?そんなの、分らねえよ」

「真田だよ、サ・ナ・ダ」

「真田?何言ってるんだよ。今日、転校して来たばっかだぜ」

「でも、あいつは元々、山根の友達だったんだろ?それに、竜一。お前が、学校へ助けを呼びにいった時、教室に誰がいた?」

 相沢は、拳をおでこに当てて、立ったまま考える人のポーズを取った。

「あの時、もう掃除が終わってて、教室にいたのは…河合と、吉村。…汐海、山根…」

「ビンゴ!」

 杉山が、太い指をパチンと鳴らした。

「ああ、思い出した。そういえばあいつ、汐海と二人で教室を飛び出していったぞ」

「じゃあ真田を呼び出して、こっそり聞いてみようぜ。袋を被っていたんだから、きっと正体を知られたくないんだろう」

「なんで、正体を知られたくなかったんだろう?」

 相沢の疑問に、杉山が得意そうに答えた。

「そりゃあ、お前。初めは、俺を退治するために現われたんだろう?その時から、うちに転校するのが、決まってたんじゃないか?そうなりゃ、気まずいだろう?」

「それに、空手のチャンピオンなんだ。ケンカなんかしたら、破門になるのかもしれないぜ」

 前田が、継ぎ足して答えた。正体ははずれているが、なんとツジツマは合っている。

「おお!お前ら、頭いいんだな。探偵みたいじゃねえかよ」

 相沢が、右手の親指を突き立てて言った。

「アッタリ前よ!今頃気がついたのか?」

 三バカ探偵団は、早速運動場へ向かった。

 運動場では、たくさんの生徒が、遊んでいる。鉄棒の前の一角で、六年一組のみんなが、ドッジボールをやっていた。一平も、みんなにすっかり馴染んでいた。

「おーい!お前ら、やらねえのか?」

 リーダー格の武田が、杉山たちを見つけて声をかけた。

「今日は、パス。それより真田。ちょっとだけ、話があるんだ」

「なによ?今、ゲーム中じゃない。真田君を連れていかれちゃったら、あたし達のチームが不利になっちゃう」

 加藤美穂は、口を尖らせて抗議した。

「なになに?あんた達また悪者に復活して、悪の組織に真田君を引っ張り込もうっていうの?」

 眼をキラキラさせながら言った葵の頭を、舞子がペシッと叩いた。葵は、舞子に舌を出して、笑った。この子は、どうしてもトラブルが起きて欲しいようだ。

「なにが悪の組織だ。むちゃくちゃ言うなよ、汐海。なあ真田、三分でいいからよ」

「分ったよ。みんな、せっかく入れてくれたのに、ごめん。俺、ちょっと抜けるわ」

「ええー?後にすれば、いいのに」

 美穂は、一平のファンになったらしい。一平は、笑ってコートから出ていった。付いて行こうとした葵は、もちろん舞子が、首根っこを掴んで止めた。

「何だよ、話って?まさか、転校生イビリじゃないだろうな?かんべんしてくれよ」

 校舎裏へ連れていかれた一平は、笑って三人に言った。

「バカ。ンなわけ無えだろ。お前に、正直に答えてほしい事があるんだ」

「何だい?早く、言えよ。昼休みが、終わっちまうじゃねえか」

「お前、袋男だろ?」

「袋男?何だ、そりゃ?」

 いきなり、トンチンカンなことを言われて、一平は目を丸くした。もちろん、知るはずも無い。

「絶対、誰にも言わねえし、俺達なにも恨んでねえからよ。お礼が、言いたいくらいさ。だから、頼む。本当の事を、言ってくれ」

 前田が、一平を(おが)んだ。しかし、いくら拝まれても、知らないものは、どうしようもない。

「正直に言うよ。俺には何の事か、さっぱり解らない。それより何だよ。その、袋男っていうの」

 一平の態度が、ウソを言っているようには見えない。三バカ探偵団は、すっかり肩を落としてしまった。

「がっかりするなよ。そんなに大切なことなら、俺にもその袋男の事教えろよ。もしかしたら、俺に分る事があるかも知れないし。俺、口は固いぜ」

 三人は、顔を見合わせた。あれだけ強い奴なら、空手チャンピオンの一平なら何か分かるかも知れない。そう思った三人は、口々に袋男についてしゃべり始めた。

 最初に前田が、自分達が乱暴者で、クラスの鼻つまみ者だった事。ある日、見知らぬ野球帽を被った男の子に校舎の裏へ連れていかれ、袋男にコテンパンにされた事。野球帽を被っていた男の子は、自分達の顔も名前も知っていた事を話した。続いて相沢が、杉山と前田が中学生を相手にケンカになり、自分が教室へ助けを呼びに行った事。教室にいたのは、掃除当番の五人程で、それからすぐに袋男が現れた事を話した。最後に杉山が、自分と前田が袋男に助けられた事。中学生四人を、あっと言う間にやっつけた、袋男のとんでもない強さなどを話した。

「ふーん。それで、どうしてその袋男の正体が俺って事になるんだ?」

 黙って聞いていた一平が、杉山に聞いてみた。

「だって、お前は空手の全国チャンピオンだろ?あの強さは、それくらいの奴じゃないと納得いかねえよ。それに、お前は山根と前からの知り合いなんだろ?だったら、俺達の事も知ってておかしく無いし」

 なるほど、ツジツマは合っている。しかし元々、舞子と一平は知り合いでは無いのだ。それは、舞子との約束だから言えない。

 一平が優勝した大会は、そんなに簡単に優勝出来る代物では無かった。袋男がどれほど強いか知らないが、面白い。一平は、どうしても袋男に会いたくなった。もちろん、試合を申し込むためにだ。三人の話によれば、クラスの中に袋男を呼んだ生徒が必ずいるはずだ。

「まてよ…」

 一平は、ふとひらめいて、ニヤリと笑った。

「何だよ、真田!何か解ったのか?」

 杉山が、鼻息を荒げて聞いた。

「俺、何となく心当たりが有るよ」

「本当か?」

「ああ。それより、お前ら。もし、袋男の正体が分っても秘密に出来るか?」

「ああ。もちろんだ。俺は、お礼が言いたいだけさ」

「俺も」

 杉山に続いて、前田と相沢が、口をそろえて言った。

「よし、分った。俺が調べてみるよ。もし分ったら、必ず教えてやる。お前らも、約束しろ。正体を暴いても、絶対に内緒にしてやれよ」

 四人が固く誓い合ったところで、チャイムの音が昼休みの終わりを告げた。


 次の朝、舞子と翔太郎は、いつものように公園まで走った。公園に着くと、一平は今日も先に来て、腕立て伏せをやっていた。

「よう、おはよう」

 舞子に気付いた一平が、スポーツタオルで汗を拭きながら近づいてきた。

「おはよう。早いのね。毎朝、トレーニングやってるの?さすが、チャンピオンね」

「お前は、何でトレーニングしてんだ?それも、みんなに秘密にしてさ。なにかスポーツでも、やってるのか?例えば…格闘技とか」

「どうして、格闘技なの?」

 舞子は、とぼけてみせた。

「前田と相沢をぶちのめしたの、お前だろ?」

 一瞬、舞子は頭から冷水をかけられたような気分になった。どうして?そう思ったが、昨日の昼休みに、杉山たちに呼び出されていたのを思い出した。もしかすると袋男の事を聞いて、興味を持ったのかも知れない。

「違うわよ。トレーニングは、ただの習慣よ。さ、翔太郎。線を引いてよ」

 舞子は、翔太郎に話しかける事でごまかそうとした。

「習慣でやるには、昨日の反復横とびはかなりこたえたぜ。それに、なんだって俺に口止めしたのさ?べつに、みんなに知れてもいいだろう?身体を鍛えている奴なんて、多分他にもいるぜ」

 ええい、男のくせにしつこい野郎だ。空手のチャンピオンだかなんだか知らないが、ぶちのめして黙らせてやろうか。一瞬舞子は、そう思った。

「お、その顔、その顔。袋の下で、そんな顔していたのか?」

 どうやら、間違いないらしい。一平は思った。もう一押し。舞子との距離は、三メートル。一平は、ゆっくりとファイティングポーズを取った。

「なによ。空手のチャンピオンが、女の子に乱暴しようって言うの?」

 それを言われると、痛いところだ。もちろん、一平は舞子を殴るつもりなど無かった。袋男を見つけても、ケンカを売る気など、無い。ただ、ちゃんとルールを決めて、一度試合をしてみたいだけだ。しょうが無い。フェイントをかけてみよう。一平は、思った。攻撃するフリを、仕掛けてみるのだ。悲鳴でもあげれば、自分の推理は外れていた事になる。袋男なら、なにかしらの反撃をみせるはずだ。まあ、一平の推理は当たっているのだが。

