2・吸血鬼に告白されました
一級吸血鬼ハンター試験に合格してしまった……
(なんという予想外の結果! だいたい、一級吸血鬼ハンターがどういったものなのかもわからないのに……)
現在、私は大陸へ渡る船の中にいる。
辺り一面闇に包まれており、甲板には波の音だけが響いていた。今頃、二級吸血鬼ハンター試験は終了しているだろう。
一級合格が決まった直後に、私はヤヨイ支部の支部長に異国の拠点への異動を告げられた。
だが、それは私の望む仕事ではなかった。私は、ヤヨイ国で吸血鬼に苦しめられている人々を救いたいのだ。
だから、異動のことを聞いた当初は、「ヤヨイ国の吸血鬼ハンターになりたい」と言って異国へ行くのを渋った。
しかし、試験のためにヤヨイ国を訪れていた本部のお偉いさんによって、私の意見は即却下されてしまう。
「代わりに、本部から二級吸血鬼ハンター五百人をヤヨイ国へ送ろう。君が一人いるよりも、よほどこの国の役に立つはずだ」
そう言われてしまうと、反論しようがない。一人の吸血鬼ハンターよりも五百人の吸血鬼ハンターがいる方が、ヤヨイ国にとって良いに決まっているのだから。
よって、今は大人しく深夜の船旅中だ。
(私の人生の中で大陸へ渡ることがあるなんて、思ってもみなかったわ)
薄暗い甲板に出て夜風に当たる。船酔いする性質ではないが、ずっと船内にいるのは息が詰まった。
もうヤヨイ国は見えず、周囲はどこまでいっても真っ暗な闇。船の下では、全てを飲み込んでしまいそうな漆黒の波がうごめいている。
(アズキにお別れも言えなかったな)
星の全く見えない曇天の空は、今の私の心情を映し出しているかのようだった。
「こんなところにいたの? 深夜に一人で外に出るなんて危ないよ、お嬢さん?」
船内に続く扉の方から聞こえてきた声は、ついさっき知り合った青年のもの。
シュリ・ジルヴァフィクス――白銀の髪に翡翠色の瞳を持つ吸血鬼。
「子供扱いしないでちょうだい。私は、あと一年で成人するのよ?」
「まだ未成年じゃないか。それに、君の見た目は十七歳よりも幼く見える」
「放っておいてちょうだい。私の国では、みんなこういう外見なの!」
黒か茶色の髪に小柄な体格。実際の年齢より若く見られるのは、ヤヨイ国の人間の特徴だ。
ついでに、男は寡黙で女はお淑やかな性質だと言われている。
……私がそれに該当するのかは、定かではない。
「君は、実に僕好みの見た目をしているね」
いつの間にか近くまで来ていたシュリの囁き声に、どきまぎしてしまう。
一級試験の時もそうだったが、彼は音を全く立てずに気配を消して人の背後に立つ。
相手は人間に味方しているとはいえ吸血鬼、綺麗な外見に騙されると痛い目を見るのは明らかだ。
「さっきまで、部屋で君についての資料に目を通していたんだ。今までの吸血鬼の討伐件数が、五千件なんて、かなり優秀」
「……七歳からずっと吸血鬼ハンターをしていたから。それで、無駄に件数が多いのよ」
「そんなに幼い頃からハンターをやっていたんだね」
「両親も親戚も亡くなって……吸血鬼ハンターになれば、住むところと収入を確保することが出来るから」
私の住んでいた小さな町が吸血鬼の集団に襲撃されたのは、十年も前のこと。一夜で町は滅び、生存者は私の他にいない。
「ねえ、一級吸血鬼ハンターになる合格基準は何? どうして、私は合格出来たの?」
「同格基準は、僕らに気に入られるかどうかの一点だよ。一級試験は、僕らにとって公開お見合いみたいなものだから」
「……意味がわからないわ」
「つまりね、僕ら吸血鬼が、『血をあげても良い人間かどうか』を判断するってことなんだけど……そこから説明しなきゃダメなのか」
