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第六章




そこは、時間が全く分からない程深い霧の立ち込めた場所であった。

現在はおそらく「昼」であったが、太陽の光は地表には殆どといって届いていない。

「こりゃ、霧ってレベルを超えてるぜ……まるで壁だ。真っ白のな」

ルーイン達は霧の中を当てもなく彷徨い歩いていた。

ここが目的の場所である「アウド地方」だという保証は無い。

ただ、深い霧が出ていただけの別の地域だという可能性もある。

「これだけの霧は初めてだな。おそらく、アウド地方に出られたのだと思うのだが…」

「俺のおかげだな」

ルーインが軽口を叩きながら、ネイヴィスと共に周囲を見渡す。

深い深い乳白色の霧と、突如として視界に侵入してきた木々が枝を揺らしていたが、それ以外には何も見えず、方向すらもわからなかった。

「やってらんねぇな……何も見えねぇ。俺の炎で吹き飛ばしてみるか?」

退屈を感じたルーインがそう言った。

聞いたネイヴィスは顔色を変える。

悪魔だけに勢いで本当にやりかねないと思ったのだ。

「まぁ待て。森を炎上させるくらいならば、とりあえず私がどうにかしよう」

そう言って、仕方なく「遠視」の魔法を使用した。

できるだけ魔法は使わないよう心掛けてきたネイヴィスだったが、この深い霧の中ならば、人間には目撃されないだろうと判断したのだ。

目を瞑り、頭の中に魔法による効果の地図を浮かべる。

それは上方から見たようなもので、現時点では2人の周囲は木と山ばかりが見えた。

更に視点を上に上げて、地図の尺度を大きくする。

「北に拓けた場所があるな…おそらく村だろうと思うのだが……」

結果として木々が乱立していない、少し拓けた場所を見つける。

「なんだかビミョーな効果なのな」

と、ルーインはそれに文句をつけたが、このままあてもなく彷徨うよりはマシだと判断したのであろう、それ以上の言葉は発さなかった。

二人はとりあえずはそれを頼りに霧の中をしばらく歩いた。

数十分後、予想通りに、二人は小さな村を見つけた。

これで誰かから話が聞け、体を休める事が出来る。

ルーイン達はそう考え、村の入り口にあったアーチをくぐった。



そこは村の広場だった。

中央には噴水が見え、その右と左には商店や酒場、宿屋が並んでいた。

そして、噴水の奥部分には、村の統治者の家だと思われる一際大きな屋敷が見えた。

「人の気配が全くねぇな…」

とは、ルーインが漏らした言葉だった。

深い霧が立ち込めていて正確な時間はわからなかったが、少なくとも今は夜中ではない。

外を歩く村人が何人か居てもおかしくなかった。

しかし、村の中心である広場や商店に人の影は見えない。

何かがおかしい、と、ルーイン達が警戒したのは当然だった。

「店の門戸は開けられたまま。商品も並べたまま、か。商売をする人間が、店をあんな状態にしたままで外出する事はないだろうな」

ネイヴィスが見つめる先の店は、確かに扉が開いたままだった。

風も無いのに「カタカタ」と不気味な音をたてて揺れ、店先には果物だったのだろうか、カビにまみれた何かが並んでいる。

それらの残骸は長い期間、店の主が商品を放置していた事を語っていた。

「明らかにおかしいな。妙な事に巻き込まれる前に立ち去った方がいいんじゃねぇか?」

「いや、ここがもしアウド地方なら、おかしいからこそ調べる意味がある。二手に分かれて調査をしよう。何かあったらすぐに知らせろ」

ルーインの意見を却下して、ネイヴィスは商店に向かって行った。

「ただの過疎化した村だったりしてな。ま、待ってても暇だから手伝うけどよ」

残されたルーインは一言言って、噴水の奥に見えている大きな屋敷に向かって行った。

屋敷の門は開け放たれており、入り口となる大きな玄関も同じように開いていた。

玄関に入ると正面に二階へとあがる階段が見えた。

階段には踊り場が有り、そこには屋敷の主らしき男の肖像画が飾られていた。

年齢は40歳程度だろうか。

目つきが悪く、細面の権力欲が強そうな男だった。

「(趣味が良いとはいえねぇな。よっぽど自信があるのかねぇ)」

階段下から絵を見上げ、言葉には出さず心で思う。

それから、適当に右を選択し、一階の調査を開始した。

通路はそこから真っ直ぐに伸び、鎧の置物らしきものが見える場所から左に折れていた。

ルーインの右側には窓があり、左手にはいくつものドアがあった。

ルーインは一応部屋に入り、誰か居ないか調べてみたが、どの部屋にも人はいない。

厨房らしき部屋に至っては、少なくともここ数週間は使ったという形跡が見られなかった。

「ったくカビが生えてんじゃねぇか…居なくなるなら居なくなるでこういうのは全部片してからいけよな…」

ルーインがケチをつけたのは、テーブルの上に並べられていたかつてのパンやスープに対してだった。

食事の途中で去ったのか、それとも何かがあったのか。

片付けずにそのままにしていた為に結局カビてしまっていたのだ。

「(念の為二階も調べておくか)」

全ての部屋を調べ終えたルーインが屋敷の二階に向かう。

正直、誰かが居るとはとても考えられない状況だったが、後になってネイヴィスに「なんで調べなかったのだ!貴様のせいだ!私は破滅だ!酒と女に溺れてやる!」と、責任転嫁をされては嫌なので、一応やっておくつもりであった。

