3 ケダモノ使い(3)
「ぅ」
だらりと、両腕を垂らしたローブ女の頭上に表示される『DEAD』の黒文字。
打ち込まれた複数の杭が順番に引き抜かれていくと宙に浮いていた身体は地面に落ち、そして二度とは立ち上がる事なく崩折れる。
「はあ」
全年齢対象を声高に謳う【妖精女王オンライン】において流血やグロ描写が表現される事はない。
現実であるなら傷が生まれ次々と赤い粘液が噴き出てくるような状況だが、倒れたローブ女から飛び上がるのは明るい火花のみ。
赤・黄・青。
薄い三原色を織り交ぜたカラフルな光の華は夏夜の花火よろしく空中でパチパチと瞬き、やがて力を失うと静かに消えていく。
「な」
「……」
背後の異変に最初に気付いたのは青鎧の男。やはり知覚が鋭敏なのか、この時ばかりは熊型モンスターへと仕掛けていた攻撃の手を止め、作り物の整った顔に最大限に驚きの表情を浮かべて目を見開く。
「うん」
その顔だけは、面白い。
「結構時間が掛かりそうだったもので」
兜の下の見えない場所で微かに浮かべる薄い笑み。キィキィと、甲高く辺りに漏れる声は今までの窮屈さを恨むように好き勝手に鳴り喚き……しかし一切の感情を覗かせないガラス玉の瞳は明確な『命令』を受けない限りその場に留まり続ける。
「手伝ってあげますよ」
声を掛け手を差し向けた先は戦闘中の三人の人間ではなくその相手をしていた熊型モンスター。
かざした手の平の向こうの赤い眼。距離はあり指と指の隙間に挟まる程度の瞳を覗き込み、口を開く。
「【テイム】」
……文字として見てしまえばたった三音で収まる短い呟き。
現実であれば単なる単語に過ぎなかったであろう言葉は『ゲーム』である世界において明確な意味を持った『スキル』として顕現する。
手の平を中心とし空間に浮かぶ小さな文字の羅列。紫の重なる輪と同色の記号が何もない空間で絡み合い、その奥から黒い鎖の先端を覗かせる。
『対象』は見つめる先の異形。鉄と鋼とを擦り合わせたような軋む音を立て鎖はモンスターへと向かって飛翔する。
─ガ
居並ぶ人間キャラの脇を抜け飛び付く鎖は熊の心臓へと。接触の瞬間に肌や毛皮などないものとして奥まで沈み。芯を捉えると絡み付く。
──ガアア
電子音声による野獣の叫びが響き渡った。
暴れる抵抗は一瞬の事、呆然と見送るプレイヤー達を置き去りとして結果だけを知らせる小さな『窓』が目の前に浮かんだ。
『【テイム】 complete』
「……」
まあ、当然だろう。
手負いのしかも格下の相手、失敗する方が稀という自覚はある。浮かれも冷めもせず、そのまま向けた手の平を今度は上へと返し手を握る。閉じ行く指に合わせて発する強い言葉に熊は一瞬目を見開いた。
「【ブースト】」
まだ、【テイム】の鎖エフェクトが完全に消えきらないタイミングだ。
捕らえたモンスターは身体を震わせ一瞬後に元より赤かったその瞳をより一層輝かせて叫びを上げる。泡立つ肌に毛皮が脈打ち、薄いヴェールのような赤いオーラが全身を包み込む。
視界の隅に新しく生まれたカウントダウンタイマーが時を刻み始めるのと、呆ける事をやめた青鎧が声を上げるのはほぼ同時の事だった。
「な、なんだオマエッ」
「通りすがりですが」
「ふざけやがって!」
「はあ……」
口の悪い言葉に、声を発する位なら斬り掛かってくればいいと思うがそれすらしない。
いや……出来ないんだろう。
俺の周りに佇む四つも影のせいで駆け出す事も剣を向ける事も出来ないでその場で強く睨むだけ。
訳の分からないだろう闖入者に対し、それはある意味最もマトモかも知れない行動だったが。一つ、忘れてはいけない。
──ガアアアアッ!