シュリは、困り果てた様子でため息をつく。
「どうも、君……というよりヤヨイ国の人間は、一級吸血鬼ハンターについて詳しく知らないみたいだね」
「そりゃあそうよ。だって、ヤヨイ国には二級と三級しかいないもの。試験だって、十年に一度しかないのよ?」
「……とんだ田舎国だ」
ヤヨイ国が田舎なのは事実である。他の国のことは正直わからないが、田んぼと畑ばかりの国が都会であるはずがない。
草団子も黒蜜餅も美味しいけれど、異国から輸入されるチョコレートやキャンディーなどの高級菓子は、やたら洒落ている。
(でも……よその国の吸血鬼に田舎国だと言われると、なんとなく腹立たしいわね)
シュリは、悶々としている私の正面に立ち、整った顔をほころばせながら言った。
「もう一人の一級合格者も含めて、その辺りを詳しく話すから、一度船内に戻らないかい? 外にずっといると、体が冷えてしまうよ?」
外気の冷たさから庇うように、私を船内へと押しやるシュリ。美し過ぎる外見以外、彼はまったく吸血鬼らしくない。
けれど、シュリの纏う繊細で退廃的な雰囲気は、確かに憎き敵と同じものだった。
※
船の二階部分にある広めの一室に、一級合格者と試験官の吸血鬼達が集められる。
もう一人の合格者は、ナデシコ・タイラという名の大人の女性だった。ヤヨイ国の三級吸血鬼ハンターらしいが、私と全く面識がないのは、普段滞在する拠点が違う上に前線と関わりのない後方部隊にいたからだろう。
私の隣には、当たり前のようにシュリがいる。
(どうも、彼は距離感が近すぎるわね)
ナデシコの隣には、彼女を合格させた吸血鬼――ユーロ・クプファオイレが立っていた。
残りの三人は、私達の向かい側に並んでいる。
「ヤヨイ国の人間が、一級について何も知らないっていうのは本当なのか?」
三人の吸血鬼うちの一人、赤髪の男が長椅子の背に凭れながら呆れたような口調で切り出した。
「どうやら、そのようですよ。私のナデシコも全く知らないので」
そう答えたのは、茶色のくせ毛をかき上げるユーロ。彼は、馴れなれしい様子でナデシコの腰に腕を回している。
(この吸血鬼、ナデシコのことを「私の」とか言い出しているけれど……どういう意味?)
当のナデシコはというと、薄く頬を染めて俯いている。否定しないのかと、私は目を丸くして彼女を見た。
そんな二人を全く気に留めず、赤髪の吸血鬼が私達の前まで近づいて告げる。
「一級吸血鬼ハンターは、『協会に味方する吸血鬼』の嫁だ」
強引に一言で説明されたが、言っていることの意味がわからない。
「アドリアン、嫁、困惑している……」
赤髪の隣にいる青髪の吸血鬼が、小さな声で辿々しく彼をたしなめた。
「だけどよ、クラウス……それ以外に言い方があるのか?」
「順を追って、説明、すべき……」
赤髪のアドリアンと青髪のクラウスが言い争っている横から、小柄な緑髪の吸血鬼が口を挟む。
他の吸血鬼に比べて顔立ちの幼い彼は、私よりも年下に見えた。
「二人共、本当に使えないよね。仕方がないから俺が説明してあげる。吸血鬼が男ばかりだというのは、ハンターの二人も知っているね?」
彼の問いかけに、私は頷きながら答えた。
「ええ、吸血鬼ハンターになりたての時に習ったわ。吸血鬼は女が生まれにくく、若い人間の女性を攫って子供を産ませると」
「そう。嫁不足は、いつの時代も吸血鬼にとって深刻な問題なんだ。おかげで、純血の吸血鬼なんてものは、今ではほぼいない」
「それで、一級吸血鬼ハンターと吸血鬼の嫁の話に、なんの関連があるの?」
私の問いかけに、緑髪の吸血鬼は神妙な顔をして頷いた。
「吸血鬼ハンター協会に味方した吸血鬼には、とある特典が付く。それが、一級吸血鬼ハンターとの『血の契約』と、協会職員からの自主的な血の提供だ」