ネイヴィスがこの心境を知ったら、「私はそんなことは言わん!」と、顔を赤くして怒るだろう。

ともあれ、ルーインは玄関前に1度戻り、肖像画がある階段を経由して屋敷の二階にあがった。

一部屋、二部屋と調べてみたが、そこにはやはり人は無く、最近使用したという形跡もまるで見ることができなかった。

「使わなくなってからひと月ってとこか。まだ新しいのに勿体無ぇな」

ベッドの上を指でなぞり、そこから取れた埃を見て、ルーインがある程度の推測をした。

実際の所それが「ぴたり」と当たっているわけではなかったが、それに近い日数をこのベッドは使用されていないと思われた。

ルーインはその部屋を出て、他の部屋の調査に向かった。

しかし結果は全て同じ。

まだ調べていない部屋は残り一箇所になってしまった。

「(どうせ誰もいねぇんだろうが、毒を喰らわばなんとやらってな)」

ルーインが思い、扉を開けた。

「おいおい、またコイツかよ」

ルーインの正面には屋敷の主らしき男の肖像画がまたあった。

服装と角度が若干違い、物思いにふけっているような表情だったという事が、ルーインの感情を逆なでしていた。

「相当自分が好きだったんだな。家族や使用人に同情するぜ…」

吐き捨てるようにそう言って、ルーインは部屋の中へと入った。

そこはどうやら書斎のようで、ルーインから見て左手は全て本棚によって占められていた。

右手には暖炉とソファーと、ルーインの膝くらいまでの高さの、薄いガラスのテーブルが見える。

暖炉の上には鹿の頭部の剥製が2体飾られており、その剥製の間にはこの地方一帯を描いている大きな地図がかけられていた。

「アウド地方一帯図、か。なんだ、マジでアタリだったのか」

地図に記されていた文字を読み、ルーインが最後に吹き出した。

怪しい場所だと思いはしたが、まさか本当に当たっているとは夢にも思っていなかった為、つい失笑してしまったのだ。

「(あの野郎、この事を知ったら翼がもげるくらい驚くだろうな)」

その事を想像して「ククク」と笑い、ルーインは暖炉の前から離れた。

そして、肖像画の前にあった机の近くに移動する。

机の上には赤い表紙の一冊の本が置かれてあった。

「アン?なんだこりゃ?」

迷い無くそれを手に取り、ルーインが適当なページを開く。

「12月2日。晴れ…?ハハァン?どうやら日記みてぇだな」

それはこの部屋を使っていた者が記していた日記のようだった。

ルーインは日記を持ったままで机に納まっていた椅子を引き、そこに腰をおろして座った。

他人のプライバシーをつるりと暴く。

それはモラルを問われる行為で、悪趣味だと非難されそうだが、これも調査の一環である。

ルーインとて嫌々読むわけであり、誰からも責められるいわれは無いのだ。

「オレも本当は嫌なんだけどな。状況が状況だから仕方がねーよなァ」

本当は嬉しい気持ちを隠し、「ニヤニヤ」しながらルーインが言う。

日記を読んでいくと、執筆者はかつては権力者だったようで、その地位を誰かに追われ、この地方に飛ばされてきたという事が分かった。

相手の名前は「あいつ」とか、「ヴァルタミア人」としか書かれていなかった為、誰の事かはわからなかったが、執筆者の名前が「ビューズ」という事だけはいちいち末尾に記されていた。

