ウンディーネの恋噺
この世には、四大精霊というものが存在する。
火の精、サラマンダー。火トカゲ、もしくは火竜などと呼ばれている。その名の通り、火を司る精霊のこと。
水の精、ウンディーネ。書物では、何かと悲恋のヒロインとして扱われることが多い。その名の通り、水を司る精霊。
風の精、シルフ。性別を持たない、中性的な存在とされている。しかし、中には少女の姿をしていると記してある書物もある。その名の通り、風を司る精霊。
地の精、ノーム。小人族とされていて、名前の由来は地に住まう者と言う意味らしい。その名の通り、地を司る精霊。
私は四大精霊の一人、水の精ウンディーネ。基本的に人間の姿をしているが、魂はなく、人間の男との間に愛を育むことで、人間と同じように魂を得られる。
しかも、水の近くで夫に罵倒されると水の中に帰らねばならず、夫が別の女に愛を抱くと夫を必ず殺さなければならないと言う、色々と障害が多い。
だが、ここは私も乙女。愛を得るには、何かと障害が付き物なのは当たり前。
金持ち男とかだと愛人とか作りそうな勝手な偏見があるので、できるなら、平民の男がいい。顔もそこまで美形は求めていない。
収入は、子供が二人いても普通に暮らしていけるぐらいが理想。
しかし、ここで一つとても重要なことがある。
それはーーーー精霊が見える人間が、あまりいないということ。
私がいくらアピールしても、相手から見えていないんじゃ、意味がない。さてどうするか。
とりあえず、マイホームと勝手に決めている公園の噴水から顔を出して、噴水のそばにあるベンチに腰かけている男を見つめてみる。
何か落ち込むことでもあったのか、うなだれた様子で一人、重いため息をついている。サラサラの黒髪が珍しい。
さっきから暇潰しに数えてみたら、一分間で二十回以上はため息をついていた。頭に酸素足りてます? 大丈夫かしら?
何が彼をそこまで悩ませるのか。仕事を首になったとか。失恋したとか。
指を折りながら退屈しのぎに彼のため息を数えていたら、今にも死にそうな彼と目が合った。それはもう、バッチリ。宝石のように綺麗な青い目。
悪寒がして、即座に視線を逸らした。噴水から出て、ソッコー全力で走る。
嫌な予感がする。彼は顔色がとても悪かったけど、美形だった。しかも、何か見たことある顔だった。
そう、確か彼はーー。
「殿下。このようなところにいらしたのですね。さぁ、城へ帰りましょう。見合い話は、諦めるしかありませんよ」
そうだ、彼はこの国の次期国王と噂されている、第一王子。ルイ・フリアン・エルナデス様。
よく城下へおりてきては国民の声に耳を傾けてくれる、素晴らしい王子だと聞いたことがある。
そんなお方が、私のような水の精霊に用事なんてありませんよね。むしろ、さっきの目が合ったというのも私の気のせいな気がしてきたわ。
現実逃避しながら走るが、腕を掴まれる。獲物でも捉えた肉食獣のごとく、強く握られる。
「君のような女性を、探していた!」
それはもう、キラキラと輝かんばかりの笑顔でルイ様は言った。
アーアーキコエナイ、ワタシナニモキコエナイ。
掴まれた腕を振りほどこうとしても、全然離れない。むしろ握る力が強まる。
キラキラした笑顔で、ギラギラと目を輝かせる。
ひいいい、怖い。完全に食べられる前の小動物です、私!
従者らしき男が、困惑した様子で駆け寄ってくる。恐らく、従者の男に私の姿は見えていない。ルイ様は早く早くと手招きをする。
ええい、これ以上敵を増やされてはたまりませんわ! 水の精霊舐めないでください。
掴まれていないほうの腕で、噴水の水を持ち上げる 。龍の形をした水が、従者の男を飲み込む。
龍の形から、球体に変形した水の中で、従者の男がもがく。
これには流石のルイ様も驚いたようで、私の腕を掴んでいた手から力が抜けたのを感じてするりと抜け出し走りながら水の球体を割った。
人が集まってきたので、人混みに紛れてその場から逃げ出す。
数日後、ルイ様の魔法によって捕まるなんて、誰が予想できただろう。
いつも通る道はすべて避けていたのに、見事に捕まった私はまぬけとしか言いようがないと思う。もしくは、ルイ様が切れ者すぎたか。後者だと信じたい。
今は、ルイ様の魔法で部屋にいる人間にのみ私の姿が見えている。
王座に腰かける現国王様が呆れたようにルイ様を見る。
「変わり者な息子だとは思っていたが、まさか四大精霊の一人、ウンディーネを嫁にすると言い出すとはな……」
「そういう父上も、妖精族の母上を王妃にしたではありませんか」
なるほど、父子揃って変わり者なのね。よく理解したわ。
ちなみに、私は今鳥かごのような結界に入れられているので、力が使えない。結界の形を鳥かごにする辺り、腹黒さが見える。
妖精族と言われた通り、ルイ様の母親は体も見た目も幼い。
でも、妖精族の母親から生まれたなら、私が見えるのも、私を拘束するほどの力があるのも、納得できる。
魔力の強さは人それぞれ、生まれ持ったもの。だけど、父親か母親が人間以外の種族だったりすると、強くなったりするし、反対に弱くなる場合もある。
睨み合っている似たもの親子を余所に、王妃様が申し訳なさそうに目を伏せる。
「息子がごめんなさい。この子、見合いを嫌がっていたから……」
「では、私は見合い相手を追い払うための道具、ですか? ルイ様」
「まさか! ウンディーネ、君のような素敵な女性と出会った以上、僕は君以外と愛し合いたくないと思ったんだ」
疑わしい。第一、初対面で好きになりました愛してます、結婚してください。とか、普通に考えてあり得ない。
じとーっと睨めつけていると、鳥かごの結界か解け、突然横抱きにされる。
お、男の体がこんなに近くに……!?