「問答無用だ。いくぜ」

 一平が、じりっと前に出た。二人の間の空気が、張り詰める。でも、そこまでだった。

「翔太郎」

 一平の前に、翔太郎が黙って立ち塞がった。身体から、闘気が出ている。

 これには一平もまいってしまった。まるで、映画の悪者になったような気分だ。それに、目の前の翔太郎をぶちのめす事など、出来るはずも無い。

「ごめん。悪かったよ。怒るなよ、弟君」

 一平は、肩をすくめて笑った。舞子は、ホッとした。かかってきたら、黙っていられる性格では無い。

「こいつは、何かやっているのか?」

「空手をね。チャンピオンには、かなわないと思うけど」

「いや。お前の弟、結構手強(てごわ)いと思うぜ。昨日みたいな練習を、毎日やってんだろ?それで、空手をやってるなら、同い年の奴には、負けないと思うな」

 杉山たちよりは、強いだろう。それでも、翔太郎に助けてもらうとは思わなかった。今度から、いじめる時にはもっと手加減してやろう。と、舞子は思った。

「今日のところは、あきらめるよ。でも袋男の正体は、絶対お前だ。まあ、だれにも言わねえよ。証拠も、無いもんな」

 一平は、軽く手をあげて走り去ってしまった。勝手な奴だ。お喋り男め。

「姉ちゃん。袋男って、なあに?」

「お前に、関係無い!」

 たった今、自分をかばってくれた恩人の頭にゲンコツを食らわして、舞子はストップウォッチを構えた。お喋り男のせいで、時間が大分過ぎている。

「さあ、始めるよ」

「痛えなぁ、もう」

 翔太郎は、恨みがましい眼で舞子をにらみながら、真中の線をまたいだ。


 学校では、一平は舞子に話しかけてこなかった。あきらめたのか?いや、そんな事はないだろう。なにせ、今朝の勢いは相当なものだった。なんにせよ、クラスの中で、変な詮索をされないに越した事は無い。特に、葵の前では。

 授業中、一平は先生の話も聞かず、ボーッと考え事をしていた。もちろん袋男、いや舞子の事だ。どうにかして証拠を掴めば、言い逃れもできないはずだ。一平が、チラリと隣の席に目をやると、舞子が黒板の字をせっせとノートに書き写していた。何処から見ても、普通の女の子にしか見えなかった。

 一平に、ふとひらめくものがあった。自分の拳に、目を移す。(けん)ダコ。空手で、(こぶし)を鍛えていると、必ず(こぶし)にタコが出来る。前田を空中で一回転させる程のパンチ力なら、拳にタコがあるはずだ。一平は、食い入るように舞子の右手に注目した。隣の席とはいえ、上手く見えない。舞子は、書くのをやめて、先生の話を聞いていた。両手を組んで、机に置いている。指が、邪魔だった。手を見せろ。早く、何か書け。一平は、まるで念力でもかけるように、舞子の右手に集中した。

「真田君」

 宮崎先生の、声。一平は、弾かれたように、前を向いた。

「は、はい!」

「授業中は、ちゃんと先生の話を、聞いてくれなくちゃ。それに、そんなに見つめちゃ、山根さんに、穴が開いちゃうわよ」

 クラス中が、ドッと笑った。一平はもちろん、舞子も真っ赤になってうつむいた。

 真田の、大バカ野郎!どうせ、なにか証拠でも無いか、ネチネチと観察していたに違いない。そんなにお望みなら、ご要望にお応えしてケチョンケチョンにしてやろうかしら。舞子は、怒りと恥ずかしさで、ワナワナと震えた。

「真田君って、すごい情熱家なんだね」

 休み時間、一平が教室を出ていくと、トラブル大好き少女が舞子の席へ来て言った。眼が、キラキラと輝いている。自分に袋男の疑いがかかっている事など、葵には言わない方がいいに決まっている。でも、この勘違い娘に、なんと言えばいいのか。

「でも、真田君ってちょっと格好いいよね。舞ちゃん、告白されちゃったらどうする?」

「な…なに言ってるのよ。バカな事言わないでよ、葵ちゃん」

「あら。真田君は、タイプじゃ無いの?」

 突然、河合麗奈が会話に混ざってきた。

「タイプって、そんな。真田君だって、きっと何とも思ってないよ。先生の冗談に、決まってるじゃない」

「ふうん。でもあそこに、冗談じゃあ済まない人もいるから、注意するのね」

 麗奈が、チラリと目をやる方を見てみると、舞子をじっとみている加藤美穂と目が合った。舞子は、慌てて目をそらした。

「あ、そうか。美穂ちゃんって…。三角関係だよ、舞ちゃん。どうする?」

 キラキラの眼が、ギラギラになった葵を叱りつけるように睨み、舞子は麗奈に向かって微笑んでみせた。

「あたしは何とも思ってないわ。麗奈ちゃん、気にしないでね」

 あの野郎。だんだん変な方向へ、話が行き始めてきた。どうしてくれようか。舞子は怒りを堪えたが、コメカミに浮き出した血管まで押さえる事はできなかった。

「はいはい。そう、怒らないでよ。加藤さんは、眼中に無いって訳ね」

 麗奈は舞子にくるりと背中を向けて、自分の席へ帰っていった。なんで、こうなるんだ。

「眼中じゃ無いなんて、舞ちゃんカッコイイ。でもまぁ悪いけど、舞ちゃんの方が、可愛いもんね」

「違うって、言ってるでしょ!」

 いちいちこの娘は。ゲンコツでも、食らわしてやろうかしら。舞子が睨むと、葵は肩をすくめた。チャイムが鳴った。やっと、三時間目が始まるところだ。舞子は、すでに一日が終わったくらい、疲れてしまった。


 今日は一平も杉山たちも、掃除当番の日だった。一平が、教室の床をホウキで掃いていると、杉山が近寄ってきた。

「真田。袋男の正体、まだ掴めねえのか?」

「ああ。目星は、付いてるんだけどよ。まあ、もう少し待ってろよ」

「目星が付いてるなら、俺達にも教えろよ。このクラスの奴か?だったら、俺達も一緒になにか探れると思うぜ」

「そうだよ。タケルの言うとおりだ。一人で探すより、四人で探す方が良いに決まってるだろ」

 横から口を挟んだ前田に続いて、相沢がポーズを付けて、賛成の意見を述べた。

「まあまあ。まだ、そいつが袋男だって決まった訳じゃないんだ。もうしばらく、辛抱しろよ」

「ちぇっ。分ったよ。その代わり、裏切るなよな。絶対に、俺達にも教えてくれよ」

 一平は、笑って頷いた。

「おい、杉山!」

 いきなり教室の入り口で、大きな声がした。三組の大森武だ。

「何だよ、大森。俺に、何か用か?」

「ふん。喜べよ。お前を、俺達の子分にしてやろうって言うのさ」

 この大森こそ、四年生まで杉山をいじめていた張本人だ。意地悪で、弱い者いじめが大好きときている。四年生の時、強さに目覚めた杉山にやられて以来、杉山には関わらなくなっていた。五年生になってクラスも変り、たまに廊下で擦れ違っても、眼を合わせようともしない奴だ。