「ヴァルタミア?なんかどっかできいたような……」

その単語にはなんとなくひっかかるものがあったルーインだったが、正確にそれをどこで聞いたのかは、今ここでは思い出せなかった。

「まぁいいか。忘れてるって事はたいした問題じゃねぇって事だろ」

結論としてはそう思い、ルーインは続きを読みはじめる。

日記の執筆者、ビューズは1月に地位を剥奪され、その月の終わりにはここへ飛ばされてきた。

新しく与えられた役職はアウド地方の領主である。

この任命に対しビューズは「不当な扱い」とだけ記していた。

領主という役割は、分かりやすく言うなら「地方のボス」である。

上に立つのは国王と宰相の二人だけだと言える。

その下に、地方領主が実質横並びとなる形である。

結構高い地位であるにも関わらず「不当」だとビューズは記しているわけだから、ビューズの元々の地位というのはもしかしたらそれより上だったのかもしれない。

いわゆる中央から地方への左遷というやつだろう。

「人間ってのも大変だな。争い、奪いあう所なんかは、今の魔界よりヒデェかもしれねえ」

そんな思いをめぐらせながら、ルーインは日記を辿っていく。

三月に入り、ビューズは首都から送られた指令を受けて廃鉱山を再開発している。

その目的は表向き、眠っている鉱石の発見とされていた。

だが、実際は廃鉱山を利用した研究施設を作る事だったようである。

何の研究かは記されていなかった。

そして四月。ビューズは国王命令で送られて来たあるモノを研究施設に渡し、同時にその研究施設の最高責任者に任じられていた。

「陛下の期待に応えられれば私の地位もきっと戻る」

そこからはその一文が何度も登場する事になる。

かつての権力を、どうしても取り戻したかったのだろう。

五月。ビューズは研究施設のメンバーに適任者が居ない事を記し、国王に向けて適任者を派遣要請する手紙を出した。

研究が進まないことに苛々としているようだった。

その一週間後には「ピート・ワイズマン」という王都の研究施設にいたやり手の男が派遣されて来ている。

「こいつは……」

あまり期待せずに読み始めた日記だが、とんでもないビンゴである。

ルーインは興奮し、どんどん日記にのめりこんでいった。

これが父親を探していた少女、ミシェナの父だった。

ピートは研究の主任に選ばれ、不眠不休を強制されて研究に従事させられる。

ピートの他に適任者がいないと言うのが原因である。

その月の終りごろ。期間にして僅か一週間で、ピートからの報告書がビューズの元に届けられていた。

そこにはそのモノの習性や思考が事細かに書かれていたが、最後にピートの私見として、

「極めて危険。処分するべき」

と、最高責任者であるビューズに処分の許可を要請していた。

ビューズはこの要請を無視し、ピートに研究の続行を伝えた。

危険なものだが、おそらくは同時に価値あるものだったのだろう。

「陛下の期待に応えられれば私の地位もきっと戻る」

それが、その日の最後を締めくくる、一種、病的な一文だった。

日記はその後もしばらく続き、六月の頭まで記されていたが、六月三日の日記を最後に以降は何も書かれていなかった。

「陛下からの指令は届かず、この地方は封鎖されたようだ。霧は今日も立ち込めている」

最後部分の一文を読み、ルーインは日記を「ぱたり」と閉めた。

「……おもしれぇ」

具体的に何が起こり、こうなったのかはわからない。

だが廃鉱山に作られたという研究施設が全ての謎を握っているのは明らかだった。

ルーインは暖炉の前に立ち、地図を見て廃鉱山の場所を知った。

それから、ネイヴィスにそれを教えて自慢する為に屋敷を後にしたのである。

本棚の影から何かが現れ、「うぅ…」と呻いた事には気付かないまま。



村を出たルーイン達は北東に向かってひたすら歩いた。

それは廃鉱山のある方角だった。

時間にしておよそ20時間。休憩を織り交ぜて歩いた結果、ルーイン達は夜遅く(太陽が見えないので体感だが)に廃鉱山の近くにある街へとたどり着いた。

街にはやはり人は見えず、暗闇を照らすはずの街灯も一個として灯っていなかった。

何かが起こっている事はもう間違いの無い事で、ルーイン達はそのまま街を抜けて、「その何か」を起こした原因と考えられる廃鉱山へと足を向けた。

かつては鉱山街だったのか、廃鉱山の位置は今でも通りの看板に残ったままで、二人はそれに導かれ、迷わず進む事ができた。

第一の異常を発生したのは、街の郊外が近くなり、住居である家等がまばらになって来た時だった。

「おい、見ろ。人影じゃねぇか?」

前方の霧の中にルーインが人影を発見したのだ。

影の数は1つではなく、少なくとも50はあるようだった。

暗闇に支配されたこんな時間に、霧の中で群れる集団。

ルーイン達はすぐにもそれが敵である事を思い知った。

桑や包丁等を手に猛然と襲い掛かってきたからである。

その全ては人間で、肉体もしっかりと残っていた。

だが目に生気が残っておらず、顔色もひどく悪かった。

「なんだこいつら!?またアンデッドか?!」

先頭を進んでいたルーインが右手に剣を召喚する。

迫り来る群れの先端に向け先制の攻撃をしかけようとしたのだ。

「待て!僅かだが生気が感じられる!その者達はまだ死んではいない!迂闊に攻撃をしかけてはいかん!」

制止したのはネイヴィスだった。

相手は生きている人間らしく、それを武器で攻撃する事は殺害を意味してしまうからだ。

「そんな事言ってる場合かよ!やらなきゃやられるって状況だろうが!」

「相手は魔物ではないのだぞ!人間だ!それを傷つけるという事は……」

「くそっ!オレだってわかっちゃいるさ!なんだってんだ全くよ!」

ネイヴィスに説得された事で、ルーインは召喚した剣を戻した。

そして迫ってくる敵に向け、拳で立ち向かう術を選んだ。

目的は勿論掃討ではなく、突破口を作る事である。

殺せない以上、包囲を崩し、どうにかして脱出するしかなかった。

「オラ!死にたくなければ道を空けな!」

