プロローグ②
狭い集落の星降りの祠で、僕は全力で走っていた。
依然兜は僕の顔に張り付き、どんなに激しい動きをしても、剥がれる様子は見られない。
これが勇者の加護なのだろうか。しかし、視界を確保するための隙間だけでは周りの景色をよく見ることができず、今ばかりは、その加護もなりを潜めてもらい、外してしまいたい心境だった。
「逃げ惑うのみでは、何も生まれませんよ。大切なのは、相対する勇気。さあ、私に挑戦しなさい、人間よ 」
「あぐっ!?」
僕の視界が回転する。
もう、何度目の横転だろうか。僕の足場は小高く盛り上がっており、これで躓いたと言うことが見て分かる。
正直何度体験してもさっぱりだ。
この不思議な術によって、僕は何度も地に膝をつけ、身体を傷つけている。
どうやら悪神クリューソス様は、その悪神の名にそぐわぬ残虐な精神の持ち主のようだ。その力で僕を土の上で弄び、じわじわと体力を奪っている。
「その忌々しい兜も、使えなければ意味はないですねぇ。星降る聖夜の百鬼夜行……私に殺されるだけでも、感謝しなければいけないくらいの状況ではありませんか?」
「…うっ、ぐ」
……しまった、足に力が入らない。
これではもう逃げられない。
「おやおや、力尽きてしまいましたか。人間の命とはこうも儚いもの。ルーチェの奴も、何を考えているのだか」
「……まだ、死にたくない…!」
「おや、おやおやおや。中々、可愛らしい顔つきにしては、根性だけは人一倍にあるんですね。これは高評価。どれ、報酬として、すぐには殺さないようにしてあげましょう」
ヒュンッ
耳元で風の切れる音がした。
瞬間、僕の足に激痛が走る。足の腱が切られていたのだ。
「あ、あぁ…」
足が動かない今、僕にもうなす術はない。それは誰が見ても思うこと。実際、僕の思考はもう諦めてしまっている。
でも、何故だろう。頭ではそう思っていても、身体は動いてしまうのだ。僕の正常な両腕が、前へ、前へと、僕の身体を動かそうとする。
「あぁ…まるで瀕死の虫のよう。そんな無様な姿を晒して、恥ずかしくは無いのですか」
ヒュンッ
また音が聞こえる。
次はもう片方の腱が切られたようだ。
……よかった、切られたのは腕ではなかった。
「もう、諦めなさい人間よ。そんなに出口に急いでも意味はありません。仮にこの祠から出られたとしても、貴方はどうせ死ぬのだから」
前へ、前へ、全身を使って這いずって行く。
どうせ、死ぬのなら…僕はせめて、最後に『アレ』が見たかった。
天空を巡る、幾千もの光__
「……まるで、何かにとりつかれているようですね。良いでしょう。次で、最後にしてあげます」
__星が、落ちてくる。
……今度は、風の切れる音は聞こえなかった。
「なっ……!?貴様…まさか!」
クリューソス様が何かに吸い込まれて行く。
その何かとは、緑色をした鉱石で、二本の小さな角が生えていて、微弱な光を放っているもの。
勇者の、兜。
「あ、あぁぁあ……!また、私は封印されるのか!そ、そうか…やっと分かったぞ…!貴様、星の子かあぁぁぁぁぁあ!」
クリューソス様は僕の目の前から消え去り、顔に張り付いていた兜の感覚もなくなった。
僕は今だ星の流れる夜空を見上げながら、そのまま大の字になって寝転がる。
__あの時落ちてきたものは、なんだったんだろう。
何故か傷の治っている足を見ながら、ふと静かに考える。
「…星が、落ちてくるはずないか」
流星の一つ一つが、星を見守る神様なのだと言う。
そんな神様が落ちてくる訳が無い。
地上は穢れの溜まった下界。夜空に瞬く神達は、そんな地上を見捨て宇宙に登った聖なる神だ。
星は流れる。
その勢いは止まず、まるで闇で満ちた世界を光の剣で切り裂くかのように鋭く煌めく。
僕は惚けたように、何もすることなく身動き取らず、天を流れる光を見つめる。
視界に少し、光が写った。優しい鮮やかな緑の色だ。
心の底から漏れるように聞こえる穏やかな声。神秘性を絡ませた若い男の声が、壊れかけた僕に入る罅に浸透するように温く頭に響く。
『まさか、君が星の子だったとは思いませんでした』
星の子……今となってはもう聞くことができないが、村の皆は、それを誇るべきことと言っていた。どうせ星降り祭りの年に生まれたからつけられた称号のようなものだと思っていたのだが、違うのだろうか。
『…星の子とは、悪神を封じることのできる、流星の血を持った人間のことですよ。正確には、星の兜……いや、勇者の兜を操れる者と言うのが正しいのですがね』
男の声が頭に響く。
この声はもしかして……クリューソス様?