「何言ってんだ、お前?俺とは、眼も合わせられないくせに。おかしくなっちまったのか?」

「さっさと、教室から出ていけよ。ここは、俺達のクラスだぜ」

「黙れ、腰ぎんちゃくの前田め。お前なんか、杉山がいなけりゃただのチビじゃねえか」

「何だと?ケンカ売ってるのかよ、おもしれえ。相手になってやる」

 前田が腕まくりをしながら、大森に向かって言った。

「よし。じゃあ、校舎の裏へ来いよ。決闘と行こうじゃねえか。杉山に、相沢。お前らも来な」

 大森は、ニヤリと笑うと、教室を先に出ていった。

「何だよあいつ。お前ら、無視しろよ」

「心配すんなよ、真田。まあ、俺もやり過ぎないようにするからよ。先生に、言うなよ」

「そうそう。あんな奴、本当は俺一人で充分なんだけどよ。まあ、英樹をご指名のようだからな」

「でも、大勢いるかも知れないぜ。しょうが無い。俺も行ってやるよ」

「チャンピオンの出番なんて、無えぞ。俺がどれだけ強いか、見せてやるよ」

「いいか、お前ら。今の事、先生に言うんじゃねえぞ」

 残りの掃除当番に、相沢が言った。もちろんポーズを付けて。四人は掃除当番を放棄して、ぞろぞろと校舎裏へ向かって行ってしまった。


 校舎裏へ行くと、大森の他に三人いた。吉沢健吾と、島田祐一。もう一人。知らない顔だ。

「誰だよ、お前。転校生か?」

 杉山が聞くと、そいつはニヤリと笑った。

「そうさ。六年になって、この学校へ来たんだ。よろしくな」

「俺達を子分にするってのは、お前が言い出したのか?大森なんかが、俺に向かって言えるわけ無えからな」

「子分?興味無いな。確かに一学期に俺が転校して来た時、お前をやっつけてくれって大森に言われていたけどよ」

「へえ。強気だね。でも、一学期には、なにも言って来なかったじゃねえかよ。何で今更こんな事するんだ?」

 前田が、横から口を挟んだ。

「お前らみたいな奴、相手にしても俺が恥ずかしいだけさ。でも、今はちょっと事情が変わってね。お前らを痛めつけりゃ、そいつが出て来ると思ったのさ。まさか、一緒に来るとは思わなかったけどよ」

 そう言って、そいつは一平に眼を向けた。

「お前、夏の空手大会で優勝した、真田一平だろ?俺は沢村大輔。憶えてないか?」

 一平は急に話をふられ、一瞬とまどった。まさか、自分を知っているとは思わなかったのだ。

「沢村大輔…?あ!思い出した。お前、確か夏の大会の準決勝で、反則負けしたよな」

 沢村大輔は、小さい頃からキックボクシングをやっていた。一平が優勝した大会は、他流派でも出場出来る大会だった。沢村は、小学生のキックボクシングの試合があまり無い為、腕試しに出場したのだ。

 空手の試合では、肘打ちは禁止されている。しかし、空手のルールに馴れていない沢村は、ついその肘打ちを使ってしまったのだ。

「ふん。ルールに、馴れていなかったからさ。大体、俺が肘打ちで倒した奴は、優勝候補だったじゃねえか。あいつ、そんなに強くなかったぜ。俺は反則負けになっちまったし、優勝候補は病院へ行っちまったし、お前の優勝はラッキーってやつさ」

 確かに、肝心の決勝戦は不戦勝だった。それが、自分の心残りだったのだ。

「あの時の決着、着けようぜ」

「ありがたい。俺も望むところだよ。で、ルールはどうする?」

「ルール?ケンカだよ、ケンカ。ルールなんか、関係無いね」

「ケンカ?俺は、ケンカなんてする気は無いぜ。俺は、空手の試合がやりたいんだ。だから、お前とは試合をしたい」

「ほう。でも、お前が俺の相手をしなきゃ、俺はそこのデブ達を痛めつけなきゃならねえぞ。自分のクラスの奴がやられちまっても、黙っていられるのか?」

 一平は、言葉に詰まった。ニヤリと笑って、大森が前へ出てきた。

「ふん。沢村が、怖いのかよ。お前がやらないなら、俺は別に構わないさ。杉山を痛めつけてやりたいだけだしな。関係無いってんなら、引っ込んでな」

「いいぜ真田。お前は、後ろで見てろよ。元々、俺達の事なんだ。その沢村って奴も、俺が相手になってやる」

 杉山、前田、相沢が、一歩前に出た。あちらも大森、吉沢、島田が前へ出る。

 睨み合った。ワッと声をあげて、大森が杉山にかかって行った。それを合図に、六人が入り乱れての乱闘が始まった。

「さあ、真田。お前も覚悟を決めろよ」

 沢村が、ゆっくりと前へ出てきた。どうやらやるしか無さそうだ。一平は、左足を前に出して拳を構えた。

「ほう。お前、結構強そうだな。こうして向かい合うと、よく分かるよ」

 じりっと沢村が距離を詰めた。あと、三メートル。杉山たちの乱闘の声が、遠くなったような気がした。

 いきなりワン・ツーパンチが飛んで来た。左はフェイントだが、右のパンチは左腕で受けた。同時に、左の太腿に痛みが走った。沢村の、ローキック。攻撃のコンビネーションと言うやつだ。つまり沢村は、右のパンチと同時に、右の廻し蹴りを一平の太腿めがけて放ったのだ。普通、右のパンチに気を取られてまともにキックを食らうところだが、一平はとっさに左足をずらして、急所を外した。一平は、右のパンチを飛び込みながら打った。沢村が右にサイドステップでかわし、左のジャブを打ってくる。左腕で、ガードした。沢村の顔が、目の前にあった。

 右手で、頭を下へ押さえつけてくる。同時に、膝が顔をめがけて飛んで来た。両腕を交差させてガードした。ガード越しでも、かなりの衝撃だ。両手で頭を抱えられ、左右の膝が続けざまに飛んで来る。ガードしている腕が、しびれてきた。

 不意に、横から膝が飛んで来た。顔の正面のガードに集中していた一平は、横っ面に膝蹴りを食らい、よろけて後ろを向いた格好になった。追い討ちが、来る。一平は、後ろの気配に見当を付け、右足の(かかと)を、真っ直ぐ後ろへ突出した。後ろ蹴りと言う技だ。手応えが有った。沢村が、グッと声を漏らした。振り返ると、下腹を押さえてこっちを睨んでいる。効いたらしいが、一平も頭がクラリとした。

 互いに、向き直る。もう一度、同時に踏み出した。左パンチ。かわされた。そのまま、踏み込んだ左足を跳ね上げた。前蹴りで、顔面を狙ったのだ。沢村は、上体だけを後ろへ反らすスゥェーバックと言う技術で、それをかわした。振り上げた足を下ろした時、沢村が目の前にいた。

 頭を抱え込まれると、また膝蹴りが飛んで来る。それは、ごめんだった。しかし今度は、小さくフック(横から、振って来るパンチ)や、アッパー(下から突き上げるパンチ)をリズム良く打ってきた。全く馴れない攻撃に、一平は、ガードするのがやっとだった。それでも、小さいパンチを何発かもらった。こう連発されては、全部受け切るのは無理だ。

 空手のパンチは、真っ直ぐ打つのが基本だ。しかし、それはある程度の距離が必要で、これだけ近づいてはパンチに本来の威力が出ない。接近戦は、不利だ。一平は、大きく後ろへ跳んで、距離を開けた。その距離を沢村が詰めようとしたところへ、右のローキックを放った。

 沢村は、左足をずらして外そうとした。フェイント。一平の右足は、途中でコースをクルリと変え、沢村の顔面に吸い込まれるように舞い上がった。前へ突っ込もうとしていた沢村は、とっさに頭をひねったが、完全にかわす事は出来なかった。まともには決まらなかったが、それでも頭に蹴りを食らった沢村は、よろりと後ろへ下がった。一平も、何発かもらったパンチが効いていて、すぐに追い討ちをかける事が出来ない。

「やるな、お前。大会で、俺が病院送りにした優勝候補より、お前の方が強えよ」

 沢村も、強かった。反則負けにならなければ、決勝戦のちゃんとした試合で戦う事が出来たのだ。一平は、それが残念だった。

 チラリと、杉山たちに眼をやった。前田が、頭を押さえて倒れている。相沢は、蹴られながら泣いていた。杉山が、三対一で戦っていた。一平は、驚いた。吉沢という奴が、棒で杉山を殴ったのだ。棒は、肩に当たった。杉山は、肩を押さえてうずくまった。

「やめろ!」

 杉山を、さらに殴りつけようとする吉沢に、一平が飛びかかった。

「うるせえ!」

 振り向きざまに、棒が飛んで来た。とっさに一平は、左腕で棒を受けた。腕に、鋭い

痛みが走った。

「うう…」

 一平は、左腕を押さえてしゃがみ込んだ。三人が、一平を取り囲む。

「待て!」

 沢村だった。三人は、身体をピクリと震わせた。沢村を怖がっているようだ。

「バカか、お前ら?棒なんか、持ち出しやがって。見ろ。真田と、やれなくなっちまったじゃ無えか」

「俺は、大丈夫だよ」

 一平は、痛みを堪えて立ち上がった。

「何言ってんだ。怪我人とやっても、つまんねえよ。お前、顔色悪いぜ。まあ、大体お前の力は分ったよ。やっぱり、俺の方が強えな。空手の試合なら、分らないけどよ」

 一平は、肩を落とした。自分の方が弱いとは思わないが、沢村に今かかって来られたら、一方的にやられるしか無い。(たと)え棒で殴られたと言っても、ケンカにルールが無い以上、これも負けた事になる。ケンカに興味など無かったが、自分がケンカに負けたと思うと、悔しさが込上げてきた。試合でしか、通用しない空手。そんなもの、意味があるのか。