ルーインが言って、先頭の1人の男の顔を殴った。

男は小さな声で呻き、そのまま地面に倒れこむ。

そして少量の血と共に青緑の液体を「どろり」と吐いた。

「オイ!なんか出た!おかしいぞこいつら!」

「おかしいのは分かっている!とにかく今は突破するのだ!」

それを見たルーインがネイヴィスに向かって叫んだが、ネイヴィスももはや戦闘中でそれに構う余裕はなかった。

50対2という圧倒的不利をものともせず、ルーイン達は素手で戦い、やがては突破に成功する。

先のアンデッド達とは違い、その戦闘力が「一般人レベル」だった事が幸いだった。

だが、廃鉱山に向かって走り、追っ手を完全にまいた頃にはさすがの二人も疲れ果て、肩で息をするという状態だった。

「見たか?あいつらの血。変な緑色が混ざってただろ?」

「ああ、見た。普通の人間ではないのかもしれん。だが、生きていたのは確かだ」

「生きていたっていうよりは、ギリギリの所で「生かされている」って感じだった気がするぜ」

ルーインが眉を顰めて、肩で息をするネイヴィスを見る。

「何者かに操られていると?」

ネイヴィスも、勿論異常は感じている。一際厳しい表情で聞く。

「知るかよ。何にしてもあそこに行けば全部ハッキリするんじゃねぇか?」

「そうなる事を願いたいな」

ルーインとネイヴィスが息を整えながら前方を見た。

視線の先には看板があり、「この先ガント鉱山」という擦れた文字が記されていた。

ルーイン達の目的地はもうすぐそこに迫っていた。

直後、二人の左右から、無数の人影が現れ始めた。

それは五十や百ではなく、下手をしたら千を越すのではないかという異常といえる数だった。

おそらくは、本来街に住んでいた人々なのだろう。

顔色も、その表情も以前の連中と同じであり、中には「ゲホゲホ」と咳き込んで、緑の液体が混じった血を吐いている者も確認できた。

「提案なんだがよ。夢って事にしておいて皆殺しにした方が良くねぇか?」

うんざりした表情でルーインが言い、悪魔独自の無茶な提案をする。

だが、ネイヴィスは全く取り合わなかった。

「現実はいつも厳しい。この言葉を覚えておくといい」

「…さすがはおっさんだ。言う事が違うぜ」

「誰がおっさんだ!」

ネイヴィスが叫んだがルーインはそれを聞いていなかった。

群れの中に飛び込んですでに戦いを開始していたのだ。

一人で戦うよりも二人。ネイヴィスもその近くに飛び込み、迫り来る敵を退けた。

二人は互いの背を守りつつ、少しづつ道を作って行った。

攻撃の手段は素手だったが、多数とはいえ人間と、天使と悪魔では元々の能力に差がありすぎた。

殆どの敵は一撃でノックアウトされ、その場に次々と倒れて行った。

そして、ルーイン達の前方に廃鉱山らしきものの入り口が微かに姿を見せた。

距離にしておよそ五十メートルほど。

段々畑の上に見える入り口への道は別の場所から伸びてきている様子だった。

「私に掴まれ!」

迫り来る敵を殴り倒し、ネイヴィスが不意にルーインに言った。

「なんだって!?」

「私に掴まれと言ったのだ!飛んで一気に移動する!わかったら早く私に掴まれ!」

群れて襲い掛かってきた一団を回し蹴りで一掃しながら叫ぶ。

ルーインはネイヴィスの腕に左手でつかまった。

「振り落とされないように注意しろ!」

ネイヴィスはそう言ってから、矢のような早さで前方に跳躍。

背に翼を発現させて低い軌道で空を駆った。

時間にして僅か2秒。

ネイヴィスは背のルーインと共に廃鉱山の入り口に着地した。

その軌跡は例えるならば「へ」という文字に酷似していた。

「言えば自力で飛んだのによ。魔法を使わせないよう気を遣ったか?」

「両方とも疲れるよりは、片方が疲れた方がマシだと合理的に考えただけだ」

「へっ、テメェも素直じゃねぇな。ま、どうでもいい事だけどよ」

ルーインがそう言って、廃鉱山の中に駆け込んでいく。

ネイヴィスは1つ息を吐き、疲労を表面に出さないようにし、それからルーインの後ろに続いた。



廃鉱山の中はとても明るく、かつて坑道だったとは思えない程に通路が整備されていた。

まさに「研究施設」といったおもむきである。

「なんだコリャ?」

ルーインが壁にボタンを見つけ、無警戒にそのボタンを押した。

まさに一瞬の出来事で、ネイヴィスに止める暇はなかった。

「ガガガガ」という音を立て廃鉱山の入り口にシャッターのようなものが下りた。

「………」

ネイヴィスはその様子を瞬きもせずに見ていたが、シャッターが「ガウゥゥン…」という音をたてて完全に停止したのを確認すると、

「なぜ押した?」

と、短く言った。

振り返ってルーインを見るが、なんだか無表情である。

「ここにボタンがあったから」

少し子供じみた口調でルーインがネイヴィスに向かって答えた。

無表情だったネイヴィスに怒りが生まれ、一気に爆発する。

「なぜ貴様はそうなのだ!実行する前にどうなるかを考えるという事はないのか!」

「無ぇよ…!無ぇから叱られてんだろ!!??」

「な、なぜ貴様がキレる…!?」

まさかの逆ギレにネイヴィスは一瞬躊躇したが、それからすぐに我に返り、更に怒りの言葉を続けた。

「そのボタンがシャッターだったから良い。いや、あまり良くは無いが…例えば水中洞窟でのような洞窟の崩壊を呼ぶボタンなら貴様はどうしていたつもりだ?崩れ落ちる施設、秘密は全て土の中。我々がやってきた事は全て無駄になっていたのだぞ!!!」

「なってねぇんだからいいじゃねぇか。あいつらも追ってこれねぇし、ゆっくり調査できて万々歳だろ」

慎重さが足りないと怒るネイヴィスに、結果が大丈夫だったからと反論するルーイン。

二人の意見はまったく一致をみなかった。

「なってないとかなったとか、そういう事は別問題だ!考えずに実行するという姿勢に対して怒っているのだ!」

「考えてたら間にあってねぇだろ。『何のボタンだ…!?押してみるか…?!いやしかし危なそうだ、じっくりしっかり一時間程考えよう!』とかなんとかやってたら今頃あいつらに追いつかれてたぜ!!」

