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ミネアの真実



「どうした、あの男は嫌いかい?」



 ウィルはむっつりと押し黙ったオルバスに話すよう促してみた。



「あいつはだな……どうも得体のしれん男なんだ」


「得体が知れないとは?」


「他の竜将どもは皆聖紋を持ってるが、あいつの紋章はどうやら聖紋とは異なるらしい。しかもそれを戦場で使うでもないし、一体何を考えてるのかわからん奴だよ」



 ウィルはハリドの紋章を思い出した。


 カイザンラッドは貴人が生まれつき宿している聖紋とは別系統の紋章をその身に刻む技術を持っている。後天的に宿した紋章は魂との連結が浅いため、紋章を刻んで日が経っていなければ詩文を用いた吟唱呪でもこれを斬ることができる。


 ボエティアの剣闘士出身であるヴァルサスも聖紋は持ってはおらず、紋章は後天的に身に着けたものだが、どういう力を持っているのかはオルバスも知らないようだ。



「それにだな、何と言ってもあいつはトゥーラーン様を死に追いやった張本人だ。もう七年前のことだが、俺にはいまだにあいつを許すことはできん。これは俺だけじゃない。アスカトラ国民なら皆同じ思いさ」



 オルバスは怒りを露わにすると、一気にまくし立てた。



「先ほど、君はアスカトラを代表する勇者はダインベルト様とアズラム様だと言っていたな。トゥーラーン様はアスカトラの勇者の中には入らないのか?」


「い、いや、それはだな」



 ウィルの問いに、オルバスは少しきまり悪そうに顔をそむける。



「何しろトゥーラーン様はもうお亡くなりになっちまってるからな。そりゃあ、現役の勇者とは呼べんさ」


「では、生きていた時点でなら勇者だったと言えるのだろうか」


「それは……いや、トゥーラーン様は優れた素質をお持ちであった、とは思う。もしファルギーズの敗戦の後も生きておられたらあの敗北も糧として、真の名将に成長しておられたかもしれん」


「つまり、トゥーラーン様は真の名将ではなかったと?」


「あの時点では、な。正直にいえば、あの方は少々机上の空論に走るきらいはあった。兵法書にはアスカトラの誰よりも通じていたし、チェスの名手でもあった。だが戦とは盤上で駒を動かすようにはいかんものでな。そこをかえってヴァルサスのような輩につけ込まれてしまったというわけだ」



 オルバスは少し悲しそうに目を伏せると、再び顔をあげた。



「一体七年前、何が起きたんだ?」


「実はな、ヴァルサスの居城のテュロス城からアスカトラに戻ってきた商人どもが、ヴァルサスが最も恐れているのがトゥーラーンが出陣してくることだ、と言っていてな。側近に目通りした時にこんな臆病な将に仕えるのは骨が折れると愚痴をこぼされたらしいんだが、今思えばこれがすでにあいつの仕掛けた罠だった。この噂はまたたく間にアスカトラに広がり、陛下はトゥーラーン様を大将に推したというわけだ」


