4・吸血鬼の独り言
「……ふふっ、可愛いなぁ」
僕――シュリ・ジルヴァフィクスは、大慌てで部屋から逃げ出すサラを見ながら笑みを浮かべていた。
彼女と出会ったのは数日前。
吸血鬼ハンターの試験会場で、一人だけピリピリと神経を張り詰めている彼女に目がいった。
試験会場にいる受験者達は、一級吸血鬼ハンター試験のことを一切知らない。二級吸血鬼ハンター試験を受けるにあたり緊張しているのかと思えば、そうでもなさそうだ。
会場の中でただ一人、吸血鬼の気配に気づいていたサラは、僕らを警戒していたのだった。
「どうしたの、可愛いお嬢さん。不安そうな顔でキョロキョロして……」
試験前に下手に正体を暴かれて騒がれては面倒だと思い、僕は彼女の集中力をあえて途切れさせた。
サラは、急に声をかけられたことに動揺したようだ。漆黒の瞳が美しい目を大きく開き、僕の顔をまじまじと見つめる。
彼女と目が合った瞬間、僕の体に衝撃が走った。全身の血が沸騰したかのように急激にその流れを速め、周囲のざわめきが遠ざかる。
体内を流れる血が、狂おしいほどに僕に訴えかけていた。
彼女は、僕の――
「やっと見つけた、最愛の女性だ……」
そう呟いた声は、試験官の声にかき消され、サラに届くことなく消える。
人間よりも遥かに長い時を生きて、やっと見つけた大切な伴侶。
正直、こんな辺鄙な場所にある国で行われる一級吸血鬼ハンター試験に何の期待もしていなかったのだが……
「こんな場所に隠れていたんだね、僕の花嫁」
吸血鬼の恋は、ほぼ一目惚れで始まる。血が、相手を見つけるのだ。
一級の試験開始からしばらく経ち、ユーロも花嫁を見つけたようだった。この最果てにある田舎のヤヨイ国は、意外にも人材の宝庫だ。
吸血鬼ハンター協会の職員曰く、十年に一度しか試験に訪れないそうだが、もう少し頻度を増やしても良いのではと思う。
寝巻きから普段着に着替えて扉を開けると、廊下にもたれて立っているサラと目が合った。
幼い頃に吸血鬼に家族を殺された彼女は、天涯孤独の身。一人で生きていくために、七歳で吸血鬼ハンターになったという。
今までに狩った吸血鬼は五千体以上で、ヤヨイ国の中では――いや、大陸の中で見てもかなり優秀な吸血鬼ハンターだろう。
(現に、僕の正体も見抜いたわけだし……二級試験を受けさせずに済んで本当に良かった)
二級吸血鬼ハンター試験など、体の良い人体実験だ。
試験を受けた人間のうち、大半は体に何らかの欠損を抱え、運が悪ければ死亡する。生き残った者達も、体への負担が大きすぎて、長くて二十年しか生きられない。
とはいえ、誰もが一級吸血鬼ハンターになれるわけではない。
吸血鬼にとって血の相性は絶対で、血の相性が悪い者とは夫婦になれないからだ。血の相性が悪い相手は隷属化できないのである。
血の契約――人間側の言う隷属の儀式を行うには、互いの血を交換して体内に取り入れることが必要だ。どんな血でも口にできる吸血鬼とは対照的に、繊細な人間は、相性の悪い相手の血を取り込むと、拒絶反応を起こして最悪死に至る。二級試験失敗時と同じような状態になるわけだ。
二級試験は、相性の良し悪しを考えずに片っ端から適当に血を注入しているために、あのような惨事が起こるのである。メリットは、隷属の契約とは違って、主である吸血鬼の血を必要としないことくらいだ。
協会側は、一人でも多くの一級吸血鬼ハンターを輩出したいと考えている。過去には、一人の吸血鬼相手に、複数のハンターとの契約を勧めていた。
だが、相性の良い相手がそうそう見つかるはずもない。それに、複数の隷属を持つということは、それだけ多くの血を彼らに与えなければならないということだ。
定期的に隷属に血を与えることを考えると、吸血鬼側が貧血になって倒れてしまう可能性が高い。
当然、協会に属する吸血鬼達の大反対に遭い、その提案はすぐに却下された。
廊下にいたサラは、僕が部屋を出たのを確認すると、先に一人で歩き始める。素っ気ないものだ。
恋をしているのは、僕一人だけ。人間の恋の仕方は、吸血鬼とは違う。
そんなことはわかっているが、僕は一方通行のこの想いに不公平さを感じてしまうのだった。