「いや、まぁ、それはそうだが…」

「だろ?余裕がある時はいいけどよ。いざって時に重要なのは考えずに実行する勢いなんだよ。テメェもそうした方がいいぜ!」

「うーむ…そう、なのか…いや…しかし…」

なんだか言いくるめられてしまった。

頭の片隅でなんとなく理解はできたが、納得ができないネイヴィスはしばらくの間考え込んだ。

「とりあえず間違い無い事はゆっくりと調査できるってこった。これだけでも十分の結果じゃねぇか」

「中に何も居なければな」

「あん?」

「中に何も居なければゆっくりと調査も出来るだろうさ。だが、中に外以上の危険な何かが居た場合、私達は逃げ場を無くした事になる」

「……」

ルーインはここで口をつぐんだ。

「ちょっとヤベェ事したかも…」と、少しだけ後悔していたが、その気持ちに気づかれると、「それ見た事か!」と言われてしまうだろう。

立場が再び逆転し、反省を強要されるのは嫌だった。

プライドが高く、叱られるのが何よりも嫌いなルーインとしてはそれだけはなんとしても避けたかった。

「……大丈夫だ。これは悪魔のカンだが、ここにはヤベぇ奴はいねぇよ。なんとなくってレベルだが、これで結構当たってきてるんでな」

結果、ルーインは適当に嘘八百を言い放つのである。

「そんなものをアテにしていては命がいくつあっても足りんわ!!」

ネイヴィスは怒鳴ったが、ルーインはそれに背を向けていた。

表情が見えないため、ルーインの「後悔」がネイヴィスに気づかれることはなかった。

「けっ、まあいいさ。調べてみりゃあわかる事だしな」

ルーインはそういって通路を進み、誤魔化しきる事に成功したのだった。



「さあて、じゃあどっちに行くかな」

20歩程を進んだだろうか。

ルーイン達は前方と、左右に分かれる十字路にたどり着いていた。

左右の通路は直線で、直線の左右にはいくつかの部屋の扉が確認できた。

前方に続く通路の方には分かれ道も扉も無いようで、白い壁が延々とどこまでも続いているだけだった。

「どれも暗くて先が見えんな。しらみつぶしに調べるのなら左右の通路のどちらかだろうが」

「一部屋ずつ調べるのかよ。何日かかるかわからねぇな…」

「だからといって調べんわけにも…」

ネイヴィスがそこまで言った時、右側の通路の部屋の扉が内側から「ガチャリ」と開かれた。

それを皮切りにするかのように、左右の扉が次々と内側から開かれていく。

「どうやら中にもいたみてぇだな…」

現れたのは白衣をまとう顔色の悪い人間達だった。

その症状は外に居た連中となんら変わり無く、ルーイン達を敵とみなし、ゆっくりと近付いてこようとしていた。

「奴等をまく為には…」

「やむをえんな…っ!」

ルーイン達はやむをえず、誰も居ない前方の通路を選ぶ。

そして、白衣の人間達をまくために可能な限りの早さで走った。

やがて、通路は下り坂になり、巨大な扉の部屋の前で行き止まりという事になった。

「オイ、ここにもボタンがあるぜ?」

ルーインがそう言って、扉の横の壁にあるボタンの前に近付いて行く。

「よせ!バカモノが!」

それを見たネイヴィスが目を剥いて、右手を伸ばしてルーインに詰め寄った。

「あ?」

直後、ルーインが何もしていないのに扉は勝手に開いてしまう。

「ま、まだ何もしてねぇ!押してねぇって!」

ルーインはとりあえず、ネイヴィスに潔白を証明しておいた。

ネイヴィスも一応それは見ていたから、ルーインを問い詰めはしなかった。

巨大な扉が開ききり、「ズゥゥン…」という音をたてて、開いたままの状態で固定された。

扉の奥は薄暗く、そこに何があるのかは入って見なければ分かりそうに無かった。

「明らかに罠だという気がするが…」

「どの道開けるつもりだったんだ。ハラを決めて入るしかねぇだろ」

ルーインがそう言って、二の足を踏むネイヴィスを置き、扉の奥へと入って行った。

「待て!…全く、無謀なのか勇敢なのか…」

ネイヴィスも仕方なしにそれに続き、扉の奥でルーインと合流した。

それから照明の魔法を使おうと僅かな詠唱を開始する。

そして2秒後、薄暗い部屋の中が「ぱっ」と明るくなった。

「なっ…」

しかし、ネイヴィスの魔法の詠唱はまだ終わっていなかった。

二人が入った事を見た何者かが灯りをつけたのである。

ルーイン達の左手には機材のようなものがあり、その機材の向こうには巨大なガラスが張られていた。

ガラスの向こうには空間があり、何かが蠢いているようだったが、灯りがついていなかったので、はっきりと見る事はできなかった。

右手には薬品棚と壁が。

前方にはおそらくは別の空間に続いている扉のようなものが見えた。

そして、この部屋の中には五人もの人間達の姿もあった。

機材の上にうつ伏せている白衣をまとった男が一人。

内側からボタンを操作して扉を開けた男が一人。

ルーイン達の前方の扉の前に三人である。

扉の前に居る三人の内、一人はどうやら女性のようで、白衣を着ている男以外、全ての者が武装していた。

その武装は均一ではなく、衛兵や兵士等と言った国に雇われている者ではない、依頼をこなして報酬を貰う傭兵達だと考えられた。

ルーイン達の背後の扉が音をたてて再び閉まる。

閉めたのは傭兵の内の一人だ。

続き、刀身が逸れた剣を抜いて、ルーイン達を「きっ」と見据える。

その顔色は極めて悪く、やはりは瞳も死んでいた。

残る3人の傭兵達もそれぞれの武器を引き抜いた。

女性は短い剣を二刀。残る二人はオーソドックスな長剣が武器のようだった。

「……襲ってくるに全財産」

「…賭けにならんな。私もそれに乗る」

2人がそう言った直後、傭兵達は一斉に襲い掛かって来たのであった。

「とりあえず後ろの奴を叩くぜ!テメェはしばらく前を頼む!」

ルーインはネイヴィスに前方から迫る敵を任せ、自身は後方の敵に当たった。

「(さすがに武器無しじゃキツそうだ。殺さない程度にやらせてもらうぜ)」

ルーインが右手に剣を召喚し、殺さないように手を抜いて敵にそれを振り下ろしたが、敵はその攻撃を紙一重の所で「すっ」とかわした。

そして、そのままの態勢で剣を突き出し、ルーインの首を貫こうとした。

「ちいっ、こいつ、やるじゃねえか!」

先ほどまでの一般人とは明らかに動きと反応が違った。

ルーインはその攻撃を避ける事には成功したが、油断していた事もあり、その際にバランスを崩してしまう。

敵はその隙を見逃さず、バランスを崩したルーインに向け、一撃、二撃、三撃と怒涛の攻撃を繰り出してきた。

「くそっ、調子に…のるんじゃねぇ!」

一撃、二撃を剣で受け止め、三撃目をかわしたルーインがその態勢から蹴りを繰り出し、相手の足を見事に払った。傭兵はたまらずその場で転倒する。

「ちっ!」

勝負はあったかと思われたが、傭兵は左手を使って床を叩き、ルーインの前で半回転して離れた場所で着地した。

「(手を抜いてたらやられるかもな…)」

ルーインがそう思ったのはその身のこなしを見てしまったからである。

見ればネイヴィスも三人相手になかなかの善戦をみせていたが、「殺せない」という掟を守る為に決定的なチャンスを逃し、それによって少しずつ不利な状況に陥っていた。

例えば本気で戦えたなら、四人の傭兵はルーイン達の敵ではなかった事だろう。

しかし、人間であり、かろうじてではあるが「生きている」という事が彼らの身を助けていた。

足払いをかわした傭兵が再びルーインに斬りかかってくる。

ルーインはその斬撃を後方に飛びのく事で回避しつつ、

「もうやっちまうしかねぇんじゃねぇか!?」

と、ネイヴィスに向けてそう叫び、答えが返ってくるまでの時間を稼いだ。

「なあっ!?」

ルーインが袖を引っ張られたのはその直後の事だった。

それは機材に伏せていた白衣の男が伸ばした手だった。

弱っているかのように見えてなかなかの力で袖を引き、ルーインの動きを制限してくる。

ルーインはその存在を今の今まで忘れていた。死体だと思っていたのである。

「テッ、テメッ!離せ!離せっつーの!」

前方からは傭兵がじりじりとルーインに迫ってきていた。

ネイヴィスも手が離せないらしく、ルーインのピンチには気付いていない。

気づいていてもおそらくは助けに来るのは不可能に見えた。

「ああもうホントイラつくゼェェェ!!」

ルーインの苛々は頂点に達した。

彼がとった行動は、袖を掴んでいる白衣の男をそのまま背中に背負うというものだった。

こうすればとりあえず動けるし、両腕が制限されないからだ。

反面、機動力がかなり落ちるが、そこは技術とスタミナでなんとか乗り切るつもりだった。

「彼らは…」

ルーインの背で、白衣の男が何かを喋った。

しかし、折り悪くルーインは傭兵との戦闘の最中であり、男が口を開いた事にすら気付いていないようだった。

「らは…操られているだけだ…」

男がもう1度口を開き、今度はルーインにも聞こえるように先程より大きな声で言った。

「なんだ??テメェ喋れるのか?こいつらは一体なんなんだ?ここで何が起こったんだ?」

ルーインは驚いた。てっきりこの人間もおかしい状態だと思っていたからだ。

傭兵の攻撃を捌きつつ、ルーインが背中の男に聞く。

背中の男はしばらく呻き、まともに声を発せなかったが、1度咳き込んだその後に再び続きを話し始めた。

「彼らは、操られているだけだ…奥に居る…本体を叩くんだ…そうすれば…体力のある者は…まだ、助かるかもしれない…本体を…叩く時には…決して呼吸をしてはならない…呼吸をすれば私達と…同じようになってしまう…」

