【第二話】僕らの始まりの物語
しばらく見つめ合っていたが、我に返った僕は慌ててその場を後にして真っ直ぐ帰宅した。
僕は自分のこれからの記憶に永久保存されるだろうあの事件を、「紙ヒコーキ事件」と名付けた。
「はぁ………。あんな去り方したら意識してるってバレバレじゃないか」
昨日の事件を体験してから僕にはわかったことがある。
僕はきっと泉さんのことを意識しているのだろう。理由まではわからないが、泉さんを目で追ってしまう。
しかし、こちらに気づきそうになると慌てて目を逸らす。この僕の行動から推測して導かれる答えは……………。
「そう。きっと僕は泉さんになんらかの仲間意識を感じている」
…………ないな。そもそも僕と彼女では性格も立場も性質も環境も全く逆だ。彼女は常に光の指している明るい世界の住人、対して僕は壁を作って自分一人の世界を作り上げてしまっている。
きっと僕は、過去に僕が立ちたかった位置に立っている泉さんを羨ましいと思っているのだろう。そうでなきゃ僕が彼女を意識する理由が見当たらない。
「どうなっちまったんだぁ。いつもの僕なら人との関係でこんなに悩むことなんてないはずなのに」
久しぶりに体験した人間関係の悩みに頭を抱えつつ、教室の扉の前に立つ。
さて、今日もいつもどおりの学校生活が始まる。僕は一度大きく息を吐くと自分に言い聞かせる。
「………落ち着け、僕。大丈夫だ、いつもどおりに壁を張ってなんでもない一日をやり遂げるんだ。泉さんに話しかけられようと僕には関係ない。集中、集中……………しゅう」
「新井君?」
「ちゅう!」
い、泉さん…………!
「ちゅう…………? おはよ。新井君」
「あ、あぁ! お、おはよ!」
ま、また僕の意表を突いてくるとは、狙ってやってるんじゃないか? とりあえず昨日のこともあってなにか気まずいな。急いで退散しよう。
「じゃ、じゃあ僕はこの辺で………」
「この辺でって、教室同じなんだから行くところも一緒でしょ?」
なんで。なんで泉さんはこんなに僕に付きまとってくる。
「いい加減にしてくれ」
「…………新井君?」
気づけば僕は泉さんを睨みつけていた。悪意のこもった眼差しで泉さんを睨みつけていた。
「…………泉さん。この際だから言っておくけど、もう僕のことは放っておいてくれないか。僕をクラスの輪に仲間入りさせて自分をアピールしたいみたいだけど、僕は君らのゴッコ遊びに付き合っている暇はないんだ」
駄目だ。止まらない。泉さんはなにも悪くないのに、僕は止まれない。
泉さんは僕の言葉をなにも言わずに受け止めていた。僕が言い終わると泉さんは俯いてしまった。あぁ、傷つけるつもりはなかったんだ。どうして僕は素直になれないんだろう。
「嘘だ」
「…………え?」
返ってきたのは予想外な答えだった。
泉さんは綺麗な瞳で僕を見つめる。
「嘘だよ。新井君は嘘つきだ」
「嘘じゃない」
やめろ。
「嘘だよ。本当は寂しくてしょうがないんだよね」
「違う…………」
泉さんが僕の心の奥を見据える。やめてくれ。
「違わないよ」
「わかったような口を…………!」
「ならなんでっ! 君は泣いているの…………?」
「な、泣いている……?」
僕は泣いていた。収まりきらなくなった涙が目元から頬を伝って地面に音を立てて滴り落ちる。
「本当は辛いんだよね。新井君が優しい人だって、私知ってるよ。新井君は中一の時から毎日サボらずに掃除してたよね。中二の時、迷子の女の子に声をかけて一緒に親を探してあげてたよね。教室に飾っている花瓶の水を取り替えてたのも見たよ。私も、誰も気がつかなかったのに」
泉さんは紙ヒコーキ事件の時のような優しい笑顔を僕に向けた。
「私はそんな優しい新井君のこと、ずっと見てました」
「………っ!」
僕は逃げた。泉さんに背を向けて、現実から背を向けた。泉さんが僕を見ていた? 僕が優しい? なにデタラメ言ってんだよ! 僕は人に関心なんて持ってないし、寂しくなんてっ!
