31・吸血鬼を狩り続けるには代償が必要です
部屋に戻ると、案の定シュリがいた。
まだ冷静になりきれていないことは自覚しているので、少し彼と距離を置く。
それを察しているだろうにシュリは遠慮なく距離を詰めてきて、息がかかるほど近くに立ちはだかった。
翡翠色の美しい瞳が、いつになく険しい光を浮かべている。
「サラ、おかえり。どこへ出かけていたの?」
「……本部の前にある広場まで。外の空気を吸いたくなったの」
何故か責められるような口調で問い詰められ、私は言葉に詰まった。
シュリの方が悪いことをしているのに、なぜ自分が問い詰められるのか理解できない。
しかし、私の疑問は次の彼の言葉で拭い去られる。
「窓を開ければいいのに、へんなの。俺以外の男の匂いをつけて……本当に不愉快」
(レオンの匂いだ……)
私は、ハッとしてシュリの方を見た。
相変わらず険しい表情を浮かべている彼は、私を解放する気などないらしい。
さらに距離を縮めて私を壁際へと追い詰めた。
「これって、不倫に当たるよね?」
声もいつもより低く、纏う空気もどことなく不穏なものだ。
「ち、違う……不可抗力だし。広場のベンチに座っていたら、レオンが現れたんだから」
そう、自分から彼を誘ったり、血を飲んだりなどしていない。責められる謂れはないのである。
私は、さらに言葉を続けた。
「それに、レオンは婚約者を連れていたわ。アデーレという美女」
「…………アデーレ? 彼女が、バーグに来ているのか」
不穏な気配が薄れた隙を狙い、私は畳み掛けるように彼に問いかける。
「シュリ、彼女を知っているの? レオンは、婚約者がいるのに私に言い寄っていたの?」
「……ああ」
ひょいと私を抱き上げらシュリは、そのまま長椅子へと移動する。
そこに私を下ろし、自分も隣に腰掛けた。
「アデーレは僕とレオンの伯母に当たる女性、そしてレオンの正式な婚約者だ。サラの言う通り、彼は婚約者のいる身で君に言い寄っている」
「伯母? と、年上? お父さんのお姉さん?」
「そう。長命な吸血鬼にとって、多少の年齢差は関係ない……彼女は、紛れもなく血の繋がった僕らの伯母だよ」
「レオンは、伯母さんと結婚するの?」
「そうだね。レオンだけじゃない、ほとんどの純血の吸血鬼の男は、彼女と婚姻関係を結んでいたよ。純血の吸血鬼の女は、今の代で彼女しかいないから」
シュリの答えを聞いて、私は混乱する。
「ほとんどのって……アデーレは複数の人と、その、結婚しているってこと?」
「純血の子孫を残すのは、吸血鬼にとって最優先事項なんだよ。ジルヴァフィクス家だけじゃない、希少な種を残すためにどこの家も必死だ」
「すごい話ね。アデーレは嫌じゃないのかしら」
「子供さえ作れば、後は自由だ。アデーレはさっさと離婚しているよ。僕の父もそうだった、レオンが生まれた後で相手の女性吸血鬼と離縁し、俺の母親を迎え入れたらしいから」
それでも、私はアデーレが気の毒に思えた。
純血の吸血鬼である彼女にとっては、それが当たり前のことかもしれないけれど……
(アデーレはレオンのこと、本当に好きそうに見えたし)
シュリの伴侶だとわかる前は、私に対してどこか警戒しているようでもあった。
「レオンは、アデーレのことをどう思っているのかしら」
「一応婚約者として扱ってはいるけれど、伯母としか認識していないみたいだよ。レオンが生まれた時に父が二人の婚約を決めたらしいから。それ以来、アデーレは誰とも夫婦になっていない」
「吸血鬼が長命すぎて、人間の感覚では想像できないわ」
「サラも隷属になったんだ。これからは、僕と同じ時を生きるんだよ……君の体は、どんどん僕らに近くなっていく」
嬉しそうに、蕩けるような笑みを浮かべたシュリが私を見た。
もそもそ動いて長椅子の隅に寄るけれど、彼はすかさず距離を詰めてくる。
「サラ、そろそろ血が欲しくない?」
「…………」
「俺としては、サラの気持ちが他に向かないように、自分の血で君を満たしておきたいんだ」
本当は、血が欲しかった。
昨日から意地を張って彼から血をもらっていないのだ。あの吸血鬼に対する措置を、私はまだ認めることはできない。
「強情な奥さんだなあ」
シュリはそう言うと、私の目の前でわざとらしく爪を立てて自分の首筋切り裂いた。
いい香りのする、新鮮な血がボロボロと溢れ出し、私の目はそこに釘付けになる。逸らそうと思っても、目が離せない。
(欲しい……)
徐々に血に対する我慢がきかなくなっていること、理性が抑えられなくなっていることに、本当は薄々気付いていた。
血を前にすると、私は何も考えられなくなり、その酷さは日に日に増していく。
シュリが言うように、私の体がどんどん吸血鬼そのものに近づいているからだろう。
「おいで、サラ」
言われるがまま、私は体を前に乗り出して彼の首にすがりついた。そのままピチャピチャと音を立て、彼の血を啜る。
吸血鬼と同じ行動をとる自分を嫌悪しながらも、血の甘さに我を忘れる。
「たくさん飲んでいいからね。もっと、僕に依存して……僕なしでは生きられなくなって」
シュリが良からぬことを口にした気がするけれど、今の私はそれどころではなかった。
溢れ出す血を一滴残らず舐めとり、それでも足りずに新たに牙を立てて彼の血を奪う。
(こんなこと、本当はしたくないのに。血を吸うなんて、嫌なのに)
けれど、それを選んだのは自分自身だ。
一級ハンターという立場を選び、自ら望んでシュリの隷属になった。
泣きそうになる自信を叱咤し、散らばった理性のカケラをかき集める。
隷属とはよく言ったものだ。シュリの血を得るために、飢えた私はきっとなんでもしてしまうだろう。
(それが、ハンターでいるための代償なんだ)
薄暗い部屋の中、私は自分にそう言い聞かせた。