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風の吹くまま  作者: 鈴和
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猫の手鏡 壱

昔、まだあたしに名前がなかった頃の話。 お母様に手鏡を貰った。黒い手鏡。ほんまは 姿見か鏡台がほしかったのだけれど、鏡の 縁に描かれた鳥が美しかったさかいほしてよ しということにしてあげた。


鏡は好きや。ただ、人間世界を映すだけの 道具。人間世界を眺めるだけのあたし達と よく似とる。稀に人間を引きずり込もう としたり、手を貸したりする者も居るけれ ど、それがまた、あたし達と似とる。







「お山に行こうか」

声が頭の中で響く。何度も繰り返されるのは抑揚さえも同じ台詞。怒るでもなく、哀しむでもなく淡々と。俺が頷こうと、首を横に振ろうとお構い無し。視界は熱があるかのように薄ぼんやりとしており、薄い夜着の袖のすぐ隣に座っているであろう父の表情を窺う事はできない。父の身に付けている色褪せ、いつかすりきれてしまいそうな紺の着物と呪いでもするかのように、うわ言のように吐かれる言葉。そして、自由に動くことのできない身体とその上下に見慣れ、触りなれた夜着。それだけがこの夢の全て。

噂だか、物語だかでは覚醒夢を見る者はその中で自由に動き回れることが多いと聞いたことがある。その虚実はわからないが、少なくとも俺はそれには当てはまらないらしい。

「お山に……」

声が不意に途切れ、俺は夜明けが来たことを理解する。


天井のしっかりとした板、少しも破れていない障子に畳。落ち着いた雰囲気の部屋に似合わぬ心臓の音を静め、夢の中より数倍はきれいな夜着と汗で僅かに湿った蒲団の間から抜け出すと日の当たる場所に広げたままのそれらを移し、部屋を出た。

庭に面した渡り廊下からは紅色の小さな花をつけた木が見える。季節によっては桜、菊、藤なども咲くらしい。他にも先生はいくつか名前を口にしていたが家を出ることも草子に書いてあるような物語を見聞きすることも少なかった俺には、なんの事だかいまいちわからなかった。けれど、月毎に一つずつ教えてくれる物から、花か木の名称であろう事は想像できる。神無月は紅葉、霜月は柳、師走は桐、睦月は松、今は如月だから梅なのだとか。

他にあるのは鳥を模した石像、池と簡易的な橋、花をつけない木々もあるし、鳥もたくさん来るという。

先生はこうしておけば季節を見失うことがない、と微笑んでいたが、その感覚はいまだに理解できない。季節なんて考えなくてもわかる。

ここにきてから先生は様々なことを教えてくれる。その中でも、時によって移り変わるものは特別らしい。そういうものは実際見て覚えるのが最もよいのだとか。

「おはよう」

声が聞こえたあと少し離れた場所にある襖が開かれ、先生が部屋から出てくる。いつもどうやって俺が来たことに気づいているのか。少しだけ見える部屋の中は机の上を除けば整頓されている。最近もう一人の住人が片付けたらしい。その人に会ったことはないけれど。

「おはようございます」

先生の後ろについていくといつもと同じ部屋に二人分の食事が用意されている。これを知ったら母さんや父さんはどう思うのだろうか。今は考えても仕方がないか。

礼儀作法についてあれこれ言われることもなくなった食事は多少の会話と共に進められる。ほとんどは先生が最近街であったことを話していて、この屋敷からでていない俺はそれを聞いている形になる。誰と誰が喧嘩していたとか、最近よくわからない盗みが出るだのそんな話。

「お客さんのようだね」

突然、先生がそう言って器を片付けようとしていた手を止める。

玄関は廊下の一番先。この距離で音を聞き取れることが先生が妖であるといつも思いださせてくれている気がする。

「迎えに行ってもらえるかな。彼女なら君をみても問題ないだろうから。きちんと教えた通りにね」

その言葉を背に廊下を抜けて、玄関の扉を開く。お? と間の抜けた声を出して俺と同じくらいの背丈の少女が此方をじっと見てくる。

「えっと……その、先生に用があるんだよな?」

少女が何度も首を縦に振る。その髪の一部がそれに合わせてぴょこぴょこと跳ねた。髪の一部が他の流れに逆らって形を作っていたりするのだが、一体どうしたらそうなるのか。

「ちょい相談事があってな。君を来させたなら先生は知ってるやろうけど」

少女はそう言うと慣れた様子で中へと入ってくる。そして、思い出したかのように此方を振り向いて

「あたしは夢! よろしうね」

と満面の笑みを浮かべた。

方言を使う登場人物がいますが私の住んでいる地域のものではないです。違和感があるかもしれません。

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