第五章
一
ところかわって人間界。
ルーインは「合わせ鏡の間」から繋がる洞窟の中にやってきていた。
どうやら人間界は夜のようだった。
魔界へ呼び戻されてしまったものの、あまり時間を使うことなく戻って来れたことにルーインは安堵の息を吐いた。
ヘズニングと戦ってから、まだあまり時間は経っていない。
「天界の調査員は心配せずとも生きている」
ルーインはナタックーの言葉を胸の中で反芻した。
魔王が生きているというのだから、おそらく本当に生きているのだろう。
しかし、ルーインは少しだけ、ネイヴィスの事が心配だった。
ネイヴィスを「仲間」だと思っているからこそ心配なのかと聞かれると、それはおそらく少し違う。
ネイヴィスはあくまでも異種族であり、現段階のルーインにとって仲間と呼べるものではない。
だが、この人間界でのバカンスをより楽しいものにする為に、共に行動する者が一人くらいは居てもいいとルーインは思う。
そんな気持ちから、からかう相手であるところのネイヴィスが死んでしまったらつまらないだろうと考えるのだ。
不純といえば不純だが、純粋といえば純粋な心配の気持ちと言えるだろう。
ルーインは以前にも1度通った道を歩き、半日ほどの時間をかけて再びトーラムの街へついた。
ネイヴィスとの出会いの場となった関所の脇も通ることになったが、どういうわけか以前よりも警戒が厳重になっているようだった。
ネイヴィスが調査したいという地域はあの先にあるという。
だが、今は関係がないと思い「ちらり」と見るだけにとどめておいた。
「さすがに城門に行くのはやべぇか…」
時間は朝。
城門前には10人ほどの衛兵が居た。
一応は無罪になったとはいえ、ルーインは城門を爆破している。
それに、持ってもいない身分証明書を求められる事を既に知っていた。
結果、ルーインは城門を避け、高い城壁を飛び越えて街に入る道を選んだ。
思えば最初からこうすれば、何の問題も起こらずに順調に事を運べたのだが、まさに後の祭りと言える。
「さて、と……たしか、こっちか?」
ルーインは自身の勘と、曖昧な記憶を頼りにし、昨夜の戦いの場所へと向かった。
10分ほどがかかっただろうか、ルーインは少し迷った後に、目的の場所へとたどりつく。
そこには巨大なクレーターの中に土を放り込んでいる衛兵らしき男達と、その様子を立ち止まって見守る人々の姿があった。
「(ま、いつまでも同じ場所には居ねぇわな)」
ルーインは「もしかしたらまだ居るかも」という甘い考えを捨て、クレーターを埋める作業をしていた衛兵の1人に声をかけた。
「あ?ここで戦ってた奴?あいつなら連れの女と一緒に王城にしょっぴかれていったよ。「私はやってないッ!」とかわめいてたけど、犯罪者はみんな言う事だしね。聞いてたらホントきりが無いよ」
衛兵は惜しみなくルーインが求める情報を教えてくれた。
「(ったく手がやける天使様だぜ…)」
どうやらネイヴィスはまた捕縛され、王城へと連行されたようだ。
ルーインは、ぶつぶつと文句を言いながらも再び王城へと足を向けた。
二
王城の地下。
先日と同じ牢屋の中で、ネイヴィスは目を閉じていた。
眠っているというわけではなく、考え事をしていたのだ。
ヘズニングが突如現れ、なぜ自分達を亡き者にしようとして攻撃をしかけてきたのだろうか。
人間に捕まってしまった事はこの際はもはやどうでもよかった。
逃げようと思えば逃げられるのだし、ザルザントと言っただろうか、あの人間は一応は証拠が無ければ無罪の者を有罪にしたりはしない事をネイヴィスは知っていたからである。
だが、ヘズニングに襲われた事を放置しておくわけには行かなかった。
命を狙われた理由もしかり。
そしてその目的が分からない事もしかりであった。
ヘズニングはかつて魔界に君臨していた魔王である。