男はそこまでをなんとか言い切り、袖を掴んでいた手を離し、ルーインの背中で力を抜いていく。

どうやらその事を伝える為に最期の力を振り絞ったようだった。

「ごめんよ…ミシェナ…誕生日に…帰れなくて…」

それが男、ミシェナが探すピート・ワイズマンの最期の言葉となった。

「なんてこった…あんたがミシェナの親父だったのか…すまねぇな…早く気付けなくて」

ルーインが傭兵の剣を弾き、両手で剣を握った後に刃ではない腹の部分を叩きつけた。

わき腹にそれをもらった敵はたまらず床に倒れこみ、その場でじたばたと悶えながら呻き声を発していた。

「だが、少しだけ安心してくれ。あんたの最期の言葉は必ず、オレがミシェナに伝えてやるからよ」

ピートの亡骸を床に下ろし、ルーインが巨大なガラスの向こうで蠢く何かに目をやった。

「ネイヴィス!こいつらの本体は向こうの部屋にいる何かだ!これからガラスを破壊する!テメェはしばらく息を止めてろ!」

「なんだと!?それはどういう事だ!?」

「ミシェナの親父さんが教えてくれたのさ。いいか絶対に呼吸をすんなよ!」

ネイヴィスに言った後、ルーインが自身の呼吸を止めた。

そして、光ある場所なら使用する事ができる、漆黒の矢の詠唱に入った。

ルーインの眼前に鈍く輝く矢が出現する。

その数は全部で15本。巨大なガラスを打ち砕く為、全ての矢を一気に放つ。

漆黒の矢はガラスを砕き、向こう側で蠢く何かの姿を明らかなものにした。



それは小高い丘のような、緑色の巨大な何かだった。

どこかに顔があるわけでも、手や、足があるわけでも無い。

緑色の巨大な何かが、ただ、静かに鎮座していた。

「巨大なカビ…グリンモールドか!?」

呟いたのはネイヴィスだった。

3人の相手をしながらも「チラチラ」と横目で見る余裕があるのは、さすがの実力者の技だと言える。

「グリンモールド?カビの癖に名前があんのか?」

「天界がつけた兵器名だ!魔界軍の拠点で壁画を見ただろう!緑色の、丘のようなアレだ!思えばあれがグリンモールドだったのだ!グリンモールドは…」

そこまで言ったネイヴィスは、上体を逸らすようにして敵からの攻撃を回避した。

「グリンモールドは胞子をばらまき、それを吸った生物の命が尽きるまで使役する!100年戦争の際にも使われ、天界を苦戦させたそうだ!」

「だから呼吸はするなって事か。感謝するぜ、親父さんよ…」

ルーインがピートの亡骸を見て、小さな声で礼を言った。

「弱点は確か火だ!貴様の得意としている魔法を全力で奴に叩き込んでやれ!」

ネイヴィスが叫び、ルーインが「任せな!」と言って走り出した。

「よし!」

ネイヴィスがそこで敵を倒した。

大振りの攻撃をひらりとかわし、カウンターで首元にハルバードの柄を叩きつけたのだ。

死にはしないが、しばらく復帰できない程のダメージが入ったのは確実だった。

残る敵は二刀の女と長剣を持つ男だけ。

三対一で負けない者が二対一で負けるはずが無く、ネイヴィスがすぐにも敵を倒し、援護に駆け寄ってくる事をルーインはここで確信した。

「(ま、その必要はねぇだろうがな!)」

が、ルーインはその前に戦いを終わらせるつもりで居た。

かつて、ヘズニングにも炸裂させた自身の最強魔法をもって一掃しようと目論んでいたのだ。

呪文の詠唱は終了し、発動はいつでも可能となった。

後は出来るだけ距離を詰め、最高の威力が得られる場所でそれを炸裂させるだけである。

理想の距離は2m。

破壊されたガラスを飛び越え、ルーインはグリンモールドに迫った。

「くらいな!これでジ・エンドだ!」

そして、無抵抗のグリンモールドに自身の最強魔法である『地獄の業炎』を発動させた。

直後、凄まじい勢いの火柱があがり、グリンモールドの体を包みこむ。

炎は一気に燃え広がって行った。

「勝負あったな…」

と、遠くで見るネイヴィスでさえ戦いの勝利を確信した。

しかし、グリンモールドはそれで滅びはしなかった。

見る見る内に炎が治まり、やがては消えてしまったのだ。

「お、おい、どういう事だ?火が弱点なんじゃねぇのかよ」

グリンモールドはその瞬間にルーインを危険な敵だと判断したようだった。

どうやら思考するだけの知能を持っているようである。

圧縮させたカビの触手でルーインに攻撃を仕掛けてきたのだ。

「うおっ!?」

ルーインは不意の攻撃を危うい所でなんとかかわした。

左手の剣を右手に直し、続く触手の攻撃に備える。

「湿気だ!奴の体に染み込んでいる湿気が火の広がりを防いでいるのだ!」

叫んだのはネイヴィスだった。

直後には左右両方から敵に攻撃を仕掛けられたが、己の武器を大きく払ってその攻撃を同時に跳ね除けた。

「じゃあ永久に燃やせねぇだろ!?」

これはルーイン。触手の攻撃を飛び退ける事で回避する。

「いや、湿気が吹き飛ぶ程の強烈な火の魔法ならば、或いは燃やす事が可能かもしれん!」

「わかってんだろ!さっきのがオレの奥の手なんだよ!アレ以上スゲェ魔法はねぇんだよ!!」

ネイヴィスが言い、ルーインがわめく。

それを聞いたネイヴィスは少しの間思案したが、

「ならば別の手を…自分で考えろ!」

