1 ケダモノ使い(1)
何をやってもうまくいかない、そんな日はきっとある。それは『現実』も『虚構の世界』も同じ事だろう。
「はあああ」
長く深く吐き出した溜息が剥き出しの岩肌へと反射し響き渡る。
見通す限りどこまでも続いてるように見える暗い洞窟。薄く張った緑の苔は壁全体を覆い、硬質の地面へと振り下ろした靴足はカツンカツンと音を立てる。
時折天井から伝い落ちてくる水滴は洞窟内の涼しさの演出し、迷路さながらに曲がりくねった地形に沿って吹き抜ける風はまるで獣の遠吠えのようだ。
等間隔に並んだ壁付けの松明が作り上げる光の陰影……それらが全て『偽物』だと言い切れる人間はきっと十数年前には居なかった事だろう。
【擬似世界構築ヴァーチャルネットワークシステム】
単純にVRとしか呼ばれなくなるこの最先端技術が作られたのは何も遊戯や娯楽の為じゃない。
より高度に、より精密に。人の肉というしがらみの中ではどうしても消す事の出来なかった『誤差』を最小限にまで無くす夢の舞台装置。
あらゆる不具合の原因となる体調不良を考慮からなくし、肉体環境に関わらない等しく素晴らしき成果を……そんなご大層な思考から出来たものらしかったがそんな夢物語も一部の、別の夢を見ていたバカで天才なプログラマー達により迷走を始めた。
何の因果か未踏の最高技術が転用されたのはゲーム業界。
夢見る子供から卒業仕切れなかった大人達の手により実現されたSF技術。
一個数万のハードをテレビに繋ぎ夢の世界の見知らぬ勇者達を操作する時代から、一個数十万超のハードを買って自らが夢の世界に入り込む……そんな時代がやって来た訳だ。
字面だけ見ると正直狂気の沙汰としか思えないが、しかしこれが意外にも世界中で大ヒットする事になり全感覚投影型ダイブオンライン装置はあらゆるネットカフェに必ず置かれる身近な存在となった。
……いやバカだ。バカだろう。バカに違いない。
話しを戻す。
「はあ」
今日の俺はとにかくツイてない。
最近通い詰めのゲームに接続し真っ先に買おうと決め込んでいた『蘇生薬』は謎の高騰、通常価格の二倍の額で購入する事になった。
いや、まだそれはいい。
それでも仕方ないなと半笑いで諦め、いざ目的のダンジョンエリアに向かおうと思えば瞬間転移に必要な施設が緊急メンテナンスで使用不能。
気軽に送ってくれる友人も居やしない。
いいさ、歩いたさ。頑張って歩いたさ。
大分時間を掛けてそれでも辿り着いた『悪魔の棺』という名の地下ダンジョン……に入ったはいいもののここでもやっぱりツイてない。
普段ならうじゃうじゃ居そうな『モンスター』達の姿がほとんど見られなかったからだ。
エンカウント率、極低。まるで現実の観光鍾乳洞のような居心地のよさ。
いや、諦めるにはまだ早いよ。
それでも辛抱強く回りに回ってようやく『揃えた』時には一時間近くも時間が経過していた。
「厄日だ」
何もない、虚空へと漏らした愚痴は無口な岩壁だけが聞いてくれている。
手を突いて軽く触れた石の冷たさはまるで現実と見紛うばかりで……それでもやはり何かが違う。
ゲームとはあくまでサービスの一環。その有り様を決定付けるのはユーザーの意志だ。
誰もが自分に都合のいいものを求め、都合の悪い部分は淘汰される。
洞窟特有のくぐもった据えた匂い、削除。
肌に張り付く粘着いた感触、削除。
引きこもりの原因になると訴えられた『味覚』、削除。
痛み、当然削除。
目に眩しい強過ぎる光、削除。
臨場感を高め過ぎる大きな音、削除。
裸及び過度な素肌、削除。
その他、要望が有り次第随時削除。誰かしらがこれが嫌と言ったものは次から次ヘて世界から消えて行き。
残ったのはあらゆる不快要素を取り除いた現実に近い虚構塗れの嘘世界。
それがここ【妖精女王オンライン】だ。
「チ、くそう」
どうやらまだまだツイてない事態は続くらしい。進み行く洞窟の向こうから何か戦闘音のようなものが風に乗って聞こえてくる。
「はあ」
僅かに背後を振り向き暗がりへと命令を送ると俺は歩き出した。