『その通りです、星の子よ。私は悪神クリューソス。今はまた封印され姿を隠していますが、実はすぐ近くにいるのですよ』
「えっ…?」
すると、クリューソス様の言葉に反応するように、僕の視界の端に緑の光が写った。
光の進み具合からしてこの光は頭上から流れているのだろうか。そう思った僕は、おもむろに右手を頭の上に翳した。
するとコツン、と、右手が何か硬いものに当たる音がした。
どこか尖っていて、逸れていて、鉱石の様なもの。
「……勇者の兜?」
握って引っ張ってみると、僕の頭がぐいっと動かされた。
まるで頭の一部の様だ。そんな筈はないのだが、頭を挟んでいるのだろうか。
「ぐぐ、むむむむ……と、とれない…」
『……なに間抜けなことしているんですか。何処かで、自分の顔をよく見てみなさい。』
クリューソス様のお言葉通り、周りを見渡して湖を探す。
祠の水は澄んでいるから、鏡の様な働きがある筈だが……見つけた。
「こ、これは……」
そこに写っていたのは、陶器の様に透き通った肌を持つ銀髪の美少女……ではなく、額に二本の角を生やした、いつも通りの僕の顔だった。
『もう薄々気づいているでしょうが、それは元々勇者の兜にあった二つの突起です。勇者の兜は貴方の皮膚に侵入し、頭蓋骨の一部となりました』
「え、えっ?」
『……皮膚の色が変わったりはしていないから安心しなさい』
クリューソス様の的外れな慰めの言葉を無視して、僕は角を弄くりまわす。
勇者の兜が入って行ったって、一体どういう事だろうか。僕には少し、理解が追いつかない。
頭蓋骨の一部って、つまり、何処だ?この角はどうなってるんだ?