「うぉっ。あ、新井か。どうしたんだ? もう席に着く時間だぞ」
僕はがむしゃらに走っていたばかりに担任の先生にぶつかってしまった。
「す、すいません。体調が悪いので今日は帰ります!」
「お、おい!」
「新井君!」
走り続けるはずだった。しかし、どうしてか僕の足は動きを止める。僕は立ち止まってしまった。もちろん先生に呼び止められたからではない。泉さんの声が聞こえたからだ。
「今日! 学校終わったらあの川で待ってる。ずっと待ってるから…………」
「僕はっ、行けない!」
再び走り出す僕。
「新井君!」
僕はその足を止めることなく、家まで全速力で走った。ここまでどうやって来たのか、どういう道を通ったのかなんて覚えていない。唯一覚えているのは、僕があの川を避けていたことだけだ。
家に帰り、すぐベッドに体を預けた。
………………それから何時間たっただろう。気づけば空はあかね色に変わっていて、下校途中の生徒たちの声が聞こえる。
なにをやっているんだ僕は。泉さんに酷いことを言っておいて自分に都合の悪い答えが返ってきたら逃げ出すなんて。最低だ。
泉さんは、今までの人間とは違った。最初は声をかけてきても、拒絶すれば皆それ以上は入り込んでこない。それ以上は僕に構わない。しかし、泉さんは僕の心に入り込んできて、心の奥底を除いて、壁をこじ開けてくる。
よく考えれば。僕はここのところ泉さんのことばかり考えている。泉さん、泉さん、泉さん。
「そっか。僕、泉さんと友達になりたいのか」
考えれば簡単なことだった。僕は昔の自分と泉さんを照らし合わせて、あの頃に戻りたいと思ってしまったんだ。泉さんといれば、僕はもう一度友達を作れると思ってしまったんだ。
僕は今まで知っていたはずの答えを、見ないフリしていたんだ。
僕は少し軽くなった腰を上げ、椅子に座る。
「気づいてしまった以上。僕は行動しなければならない」
僕は折り紙用紙を一枚手に取った。
行こう。そうだ、紙ヒコーキ事件はまだ終わっちゃいない。あの時僕は逃げたんだ。それを都合よく永久保存するなんて虫が良すぎる。僕はこの事件、いや、物語を完結させなければならない! もう一度、もう一度あの川へ!
僕は一心不乱に走る。何度もつまずきそうになるが堪えてまた走る。泉さんに謝ろう。謝ってから、僕は泉さんに言うんだ!
「はぁ、はぁ」
走ること数分。僕は川にたどり着いた。昨日と同じ位置に立ち、向こう岸を見る。そこにはやはり、泉さんがいた。泉さんは僕を見つけると嬉しそうな顔をする。
人のことで嬉しがれるなんて、そんな泉さんが羨ましいよ。
………僕も、あんな人になれるのかな。
僕はさっき作った紙ヒコーキを真っ直ぐ飛ばした。紙ヒコーキはフワフワと、しかし力強く、真っ直ぐ泉さんに飛んでいく。
泉さんは紙ヒコーキを受け取ってくれた。泉さんが紙ヒコーキをちゃんと掴んだところで僕は本当の気持ちを告白した。
「さっきは酷いことを言ってごめん! それと………」
僕は一度大きく息を吸って言葉を繋げた。
「泉さん。僕と、友達になってくれませんか?」
言った。はっきりと、一つも偽りのない僕の正直な答えを泉さんに伝えた。泉さんは少しの間放心といった様子で僕を見つめる。しかし、またいつもの笑顔で僕に返事をくれた。
「喜んで!」
泉さんは紙ヒコーキをこちらに飛ばす。その紙ヒコーキはまるで決められた位置に吸い込まれるように飛んでいき、僕の手に乗った。
かくして中学三年生の春、紙ヒコーキ事件改め「紙ヒコーキ物語」は完結され。
僕の記憶に永久保存された。
どうも、パピコンです!
はい、序章と言ってもいい紙ヒコーキ事件改め紙ヒコーキ物語が完結しました! やっと主人公とヒロインを友達にすることができたのです。
今回蒼太は自分の気持ちと正直に向き合い、美春に想いを伝えました。ここから二人がどういう関係になっていくのか、書いている自分にも想像がつきません…………! 冗談です。ちゃんと先のことまで考えているので大丈夫ですよ!
という訳で、恋愛アーカイブ第二話、僕らの始まりの物語。楽しんで頂けましたか?
これからも恋愛アーカイブを見守っていてください。