「へへ。頼みのチャンピオンがこれじゃあ、もうおしまいだな。お前ら、これから俺たちに逆らうなよ」

 大森が、勝ち(ほこ)ったように言う。

「ふん。いい気になるなよ。俺たちのクラスには、もっと強い奴がいるんだ」

 杉山が、肩を押さえながら悔しそうに言った。

「そうだ!あいつなら、お前らなんか束になっても勝て無えさ!」

 前田も、頭を押さえたまま叫んだ。その前田を見て、一平は少しホッとした。棒で殴られたが、大怪我では無さそうだ。

「ふん。デブ山め。負け惜しみ言うな。じゃあ、誰だか言ってみろよ」

「袋男さ。その沢村ってヤツより、はるかに強いぜ」

「へえ。そいつは、おもしれぇ。その袋男って奴、連れて来いよ」

 沢村に言われて、杉山は口ごもってしまった。誰だか分れば、苦労は無いのだ。

「見ろ。言え無ぇんだろ?そんな負け惜しみ、すぐにばれちまうんだよ」

「負け惜しみじゃ、無えよ!袋被ってるから、誰だか分らねえんだ」

 相沢が、涙声で言った。

「もういいよ、お前ら。沢村も、いいだろ?この学校じゃ、お前が一番強いよ」

 一平が、口を挟んだ。

「ふん。今日はこれで引き上げだ。そのデブが言った事は、俺なりの方法で確かめるさ」

 沢村はくるりと背中を向けると、さっさと行ってしまった。

「待てよ、沢村」

 大森たちも、慌てて沢村を追って行ってしまった。四人がいなくなると、一平は左手を押さえて、またしゃがみ込んだ。

「大丈夫か、真田?」

「ああ。それよりお前、なんだってあんな事言うんだよ」

「袋男の事か?だって、悔しいじゃねえか。あいつら、棒なんか持ち出しやがって。袋男なら、あいつらをやっつけてくれると思ってさ。お前、クラスの中で、当たりをつけているんだろ?」

「まだ、そいつと決まった訳じゃねえよ」

 腕が痛んだ。折れてはいないだろうが、骨にヒビが入っているかもしれない。

「前田。お前、棒で頭を殴られたんだろ?大丈夫なのか?」

「かすっただけだよ。それでも、かなり痛かったぜ。あいつら、おかしいんじゃねえか?棒だぜ、棒」

 どうやら、自分が一番重症のようだ。相沢は、大した事は無さそうだった。

「お前ら、頼みがあるんだ」

「何だよ?」

「今日のケンカ、内緒にしてくれよな。ばれたら俺、破門になっちまう」

「空手の道場をか?分ったよ。内緒にする」

「内緒はいいけど、お前病院へ行った時、どうやって怪我したって言うのさ?」

 前田が、心配そうに言った。

「大丈夫だよ。階段から、落ちた事にでもするよ。(さいわ)い、顔は殴られて無いし」

 四人は、よろよろと立ち上がった。一平が、辺りを見まわした。誰も、いなかった。

 沢村の奴。一平は、このままでは済まないような、嫌な予感がした。


 次の日の朝、舞子と翔太郎はいつものように、公園へやって来た。しかし、腕立て伏せをしている一平の姿は無かった。

「あれ?今日はあの兄ちゃん、来てないね」

「本当ね。まあ、風邪でもひいたんじゃ無い?でも、バカは風邪ひかないって、昔から言うらしいんだけどな」

「口が、悪ィなあ。学校で、そんな事言わないくせに」

「うるさい。さっさと、線ひきな」

「へいへい」

 翔太郎は、ゲンコツが飛んで来る前に、大人しく線をひいた。

「いくよ、翔太郎」

 ストップウォッチを構えた舞子が、スタートの合図をした。翔太郎が、三本の線を、飛び始める。舞子は、鉄棒の方へ目をやった。いればウザッたいが、いなければいないで気になる奴だ。舞子は、軽く舌打ちをした。翔太郎の、荒い息遣いが聞こえた。

 学校へ行くと、一平は自分の席にちゃんと座っていた。今日は休みだろうと思っていた舞子は、一平の隣の自分の席にカバンを置きながら、小さな声で話しかけた。

「おはよう。風邪じゃなかったの?」

「え?風邪?」

「違うの?じゃあトレーニング、やめちゃったんだ」

 朝のトレーニングは、やはり無理だった。左の腕には、ヒビが入っているのだ。手首と肘の、ちょうど真中の所だ。ギプスをする程ではないので、腕の形にフィットした、金属の薄いプレートを包帯で巻いているだけだ。長袖の服を着ていると、分らない。それでも走ったりすると、骨に響くような痛みが走った。しばらく、じっとしているしか無さそうだ。

「走るコース、変えたんだ。袋男に、手の内は見せられ無いからな」

「まだ言ってる。違うって言ってるじゃない」

「じゃあ、どうしてこんなひそひそ声でしゃべるのさ?まあ、心配するな。誰にも言わねえよ。そのうち、俺と試合しろよな」

 だめだ。完全にばれている。舞子は、言い訳も反論も出来なかった。

「バカ。勝手に、そう思ってろ」

 舞子は小さな声でそう言って、舌を出すしか無かった。一平は、笑っている。

 ふと視線を感じて目を向けると、加藤美穂がこちらを見ていた。眼に、青白い炎が宿っている。舞子は慌てて目をそらし、自分の席に座った。やりにくい事、この上無しだ。

 そこへ、キャピキャピ少女が登校してきた。舞子を見て、満面の笑顔を見せる。

「おはよう、舞ちゃん」

「おはよう」

「なによ、舞ちゃん。あたしの顔見るなり、ウンザリした顔して」

「だって葵ちゃん、眼がお星様になってるんだもん。その眼は、なにかトラブルの匂いでも嗅ぎ付けた眼でしょ?」

 葵は、キャハハと笑って舌を出した。

「へへー。さすがは舞ちゃん、大当たり。今ね、教室に入ろうとしたら、三組の大森に呼び止められたの。何て言われたと思う?」

「分るわけ、無いじゃない。大森って、三組のいじめっ子でしょ?もったいぶらないで、言ってよね。それから、そのキラキラの眼、やめてよ」

 葵は、眉毛まで上下に動かしながら、喜びに満ちた顔で言った。

「『お前のクラスに、袋男って奴がいるんだろう。誰の事だ』って、聞かれたの」

 舞子は目眩(めまい)がした。どうして、他のクラスの奴が知っているのか。

 確かに袋男の格好で学校内を走ったが、それほどの注目は浴びていないし、元々『袋男』と言うセンスの悪いネーミングは、葵が付けたのだ。だから聞かれるとしても『袋を被った奴』になるはずだし、第一この教室から飛び出したのでは無く、一階のトイレからだ。誰かに見られていたとしても、何年生かすら分らないはずなのだ。

「それで葵ちゃん、なんて答えたの?」

「正義のヒーロー袋男の正体がどこの誰だかなんて、全く分らないってちゃんととぼけておいたわよ」

「あんた、それでとぼけたつもりなの?」

 相手は、『袋男』が実在するのかどうか聞いただけで、そんな奴知らないと言えば、それで済んだかも知れないのだ。

「イタタタ、舞ひゃん、イタイ」

 はっと我に返ると、舞子は葵のホッペを左右に引っ張っていた。舞子が手を離すと、葵は両手でホッペをさすって、舞子を睨んだ。

「もう、痛いなぁ。大丈夫よ。まさか、女の子だなんて思ってないわよ」

「そうそう。黙ってりゃ、分る訳無えよ」

 二人は、弾かれたように振り向いた。一平が、笑って立っていた。いつの間にか、聞かれてしまっていた。

「舞ちゃん…」

 葵が、ベソをかいた。

「バカ。俺は、前から分っていたんだ。心配するな、汐海。誰にも言わねえよ」

 一平は、小さな声で言った。

「本当?舞ちゃん」

 頷くしか、無かった。一平は、本当に秘密にしてくれそうだ。ただし、試合は申し込まれるのだろう。仕方が無い、少しだけ相手になってやるか。舞子は観念して、小さく頷いた。