「血の契約って、吸血鬼が人間に行う隷属の儀式のことよね?」
隷属の儀式とは、吸血鬼が人間を自分の眷属――同種の仲間にしたい場合に行う儀式のことだ。
吸血鬼が人間の血を取り込み、同時に人間が吸血鬼の血を取り込む。そうすると、人間は吸血鬼の力の一部を得、吸血鬼は隷属と呼ばれる元人間の配下を得ることがきる。
隷属になった人間は、定期的に儀式を行った吸血鬼の血を必要とするので、吸血鬼側の言うことを聞かざるをえない。さらに、吸血鬼側が血を与えないと、その人間は血に飢えて無差別に人を襲う怪物と化す……という恐ろしい儀式だ。
(人間側のメリットが、少なすぎるのよね)
力のある吸血鬼は、数人の隷属を従えていることがある。ただ、定期的に血を与えるのが面倒なのか、放置されている隷属が多い。
吸血鬼ハンターは、そういったことが原因で飢えて暴走した隷属の退治も行っている。
「血の契約は、もともと吸血鬼が人間の女を娶る際に行う契約だった。今では、それを悪用して好き放題している馬鹿が多いけどね」
「一級吸血鬼ハンターは、あんた達の隷属になるということなの?」
「俺達の隷属というわけではないよ。あんたはシュリの嫁で、そっちのあんたはユーロの嫁」
緑髪の吸血鬼は、私とナデシコを順に指差しながらそう言った。
「血の契約を交わすことは、人間と吸血鬼の双方にメリットがある。一級ハンター側は、二級のように危険な人体実験をしなくても二級以上に吸血鬼の力を使えるようになるし、吸血鬼側は嫁を得られる上に弱点を減らすことが出来る」
「弱点って、陽の光や銀製の武器のこと?」
「そう。契約の効果で昼間でも出歩けるようになるし、聖水や銀製の武器で攻撃されても直ちに致命傷を負うことはなくなる……とはいえ、首を跳ね飛ばされたりしたら、さすがに死ぬけどね」
「……それって、嫁とは関係なくない? 普通に隷属にするだけではいけないの?」
吸血鬼の力を得るためならば、ただ人間と契約すれば良いだけで、嫁にする必要はないはずだ。
「何を言っているのお嬢さん、そこが重要なのに」
私の言葉に反論したのは、緑髪の吸血鬼ではなく隣にいるシュリだった。
「吸血鬼は血の相性が良い相手としか恋に落ちないし、子供を作れない……吸血鬼に愛された嫁は、一番低リスクで吸血鬼の力を得ることが出来るお得な存在なんだよ? 相性の良い血は混ぜても拒絶反応が緩やかで、血の交換で死ぬことはまずない。二級のように相性の悪い血を受けて廃人になるような危険がないんだ」
二級吸血鬼ハンターの試験は、異物である吸血鬼の血を摂取して、それに耐えられるかどうかを診られる試験だ。無事に吸血鬼の力を得ることが出来る者もいるが、血が体に馴染まずに拒絶反応で死んでしまう者もいる。
「二級とは違って、一級は安全に確実に吸血鬼の力を得られるということね」
「さらに言えば、吸血鬼の血という異物のせいで寿命が縮むこともないよ。隷属は、むしろ契約した吸血鬼の血を必要とする生き物だからね」
二級吸血鬼ハンター達は、異物である吸血鬼の血を摂取することで大幅に寿命が縮む。長くても、二十年しか生きられない。
「寿命は、減るどころか吸血鬼に合わせて延びる。メリットばかりでしょう?」
シュリは、人の良さそうな笑みを浮かべてそう言うが、彼の言葉を全面的に信用するわけにはいかない。
「仮に、私があなたの隷属になったとして……あなたが私に血を与えることをやめたら、私は血に飢えた怪物――ただの暴走した吸血鬼になってしまうわ」
「心配いらないよ。一部の馬鹿を除き、大抵の吸血鬼は嫁に優しい生き物だから」
全くもって信用ならない。
