6 眠れる魔鮫(2)
「……よし」
見た目の限りでは鉄製と思わしき扉に手を当てる。
明らかに人サイズの通行を想定したものではない巨大な門扉。触れる手を押し返して来る硬い感触はとても人一人の力で動かせそうに感じられないが──ここは『ゲーム』だ。
「お」
差し込む疑問が明確な形を取る前に目の前には今までとは違う黒縁で気取った豪華なウインドウが現れ、愉快な鈴鳴りの警告音と共に整った文字を中に浮かび上がらせる。
『この先、ボスの間です。一度中へと入ってしまえば戦闘終了まで出て来る事は出来ません──中に入りますか? YES/NO』
「『ボスの間』と来たか」
頭部全体を覆う兜の下で、俺は薄い嘲笑を口に浮かべる。
なんとも、ゲームらしい表現。そう思ってしまうのも慣れてはいないせいか。
実の所、俺個人としては【妖精女王オンライン】においていわゆる『ボス』とやり合った経験がほとんどない……むしろゼロに近い。
しょうがないだろう。何せ人一倍の嫌われ職である【獣使い】だ。
誰かと組んで仲良く何かに挑むなんて事はなく。
いつでも一人、気楽に一人。モンスターは使い潰す。
こちらとしてもわざわざ好き好んで『お荷物』として迎え入れて欲しくはないし、『役立たずでスイマセン』とへらへら笑って寄生する事もしたくない。
せめて、ゲームの中でくらいは好き放題やっても罰は当たらないはずだ。
「はいはい、イエスイエス」
軽い口でほとんど縁のない最後通告の一部を指で叩いた。浮かぶウインドウの中で押し込んだ『YES』の文字が赤く点灯し目の前に居座る大きな扉に唐突に変化が訪れる。
「おっと」
頭上から零れ、辺りへ落ちてくる灰と砂。
耳奥まで響くギギギという重い音に合わせ目の前の扉は徐々にだが確実に『開いていった』。
長い事開いていない(実際はそんな事はない)門の振動により触れ合い欠け落ちた金属の欠片が風に流れキラキラと僅かに輝いては地面に刺さる。揺れる振動は数秒の事、扉が全開するとはいかず人一人が歩いて通れる程の隙間を開くとそこで停止した。
門扉の境から覗く真っ黒な暗闇、見通しの利かない奥地へと向けて伸びた足が『勝手に』歩みを進めて行く。
「開けるだけ開けて、はいさよならは無理か」
……元からそのつもりもないが、どうやらボスの間への扉を開けてしまったら最後、後は全自動で奥まで進んでしまう仕様らしい。今だけは自身の操作の手を離れ、勝手に歩き出すマイキャラクターを俺は無感情に見下ろし。首から上だけは自由に動かせる事を確認すると背後に従う掻き集めてきたモンスター達へと視線を写す。
対ボス用にと用意したのはソコソコの耐久度を持つここまでの道のりでも操作していた熊モンスターが一匹。攻撃力の高い蜘蛛が三匹……いずれもが新しく調達して来た個体なので【テイム】時間には余裕があり、体力も最大近くまで回復してから突入している。
高レベルの【獣使い】が同時に操れるモンスターの最大数は全部で五匹だが、内一つの空き枠はこれから俺の軍門に下る──かも知れない『ボス』の為に用意したもの。5分の5を埋めてしまったら新たな【テイム】は出来ず、どっちにしても決着は早めにつくと思っているので問題はない。
「暗いな」
ボスの間は真っ暗だった、響く自身の声からただただ広いとだけは推察出来る空間。
道中にはあった等間隔で並んでいた松明の光はここには無く、冷めた洞窟特有の冷たい空気が不快にならない程度に頬を撫でて過ぎていく。
「居ない……訳はないか」
見渡してもボスらしい姿は、見えない。
『フォルネウス』というのがどんな怪物かは詳しく知らなかったが確かどこかの神話の、化け物か何かだったとうろ覚えに記憶はしている。