「つまり、トゥーラーン様を戦場に引き出すためにヴァルサス自らそんな噂を流したと?」


「確証はないが、間違いないだろうさ。あいつは伊達に史上最年少で竜将になったわけじゃない。戦ってのはな、戦場に着く前からはじまってるんだ」



 名将はまず勝ってしかる後に戦いを始める、と古の兵書にも言う。


 ヴァルサスは当時まだ二十一歳だったにも関わらず、年に似合わぬ老練な手腕を見せつけたのだ。



「なんだかんだと言いつつ、君はヴァルサスの手腕を高く買っているではないか」


「そりゃあ、奴は奸智には長けているさ。だがな、狐がいくら上手く人を化かしたところで狼には及ばないんだ。あんな野郎、俺は断じて勇者とは認めん!」



 オルバスが拳でテーブルを叩くと、ウィルのワイングラスに満たされた酒が撥ね、テーブルクロスに赤い染みをつくった。



「まあ、落ち着きたまえ。私だってヴァルサスなどを勇者と思っているわけじゃない。ただ君の考えを知りたかっただけさ」


「それならいい。知恵を使って人を嵌めるような輩は末代まで呪われるがいいさ」



 カイザンラッド軍を策で撃退した自分も呪われなくてはいけないだろうかと内心苦笑しつつ、ウィルはワイングラスに口をつけた。



「トゥーラーン様がもし生きておられたら、と俺は悔やまれてならんのさ。名将とは負けたことがない将のことじゃない。大きな負けを経験してこそ、人ははじめて名将になれるのさ。その意味じゃあヴァルサスだって名将とはとうてい言えん。奴はバクトラ攻略戦ややランファン包囲戦にも参加しているが、まだ負けたことなんて一度もないそうだからな」


「なるほど、確かにヴァルサスはまだまだ未熟者だな」



 ウィルが言うと、オルバスは急に満面の笑顔をつくった。実にわかりやすい男だ。


 思っていることがすぐ顔に出るが、こういう正直さはウィルにも好ましく感じられる。


 負けたことがないのはそれだけヴァルサスが有能である証なのだが、それこそが名将ではない証拠だと頑なに言い張るのも、それだけオルバスがヴァルサスを認めたくないと葛藤しているからだ。



「そうだ、生きてさえいれば、トゥーラーン様も……だが、ああどうして!貴方は自死など選ばれたのだ!たとえ虜囚の辱めを受けてでもいい、生きてさえいれば雪辱を果たす機会もあったものを……」



 オルバスの大きな瞳に涙が浮かんだ。笑ったり泣いたり、目まぐるしく表情を替えるオルバスを前に、ウィルはコーデリアと顔を見合わせる。



「トゥーラーン様が生きていれば、アズラム様やダインベルト様と並び、この国を支える三本柱の一柱として活躍していたことだろう。ああ、なんと惜しい方をなくしたことか!」



 涙を落としつつ鼻をすすり上げるオルバスを見つめながら、ミネアはおずおずと声をかけた。



「あ、あの、皆さん、もしよろしかったらこのあと、あたしと一緒に桜花神殿まで来てもらえませんか?せっかく助けていただいたので、女神様に感謝の祈りを捧げたいんです」



 桜花神殿とは、花の女神フロリーを祀っている神殿のことだ。


 美と健康を司る女神のため、女性の信者が多い。


 ミネアの美貌もまた、この女神の恩寵を受けているのだろうか。


 それにしては、ミネアはあまり健康そうには見えないのだが。



「ええ、構いませんよ。信仰心が篤いのは良いことです」



 ウィルがそう言うと、ミネアはぱっと顔を輝かせた。


 その隣で、オルバスは少し不服そうな表情をみせる。



「あの、オルバスさん、どうかしましたか?」


「いや、あんたが桜花神殿に行くのはいいんだが、俺みたいなのがああいうところに行ってもいいもんなのかね」


「おや、貴方にもそんな奥ゆかしいところがあったんですね」



 コーデリアが少し皮肉げに笑った。オルバスが困ったように頭を掻く。



「だってなあ、あそこに行くのは大半は女だろう?詩人の兄さんはともかく、俺みたいなむさ苦しいのが行くところじゃないんじゃないのか」


「それは問題ありません!むさ苦しいオルバスさんだからこそ、フロリー様の加護を受ければ水も滴るいい男に変わることができるんです。大事なことは一歩を踏み出す勇気なんですよ」


