5・吸血鬼に膝枕をねだられました
馬車は、街灯に照らされた薄暗い夜道をひた走る。これから、東の大陸にある吸血鬼ハンター協会の支部へ向かうのだ。
石畳の上をガタガタと進む馬車の窓から、私はシュリと共に街の景色を眺めていた。
「馬車に乗るのは、初めてだわ。ヤヨイ国には、こういう乗り物はないから」
「なら、向こうで長距離の移動の際は、どうしていたんだい?」
「直接馬に乗るのよ。それか、速度は落ちるけれど牛車……人力車というものもあったわ」
「それは、凄いね……」
柔らかい座席に深く腰掛けているシュリは、少しおののいた様子でそう答えた。四人乗りの馬車には、私とシュリ、ナデシコとユーロが向かい合って座っている。
馬車は計五台で、その中の一台には、残る三人の吸血鬼達が乗っていた。別の馬車には、ヤヨイ国に出張していた協会の職員達が乗っている。
「まったく、私はナデシコと二人きりが良かったのに……協会側は、もう一台馬車を用意できなかったのでしょうか」
向かいの席では、ユーロが物憂げなため息をついている。
彼の手は、またしてもナデシコの腰に回されており、もう片方の手は彼女の頬に触れていた。見ていて恥ずかしくなること、この上ない。
(私だって、こんないたたまれない空間にいるくらいなら、一人馬で移動した方がマシだったわ!)
せめて、彼らのやり取りを視界に入れないように、窓の外を見ているというわけである。
そんな私に、シュリが美しい声音で話しかけてきた。
「ここから協会までは、そんなに離れていないよ。とは言え、到着する頃には日付が変わっているだろうけどね」
「そうなのね……ここは港街みたいだけれど、ヤヨイ国の港とは全然違う」
船の中で、この場所の大体の説明は聞いていた。
まず、私が現在いるのは、東大陸内でも一番東にあるルシード国。ヤヨイ国からの距離が一番近く、首都は港町の隣にある。
国土はそれほど広くなく、人口も首都以外は少ないらしい。吸血鬼被害はヤヨイ国と同程度だが、少し強い吸血鬼が多いという。
私達は、まずルシード国で一級吸血鬼ハンターとしての基礎訓練を積み、吸血鬼に本格的に悩まされている地域へ派遣されるそうだ。
一級吸血鬼ハンターが派遣されるのは、一番状況の酷い地域や吸血鬼の巣であるコロニー。普通の吸血鬼ハンターでは手に負えないと判断された場所である。
「ヤヨイ国の港町も、ザ・漁村という感じで趣深かったよ」
私の言葉に反応したシュリが、微笑を浮かべながらそう言った。
ヤヨイ国を庇う発言をしたつもりらしいが、フォローになっていない
「……それ、ただの田舎ってことよね!?」
夜中の移動だが、道中吸血鬼に襲われることもなく、私達は無事にルシード国の首都へ入ることが出来た。
馬車が走る街の大通りは、石造りの店が所狭しと並ぶ不思議な場所だ。木で出来た建物はなく、形もヤヨイ国のものとは大きく異なる。
「僕が昼間も出歩けるようになったら、一緒にこの辺りの店に行ってみようか」
ずっと建物を観察していると、シュリが横から身を乗り出して提案してきた。
だが、彼が普通に外を出歩けるようになるのは、私が隷属に堕ちた時だ。素直に喜べない。
「……そうね」
近々行われる儀式のことを考えると、それだけで気が重くなる。
(ナデシコは、隷属になるのが嫌ではないのかしら? ユーロに何をされても、受け入れてしまっている様子だけれど……)
出会って数日で、あのような暴挙に出る男に、魅かれることなどあるのだろうか。彼女に直接聞きたいが、今はユーロもいるので聞きづらい状況だ。
(今だって、いつの間にか膝枕している状態だし!)
ユーロは狭い馬車の中で、器用にナデシコの膝に頭を乗せている。
(やりたい放題だわ……)
二人の様子を見たシュリが、チラリとこちらを見て呟いた。
「いいなぁ、膝枕……ねぇ、サラ」
「……しないからね?」
年頃の女子が異性に太ももを貸すなど、もっての外である。そのようなことをして良いのは、夫婦となった者だけだ。
(……あれ? 今後シュリとは夫婦になる予定なんだから、膝枕は有りなの? でも、まだ夫婦になったわけじゃないし……)
膝枕をしないと言われたシュリは、少し残念そうな顔をしたが、諦めてくれた。
「仕方ないな。それに、こういうことは二人きりの時の方が良いよね?」
白銀の長い睫毛が縁取る翡翠色の瞳で、彼は私をまっすぐ見つめる。私は、どうしたら良いのかわからなくなって、目をそらせてしまった。
私には、まだ吸血鬼の隷属に――シュリの伴侶になる覚悟がない。
シュリが私のことを想うのと同じ気持ちを、私は彼に返せないのだ。向こうも、それはわかっているのだと思う。
彼は、私に伴侶としての行動を無理強いしたりしない。
馬車はゆっくり街の大通りを進み、予定通りにルシード国の吸血鬼ハンター協会へと到着した。