ならばまずは魔界に帰り、地位を取り戻そうとする方が流れとしては自然なのではないか。
人間界をウロウロし、たかだか天使と悪魔1人を殺す事に重大な意味等あるのか。
それとも、たまたま宿敵である「天使」を見かけた為に襲ってきただけなのか。
全ては想像。予測の範囲だ。
情報が少なすぎて、結論を一つに絞る事ができない。
「(あるいは……、ヘズニングにとって邪魔になる何かを私達はしようとしている……もしくはしていた、という事なのか……?)」
ネイヴィスが両目を静かに開いた。
だが、彼の目には今、現実の何ものも映ってはいない。
視線の先には鉄格子があるが、それは「ぼんやり」としか映っていなかった。
「(何か、とは一体何だ…?人間界にやってきて、彷徨い、戦い、捕まっただけだ。邪魔になったのが理由では無く、やはりただ目に付いたから、襲われたというただそれだけの事なのか?)」
思考が堂々巡りを始めたのを期に、ネイヴィスは少し視線を上げて自分達の牢屋の正面を見た。
そこには昨日と同じようにミシェナが捕まり、入れられていた。
ミシェナはまたも仲間と思われ、一緒に捕らえられてしまったのだ。
「(それとも人間界に来た事自体がヘズニングにとっては邪魔だったのか)」
視線を動かし、左を見ると、先客の2人がこちらを見ていた。
「へへっ…」と、照れくさそうに笑い、少し気まずそうに視線を逸らす。
なんだか顔なじみに近い状態である。
二人はベッドの隅っこの方に座り、大半をネイヴィスに譲っていた。
理由は「ルーインを恐れているから」で、その仲間と思われているネイヴィスは同様の対象になっているようだった。
「今度は何をしたんです?」
先客の1人がそう言って寄ってきたのは昨日の夜。
何故か尊敬するような眼差しが向けられ、さらに敬語で話しかけられる。
おそらく「相当のワル」なのだろうと彼らには思われているのだろうが、天使であるネイヴィスとしては歓迎しがたい状況だった。
状況は昨日と殆ど同じ。
唯一違う点といえば、人形だったとはいえルーインがこの場に居ない事だった。
ふと気を抜いた瞬間に、ネイヴィスはもう一つの解釈を思いついた。
「(ヘズニングはルーインが消えたと同時に戦いをやめて去って行った。と、いう事はヘズニングの狙いはむしろ奴だという事か?)」
それならば、ネイヴィスがいくら考えようとヘズニングの狙いはわからないだろう。
ルーインが魔界で何かをし、それを根にもって襲って来たという線も無くはないだろう。
ならネイヴィスは戦いに巻き込まれたというだけに過ぎず、言わば完全な被害者である。
「(奴がここにいたならば、それを聞く事も可能だが)」
実際には居ないのだから、それを考えても仕方ない。
ネイヴィスは息を吐き、依然ルーインがすり抜けて行った壁に何気なく視線を移した。
「よお」
タイミング的にはまさにその時、壁の中からルーインが「にゅっ」とその姿を現した。
「昨日の今日で出戻りたぁな。よっぽどここが気に入ったんだな」
ルーインは「にやにや」しながらネイヴィスからの反応を待っている。
先客の2人は「アニキ!!」と叫び、素早く動いて席(正確にはベッド)を譲った。
既に崇拝しているかのような熱っぽい視線が気持ち悪い。
一方のネイヴィスはというと、あまりにも出来すぎた展開に口をあけて放心している。
「とりあえず無事だったみてぇだな。アイツはどうした?何か言ってたか?」
「あ、ああ?へ、ヘズニングの事か?」
ルーインに話しかけられ、ネイヴィスがようやく正気に返った。
おそらくは十秒以上は呆然としてしまっていただろう。
「ヘズニング以外に誰が居るんだ?頭とか攻撃されたんじゃねぇのか?」
「あ、ああ、すまん。攻撃はされたが大丈夫だ。少し考え事をしていてな…」
「そういう事ならいいけどよ」
ルーインが「すぅ」と動き、腰掛けるようにしてベッドに座った。