「そ、そういうもんなのか……」



 なぜかオルバスはミネアの勢いに気圧されていた。


 二人のやり取りが妙に可笑しく、ウィルは思わず吹き出しそうになる。



「では、そろそろ会計を済ませましょうか。フロリー様は暴飲暴食を好みませんし、あんまりだらしない姿でフロリー様の前に出るわけにはいきませんから、ね?」



 コーデリアが残った料理に手を付けようとしているオルバスに釘を刺す。


 オルバスはフォークを握りつつ何か言おうと口を開きかけたが、その前にミネアに先を越された。



「そうです、善は急げ、です!」



 がっくりと肩を落とすと、オルバスは大きく溜息を吐いた。




「もうちょっとで着きますよ!」



 元気にウィル達を先導しつつ、ミネアは中央通りから一つ裏の路地へと入った。


 人波を器用にかき分けつつ、ミネアは迷うことなく軽快に歩く。


 なぜそんなにクロノイアの町並みに詳しいのか、と少し訝しみつつも、ウィルはミネアの後に続いて歩いていった。



「この先から神殿に入れます」



 路地の脇には一段下の通路へと降りる階段があり、横幅の狭い道を高い石壁が挟んでいる。


 しばらく歩いた先は行き止まりで、目の前の石壁には桜の花弁の紋様が小さく描かれていた。



「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」



 ミネアが石壁の前に右手をかざすと、手の甲に桜の紋様が浮かび、薄桃色に輝き始めた。それに応じて石壁の紋様も桜色に色づき、中央が縦に割れて鈍い音とともに石壁が左右に開いてゆく。



(ほう……こういうしくみになっているのか。しかしなぜ彼女の手に桜の紋様が?)



 ウィルが不思議に思っていると、ミネアが一行を扉の奥へと手招きした。


 中に入ると、ほの暗い廊下が先に伸びており、その先にさらに下に降りる階段がある。


 ミネアの後に付いていくと階段は螺旋階段になっており、階下からは不思議と良い香りが漂ってくる。しばらく降りると、ようやく開けた場所に出た。



「こちらが、神官長のお部屋です」



 しずしずと臆する風もなく歩いて行くミネアの足元には、薄衣をまとった女人の刺繍の入ったバクトラ風の絨毯が敷かれている。部屋の両脇に掲げられた松明の明かりが、中央に座す神官長を厳かに照らし出している。神官長の背には、豊満な裸身を惜しげもなくさらした女神フロリーの像が置かれていた。


 香の焚きしめられた空間の中で、顔の下半分を白い布で覆った神官長がウィルに澄んだ翠玉の瞳を向けた。瞳の脇の両耳がわずかに尖っている。全身を包む白い神官衣から伸びるほっそりとした腕の色は褐色で、彼女が山岳エルフの血を引いていることをうかがわせた。



「よくぞ参られた。そなたらの働きは、すでにこのミネアの目を通して見せてもらった」



 そう口を開いた神官長の声は、思いのほか若かった。



「ミネアさんの目、とはいかなることでしょうか」



 ウィルは帽子を脱いで恭しく一礼すると、神官長の真意を問うた。



「実はこの者は我が神殿に仕える者でな。この者には私の『目』を分け与えておる。ミネアの目を通して、私はここに居ながらにして外の世界を眺めることができる」



 神官長が額を指差すと、そこに絵文字のような瞳の紋章が浮かび上がった。



「それは……聖紋?」


「いかにも。この神殿に仕える女官には、分紋を行って世の情報を集めさせておる。詩人よ、そなたのような志あるものがまだこの国におったこと、嬉しく思うぞ」



 神官長は物言いこそ貴人らしく居丈高だが、その声音には不思議と聞く者の心を落ち着かせる響きがある。気がつくとウィルの両隣でコーデリアとオルバスも神妙な顔つきになっていた。



「と、いうことは、ミネアさんは奴隷などではなかった、ということですね」



 ウィルの隣でコーデリアがはっと目を見開いた。


 神官長の言葉を信じるなら、ウィル達はまんまとミネアの芝居にはめられていたことになる。



「あの、ごめんなさい!皆さんをだますつもりはなかったんです。神官長様がフロリー様から託宣を受け、ああして芝居を打てばこの国を救う勇者が現れるとかなんとか言っていたもので……」


「なるほど、やはりそういうことですか」



 ウィルの応えに、コーデリアは驚いて振り向いた。



「やはりとはどういうことです?ウィル」


「実は、奴隷主に頬を叩かれてもミネアさんが平気だったのは、ミネアさんの顔に掌が当たっていなかったからです。頬を叩いた時の音はハジケグルミでも握って出していたのではありませんか」



 神官長の瞳に好奇の光が灯った。彼女は身を乗り出して尋ねる。



「ほう……これは面白い。実はたばかられていたのは我等だったというわけか」



 神官長が感嘆の吐息を漏らすと、ウィルはそれに微笑をもって答えた。


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