すぐには良い案が浮かばなかったのか、結果としてはルーインに解決の術をブン投げるのである。

「いっそ話し合いで解決するかぁ…?」

追い詰められたルーインは、冗談半分でそう一言。

直後には伸ばされてきた触手を避けて、「ケッ、冗談も通じねえのか!」と、吐き捨てるように言葉を続けた。

ここでネイヴィスが1人を倒し、二刀の女傭兵をすぐにも倒した。

ネイヴィスはルーインを救援する為に白い翼と光輪を発現させながら走り出した。

ルーインはグリンモールドを仕方なく剣で攻撃していたが、表面のカビが「ぱさぱさ」とはがれて床に落ちるだけで、手ごたえは全く感じていなかった。

一方の相手は触手を増やし、今は六本の触手を使い、ルーインの体を追い回している。

「待たせたな!」

そこで、力を発現させたネイヴィスがルーインと合流した。

ルーインの反対側に位置取り、グリンモールドを挟んで攻撃を開始する。

これに対してグリンモールドは触手を更に増殖させた。

元々が自分の体である。触手はいくらでも増やせるようだ。

新たに作られた五本の触手がネイヴィスをも襲ってくる。

グリンモールドはどこまでも無言で、そして、どこまでも不動だった。

攻撃を与えても体表が「パラパラ」と少しはがれ落ちるだけ。

触手を切り落としても、新たな触手が生えてくるだけ。

……果たして、ダメージを与えられているのか。

体力、そして何よりも「酸素」が尽きてしまう前に倒す事が出来るのか。

ルーイン達にはそこが不安で、弱みを一切見せない敵に不気味さを感じずにはいられなかった。

「げっ、また増えやがった!一体何本まで増やせるんだ!?」

新たに増やされた触手に気付き、ルーインが悲鳴のような声をあげた。

触手は現在十六本。

グリンモールドの体には触手をまだまだ生やせる程の空いたスペースが沢山ある。

「このままでは正直マズイぞ!手が無いのなら退くべきだ!」

ネイヴィスが言って、反対側のルーインからの返答を待つ。

ネイヴィスも折を見て色々と攻撃を加えていたが、ルーインのそれと同様に表面を僅かに削るだけで決定打を与えられないでいた。

ネイヴィスは回復魔法や補助系の魔法は得意だが、敵を直接攻撃するようは強力な魔法は持っていなかった。

それ故にグリンモールドを倒せるのは、自分ではなくルーインだと思った上で聞いたのだ。

「逃げるっつってもどこに逃げる!中も外もこいつの手下だらけじゃねぇか!」

「かといって戦い続けても消耗して負けるだけだ!いずれは呼吸も必要になる!無策で戦い続けるのは無謀だ!」

しゃべるだけでも、少しづつ息を吐いていかなければならない。

海の中には一時間ほどいることができたが、それは会話をほぼ一切かわさないでの話である。

呼吸へのリミットは、それに比べて更に短い。

「ちっ…たかがカビ相手に背を見せる事になるたぁな…!」

ルーインがそう言って触手の波を潜り抜け、この空間の出口であるネイヴィスの背後に向かって走った。

ルーインはこの瞬間まで、グリンモールドの攻撃手段は「触手だけ」だと思い込んでいた。

しかし、それは間違いだった。

グリンモールドの体の一部から、塊にされたカビが飛ばされ、まるで、大砲の弾のような勢いでルーインに襲い掛かったのだ。

「うおぉ!?」

ルーインはこの攻撃を危うい所で剣で防御した。

が、耐え切れず後方に吹き飛ばされてしまう。

命に別状は無いようだが、苦しそうな表情である。

「くそっ、次から次に…!?」

その場から起き上がる為、ルーインが床に剣を突いた。

そこでルーインは剣の腹にひび割れが走っている事に気付く。

「こ、こいつは……」

原因として考えられる事は、酷使、無手入れ、古い等々…

思い当たる節は色々あるが、最大の原因は、先程の攻撃を防御した際、かなりの衝撃が剣の腹に加わったという事であった。

「クソ親父め、安物の剣を使いやがって…!」

追い詰められたルーインはそれを父のせいにした。

百パーセント自分のせいだが、それを決して認めずに他人のせいにしてしまう。

これがある意味ではルーインの強みのひとつと言えるものだった。

「何を呆けている!前を見ろ!」

叫んだのはネイヴィスだった。

ルーインが前を見ると、触手がすでに迫ってきていた。

触手の数は全部で九本。グリンモールドにそこまでの思考力があるかどうかはわからない。

だが、今がチャンスと判断し、一気に攻撃を仕掛けてきたのだ。

ルーインは態勢を崩しながらも、五本目までは回避したが、どうしてもかわしきる事ができなかった六本目と七本目を剣で防御した。

そして八本目を受けた時、剣はひび割れた部分から粉々に砕けてしまうのである。

九本目の触手をかわしつつ、ルーインがその下唇を噛む。

ここからは武器は無しである。

攻撃はおろか防御さえ自分の身ひとつでやらなければならない。

一本目の触手が狙いを定め、再びルーインの体を襲う。

二本目、三本目となる触手もそのすぐ後ろに続いている。

「(冗談じゃねぇ!こんな所で、しかもカビ相手に死ねるかよ!)」

ルーインが思い、息を飲んだ。

さらに一本、二本、三本と、ルーインは必死で触手をかわした。

しかし、四本目にとうとう足をすくわれ、五本目をその身に受けてしまう。