「お願いね、真田君。もしばれちゃったら、さすがのあたしも責任感じちゃう」

「俺は、ウソはつかねえよ」

「やったあ!これで、一安心」

「声が大きい!」

 舞子に睨まれて、葵は慌てて自分の口を押さえた。

 教室の入り口で、登校して来た岩本が、大森に捕まっていた。袋男の事を、聞かれているのだろう。何度か小突かれて、開放されたようだ。

「舞ちゃん。血管が出てるよ」

 葵に言われ、舞子は我に返った。以前の杉山みたいだ。舞子は今すぐに出ていって、叩きのめしてやりたくなった。

「なんだよ、お前。うちのクラスに、何か用でもあるのか?」

 登校して来た杉山が、入り口で大森と言い合っている。他の生徒も、入り口に集まり始めた。

「あなた、三組の大森君ね。そんな所で、チンピラみたいなマネしてないで、用事があるならハッキリ言いなさいよ」

 河合麗奈が、毅然とした態度で大森に言った。

「お前らのクラスに、袋男って奴がいるんだろう?だれの事だか教えろよ」

「袋男?何を訳の分らない事言ってるの?そんな変な人、このクラスにはいないわよ」

 これが、とぼける見本だ。もちろん麗奈は、本当に知らないのだが。舞子が横目で睨むと、葵が首をすくめた。

「へえ。とぼける気かよ。それなら、今日から毎日嫌がらせに来るからな。それが嫌なら、袋男が誰だか白状するんだな」

 大森は、時代劇に出て来る悪代官のような顔で、ニヤリと笑ってみせた。

「嫌がらせ?やれる物なら、やってみな」

 杉山が、大森の胸ぐらを掴んだ。

「また、痛い目に合いたいのか?」

「お前なんかにゃ、負け無えよ」

「じゃあ、沢村にも勝てるんだな」

 大森は、チラリと一平の方を見た。一平は、黙っている。杉山が、大森から手を離した。

「ふん。そろそろ授業が始まっちまう。後で来るから、楽しみにしていろよ」

 大森は、もう一度悪党面(あくとうづら)の笑い顔披露ひろうしてから、三組の教室へ帰っていった。入れ替わりに、前田と相沢が登校して来た。

「何だよ、英樹。大森の奴、なにか言って来たのか?」

「袋男の正体探しさ。正体を白状するまで、一組に嫌がらせをするってよ」

「何だって?おい、聞いたかお前ら?袋男の正体、知っているんなら教えてくれよ!」

 相沢が、アメリカ人のようなジェスチャーで、クラスに呼びかけた。普通に言えないのか、この男は。

「何よ、袋男って?あんた達、ちゃんと説明しなさいよ」

 麗奈が、相沢の目の前まで近づいて言った。相沢は緊張して、直立したまま固まった。憧れの麗奈の顔が、目の前ニ十センチまで近づいたからだ。しどろもどろに、相沢が説明した。袋を被った正体不明の奴が、おそらく一組にいる事。そいつを三組の沢村と言う強い奴が、探していると言う事。自分達がやられた事や、昨日のケンカの事はしゃべらなかった。

 横で聞いていた武田が、クラス中に聞こえる声で言った。

「おい、みんな聞いてくれ。このクラスに、袋男って奴がいるそうだ。誰なのか、名乗り出てくれないか?」

 舞子の胸が、ドキドキした。ついに、正体がばれる時が来たのだ。これ以上、黙っている訳にはいかない。葵が、思い詰めた目で、舞子を見つめた。

「待てよ」

 舞子が、観念して打ち明けようとした時、一平が口を開いた。

「何だよ、真田。袋男って、お前の事なのか?」

「違うよ。でも今の奴が、うちのクラスに嫌がらせをするって言うから、お前ら必死になっているんだろ?だったら心配するな。俺が、そんな事させねえよ」

 みんな、顔を見合わせた。大森は、確かに以前の杉山たちのように、恐れられている。でも、空手の日本チャンピオンが、一組にはいるのだ。

「だって、お前…」

 何か言いかけた杉山を、一平が手で制した。

「な?俺に、任せてくれよ」

「まあ、チャンピオンが言ってくれるなら、少し安心だよな」

 武田は、納得したように、頷いた。

「だめよ、ケンカは。そんな事じゃあ、何も解決しないわよ」

 麗奈が、まるでお母さんのような口調で、一平に言う。

「分ってるよ。まあとにかく、俺に任せてくれよ」

 チャイムが鳴った。みんな納得したように、それぞれの席へ戻って行った。急に力が抜けた舞子は、目立たないように自分の席にヘナヘナと座り込んだ。杉山が、心配そうに一平の方を見ていた。事情を知らない舞子は、それが何故なのか分らなかった。


「真田。お前、どうするつもりだよ。腕に、ヒビが入ってるんだぜ。もしかして、そんな身体で、大森たちの嫌がらせを止められると思ってるのか?」

「そうだよ。タケルの言う通りだ。大森なんか、俺達でなんとでもなるけど、あの沢村って奴が出てきたら、俺達じゃあ勝てねえよ。お前だって、そんな身体じゃ問題にならねえし」

「心配するなよ、杉山。実は、袋男の正体が分ったのさ。俺が昨日の話をそいつにしたら、沢村を退治してくれるって言うんだ」

「何?本当かよ。で、正体は誰なんだ?」

 杉山は鼻の穴を広げて、一平に|迫った。

「待て待て。それが、正体を誰にも言わない事が、沢村を退治してくれる条件なんだ。だから、どうだ?お前ら、袋男の正体はあきらめてくれないか?」

 杉山は腕組みをして、うーんと唸った。

「いいじゃねえか、英樹。どうせ、お礼を言いたいだけだしよ。袋男に、真田の仇をとってもらおうぜ」

「そうだよ。俺達じゃ仇はうてねえし、嫌がらせも、沢村が出て来りゃ止められないぜ」

「よし、分った。正体は、あきらめるよ」

「良く言った、杉山。それじゃあ、あいつらが次に来たら、袋男が沢村の相手になってやるから、どこでやるのか聞いてやれ。そうすりゃ嫌がらせなんて、沢村自身が止めてくれるさ」

「よし、分った。で、お前に知らせて、お前から袋男に知らせるって訳だな」

 杉山が、太い指をパチンと鳴らした。

「舞ちゃん、どうするの?」

 教室の隅で、葵が舞子に小さな声で聞いた。眼は、輝いていない。

「うん。さっき、白状しちゃおうと思ったんだけど。でも、しょうがないよ。嫌がらせが起こったら、あたしが大森達を退治するわ」

「ごめんね、舞ちゃん。あたしのせいで」

「ううん。葵ちゃんのせいじゃないよ。さっきの様子だと、多分杉山たちがあいつらに言っちゃったんだと思うよ」

 舞子は、葵に笑いかけた。

「舞ちゃんが、本当はすごく強いってみんなが知っても、誰も怖がったりしないよ、きっと。だって、舞ちゃんは乱暴しないもん」

 舞子も、そう思う。東京の学校では、だれかをいじめている奴がいたら、すぐにそいつを殴ったりしていた。そして舞子は、無敵だった。いつの間にか、自分の力に酔っていたのではないか。強いというだけでは、一人ぽっちになる原因にはならない。杉山たちが、いい証拠だった。あれだけクラス中に嫌われていたのに、乱暴しなくなると、すぐにみんなと仲良くなれたのだ。

 それでも長い間、自分の強さを隠す事が一人ぽっちから抜け出す方法だと信じていた舞子は、本当の自分をさらけ出す勇気が、どうしても出せなかった。

 チャイムが鳴って、二時間目の始まりを告げた。みんな、自分の席へ戻っていった。


 大森たちが現れたのは、昼休みだった。四人いる。大森と吉沢と島田。もう一人、スポーツ刈りで、ちょっとキツイ眼をした見なれない奴がいた。朝の会話に出てきた、沢村という奴だろうと、舞子は思った。