今、僕の頭は混乱を極めていた。
『元来、勇者の兜とはそういう物です。持ち主の頭蓋骨と融合し、合わせきれなかった角だけが残る。そしてその角がある物が、勇者の称号を得るのです。つまり、勇者の兜の本当の姿は今ある貴方の角の様な物。貴方は兜に認められたのです』
「……」
『勇者の兜を得た者は、その兜に主神の二柱の神のうちどちらか一柱を封印し、その加護によって世界を救う。悪神の名はその時々によって移り変わってきましたが、前回はこの私クリューソスが悪神の名を持っていました。そして、その時代の勇者と善神ルーチェに倒され、また兜に封印される……世界は代々そのサイクルで回ってきたのです』
「…クリューソス様が封印された後のルーチェ様は?」
『封印が解かれ、私のいない世界で思うように世界を支配できます。その時代の善神として崇められるということですね。つまりは、ルーチェの奴もそれまでは悪神だったのです。同じ様に、私が善神だった時代もある』
「でも、僕の集落にはそんな伝承…」
『それは貴方の集落が私の力によって守られてきたからです。そう、貴方の集落は滅びましたね』
その瞬間、僕の頭に雷が落ちた様な衝撃が走る。
瞳から涙が漏れ出し、月光で淡く輝く湖に幾つかの円を作り出す。
決して、今気づいたわけではない筈だ。
生まれ育った集落が滅んだことに、僕は当然、気づいていて…
『それが、言わば開始の合図の様なものです。勇者が悪神を鎮めたその時までは世界は円滑に回り始めます。しかし、一時の安寧もすぐに綻びを見せ始め、時代の善神の手にも負えなくなって行く。力で押さえつけることはできても、その平和には限りがある。そうして段々と、善神は力にものを言わせるようになって行き、悪神となるのです』
「……そして、勇者の兜が勇者を作り出す」
『その通り。この集落は今まで私の力の残り香によって隠されてきましたが、それもこれまで。また、勇者は出現してしまった。世界のサイクルは繰り返される。実際、もうこの世界に残る人間の中では、ルーチェは善神ではなく悪神と呼ばれていることでしょう。いい気味ですね』
世界がそんな仕組みで回っていただなんて、こうして勇者の兜に認められなければ知り得なかったことだ。
しかし、そんな世界ならば、この世界に本当の意味で平和が訪れることはあり得ないのではないか……それはなんとも、救えない話だ。
『そう思うのも仕方のないことなのですが、此れでも平和になった方なのですよ。元は一柱だった私達が、こうやって二柱になって互いを牽制しあって、人間と魔人とを区別し合う。そうやってこの世を守り続けてきたのです。今から三千年前までは魔人が住処を追われる時代だったのですよ。人間はツケが回ってきたんですね』
「で、でも、クリューソス様は僕を殺そうとしてきたじゃないですか。勇者に封印されないと、サイクルが途切れてしまうのでは?」
『いやいや、誰も封印なんてされたくないでしょう?今回は五千年ちょっとでしたが、前回はもっと酷かったのですから。なんとかして、封印を避けるのですよ』
「でも…」
『そう、そうなんですよ。私達はいつも抵抗してはその代の勇者の豪運によって封印されてきた。勇者が星の子だったりしてね』
「星の子…」
『あの夜空を流れる神々は、私達よりずっと高次元の存在なのです。そんな彼等の加護を受けた君達勇者に、私達は何度も苦渋を飲まされてきた。全く、忌々しい限りですよ』
少し諦めたようなクリューソス様の声。
全知全能の神をしても、これだけはどうにもならないことなのだろう。あの流れる星は純真と無知の象徴。
それ故何者もあれを捉えることはできない。
『……どうするつもりですか、貴方は。勇者となって、この世を救わなくてはならない大義を背負うととになった貴方は、何を望む』
「……僕の体はどうなったんですか?」
『普通の人間より何倍も強い身体能力を得ましたよ。その力で復讐を望みますか?』
「…いえ、僕はこれから旅に出ようと思います。この世界の祭事を僕は見て回りたい。それが僕の生涯の夢です」
『集落を滅ぼした魔人や魔物達に復讐はしないのですか?』
「まだ仲間を集めようと思います。戦いは祭りの後で良い」
『……なぜ』
「……冷たいことかもしれませんが、僕は率先して復讐をしたいとは思いません。勿論、僕らの集落を襲った怪物は許すことができませんが、僕はそれよりも、星降り祭りの魅力に感動してしまった。世界は広いと聞きます。なら、僕の知らない祭りもあるはず」
『勇者は災厄を呼び寄せます。安定した旅にはなりませんよ』
「それで良い。僕の復讐は、あくまでついでです。祭りのついでに魔物を倒す。でも、魔人達にも理性があるのなら、彼等とも僕は友好的でいたい」
『……ふん。その信念、一体いつまで持つのやら』
額の角が淡く輝く。
これが僕への戒めの光なのか、歓迎の光なのか。
こうして、僕の旅は始まった。