両腕を使って防御した為、吹き飛ばされる程度で済んだが、そのまま壁に激突し、以降の触手の攻撃を避ける事が不可能な状態になった。

ネイヴィスも大量の触手を相手取っており、助けに来ることはできない状態だ。

「やれやれ…笑えねぇ話だぜ…」

ルーインが諦め、鼻で笑う。

ま、それなりにおもしろい結末ではあるかな。そんな自嘲がこみあげてくる。

グリンモールドはトドメを刺す為、以降の触手を槍のように鋭く尖らせてルーインを襲った。



その時、場に異変が生じた。

ルーインの前方で炎が上がり、そこに現れた何者かがグリンモールドの触手を焼き払ったのだ。

「それ」は燃え盛る炎の中で両腕を組んで存在しており、ルーインを守るようにしてグリンモールドの前に立ちはだかっていた。

身の丈およそ2m。

筋骨隆々のその生物は一見では人間のようだったが、燃える(実際に)たてがみのような髪が人間では無い事を語っていた。

そのいでたちはタキシードで、炎の中でもそれは燃えずに「ぱたぱた」と炎風にはためいていた。

「我が主を傷つける事このイフリートが決して許さん!炎に焦がされ塵と化せ!」

その者は自身をイフリートと言った。

火の属性の最上位に君臨している精霊の名である。

「…?」

ルーインとネイヴィスには一体何が起こっているのかわからなかった。

しかし、イフリートが猛然とグリンモールドに攻撃を開始した為に、かろうじてそれが敵ではないのだと判断するという事は出来た。

「燃えよ!燃え落ちよ!」

イフリートは触手を燃やし、砲弾のように飛ばされてきたカビの塊を拳で砕く。

砕かれた塊は散り散りになり、床に落ちる前に塵と化した。

ルーインが一度燃やした為に、グリンモールドの体表の水分は、実は殆ど飛んでいたのだ。

「灰と化せ!」

グリンモールドの本体前で、イフリートが触手をかわして飛んだ。

自身の体を炎の矢に変え、グリンモールドの体に突っ込んでいく。

「爆烈粉砕!」

そして、体内深く潜った所で大爆発を起こすのである。

「…」

ルーインとネイヴィスは揃って無言。

目の前の光景に口を開げ、唖然とした表情でその成り行きを見守っていた。

グリンモールドは粉々になり、塵ひとつ残さず全て燃え尽きた。

イフリートはルーインの前に軽やかに着地し、片膝をついてかがんだ後に右手を自身の胸にあてた。

「お久しぶりです。我が主。お怪我などはございませんか」

そして深々と頭を下げて、ルーインを「主」と呼んだのである。

「あ、ああ…?」

お久しぶりです、と言われはしたが、ルーインには何の覚えも無かった。

「おお、髪型をお変えになったのですね。お似合いですよペコロス様!」

しかし、イフリートがそう言って、自分の顔を見てきた事で全てを理解したのであった。

つまり、イフリートは父ペコロスが「若い頃」に臣従させた精霊なのだ。

それ以来召喚していなかった為、イフリートはルーインをペコロスだと勘違いしたのである。

「(てことは待て、オレも親父みたいになるってわけか…?待て、オイ、ちょっとマジで!?)」

自身の老後に軽い絶望を感じ、ルーインがその場に立ち上がった。

「(いやいやいやいや!こいつ、しばらく召喚されなかったせいで顔なんかはっきり覚えてねぇんだろ…?なんとなーく似てるってだけの話だろ!?)」

絶望を希望に変える為に、ルーインが必死にエールを送る。

「どうなさいましたペコロス様?もしやどこぞにお怪我でも…?」

が、そんな気持ちが分かる由は無いイフリートとしては疑問顔。

「あ、ああー、ご苦労だったな…イフリート。もう元に戻っていいぜ…っていうか帰れ」

これ以上絶望したくは無い為に、ルーインはそう言ってイフリートを強制送還するのである。

「はっ、それでは失礼致します!」

恭しく頭を下げて、イフリートは一歩下がった後にこの空間から消え去った。

ルーインが試しに剣を喚ぶと、ヒビ割れが消えた状態の美しい剣が現れた。

柄にはまった赤い宝石が、美しく光り輝いている。

イフリート本体がやられない限り、この剣はいつまでも無事なのだろう。

「(油断できねぇ親父だぜ。こんなのを従えていたとはな…)」

ルーインは心の中で呟き、父への侮蔑を少しだけ敬意に変える事にした。

禿げ頭だとか昼行灯だとか、見るからに弱そうな外見だとかはこの際とりあえず置くとして。




グリンモールドが消滅した事で、それに操られていた人々は皆正気に戻って行った。

しかし、正気に戻ったとはいえ、既に手遅れだった者も数多くいた。

ネイヴィスとしては達成感より、落胆の方が大きかった。

グリンモールドは消滅し、人々には正気と平和が戻ったが、アウド地方にはもう一つ、解決していない事があった。

そう、霧が晴れないのだ。

ルーイン達は念の為、この地に二日ほど留まってみたが、相も変わらず霧は立ちこめ、一向に晴れる様子は無かった。

霧が立ち込めている原因は、おそらく他の場所にある。

ルーイン達はそれを知る為、シード国の首都であるトーラムに向かう事にした。


あと1章で終了です。

お付き合いありがとうございました!

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