溶解
ぐいぐいと意識が引っ張られる。
彼らの元へ帰るんだと、お兄ちゃんは言った。
けれど、私は本当に戻ってもいいのだろうか?
千年経ったって私は許されないことをしてしまった。
大好きな人達を傷つけて、傷つけたくせに受け止める勇気もなく逃げ回った。
逃げ回ったあげくに出てきた言葉は暴言だ。
自分のことを棚上げして、彼らを私は責め立てた。
そんな醜い自分が、どうして図々しく元の位置に戻りたいなんて言えるのか。
ぐるぐるぐるぐる。
嫌だな、前だったらこんなに悩まなかったのに。
言われた言葉に喜んで、ただひたすら目の前のことを考えていれば生きていられた。
前の自分じゃダメなのに、今の自分にも自信が持てない。
「ミリア、早く戻っておいで。ミリア、お願いだから置いていかないで。大好きだから」
「帰ってこい、ミリア。大丈夫だ、大丈夫だから」
答えの一向に見えない悩みは2人の声に打ち消されそうになる。
いつだって無条件で私を認めてくれた温かい人達。
大好きで大事で、ずっと傍にいたいと思っていた特別な…。
踏ん張ろうとしても想いが溢れる。
あの頃、他に何にも考えずただただ無心に彼らを慕っていた頃のように。
あれからもそれは降り積もって、ひとつ知るたびまた積って。
ひとつ知るたび落胆することもあるけれど、その嵩が減ったことなんてなかった。
「ヨキ様、ザキ、様…」
「っ、ミリア!ミリア、分かる!?」
「おい、ミリア!」
勇気を振り絞って声をあげてみれば、途端に大音量で返される。
それに励まされてうっすら目を開ければ、視界いっぱいに2人の顔。
感覚がはっきりしてくれば、手に加わる力の強さとか、温かさとか、色々なものが体中に感じる。
ああ、本当に私のことを心配してくれているんだ。
そう思うのはすぐのことだった。
素直に2人の気持ちを呑み込めたのは本当に久しぶりに感じる。
だから、そこでやっと私の口は正直になった。
「ごめん。ごめんね…、私がしっかりしてないから巻き込んだ。大事だったのに、私が皆を守らなきゃいけなかったのに。私は、誰も守らなかった」
ずっと言いたかった言葉。
ずっと記憶に囚われ、ひたすら苦しみ続けた彼らへの今さらすぎる謝罪。
言ったところで彼らが味わった苦痛を取り除いてあげることはできないけれど、言わずにはいられなかったのだ。
私の醜い部分を知って、嫌われてしまうならばそれはもう仕方のないことだ。
それだけのことを私はしたのだから。
そう思ったけれど、帰って来た声は酷く優しかった。
「違うよ、ミリア。君が謝ることなんて何もないんだ、謝るべきは私の方。君は何も悪くなかった、いつだって私達人間の欲しいものを与えてくれていたのに私はそんな君の信用を裏切った。本当にすまない。すまなかった」
ヨキ様が私の手をそっと持ち上げて、許しを請うように額を押し付ける。
私がいる寝台の横、床に膝を付けて。
「ミリア、悪かった。お前には辛くて痛い想いをさせてしまった」
シンプルに謝ってもう片側に膝をつくのはザキ様。
一国の王子様と騎士団長様で、ただの街娘の私からすれば天地も離れている存在で、そして、前世から変わらず私を理解してくれる優しい人達。
本当は私なんかに囚われずに、もっと人の中で人らしく生きた方が幸せなのかもしれない。
そう思う気持ちは今でも変わらない。
けれど、私の中にもムクムクと自分勝手な欲が生まれてしまう。
「おあいこ、できるかな」
自分勝手な言葉が出てしまう。
醜い自分、情けない自分。
それでも、この人達はきっとそれも許して笑ってくれる。
それを当たり前だと思ってはいけないけれど、そう思いたい。
こんな状況でも、こんな自分勝手な私にも、ちゃんと手を差し伸べてくれる彼らだから。
だから、逃げ続けてきた彼らの感情にちゃんと向き合おうと初めて思ったのだ。
「私、幸せになって欲しいの。ちゃんとヨキ様とザキ様の幸せを見守りたい。それをできるのが私じゃなくても、良い。誰でも何でも良いから、幸せになって欲しい。私の願いはそれだけなの」
優しく掴まれた手が震えていること、きっと気付いていると思う。
優しい彼らがきっとそんな私の手を慰めてくれるだろうことも分かってる。
それでもそんなことを言ってしまうずるい私。
「“私じゃなくてもいい”なんて言わないで。ミリアだけだよ、ミリアがいなければ私は絶対幸せになれない。ミリアしか私にはいない」
「俺の幸せは、お前の傍でその幸せを見ることだ。…できれば、俺の手で」
響くのは変わらず優しい言葉。
ヨキ様とザキ様が同時に私を抱きしめる。
いつもより強くて、余裕のない感じの抱擁。
突然のことに驚いて距離をあけようとすれば、すぐに拒否されて強まる拘束。
「ミリア大好き、愛してるよ。ずっと一緒、ずっとずっとずーっと絶対一緒だからね?」
「おあいこなら、もう離れようとすんな。俺達の幸せを願うなら、傍にいろ」
震えている2人の声。
震えている私を抱きしめる腕。
それに確かに罪悪感をもつ自分がいるはずなのに、それを上回ったのは嬉しさだった。
独りじゃ味わえない温もり。
素直に響く自分の感情に、顔が熱くなる。
「…やっと泣いてくれた。泣き顔も可愛い、本当やばいなあ」
「ミリア…」
また願ってもいいのだろうか?
またその手を取ってもいいのだろうか?
こんな醜い私が。
人間の輪から外れた私が。
「ミリア、もう余計なこと考えないで?私達のことだけ考えてくれたらそれで全部良いから」
「おら、他のこと考えても無駄なんだから俺らの方だけ向いとけ。そっちの方がお互い楽しい」
往生際悪く悩む私を見破ったように、優しい否定が響く。
私の中の迷いは、そんな甘い言葉に溶かされていった。