「え……」
まだ青鎧も『戦闘中』であるというのに。
高い雄叫びに再び背後を振り返った青鎧が目にするのは腕を振り上げたモンスターの姿。
直接的に青だけを狙った行動すら、本人にすれば予想外の事だろう……先程までは戦闘の余波はあれ、明確な熊の狙いは白亜の騎士であり。赤や青への攻撃はそのオマケ程度だったからだ。
「くっ」
慌てて掲げた青鎧の交差する剣と振り下ろされた鋭い爪とが接触する。
『バリン』などとは音は鳴らない。
武器破壊の概念などないこの世界に発生するのは、受けた剣が軽減させた後の体に走るダメージ判定だけ。突き抜けた衝撃が綺麗に男を両断し青い金属の隙間から華麗な火花が空に散る。
「ウソ、なんで急にに……」
「おつかれ」
『DEAD』。
無味乾燥な表記の下で青鎧は手にした二つの剣をその場で転がしうつ伏せとなって倒れ込む。死後痙攣もないまるで石像化したような死。
ゲーム上であればひどく見慣れた光景にさっさと視線を外すと命令を下す。
「攻撃」
キィキィキィキィ
キィキィキィキィ
『中身』に意志はないはずだがやたらと嬉しそうな高音の群れが白亜の騎士へと殺到する。
駆ける挙動は見た目に反して素早く。その姿は大の大人程もある四匹の青白い蜘蛛達。人に殺到して群れる様はさながらB級ホラー映画のようだった。
蜘蛛達のモンスターとしての名は『パイルスパイダー』。八本の長い脚の先端で前側二本だけが先を尖らせた太い丸太のように発達している。
飛び掛かっていく四匹の脚。計八本の杭が騎士へと向け次々と打ち込まれる。
洞窟内の広場に悲鳴が満ちた。
「うわ、ヤメッ、あああああくんなあ!?」
「……いや痛くないだろ。ゲームなんだから」
全身鎧は流石に頑丈か……しかしそれにしても凄い叫び声だった。
もしかして『中の人』は蜘蛛嫌いか何かだったりしたのだろうか……だとしたら少し悪い事をした。早く絶命して何も考えられなくなるように心から祈る。
「オマエ!」
「……うん?」
残った赤鎧は半狂乱に暴れる騎士を囮にしてさっさと接敵して来る。
丁度蜘蛛も居なくなり熊も背後という事で好機とも思ったのだろう。
「死ねよ、プレイヤーキラーの屑が!」
「はあ」
赤鎧の言う『プレイヤーキラー』とはゲーム内において他者の……とりわけ中身のあるプレイヤーを好んで傷付けようとするプレイングの俗称だ。
またの名を犯罪プレイとも呼ばれるが、非常に失礼な事だ。
「食らえええ!」
端正な顔を引きつらせ、憤怒の表情で斬り掛かる赤鎧。
キラリと光るうざったらしいエフェクトに手にした両刃の剣が振り被られ風を切って眼前へ迫る。
「どうぞ」
特に、俺は受けも避けもしない。
守るものもなく刃が接触する。
走る衝撃。
痛いというより痺れに近い何かが肩口から入り腰へと抜ける。
「ム」
一撃で体力の三分の一がゴッソリと持って行かれた。
戦闘を端から見ていて互いの実力差はかなりあると思っていたが……それでもやはりキャラクター本体の『柔らかさ』はどうしようもないらしい。
「な……んで」
「はぁ」
しかし、驚きの声が漏れたのは俺ではなく赤鎧からだった。恐らく今の彼の、本体の中では警告を意味するブザー音が高らかに鳴り響いている事だろう。
「マナーがなってない。もしかして知らなかったか?」
よろける赤鎧の頭上に表示されるのは犯罪者を意味する『Player Attacker』の黄色いの文字。この状態のキャラクターは何をされても人に文句は言われない。
「人を傷付けたらいけない。子供でも知ってる」
「おまっ──」
漏らそうとしていただろう赤鎧の言葉は背後から降って来た長い爪によって寸断された。
空気中に舞うカラフルな火花、支えを失った操り人形のように崩れ落ちるキャラクター。
「結構時間を食ったな」
赤鎧の頭上に表示された『DEAD』の文字が余計ないざこざの終了を意味していた。