 教室の入り口に四人が顔を見せると、杉山が慌てて飛んでいった。前田と相沢も、後に続く。

「おう、約束通り来てやったぜ。今日は女子のスカートでも、片っ端からめくってやろうか?まあ、ブスばっかりだけどよ」

 大森の後ろで、吉沢と島田がニヤついている。沢村だけが、ウンザリした顔をしていた。

「待てよ、大森。袋男が、相手になってやるってさ」

 杉山が言うと、沢村の顔がパッと明るくなった。

「何!本当か?本当に、そんな奴がいるんだな。よし。誰だ、そいつは?」

 杉山の胸ぐらを掴みそうな勢いで、沢村が迫った。クラスのみんなは、心配そうに注目している。

「まあ、待てよ。お前が勝てたら、袋を脱がせばいいじゃねえか。もし、勝てたらだけどよ」

 杉山の言い方は、まるで自分が袋男の正体を知っているような言い方だった。言葉に、自身が満ち溢れている。もちろん、何も知らないくせにだ。

「ほう、おもしれえ。いいぜ、楽しみにしておくよ」

「で、袋男を何処へ連れていけばいいんだ?」

「学校の裏に、立ち入り禁止の公園があるだろう?放課後、あそこへ連れてきな」

 まずい事を言い出した。あそこは、不良中学生のたまり場だ。杉山たちは、あの時の怖さを思い出した。

「あそこは、だめだ」

「何でだよ?立ち入り禁止だから、いいんじゃねえか。誰にも邪魔されねえし」

「お前は、転校生だからよく知らないんだよ。あの公園は、不良中学生のたまり場なんだぞ」

「そんなの、関係無えよ。とにかく、俺はその公園で待っている。来なけりゃ、大森達が明日から本当に嫌がらせに来るぜ」

 まだ何か言おうとする杉山に背を向けて、四人は自分達のクラスへ帰って行った。大森たちが引き上げたので、クラスにはホッとした空気が流れた。

「真田、えらい事になったぜ。不良中学生のたまり場になっている公園を、指定してきやがった」

 自分の席から動かなかった一平に、杉山が報告に来た。

「そこへ来いってんなら、しょうがねえだろ。いいか?お前ら、先にその公園の入り口で待ってろ。俺は、袋男を連れて行くからよ」

「大丈夫だよ、英樹。中学生も、袋男に敵わなかったじゃねえか。それに、今度は中学生にケンカ売るわけじゃねえし、何か言われるとは限らねえよ」

「そうそう、前田の言う通り。お前ら、心配しなくていいよ。まあ、大船にでも乗った気でドッジボールでもやって来いよ」

 一平は、手で杉山たちを追い払う仕草をした。一平の左腕に、ヒビが入っている事を知っている三人は、頷いて教室を出ていった。殆どの生徒が運動場へ遊びに出ているので、教室はガランとしていた。舞子と葵は遊びに出る気になれず、教室の隅でなんとなく時間をつぶしていた。

「山根。ちょっと、頼みがあるんだ」

「なあに。あたしに、さっきの沢村って奴と戦えって言うの?」

 少ないとは言え、教室にはまだ何人かの生徒がいるので、話し声は小さかった。

「違うよ。お前、袋男になった時被った袋、持ってるよな?それ、俺に貸してくれよ」

「ええ!真田君が、袋男になろうって言うの?」

 横にいた葵が、目を丸くして驚いた。舞子は、開いた口が一瞬そのままになった。

「何で、そんな事してくれるの?」

「お前、誰にも知られたくないんだろう?秘密にするって約束したからな」

「格好いい、真田君。舞ちゃん、そうしてもらいなよ。真田君なら、大丈夫だよ。空手のチャンピオンなんだから」

 舞子は嬉しかった。袋男の強さは、一平も知っているはずだ。戦わせる事に、それほど心配はしていないだろう。それなのに、自分をかばおうとしてくれている。

 一平は、舞子の秘密がばれそうになったのは、自分の責任だと思っていた。杉山たちに、正体の目星がついたなどと言わなければ、杉山も悔し紛れに沢村に言ったりしなかっただろう。

 左腕にヒビが入ったまま沢村に勝てるはずもないが、脱がされた袋の中から自分の顔が出てくれば、初めに一平が袋男だと思っていた杉山たちは、納得するだろう。沢村は、元々自分の強さが証明出きれば、文句はないはずだ。

「分かった。チャンピオンを、信じるわ」

 何も事情を知らない舞子と葵は、真田君に全てを任せる事にした。

「放課後、うちへ取りに来て」

「よし。みんなバラバラに教室を出よう。汐海は、山根の家まで俺を案内してくれよ」

「OK。じゃあ、舞ちゃんは先に帰って。あたしと真田君は、別々に出て校門の前で待ち合わせしましょう」

 話が決まった。一平の覚悟は、ずっと前に決まっていた。


「お前、こんなの被って、よく人前に出たよなあ」

なあ」

 黒い布袋を渡されて、一平は呆れた声で言った。舞子の部屋で舞子の黒いトレーニングウエアに着替える間、葵と舞子は部屋の外へ出ていた。しばらくすると、袋男が部屋から出てきた。背丈も、舞子とそれほど変らない。

「すごい!これなら分らないよ」

 葵が、しきりに感心している。

「でも、本当にこの格好で出ていくのか?」

「やらせろって言ったのは、あんたでしょ?はい、これ」

 舞子が、黒い手袋を一平に渡した。指の先だけが出るようになっている。一平がそれを受け取り、両手にはめた。手袋をする時左腕が痛んだが、顔を歪めても袋の中なので、舞子達には分らなかった。

「なんだ、これ。ゴムで出来てるのか?拳の所が、ちょっとだけ分厚いな」

衝撃吸収材しょうげききゅうしゅうざいで、出来てるの。あんたには必要無いでしょうけど、あたしは空手家じゃないもんね。素手で殴ったら、拳が痛んじゃう。練習用にって、パパが特注したのよ」

「すげえ父さんだな。お前、プロの格闘家になるつもりか?」

「バカ言わないでよ。女の子よ、あたし。それより、本当に行くの?」

「ああ。ちょっと、恥ずかしいけどな。まあ、お前は家で待ってろよ。明日からは、大森達の嫌がらせなんて起きねえからさ」

「そろそろ、行かなくちゃ。舞ちゃん、行ってくるね」

 葵と一平は、舞子の家を出て公園に向かった。道を行く人が、袋を被った変な奴をじろじろ見ていく。

「恥ずかしいね。走って行こうか?」

 葵は、借りてきた帽子を深く被って顔を隠した。

「いや。体力を、温存しなくちゃ」

 一平はそう言ったが、本当は走ると左腕に響くのだ。それは、黙っていた。

 その頃、立ち入り禁止の公園では、大森たちが不良中学生に囲まれていた。清水と金髪とデブと細目だ。ボスの眉無(まゆな)しは、いなかった。

「ガキの、来るところじゃねえぞ」

「そうだ。他で遊びな」

 清水と金髪が、凄んで見せた。大森は、慌てて沢村の後ろに隠れた。

「あんた達かい、袋男にやられたって言う中学生は?俺は、今からその袋男と決闘するのさ。邪魔をするなら、先に相手になるぜ」

 袋男と聞いて、四人は身の毛がよだった。このチビ、あの化け物と決闘しようと言うからには、相当強いに違いない。

「本当かよ?じゃあ、俺達にも見物させろ」

 金髪が、嬉しそうに言った。袋男を、まだ恨んでいるのだ。清水とデブは、袋男が来ると聞いて、すっかり怯えている。頼みの眉無しが、今日はいないのだ。細目は、さっきから黙ったままだ。

「いいよ、見物してな。俺は袋男とやりたいだけで、あんた達には興味も無えさ」

 沢村の生意気な台詞にも、四人は何も言えなかった。袋男の恐怖が、頭に染みついているからだ。

「待たせたな、お前ら」

 公園の入り口で待っていた杉山たちに、葵が男の子の声で言った。

「本当に、来てくれたのか。やつら、もう来てるよ。さっき、不良中学生に何か言われていたけど、沢村が言い返したら黙っちまったみたいだ」

「ところで、お前ら一体誰なんだよ。お前も、帽子で顔なんか隠してないで、見せてみろよ」

 前田が、この非常時にのん気な事を言った。

「バカ。そんな場合じゃ、無いだろう?今更そんな事言うなら、俺達は帰らせてもらうぜ」

 葵が、慌てて言った。袋男は黙っている。喋ると、声でばれてしまうだろう。葵のように、器用に声を変えるような真似は出来ない。

「そうだよタケル、あいつら待ってるぜ。さあ、行こうぜ」

 相沢も、怖い気持ちを隠して、親指で公園の方を指すポーズを付けて言った。

 五人は、公園の中へ入って行った。

 五人に気付いて、大森たちが振り返ると、公園の入り口に、袋男と、相棒の野球帽を被ったチビが、立っていた。その後ろに、杉山達三人も立っている。五人は、ゆっくりと、公園の中央へ歩いて来た。