ルーインが座ってくれた事に喜びを感じてしまったのか、先客2人は嬉しそうに笑い、お互いの背中を叩きあっていた。
「女ってのはやっぱりアンタか。災難が続いてお気の毒だな」
ミシェナに気付いたルーインが正面の牢屋に向かって言った。
ミシェナは「なんともないです」と言い、「昨日の続きだと思えばなんとも…」と続けて言って「アハハ…」と笑った。
若干うつろな表情である。
おそらく生まれて初めての牢屋に、目の前での宿屋の消失。
一気に苛烈な体験をした事で精神的に参っているのだ。
「元気を出せよ」とでも言ってやれば少しは元気になるのかもしれない。
が、慰めてやる程の仲でも無いので、ルーインは何も言わなかった。
「奴に気付かれたか、と言っていた」
口を開いたのはネイヴィスだった。
「あ?なんだって?」
あまり注意して聞いていなかったルーインがネイヴィスに聞き返す。
「ヘズニングだ。奴に気付かれたか、と言って姿を消してしまったのだ」
「ああ、なんだ。話の続きか。奴ってのはアレだろ。魔界の新しい魔王の事だと思うぜ。ヘズニングに会ったのかって戻るなりに質問されたしな」
ルーインは思い出して顔をしかめた。
「魔界に戻っていたのか?」
「戻ったっていうか戻されたんだよ。魔法を使いすぎたとかで魔王サマがご立腹でね。今後は自重しろってさ」
ネイヴィスは「なるほど」と納得しつつも、「やはり自重していなかったのか…」と、一方では呆れを感じてもいた。
「それよりも貴様自身にはヘズニングに襲われる心当たりは無いのか?」
聞くべき事を思い出し、ネイヴィスがルーインに向かって言った。
「どういう意味だ?」
質問の意味がわからなかったか、ルーインが怪訝な顔をした。
「以前に悪戯をしただとか、嫌がらせをした覚えは無いか?私が思うにヘズニングは貴様を狙っていたような気がしてな」
「冗談だろ。オレが生まれた時にはすでにアイツは天刑にブチこまれてたぜ。顔を見たのも昨日が初めてだ」
「そうか。ならば私の思い過ごしだな」
ヘズニングの目的について色々と候補を出してはみたが、結局結論は出ないまま。
ひとつだけ分かった事といえば、ヘズニングが魔王ナタックーを警戒しているという事だけだった。
「しかし魔王に気付かれるとヘズニング的には参るわけか。こいつぁリベンジする為にもヘズニングにもう1度会っとかねぇとな」
嬉しそうにルーインが言い、ナタックーによってヘズニングが「ボコボコ」にされる様を想像して1人で「ニヤニヤ」とほくそえんだ。
自分でやらないという点には若干の情けなさを覚えもするが、勝てる相手と勝てない相手を明確に区別している点は気持ちが良いくらい潔かった。
そこで、地下牢の通路を歩く靴音がルーイン達の耳に入る。
靴音をたてていた人物は牢屋の前で立ち止まり、そこに捕らえられた者達を見て、
「またお前達か…」
と呟いた。
その人物は以前と同じ、シード国の宰相ザルザントだった。
「今度は宿屋を爆破して、宿屋の関係者と宿泊客を多数死傷させたらしいな。スパイではないと判断したが、その判断は間違いだったか?次から次とよくもまぁ…」
ザルザントの言葉には明らかにトゲが含まれていた。
彼は決して暇ではなく、宰相という立場上やらなければならない仕事を山のように抱えている。
それなのにこの「アホ共」は、立て続けに問題を発生させては、いらぬ仕事を増やしてくれるのだ。
大人として、宰相として、露骨に嫌そうな表情はしていない。
だがザルザントは内心で「このアホ共の所業」にはうんざりしていた。
「人違いだ。早く調べろ」
しかしそう言ったルーインにも、「うんうん」と頷くネイヴィスにも、ザルザントのそんな気持ちは微塵も伝わってないのが現実だった。
「いいか。2回目までは許容しよう。もし3回目があれば問答無用で極刑だ。この言葉を良ーく覚えておけよ?私もこれで忙しい身でな。お前達に割いている時間は無いのだ」