そういった神話とか物語の怪物の登場はゲームの世界においてはよくある事だ。
ドラゴン、オーク、ゴーレム、デーモン、魔王。
古今東西闇鍋状態の敵キャラクターが至る所に配置されているがいかにもRPGっぽくて【妖精女王オンライン】もその類と同じだが唯一……不思議な事にゲーム名でもある『妖精』というものがこの世界に存在しない。
実際、【妖精女王オンライン】なのにおかしいだろという反対の声も多いが、どれだけ多種多様、雑多な種族は出しても『フェアリー』や『ピクシー』といった配役は決して出さず、当然ながら『クイーン』なんてものは影も形も有りはしない……その点だけを言えばここは変なゲームだった。
「来たか」
いくらかの時間を待ち。演出の一端か、暗闇にも慣れてきた丁度その頃、広間の壁という壁に不意に青白い炎が次々と灯されていく。
炎の発生と同時に背後で重く軋む音が鳴り、入って来る時に通った扉の隙間が完璧に『閉ざされた』。
「……」
網目状に設置され怪しい色合いの炎が放つ光に照らし出された空間は、想像していたものよりもずっと広い。
壁の端から逆の端まで……雑多な勘定で百メートル近くはあるだろうか、高さと奥行きは更にその倍。ここまでの閉鎖的な洞窟の風景とは異なり広大な敷地と異常な高さを思わせる開けた場所。
しかし……実際にその目でこの場を見た者は実質的な見掛け以上に、この場を狭く感じるはずだ。
転々とする青い火。天井の縁まで続く光の連鎖に、見上げた視界に映るのは宙を泳ぐ……途方もない大きさの鮫。
「これは」
ピンと張った背ビレと横ヒレ。優雅とすら言えるゆったりとした動きで空を泳ぐその物体は見た目や形状こそは一般的な鮫のそれであるがサイズだけは鯨並みにあった。
僅かに横へと広がり先で細まるその鼻先に目に当たる器官は確認出来ず、薄く開かれた顎の奥には一本一本が人の持つ剣に相当するようなギザギザとした鋭い牙が並んでいる。
全体的な色合いは浮かぶ炎と同じくブルー。蒼色の肌の所々に模様となっている銀色の線が走っている。
「スゴいな」
下から見上げるこの威容……初めて見るに近い、これがボスと呼ばれる奴の姿か。
現実さながらの震えの走る臨場感に背中を冷たいものが走り。
「ハ、ハハ」
同時に……もしかしたら。『コレ』を俺は自由に操れるかも知れないのか、そう思うと湧き上がって来る愉快さが抑え切れない。
『──人ョ』
「ん?」
兜の下ではいつの間にやら半開きとなっていた口を閉め、周囲の空間を震わせて響いたくぐもった声に動きを止めた。
「……」
初めは、聞こえたそれが何かは分からなかった。だが見下ろす巨鮫の見つめる目は無くとも、下へと向けてこちらを見下ろした顔に、一体何が喋っているのかに見当は付いた。
「ハハッ、スゴいねぇ」
……まさかこのボス、固有の『ボイス』まで付いているのか。普段から強敵に挑むような経験がなかった為に知りはしなかったがこれは、心が躍る。
『──可能性ョ、ヨクゾ来タ』
「ああ……ああっ! ちょっと出来損ないの電子音声なのが残念だが、来てやったぞ」
『──試サナケレバイケナイ』
「……ふん」
試す? ただのゲームデータがご大層な事を。
とにかく、これが戦闘開始の合図か。気付けば自動歩行だった身体の操作は完全に自分のものへと戻っており、早めに戦闘を終わらせる為に俺は居並ぶモンスターへと向かって号令を発する。
「行け、攻げ──」
『見セナサィ』
「き……ッ!」
瞬間、辺りの炎と同じ青色の閃光が視界を焼き──配下のモンスターの一匹が光に飲まれて姿を消し……
「なっ」
『一撃』で死亡した。