胡乱な目でシュリを見る私に、緑髪の吸血鬼が肩をすくめて説明を付け足した。
「シュリの言っていることは本当。俺も含め、吸血鬼は伴侶を大事にする。まあ、嫁にしたい相手が被った時には、吸血鬼同士の争いで血の雨が降ることもあるけど……それだけ、愛情深い生き物ってこと」
「そう、なの……?」
私は、戸惑いながら隣にいるシュリを見る。シュリは、嬉しそうに目を細めながら、こちらを見て頷いた。
協会側は、私が一級吸血鬼ハンターを辞退することを許さないだろう。
ただでさえ、人手不足の吸血鬼ハンター。その中でも特に成り手の少ない一級吸血鬼ハンターに選ばれた人間を、みすみす手放すはずがない。
ナデシコの方を見ると、背後からユーロに抱きしめられて真っ赤になっている。
「まあ、いきなり吸血鬼の嫁になれと言われても、抵抗があるだろ。その辺りは、シュリとよく話し合うといいよ」
一番小さな緑髪の吸血鬼は、最後にそう纏めた。
彼の言葉に頷いた私は、長椅子から立ち上がって部屋を後にする。その後を追うように、シュリも部屋から廊下に出た。
「……お嬢さん、僕の嫁になるのはそんなに嫌かな?」
背後から彼に声をかけられて、私は思っていることを正直に答えた。
「さっき、私の両親が亡くなっているという話をしたでしょう? 彼らの死因は吸血鬼。十年前、住んでいた町に吸血鬼の大群が攻め込んできて、私以外は全員死んでしまったの」
シュリは少し困ったような表情を浮かべ、私の次の言葉を待っている。
「あなたが協会の――人間の味方だということは、わかっているわ。私のいた町を襲ったのも別の吸血鬼だし、種族だけで差別するのは良くないことだと思う。でも、どうしても吸血鬼と馴れ合うこと自体に抵抗を覚えてしまうのよ」
否定的な言葉を受けたにもかかわらず、彼は微笑みながら私に近づいてきた。
「なんと言われようと、僕が君を好きなことに変わりはない。人間が恋をする過程とは違うけれど、僕は確かに君に惹かれている。だから、伴侶になってもらいたい……」
翡翠色の澄んだ瞳は、真剣な光を宿している。
(そんな目で見られても困る。私は、吸血鬼を許すことなどできないのに……)
私の葛藤を見抜いたように、シュリは言葉を続けた。
「吸血鬼である僕のことを、君が警戒しているのはわかっている。だから、少しずつでいいから、僕のことを知ってくれないかな」
「……ええ、わかったわ」
協会の決定を覆すことは難しく、彼の隷属になることは避けられない。それならば、彼と友好的な関係を築いた方が良いに決まっている。嫁云々はともかく……
シュリは、私などでは太刀打ちできないくらいに強い吸血鬼だ。自らの気配をうやむやにする術にも長けているし、私の背後を易々と取ることができる。
彼だけではなく、ここにいる吸血鬼は皆それなりの実力者だと思われた。
「それでは、夜の船内デートでもしましょうか、お嬢さん?」
先ほどの間での真剣な表情とは打って変わって、シュリは甘い声音で私に提案する。
彼の表情や声は、蜂蜜や砂糖菓子のようだ。
「その『お嬢さん』っていうの、やめてくれない? あと一年で成人するのに、子供扱いされているみたいで嫌だわ」
「では、なんと呼べば?」
「えっと……」
楽しそうに目を細めてこちらを見るシュリは、こうなることを予測していたようにも思える。
「私のことは、サラって普通に呼んで」
「名前を呼ばせてくれるんだね? では、これからはサラと呼ぼう」
恭しく差し出された彼の手を、遠慮がちに取る。
紳士的な吸血鬼のエスコートで、私は夜の船室を散歩した。
吸血鬼ハンターは、獲物に合わせて夜行性。暗い夜でも、大人しく眠っていることなどできないのだ。