二人の横柄な態度にはさすがに「カチン」ときたのだろうか。
ザルザントが厳しい口調で言って、踵を返して歩き始めた。
それを見送るかと思われたルーインが、目を細めて「にやり」と笑った。
そして、そのまま言葉を紡ぐ。
「レビアル・ラルカ。使いの者か。…随分と古い悪魔語だがなんでアンタは知ってたんだ?」
その言葉を聞いたザルザントがその場で「ぴたり」と立ち止まった。
そしてゆっくりと振り返り、
「お前はアレが分かるのか?」
と、訝しげな表情でルーインに聞いた。
明らかに興味を覚えているようだ。
「まぁ、そこらへんの奴らよりはな」
「という事はお前は…」
ザルザントはそこで言葉を区切り、あたりの様子を伺った後、小さい声で「悪魔か?」と、聞いた。
ルーインはそれには「さぁな?」と、敢えてはぐらかすレベルにとどめる。
「そうか…やはりそうだったか…」
有耶無耶のままにしたが、ザルザントは「そうだ」と受け取ったのだろう、
「ならばお前の主に伝えろ。約束が違う、なんとかしろと。いいか?あまり時間が無い。すぐにここから出してやるから一刻も早く伝えてこい」
と、小さな声で続けて言った。
「何をだ?そこが重要だろうが」
「言えば分かる。おい牢番!こいつらをここから出してやれ!責任は私がもつ!」
ザルザントに呼ばれた牢番が「はっ!」と答えて駆け寄ってきた。
ザルザントは質問には答えなかったが、ルーインが「使いの者」ならば知らなくても良いと思ったのだろう。
「いいか、『約束が違う、なんとかしろ』、だ。悪魔は契約を破らんのだろう?ならば最後まで責任を持てとな。わかったな?確実に伝えろよ」
ザルザントは言うだけ言って、牢屋の前から去って行った。
牢番は鍵を取り出し、まずミシェナを解放した。
それからこちらに向き直り、錠前に鍵を差し込んだ。
「そいつらも仲間か?」
これは先客の囚人二人をさしていた。
仲間ならば一緒に釈放するつもりなのだろう。
「あ、アニキィ…」
ルーインを崇拝する二人はすがるような眼差しで見ていたが、
「いや?どこかのコソドロだろ」
と、再びバッサリ斬られてしまうのだった。
「そりゃねぇよアニキ!アニキィー!」
先客二人の悲しい叫びは、牢を閉める音によって地下牢の闇へと吸い込まれていった。
三
三人が地下牢から解放されて、一時間ほどが経過していた。
ルーインは今、2人と別れ、一人で街の酒場に居る。
以前のボッタクリ酒場とは違う、商業街にある小さな酒場だ。
なぜ一人でここに居るのか。その原因はルーインの性格にある。
釈放されたルーイン達は、ミシェナの父を探す為に「花」を調べる事にした。
手紙に挟まれていたという、この辺りでは見かけない珍しい花の事である。
それは僅かな手がかりだが、現時点で唯一のものでもある。
ミシェナに同情的なネイヴィスは、それについて図書館で調べようと提案をした。
だが、「図書館イコール勉強」という図式が頭の中にあるルーインは、同行と提案を頑なに拒否した。
ネイヴィス達に作業を押し付け、「別行動で情報を集める」と、適当な理由をつけて脱走したのだ。
実際の所ルーインはミシェナの事等どうでも良かった。
ミシェナに協力してやるつもりは正直に言って0%。
ネイヴィスがやろうとしている事を冷やかし半分で見ているだけなのだ。
「オイ、マスター、ビールのお代わり」
故にお代わりはすでに六回目。
酒場に居座った時間はすでに合計2時間に達していたが、ルーインはその間にただの一度も「聞き込み」というものを行っていない。
「情報を集める」と言って別れてきたが、本当の所は調査をサボり、ビールを飲みまくるのが目的だった。
それに、聞き込みはミシェナがずっとこれまでに1人で続けてきた事だし、今更自分が聞いた所で、違った情報が入ってくるとはルーインは思っていなかった。
