戯れ言を吐く転生者は知らない
豪華絢爛夜の街。
店から溢れる金色の光、誘いをかける女の声。
フラリフラリと行く男の、袖を引くのは籠の鳥。
「おい、青藍。」
「あら、今日は客を取ってなかったはずだけど?」
「別に今日は太鼓持ちじゃねェよ。何だってあの旦那断ったんだ?」
「旦那?誰のこと?」
「しらばっくれんな。藤田屋の旦那だよ。お前のこと指名してたのに袖にしたって話じゃねえか。うまく行きゃあ早いうちに身請けしてもらえただろうに。」
きゃらきゃらと女は客に見せる笑顔でなく笑う。
「なあに?佐吉は私にとっとと店から出ていってほしいの?」
「……そうじゃねェさ。でもこんなところで身体売ってるより外にいた方がマシだろ。藤田屋は大店だから楽して暮らせるぜ?」
誰かに聞かれれば引っ叩かれるくらいはされるだろう、声を低めてそういえば女はまた笑う。
「ふふふ、ここじゃないとできないことがあるのよ。」
「ここでできねェことの方が多いだろ。」
「このお店、牡丹灯篭は特別なの。」
少しだけトーンを落として話す女は少し酔っているようで、宝物を少しだけ他人に見せてみるかのように、ひそりと、しかし微かに喜色を滲ませ少女のように言う。
「牡丹灯篭にいる青藍はね、いずれ王子様が外の世界に連れ出してくれるの。」
クスクスと楽しそうに女は傍にあった賽子をふった。
「ふうん。」
オウジサマが何なのか知らない。女がまるで夢でも見るように語るのだ。きっとどこぞの大名か大商人のことなのだろう。
いずれにせよ、それはきっと俺じゃない。
**********
牡丹灯籠。大きな花街の一画にある西の国の文学からとった名のある廓である。
俺がこの牡丹灯籠で働きだしたのは今から三年前だった。
昔こそ大名に仕えていたが、10代のころに御取り潰しになりあっちへこっちへブラブラしては喧嘩を売り歩いていた。今思えば全く迷惑な浪人だった。
さして女に興味はなかった。ただ物見遊山のために華やかな街へと続く豪奢な門をくぐったのだ。
以前住んでいたところに花街はなく、何から何まで物珍しいものだった。煌びやかな明かりに女を飾る装飾品。籠の隙間から細い手を伸ばしては道行く男の袖を引いていく。
「ちょいと、お兄さん。寄って行きんせんか?」
後ろから袖を引かれたたらをふみ、振り返って見ればまだまだ年若い遊女だった。
しかし呼ばれたから立ち止まったというのに、その遊女はまるで人違いでもした、とでもいうように俺の顔を見て手を離した。
「……失礼しやした。あんまりお兄さんの後ろ姿が、知り合いに似ていたもんで……、」
すぐに嘘とわかる。お兄さんと呼びかけておいて知り合い云々の言い訳は使えない。
女のいる廓を見上げ牡丹灯籠という字を見つけた。懐に手を入れて持ち合わせを確認する。
「構やしねェよ。ところでアンタを一晩買うには、いくらいる?」
自分から声を掛けたくせに遊女は目を瞬かせた。
女にしては、まして遊女にしては下手過ぎる嘘。それがひどく興味を引いた。
見た目は十分遊び女だというのにどこか乳臭さが、甘さが残る。
この女がどういうものなのか、知りたかった。
あれを切っ掛けに与太坊に絡むのも喧嘩を売って歩くのもやめた。その代わり、武士であったときに培った腕と、幼いころに覚えさせられた三味線をウリに用心棒兼太鼓持ちとして牡丹灯籠に転がり込んだ。
遊郭に男の居場所などないかと思っていたが存外男衆もいた。まだ10代後半だった俺はなかなか遊女たちにも可愛がられそれなりに居心地が良かった。
あの晩、おれが遊女、青藍を抱くことはなかった。ただ一晩中酒を飲みながら話をしただけだった。
話せば話すほど妙な女だと俺は感じた。今思えば、買われたのに抱きもしないというのはその道の者としては無礼なものだったが、青藍はとくに何も言わなかった。
店に入って良かったと、心底思う。仕事もあるし飯も食える。何より同じ牡丹灯籠の中にいると青藍がよく見えた。
青藍は変わり者だった。
他の遊女たちは客の相手をしているときもそうでないときも口調も態度もあまり変わらない。だが青藍は本当に極端だった。客を取っているときは他の遊女と遜色ないのに部屋から上がったらまるで町娘のような話し方、振る舞い方をするのだ。本来ならやり手に折檻されてもおかしくないが、どうも青藍は偏屈なやり手からも気に入られているらしくその態度は直されない。
遊女たちのほとんどが、外の世界に憧れている。憧れつつも、どうしようもないものと考えている。
一部の遊女は身請けされて花街から出られるが他の者はそうではない。借金の形に売られてきた女は返せるまで出られないし、一般的な働き方もわからず飯炊きややり手として廓に残る。
だが青藍は違う。
外に出たいと思っているらしいが、気に入られ身請けの話が出ても袖にしてしまった。遊女でいたいから身請けを断る者もいるが外に出たいはずの青藍も断るのだ。
そして大棚の旦那の話をおじゃんにしたときに問うてみれば、オウジサマなる人を待っているという。