全身が、沸騰しそうなぐらい熱くなる。
恋だの愛だの言っておきながら、実のところ恋愛経験なんてこれっぽっちもなかったりするので、こんなに密着するだけで、逆上せたように頭がクラクラする。
抵抗する気力もなく、そのままルイ様に運ばれていく。
「ウンディーネ、運命の赤い糸って信じるかい」
「赤い糸……?」
「そう。この人とこの人は必ず結ばれるっていう、赤い糸が小指に繋がってるのさ。そして、その不思議な糸が僕には見える」
「何が言いたいのです」
まだ横抱きにの状態なので、体に力がうまく入らない。
ルイ様は何が嬉しいのか、楽しそうに笑う。
「僕はね、今まで運命の赤い糸で結ばれた人を見てきた。くっついたよ、皆。でも、それじゃあつまらないだろう? だったら、赤い糸と繋がっていない相手と愛し合いたいじゃないか」
公園での落ち込みようはどこへやら。王子様らしい輝く笑顔を振り撒く。
ふ、ふふふ。なるほどね、つまりこの王子様は赤い糸で結ばれていない、偶然見かけた私を愛せるか実験のようなことがしたい、と?
ふぶけてる。ふざけてます。仮にも四大精霊の一人である私のことを、舐めきってますわ。
「……ねぇ知ってます? ウンディーネが涙を流すと、大洪水が起こるそうですわ」
「もしかして、怒ってる?」
「いくら恋愛経験がないとは言え、私は誇りある四大精霊の一人ですのよ!?」
駄々をこねる子供を宥めるように、ルイ様は私の額に口づけを落とす。
それだけで、私は逆上せて意識を失ってしまった。
懐かしい夢を見た。幼い子供が泣いてる。宥めたくても、きっとこの子には私の姿が見えないだろうから。とりあえず、そっと頭に手を乗せてみる。
すると、子供が顔をあげる。涙でくしゃくしゃの顔は、私の目をしっかりと捉えた。
私と同じ、青い目。
「殿下! また稽古から抜け出して……」
よく見ると、幼い子供の手のひらは、ボロボロだった。剣の稽古が嫌で、逃げ出したのかしら。私は、また子供が泣き出さないように頭を優しく撫でながら、微笑みかける。
「稽古にお戻りなさい。疲れたら、私が話を聞いてあげる」
「僕、王子様だから、強くないとダメなんだって。でも……もう嫌だ」
「もし、次本気でそう思ったら、また私の元にくるといいわ。ウンディーネが涙を流すとーー」
目を覚ますと、ベッドに寝かされていた。ベッドのそばに置かれた椅子に、ルイ様が腰かけて、船をこいでいる。
どれぐらい、私は気を失っていたのかしら。
起き上がって、そっと近づいてーー唇に口づけをした。その拍子で、ルイ様が目を覚ます。
「……ん、あれ。いつの間に、起きてたんだい?」
眠そうに瞼をこする姿は、子供のようだ。最も、体は成人男性で、可愛いも何もないけど。
くすり、と笑って私は唇の端をつり上げた。
「ルイ様、勝負しません?」
「勝負?」
「はい。私とルイ様が本当に運命の赤い糸で結ばれていないのなら、愛し合うことはない……そうでしょう?」
「君が恋に落ちたら僕の勝ち。君が恋に落ちなかったら君の勝ち。ということだね。愛を勝負事にはしたくないけど……。君が勝った場合、どうなるんだい」
「涙を流します」
私の言葉を聞いた途端、難しそうな顔で話を聞いていたルイ様が、破顔した。
しばらく嬉しそうに笑って、目じりの涙を指ですくいとって私の前に小指を立てた。不思議に思っていると、「約束だよ」と言った。
人間は、何か約束をする時小指を絡ませ歌を歌うそうな。
言われた通り小指を絡める。歌の意味はよくわからなかったけど、歌い終えて、絡めた小指が離れた。
意地っ張りで頑固な私と、優しくも執着心がすごいルイ様との、約束。
きっと、遠くない未来に、私は涙を流すことになる。勝負はとっくに決着がついていて、私の負けですもの。
「ウンディーネが涙を流すとーー人々の心を癒し、素直にすることができるから」