が、一生懸命頑張っているネイヴィスにやる気が無い事がばれれば、キレられる事はまず間違い無いだろう。
「ま、物事なるようになるもんさ。なぁマスター?」
「え、あ、はい。お客様の仰る通りで」
酒場のマスターは何の話なのかと本心では疑問を感じていたが、そこは長年の技と経験。
適当に話をあわせた上で、ビールを置いて戻って行った。
「情報なんてモンは集めなくても、入ってくる時は入ってくるのさ。っていうか、アイツは本来の自分の調査をほうっておいていいのかねぇ……」
独り言を言った後、ルーインがジョッキのビールをあおる。
ネイヴィスはミシェナに同情するあまり、本来の「アウド地方の調査」を後回しにしている。
他人事ながら、優先順位が違うのではないかとルーインは少し気になっていた。
だが、そういうお人よしなところが「天使」という種族なのかもしれない。
「ま、オレには関係ねぇけどな」
さすがに六杯目にもなると、多少酔いが回り始めていた。
独り言が増え始めている。
その時、店内に新規の客が入って来た。
店内はまだまだ空いていたが、夕方が近い時刻なので入店もそろそろ増えてくるのだろう。
「いらっしゃいませ。お好きなテーブルへどうぞ」
マスターにそう言われ、3人組の男達はルーインの隣のテーブルに座った。
テーブル席はいくつかあるのにこんなに近くに座るなんて。
ルーインは「うっとおしい奴らだ」と、正直少し感じたが、そんな事でモメるのはアホらしいとも思ったので頭の中だけで文句をつけておいた。
「すみません!とりあえずビール3つ!」
男の1人が大声で言い、マスターが「こくり」と頷いた。
男達はビールが来るまで料理を注文する気は無いようで、メニューには手を触れないままで話に華を咲かせ始めた。
「それでさっきの話の続きは?」
先に大声を出した男が別の男に向かって聞いた。
ルーインに興味は無かったが、テーブルが近いという事もあり、それは自然に耳に入ってきた。
「あれ?どこまで話したっけ?」
「怪しい依頼の所までだろ」
「ああ、そうか。悪い悪い」
大声を出した男に言われ、言われた男が「ハハハ」と笑った。
「飲む前から酔ってんじゃないのか?」
と、更に別の男が言って、3人は大声で笑ったが、ルーインは「うぜぇな…」と苛々していた。
「で、冒険者ギルドにな、いっとき怪しい依頼が貼ってて、傭兵を募集してたわけさ。「依頼の内容は記せませんが格別の報酬を約束します。依頼主はシード国そのものなので怪しい依頼ではありません。熟練の傭兵を募集中」ってね」
「ハンパじゃなく怪しいな……怪しくないって宣言はねーわ」
「だろ?すげー怪しいじゃん。だからしばらくは誰も受けず放置されてたみたいなんだわ。だもんで依頼主も焦ったんだろうな、紙の下の方に具体的な報酬が追記されててさ。それがいくらだったと思う?」
話を振った男が間をおく。
残る二人は顔を見合わせ、「う~ん…」と小さく唸りつつ、報酬の金額の推測をする。
「…50万グラルくらいか?」
グラルとは大陸全土で通じる共通貨幣の事を指し、50万グラルは普通に暮らせば、3ヶ月程は遊んで過ごせる大金と言える金額だった(ちなみに1グラル通貨は銅。50グラル通貨は鉄となり、100、1000で銀金となる。それ以上は宝石や金そのもので取引されている)。
「大はずれ。報酬は1000万グラル。翌日には依頼は消えてたよ」
「1000万グラルかよ!くあぁ正直想像もできねぇ!」
それが本当の話ならば、まさしく格別の報酬である。
単純に計算しても数年は遊んで暮らせる事だろう。
「でな、話の核心はここからなんだ。その依頼を受けた奴ら、これが結構「できる」奴らでこの辺じゃ有名な傭兵達だったらしい。その手練れの傭兵達がだな…」
男は一旦話を区切り、他の男達の顔色を見た。