「へえ。お前が、袋男か。俺は、沢村って言うんだ。憶えときな。約束通り、お前を倒してそのふざけた袋を引っぺがしてやるよ」

 沢村が、嬉しそうに言った。大森が、前へ出てきて、偉そうにいった。

「おい。真田は、どうした?沢村を恐れて、出て来ねえのか?」

「何言ってんだよ!そこの吉沢が、卑怯なマネして棒なんか振りまわしやがったから、真田の左腕にヒビが入ったんだ。(かたき)を取らせてもらうぜ!」

 前田の啖呵(たんか)に一番驚いたのは、葵だった。思わず、叫びそうになる口を両手で押さえ、袋男を見た。袋男は、小さく首を振っただけだ。葵は、いきなり背中を向けて、公園の出口へ向かって走り出した。このまま戦わせたりしたら、大変な事になる。

「おい、何だあいつ。急に慌てて逃げちまったぜ」

 大森たちが、ギャハハと声を上げて笑った。

「うるせえ!あいつは、俺達に関係無えよ。さっさと、かかって来な!」

 杉山の声を合図に、乱闘が始まった。不良中学生たちは、公園の端のベンチで笑いながら見物している。

「さあ、用意はいいか?」

 乱闘から少し離れた所で、沢村と袋男が向かい合った。沢村が、ゆっくりとファイティング・ポーズを取った。勝ち目は無いが、あっさり負けるつもりなどなかった。袋男は、右手右足を前に、拳を構えた。攻撃を右手で受け、蹴りで反撃する為だ。左腕は、使い物にならない。

 沢村が前へ出てきた。ジャブ。右手で払い、右へまわり込んだ。左腕で受ければ、一発で勝負は着いてしまう。袋男は、沢村の左手側へ向けて、沢村の周りを回った。袋を被っているので、極端に視界が悪い。舞子は、こんな状態で戦っていたのか。

 自分より、舞子の方が強いかも知れないと、一平は思った。でも、それは関係無い。秘密にするのが約束で、沢村に勝つ事が約束では無いのだ。沢村が、ボクサーのようなステップを踏み始めた。袋の下で、額の汗が流れるのが分かった。


 自分の部屋で、舞子は落ち着き無くそわそわとしていた。このまま全てを一平に任せる事が、いい事だとは思わない。でも、一平は舞子をかばってくれたのだ。その気持ちが、舞子は嬉しかった。

「大丈夫。真田君、チャンピオンなんだから」

 自分を落ち着けるように、舞子は声に出して言った。少し、落ち着く事が出来たような気がする。

 落ち着くと、また別の考えが頭に浮かんだ。今更の話だが、一平たちはケンカをしているのだ。自分が戦わなくても、誰かが怪我をする前に大声を出して人を呼ぶ事は出来る。やはり、止めるべきなのだ。舞子は、立ち上って部屋を出た。

 階段を降りて、玄関を開けようとしたところへ、葵が飛び込んできた。

「どうしたの、葵ちゃん?まさか、誰か大怪我でもしたの?」

「大変、舞ちゃん!真田君、左腕にヒビが入っているんだって!」

 息を切らして、葵が言った。舞子の顔から、血の気が引いた。

「真田君、それを隠して舞ちゃんの代りに戦っているのよ」

 舞子は、葵を押しのけて玄関を飛び出した。自転車に飛び乗り、立ち入り禁止の公園へ向かって、思いきり()いだ。真田の、バカ野郎!あたしが怪我人を代りに立ててまで、自分の秘密を守りたいとでも思っているのか。街路樹(がいろじゅ)が、飛ぶように過ぎていく。学校の前を、あっと言う間に通り過ぎた。住宅街。左に曲がれば、公園の入り口だ。舞子は自転車のまま飛び込んだ。

 袋男。地面を、転げ回っている。沢村が、それを追いながら蹴っていた。杉山も、鼻血にまみれて、大森と島田の二人を相手に取っ組み合っていた。前田が、棒を持った吉沢から逃げ回っていた。相沢は、座り込んで泣いている。

 舞子は、前田と吉沢の間に、自転車で割り込んだ。ブレーキをかけると、砂埃(すなぼこり)をあげて自転車は止まった。

「何だよ、山根じゃねえか。女のくせに、助太刀にきたのか?」

 いきなり目の前に自転車で乗り付けた舞子に、吉沢がニヤリと笑って言った。舞子は、無言のまま自転車を降りた。コメカミに、血管が浮き出している。

「山根!お前、どうしてここへ?」

 前田の声に、全員の動きが止まった。舞子は、倒れたまま動かなくなった袋男に、ゆっくりと近づいた。

「ごめんね、真田君。あたしが悪かったわ。もう、隠すのはやめる。これ、返してね」

 舞子は袋男の袋を脱がせ、手袋も外した。袋の下から、苦痛に歪んだ一平の顔が現れた。

「お前!俺を、騙したのか!」

 一平の顔を見て、驚いた沢村が叫んだ。

「なに?真田だって?お前、なにやってんだ!腕にヒビが入ってるのに」

 杉山が、慌てて駈け寄って来た。舞子は、手袋だけ両手に着けて立ち上がった。袋を、踏みにじる。

「あたしがこんなの被って、ケンカしちゃったために。ごめんね、真田君」

 舞子と一平の周りを、みんなが囲んだ。杉山たちは、舞子の言葉の意味が解らず、舞子の顔を見た。

「沢村って言ったわね。身のほども知らずに、あたしとケンカがやりたいんだって?しかもウチのクラスに、嫌がらせまでして」

 舞子が、両手の指を、ポキポキと鳴らした。

「山根・・・お前まさか」

 前田が、恐る恐る口を開いた。

「おい、ふざけるなよ?女のくせに…」

 近寄ってきた島田の言葉が終わる前に、舞子の右ストレートが顔面にめり込んだ。島田は、物も言わずに吹っ飛び、地面に背中から倒れた勢いでゴロリと一回転してから、大の字にのびた。

 ザワッと、場の空気がざわめいた。舞子は、あんぐりと口を開けている大森に向かって、無造作に歩みよった。

「おい、お前。山根だろ?あの、山根だよな?」

 大森は、あまりの舞子の豹変(ひょうへん)に、どうしていいか分らず、オタオタと後ずさりをした。待たなかった。舞子は大森の下腹を蹴り上げ、前かがみになった大森の横っ面に、体重を乗せた右フックを、手加減無しに叩き込んだ。大森は、コマのように二回転してから、白眼を()いて、倒れた。

「早く!真田君を、病院へ連れて行って!」

 舞子が叫ぶと、前田と相沢が、慌てて一平を抱き起こした。

「へへ…情けねえ。女に、助けられるとはな」

「何言ってんだ、真田。何だって、こんな無茶したんだよ!」

 一平を抱き起こしながら、前田が叫んだ。

「秘密にするって、約束したんだよ。誰にでも、絶対知られたくない事があるだろ?そんな事、無理矢理知ってもつまらねえよ」

「じゃあ、やっぱりお前」

「そうよ、杉山君。あたしが、本物の袋男よ」

 棒を構えている吉沢を、舞子は睨んだ。怯えているのが、はっきり分る。

「何よ、吉沢君。怖いの?いまさら許してあげるほど、あたしは人間が出来て無いわよ」

 舞子が踏み出すと、吉沢はワッと叫んで棒を振りまわした。野球のスゥィングのように横から飛んで来た棒を、頭を下げてかわし、舞子は飛んだ。髪が、鳥の翼のように舞い上がった。顔面に飛び前蹴りを食らった吉沢が後ろ向きに倒れるよりも、着地した舞子がのけぞってガラ空きになった吉沢の顎へ、右ストレートを叩き込む方が早かった。

 棒を放り出して地面に叩きつけられた吉沢は、背中で地面を三メートルほどすべって止まり、そのまま動かなくなった。衝撃吸収材しょうげききゅうしゅうざいの手袋が、舞子の拳と一緒に、吉沢のアゴの骨も護っている。

