-sideヨキ
今となっては本当にどうでもいい話だが、私はかつて不義の子と言う立場に苦しんでいた。
陛下たる父が人の奥方に手を出して生まれた存在。
母を公に公表できるはずもなく、かといって国主の血を引く私を殺すこともできず、つまるところ厄介なこぶだったわけだ。
血の繋がりだけで情など一切なかったのに、それでも幼く愚かな私はその紛い物の絆に縋るしかないほど無力で。
誰よりも家族と言うものに憧れ、誰よりも人に認められたく、誰よりも人の笑顔に飢えていたのかもしれない。
そして愚かな私は、それらを無償で与えてくれた存在を自らの意志で消し去ってしまった。
愚かにも自分の手を汚さず、唯一私を理解してくれた友の手を汚して。
それなのに、ひたすら許しを請い続けた私は結局のところ欠陥だらけの人間だったのだ。
「あり、が…」
今でも、最後まで紡がれることのなかった彼女の最期の言葉が鮮明に蘇る。
家族のように慕い、ちっぽけな私をよく褒め、死ぬまで笑顔を絶やさなかった彼女。
それでも当時の愚かな私は、血の繋がったカゾクと、そのカゾクが必死に守ろうとしているものを選び取ってしまった。彼女の尊い命に比べれば、紙のように薄っぺらい絆しかなかったのにだ。
「…ヨキ様、帰りましょう。ここにいてもあいつは帰ってこない」
「…」
その命を奪ったのは私だと言うのに、被害者のように彼女の抜け殻の傍で暮らす日々。
まるで人形のように綺麗なままのその体からは体温だけが綺麗に消えている。
彼女が死ぬまで暮らした森の奥深く。
家具と言うにはあまりに滑稽な丸太がごろごろと並ぶ中、雨風を防ぐように大事に大事に守られていたのは私が気まぐれで与えた本だ。
もうずいぶん昔に触りすらしなくなったそれを抜け殻のような手でなんの感情もなくぺらぺらとめくる。
そうすれば、ふとあるページで紙がぺらりと地に落ちた。
≪ありがとうとだいすきをつたえることば≫
そんなことが書かれたそのページ。
紙を拾い上げて見れば、みみずのような記号のようなそんな文字で、必死に必死に言葉が綴られていた。
≪ヨキさま、ダイすき≫と、≪ザキサマ、ありがとウ≫と。
「すまない、すまない…!」
彼女は一度だって私達を疑うことがなかった。
一度だって私達を責めなかったし、一度だって言葉を疎かにしない少女だった。
そんな心優しい彼女を私は最悪の形で裏切ってしまったのだ。
しかも勘違いという最悪の結末を引きつれて。
彼女の死をまるで待っていたかのように、魔王は現れた。
彼女と同じく赤い髪と目を持った、中世的な男だ。
人々がかな切り声をあげようが、小さな子供が泣き叫ぼうが、躊躇いもなく襲って行った。
私が守りたいと思っていたはずの国は、あっという間に傾く。
伝承どおりの魔王によって、またたく間に血の国へと姿が変わっていく。
「殺す。どいつもこいつも殺す!こんな国に何の価値もありゃしねえ!」
私達の目の前に現れて彼はそう言った。
やがてその尋常じゃない激昂の元が、彼女の死にあったことを知る。
それは、信じ難い事実と共にだ。
「俺達を殺し続けたのはお前らだろうが!俺達がいなきゃまともに生きられすりゃしないくせにお前らはそれを蔑み続けた、自業自得だ滅びれ!!」
国をあらかた暴れ回り、最後にその血だらけの手を隠しもせず目の前に現れた。
そして彼女の亡骸を見守り続ける私達に怒りは頂点に来たらしい。
今更なんのつもりだと、自分勝手に殺して自分勝手にエゴを押し付けるなと。
全く持っての正論に言葉を失ったのは私だけではない。
父や母に認めてもらいたくて、民に頼られて嬉しくて、そんな気持ちで彼女との偽りだらけの友情関係を結んだはずだった。