そして数秒引っ張った後。
「…どうも、帰ってこないらしいんだ」
と、声色を変えてそう言った。
「帰ってこない…ってどういう事だ?」
「依頼に失敗して死んだのか?」
男達が口々に言い、解答を知っているだろう男に尋ねた。
「残念ながらわからないんだな。「そんな依頼を貼った覚えは無い」って冒険者ギルドは言ってるらしいし、冒険者や傭兵達も気持ち悪がってるって話だ」
男の話はそこで終了したようだった。
注文していたビールが届き、話の結末は有耶無耶になった。
「(格別の報酬に行方不明ね……依頼の主はこの国で、国の宰相は悪魔語を知る、か。なんか繋がってきたんじゃねえか?)」
ルーインが心の中で思い、ジョッキのビールを残さずあおった。
棚からぼたもちの情報に緩む頬が抑えられない。
「オイ、勘定頼むわ」
そして酒場の支払いを終え、ネイヴィス達と落ち合う予定の宿屋へ足を向けるのだった。
「(これで偉そうな顔が出来るぜ)」
という、不純なる思いを心に秘めて。
四
ネイヴィスとミシェナはその日の夜、花に関する情報を得て約束の宿屋へ帰ってきた。
花の名前は「ブルージェム」。
鉱石が発掘される山で稀に見る事が出来るいう割に珍しい花であった。
シード国の国内では「アウド地方」という場所にしか咲いていないという事らしい。
「アウド地方?それって、てめぇが調べようとしていたとこか?」
「うむ。関係があるのではないかと思ってはいたが…」
この名前はルーインにとっては聞き覚えがあり、ネイヴィスにとっては人間界へ派遣される原因となった場所の名前だ。
ネイヴィスはこの奇妙な一致に「もはや間違いないだろう」と断言。
ミシェナの父の捜索を続ける事を固く決意した。
ネイヴィスの調査も、ミシェナの父の捜索も、「そこ」に行けば必ずや進展があるはずである。
が、だからと言って「じゃあ行くか」と気軽に行ける場所では無かった。
そう、「アウド地方」へと向かう道は関所によって封鎖されており、ルーインとネイヴィスが出会った時以上に警備が厳重化されているからだ。
「どうにかして関所を通り抜けねばな…何か良い案は思いつかないか?」
一応はアテにはしているのだろう、ネイヴィスがルーインに向かって聞いた。
「アン?強行突破でいいんじゃねぇか?」
まさに適当。まさに勢い。ろくすっぽ考えもせず、殆ど即答でルーインが言う。
これは勿論却下され、「真面目に考えて欲しいのだがな…」と、ネイヴィスに睨まれる結果となった。
「じゃあ空を飛ぶのはどうだ?テメェにゃ翼があるんだし、長時間の飛行も苦じゃねぇんだろ?」
「万が一人間にバレたらどうする?軽はずみな行動は慎むべきだ」
「もうこいつにバレてんじゃねぇか。今更そんなの気にすんなって」
こいつ、即ちミシェナを指さし、ルーインがネイヴィスに向かって言った。
ミシェナは二人の正体を直接聞いた訳ではない。
色々な事を目の当たりにし、察してしまっただけである。
勿論、人間ではない事を知り、戸惑い、悩んだ時もあった。
だが、ネイヴィスは父の捜索を引き受けてくれ、人柄も実直で信頼できるように見えた。
ルーインもなんだかんだで牢から救い出してくれたような状況である。
彼女は悩み、考えて、結局の所二人を信じてついてくる道を選択したのだ。
「まぁ、彼女の事はいい。重要な事を考え無しに他人に話すような人物ではない。だが他の人間はいかん。見慣れないものを目にすれば、すぐに言いふらすに決まっている」
「こいつも同じだと思うけどな。利害が一致してるから今は黙ってるってだけの話だろ」
ルーインがやさぐれた口調で言った。
ネイヴィスはその言葉自体を否定する事はしなかった。
だが、ミシェナが悲しそうな顔をしたので、「私は彼女を信じている」と、それだけを抗議の言葉に選んだ。