少しずつ話を根気強く聞いていくと、どうやらそのオウジサマとやらは青藍の運命の人であり、ひーろーなのだそうな。オウジサマは大棚の若旦那や歌舞伎役者、若侍などがいるらしいが、その中でも青藍の待つ運命の人はどこぞの領地の大名なのだそうな。
運命の人を待つがために、青藍は牡丹灯籠を去らない。
運命の人とやらが来るまで、おれは青藍を見ていられる。だがそれが来たとき、きっと青藍は何の未練もなく外へと旅立つのだろう。
おとぎ話のようなこと。幼子にも鼻で笑われてもおかしくないというのに、それを笑い飛ばせないのは青藍が冗談で言っているのではなく本気で信じているからだ。
信じているから、青藍はこの仕事を耐えられる。遊女になって短くはないのに擦れていない。それ聞き出せたのは俺が初めて花街を訪れてから三年たったある夜だった。
昔と違い、売れっ子の青藍は花魁まであと一歩である。花街の菩薩、花魁になればそれこそ客は選べるし、運命な人たる御大尽の目にも触れるだろう。
もしおとぎ話のように、青藍の元にオウジサマが訪れたなら。
俺はいったいどうすれば良いのか。
馬鹿馬鹿しい運命を待ち続ける女に恋した馬鹿馬鹿しい男は、いったいどうするべきなのか。
「どうしたの佐吉?」
形の良い唇が、まるで町娘のように俺の名を呼ぶ。
「いんや、なんでもねェよ。」
お前はオウジサマの名を、どんな声、どんな顔でで呼ぶんだろうな。
それから数か月後隣国を治める若い大名の家の輿入れを伝える瓦版がこの花街にもばら撒かれた。
青藍の信じた運命の人が、別の女と一緒になったとわかったのは、その瓦版を抱きしめ音もなく泣く彼女を見たときだった。
**********
ふらりふらり、昼間の花街を歩く。夜の帳が下りるまでは、普通の街と何ら変わらない。
申し訳程度の荷物、それから肩に担いだ大きな葛籠。慣れ親しんだ三味線は店に置いてきた。
「いよぉ、まだ日ィも高ぇのにご苦労なこったね。」
「佐吉……?その大荷物は一体なんだ。」
のらりくらりと門をくぐり抜けようとするが、馴染みの門番に見咎められる。じぃ、と肩に担いだ葛籠を注視されニイと笑ってみせる。
「なんだァ、中身に興味があんのか。」
「随分と大きな葛籠だな……。人一人入りそうなくらいじゃねぇか。」
「まっさかァ。こん中に女でも入ってると思うか。馬鹿言っちゃいけねェ。手前勝手に転がり込んだ俺を拾ってくれた店から女をくすねるわけねェだろ。んな恩を仇で返すような真似する奴と思われるたァ心外だなァ。」
からからと笑い飛ばし歩を進めようとするが、門番は道を塞ぐ。
「ならその葛籠、開けてみな。」
「ふうん、そんなこの中が気になんのか。いいぜ、お前みてェな奴にゃ必要なもんだ。値段次第じゃあ売ってやるよ。」
「売る?」
「お前みてぇな女日照りにゃあ必要なもんだろ?廓にいると兄さんたちがあれこれと使い古したのを下っ端のおれにくれんのさ。こいつがなかなか量があってねぇ、折角だから小金にでも替えようかと思ってね。」
「ああ?」
「春本。女ァ紹介すんのはちぃと厳しいからこいつで我慢してくんなァ。」
「テメッ……!とっととどこへでも行きやがれ!もう帰ってくんじゃねェ!」
「そいつァ悪かったな。今生の別れたァ寂しくなるぜ。」
顔を真っ赤にしながら怒鳴りつける門番の横を冗談交じりにするりと抜け、門の外へと踏み出した。
アチラとは違う、昼間から活気のある街を葛籠を担いでフラリフラリ。
彼女なら活気のある普通の街が見たいと言うだろうが、さして目もくれず、真っ直ぐ街の外へとつながる大通りを行く。 三年前、気まぐれに立ち寄った街の道を、再び同じ足で歩く。
仕える主人をなくし、あてもなく一人ブラブラとしていた。
また、あてのない旅に出る。
「あんま荷物は持ってこれなかったな。」
独り言は賑々しい街並みへと、誰の鼓膜も震わせることなく空に消えていく。
「まあある程度金はあるし、当面は問題ねェ。必要になりゃ、嫌がるかも知んねェけどどこぞの誰かから拝借するかもなァ。悪ィ奴ほどため込んでやがるし。」
荷物を背負った若い男の独り言など、誰一人として気に留めない。
「行く場所は決まってェけど、少しでも遠くに行こう。東にゃ立派な武家さんが揃ってる。腕に自信がある、適当に主人見つけてまた仕えやあ。西にゃ貴族たちがいる。護衛でも傭兵でも、その辺の仕事は腐るほどあるってェ話だ。」
あっけなく、門から出る。建物はなく、左右は開け、上を見れば遮るものなど何もない。
あてのない旅に出る。
だが今度は一人ではない。
「外は空がきれいだぞ。遮るもんもなんもねェ。柵も、門も、籠格子も。もう少し街から離れたら、出してやる。待ってな。」
返事をするように、葛籠から鈴を転がすような笑い声が零れた。
『牡丹灯籠』という遊郭に『青藍』と呼ばれる遊女がいた。
***解説***
青藍は転生者。生きていたころにやっていた乙女ゲームの世界だと確信し、舞台である牡丹灯籠にヒロインの青藍としてとどまり続けた。
しかし実際は舞台であった牡丹灯籠は全く別の花街の廓で、源氏名である青藍もたまたま同じであっただけだった。
乙女ゲームの世界に転生したものの、実際は関係のない花街にいた脇役ですらない遊女だった。
もしかしたら青藍視点で一話書くかもしれません