そして、期待にこたえたくて、国を守りたくて、奪った彼女の命。
それなのに、気付けば、彼女との記憶を思い出すたびに後悔ばかりが胸を占めていた。
それをきっと魔王は見破っていたのだろう。
「…殺す。楽に死ねると思うなよ、長く苦しみもがきながら死ね」
人間とは異次元の力を操り何かが私の首を絞めて行く。
抵抗をするだけの心も生まれなかった。
このまま惨めに愚かなまま私の大した価値もない命は散っていくのだと思った。
けれど、私達は死ぬことはなかったのだ。
『ダメ!殺しちゃ、ダメ』
「っ!?」
『ごめ、ごめんね…!私、私が、あまりに無知だったから』
聞こえたのは声だけ、だった。
けれど確かに響いたのは彼女の声。
『…罰は私が受けるの、ここまで毒が膨れるぐらい我慢させてごめんね。私が、なんとかするから』
「おい、バカ止めろ!!お前がもたない!」
『良かった、正気戻って来た。魔王なんて、悲しいこと言っちゃダメだからね』
魔王と彼女が一体何を言っているのか、私には分からなかった。
けれど、その声が響いた途端に魔王の顔色が変わっていった。
いや、顔色だけではなく、髪や目すらだ。
『ヨキ様、ザキ様。ごめんなさい、私のことは憎んでも怨んでも構わないから。本当に、ごめんね…』
その声が響いた頃には、魔王は真っ黒な髪目になっていた。
涙を流しその場に崩れ落ち「ごめんな、守ってやれなくて」と、彼はぼつり言う。
その姿はとても先ほどまで人を殺していたようには見えなかった。
「魔は血の色。僕や彼女はその血の色を色濃く吸収してしまう、そのために何度も何度も悲劇を繰り返してきた」
去り際、大きな情報を与えてくれたのはやはり魔王だ。
「君達人間の負の力を僕たちは引き受ける代わりに力を持った、そういう自然界のルールを壊したのはそもそも君達人間だ。その上、君たちはその中でも絶対的な存在である彼女を虐げた。おそらく千年は彼女は目覚めない。その千年の間、君達人間のことを僕は試させてもらう」
そう告げて去っていった彼。
千年の時は長かった。
魔王の影響なのか、私の悔恨が強かったせいなのかは分からないが、何度も何度も記憶を引き継いで私達は生死を繰り返した。
何度も繰り返すうちに、人間の醜い部分は浮き彫りになっていく。
逆に、本物の人間の情というものも知っていった。
初めの生では知り得なかった人間らしさを理解して行くたびに、彼女を思い出す。
名前すら知らなかった彼女の笑顔が鮮明に脳内に蘇る。
どんなに生を繰り返したって、彼女ほど私を包み込み信じてくれた存在はいなかった。
ずっと燻っていた言葉にならない感情が、恋情だと気付いたのはいつのことだったか。
初めは千年後に償いたいと一心にそれだけだった感情が、いつしかあの笑顔をまた見たいという感情に変っていく。
そのうち、彼女に会いたい、あの声が聞きたい、そのぬくもりに触れたい…そんな欲ばかりがものすごい勢いで膨れ上がっていく。
罪悪感と償いの気持ちと求める欲と、制御の難しい気持ちがぶくぶくと膨らみ続けてどうしようもない。
気が狂いそうになりながら一体どれほどの歳月が流れたことか、分からない。
ずっと現れ続けていた魔王や魔物がピタリと止まったのは、こうした輪廻にさまよってから初めてのこと。
確信を持って、世界中をくまなく探し続けた。
一刻も早く会いたくて、一刻も長くその傍にいたくて。
そうしてようやく見つけた彼女を目にした途端に、気が狂う程の激情が体を支配する。
今度は彼女の為だけに生きたい。
誰よりも彼女を愛して、誰よりも彼女を信じ、誰よりも彼女の傍にいたい。
大事に大事に囲って、誰の目にも見せず、ただただ愛したい。
狂気に支配されて、いつしかそのことだけしか考えられなくなった。