 舞子はゆっくりと振り返り、沢村と向かい合った。

「強いな、お前。どうやら、本物だ」

「本物も、|偽者も無いわ。よくも、人の秘密を、無理矢理あばいてくれたわね」

 沢村が、ファイティング・ポーズを取った。舞子も構える。睨み合った。一平や杉山たちも、病院へ行くのを忘れ、息を呑んで見守った。

 フッと、沢村が出てきた。ジャブ。舞子は、半歩下がってよけた。もう一度。いや、すぐに右が来た。同時に、ローキック。読んでいた。左腕と左足で、右パンチとローキックを同時にブロックした。舞子と沢村が、同時に踏み出した。小さなパンチを、出す、払う、よける。

 何発か打ち合った後、舞子は不意に右へサイドステップした。沢村の視界から、一瞬舞子が消えた。左のミドルキック。反射神経だけで、沢村は腕でブロックした。沢村がこちらへ向き直るのと、舞子が飛び上がるのが、同時だった。空中で、右回りに回転する。傘を開いたように、髪がなびく。舞子が放った飛び後ろ廻し蹴りを、沢村は、とっさに両腕を交差させて、ガードした。しかし、勢いに押され、足がズルリと地面をすべった。

「すげえ!これが、あの山根か?」

 杉山が、思わず声をあげた。

 後ろへよろけた沢村が態勢を整えるまえに、舞子がジャブとアッパーを、顔とボディーへ打ち分けた。ジャブは沢村の顔を掠めただけだが、アッパーは、ボディーに突き刺さった。沢村は息を詰まらせながらも、舞子を追い払うように左の前蹴りを放った。左にサイドステップでかわし、舞子は少し距離を置いた。三メートル。

 はあっと沢村が、息を吐いた。スピードは、舞子の方が上だ。沢村は、得意の接近戦に持ち込もうと、ジワリと前へ出てきた。

 二人の間の空気が張り詰めた。沢村の大ぶりの右パンチ。舞子は、軽く頭を振ってかわした。おとりだ。空を切った沢村のパンチは、そのまま舞子の長い髪をつかんだ。

 下向きに髪を引っ張られ、舞子の頭が下がった。同時に右膝が、顔面に飛んでくる。舞子は、左腕でガードした。

 沢村は、一瞬動きが止まった舞子の頭を両手で抱えた。左右の膝が、連続で飛んで来る。これには、舞子もガードを固めるしかなかった。おまけに沢村は、舞子の髪を両手でつかんでいる。頭を振って、かわす事も出来なかった。

「やべえ!」

「やめろ、前田。山根は、絶対に負けねえよ」

 飛び出そうとした前田を、一平が止めた。

 ガードした腕が、しびれてきた。この野郎、髪の毛をつかむなんて、反則もいいとこだ。舞子は思ったが、これはケンカだ。反則もクソもない。

 そっちがその気なら、こっちもその気で対抗してやる。舞子は六十二キロの握力で、沢村の腕の内側の柔らかい肉を、力まかせにひねり上げた。

「ギヤー!」

 沢村は、熱湯でもかけられたような叫び声をあげて、髪から手を離した。海の中から出てきたように、プハッと息を吐いて舞子が顔を上げた。目の前に、腕の痛みに顔を歪めた沢村の顔があった。

 ノーガードの顔面を、舞子の右ストレートが、後頭部まで付き抜ける勢いで貫いた。沢村は、車にでも跳ねられたような勢いで吹っ飛び、地面に二・三度バウンドした後、大の字にのびた。完全に、白眼を剥いている。


「舞ちゃーん!」

 公園の入り口から、息を切らせて葵が走って来た。帽子を被ったままだ。

「あー!お前、汐海だったのかよ!」

「へへ。分らなかったでしょ?」

「じゃあ、最初に俺とタケルを校舎裏へ呼び出したのも、お前だったのか?」

 相沢が、やはりアメリカ人のようなポーズをつけて、言った。

「どうして、強いって事、隠していたんだよ?」

「あたしね。昔、杉山君より乱暴だったの。それで、みんなに怖がられてさ。一人ぽっちになっちゃったんだ。でも、あんた達みてたら、分った事があるの」

「何だよ?」

「強いから、怖がられるんじゃあ無いって。乱暴するから、嫌われるんだって」

「そうだよ、舞ちゃん。杉山たちも、悪者だった時は嫌われていたもんね」

「やっぱり嫌われてたよなあ、俺達」

 前田が、昔の事のように言った。確かに、もう昔の事だ。

「おい。強えな、お前」

 後から掛けられた声に、舞子が振り向いた。眉無(まゆな)し。全員に、緊張が走った。

「なあに?やっぱり、袋男とケンカしてみたいって言うんじゃあ、ないでしょうね」

 眉無しは、カッカッカ、と笑った。

「バカ。小学生の、しかも女とケンカなんか出来るかよ。まあ、勝つか負けるかは、別にしてな。それよりお前ら、そこの若葉小学校だろう。この公園、立ち入り禁止になっているよな?」

「そうよ。お兄さんみたいな、怖い人がいるからね。せっかく、学校の近くなのに」

「明日から、俺達来ねえからよ。お前ら、これからここで遊べよ」

 また、訳の分らない事を言う奴が出てきた。舞子は、少しウンザリした。

「どうして、そんな事言うの?」

「この公園、外の通りから中が見えねえだろう?俺は、お前らの先輩だ。小学生の頃この公園で、シンナー吸ってるバカがいてよ。そいつが、ここで遊んでいた小学生に怪我をさせたのさ」

「お兄さん達だって、タバコ吸ってるじゃない」

「そりゃ、俺達不良だからよ。でも、シンナー吸ってるバカ共は、俺が追っ払った。そいつらが来ねえように、見張ってたつもりなんだけどな」

「人から見たら、同じだよ。どっちにしても、怖がるさ」

 一平が、口を挟んだ。腕が痛むのか、顔色が悪い。

「だからさ。お前らなら、怖がる奴はいねえだろう。俺も、いつまでも公園の番なんてやってられねえよ」

「でも、シンナー吸うような不良がまた大勢きたら…」

 杉山が、おそるおそる、と言う感じで会話に入った。

「このお嬢ちゃん、そこらの奴にゃあ負け無えよ。それでもどうしようもない時は、俺の所へ来な。俺は、若葉中の|三山って言うんだ」

「どうしてそんな事、言ってくれるの?」

「この公園が、俺の想い出の遊び場だからさ。他の連中は、俺の尻に付いてまわっているだけなんだけどよ」

 三山と名乗った眉無しは、ニヤリと舞子に笑いかけて背を向けた。やっぱり、悪党面(あくとうづら)だと舞子は、思った。

 三山と一緒に、不良中学生達は、ぞろぞろと公園を出ていった。三山の尻に付いてまわるという表現が、本当にぴったりだった。

「さ、行こうか。真田君は、葵ちゃんが肩を貸してあげて」

「うん。真田君、歩ける?」

「何言ってるんだ。俺が、おんぶして行くよ」

「杉山。お前らは、おんぶする相手が違うだろ?」

 一平は、右手の親指でのびている三組の連中を指した。

「おいおい。しょうが無えなあ、こいつら。おい起きろ!おんぶしてやるから!」

 杉山が、大森。前田が、島田。相沢が、吉沢をれぞれ揺すり起こした。

「気が付いていたの?」

 舞子がのぞき込むと、沢村は大の字に寝たまま、目だけ開けていた。まだしばらく、立てそうもない。顔は、左半分が変色して腫れ始めている。明日になれば、顔が倍くらいになっているだろう。

「負けたよ。俺の、負けだ。すげえな、お前のパンチ。まだ身体が動かねえよ」

 舞子が手を貸すと、沢村がよろよろと立ち上がった。歩けそうもない。舞子は、沢村を背負った。

「情け無えと思わねえよ。お前の方が、俺より強かっただけだ。俺、もっと強くなるよ。それでさっきの話…」

「さっきの話?」

「公園の番さ。おれにも、手伝わせろよ」

「ちょっと!本気で、あたしに公園の用心棒をやらせるつもり?あたしは、女の子なのよ。有名になって、お嫁に行けなくなったら、どうしてくれるのよ」

「用心棒の時は、袋被ってやればいいじゃんか」

 そう言った前田に、舞子がゲンコツを食らわせた。みんなが、どっと笑う。

 立ち入り禁止の公園に、久しぶりに明るい笑い声が響いた。


       完






















楽しんでいただけましたか?よろしければ、感想をお聞かせ頂ければ幸いです。鉄腕少女2も掲載したいと思っていますので、是非読んでくださいね。

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