「しかし強行突破も駄目、空を飛ぶのも駄目となると方法が思い浮かばねぇな。通行許可証なんて出ねぇだろうし、気づかれねぇように抜けるには魔法を使わなきゃ駄目だしな。いっそ地面を掘って進むか?何年かかけて掘り進めばいつかはたどり着けるかもしれねぇぜ」
ルーインがそう言って、「お手上げだな」といった動作でネイヴィス達の意見を待った。
ネイヴィスは最初こそ、
「そんな悠長な事が出来るか」
と、ルーインの意見を一蹴していたが、やがて何かを思いついたのか、右手を口に当てたままで微動だにしなくなってしまった。
「オイ、どうした?もしかしてマジに受け取ったのか?冗談だよ冗談。もしもーし?」
「ちょっと待て、静かにしていろ。冗談なのは分かっている」
ネイヴィスはルーインに向かって答え、「そこまで出ている何か」を出す為、右手を額に移動させた。くしゃみが出そうで出ないときのような、微妙で情けない表情である。
「……歴史の勉強だ」
「ハァ?」
ネイヴィスの呟いた唐突な言葉に、思わずルーインが目を見開いた。
意味が全くわからない。
「歴史の勉強を思い出せ。天界と魔界の間で起こった100年戦争の時の事だ」
「…頭大丈夫か?」
「大丈夫だ。いいから思い出せ。私の記憶が確かならば、この地方には魔族の拠点があった。それも1つや2つではない。いくつもの拠点が点在し天界軍を苦しめていた。そしてそういう拠点の殆どは洞窟だったといわれている」
「……ああ、そう」
ルーインは一応聞いているようだが、目は完全に死んでいた。
ルーインは勉強が嫌いなのである。
どらくらい嫌いなのかと言うと、なかなか眠る事が出来ず、ようやく少し眠くなって「うとうと」としかけた時に聞こえる、蚊の「プ~ン…」という羽音よりも100倍以上は嫌いだった。
「あークソ!ウゼエエ!なんで耳ばっか狙ってくるんだ!」と、暴れださないだけマシだと言える。
「正攻法では敵わない。そう判断した天界軍は陽動作戦を実施した」
「ほー…」
もはや相槌にまでも生気が感じられないルーインである。
「ちゃんと聞け。天界は魔界の拠点である洞窟の前におとりを配置し、本命となる一軍で後方から奇襲した」
「……後方?洞窟の中に居る相手にどうやって後方から奇襲するんだ?」
戦いの話に移ったからか、ルーインの反応は多少マシになる。
「海だ。拠点となる洞窟の多くは海に繋がっていたらしいのだ」
「海?て事は天界は海を通って奇襲したのか?」
「そうだ。というか本当に魔界で生活していたのか?これくらいの事を知らんでどうする…」
「興味のベクトルが違うんだよ。オレは歴史にゃ興味はないが、テメェが知らねぇ事をゴマンと知ってる自信があるぜ」
「…機会があったら教えてもらおう」
ネイヴィスはそう言ったが、「(そんな機会は無いと思うが)」と、心の中で呟くのを忘れなかった。
どう口を挟んでいいか分からないミシェナが、二人を交互に見つめる。
この二人の間に挟まれると、人間である自分の方が異端なのだと感じてしまう為、どうしていいのかが分からなかった。
「(そういやオレが出て来た場所も、かつては拠点だったとか言ってたな)」
もう、人間界に初めて来た日がかなり遠くのことのように感じる。
いつか衛兵が言ってた事をルーインはここで思い出した。
確かに、その洞窟は「坂を下れば海へと続き、坂を上れば外に出られる」のだと説明されたような気がする。
しかし、それを話してしまうとネイヴィスの知識を認めた事になるので、口にするのはやめておいた。
「で?その昔話と今回の話に関連性は?」
「大いにある。高い山々に囲まれたアウド地方は守りに適している。魔界軍の拠点が無かったとは考えにくい」
「つまり?」
「…つまり、海の中を捜索すれば、アウド地方へと繋がっている洞窟を発見できるかもしれんという事だ」
ルーインは「なるほど」と思ったが、素直に認めるのが嫌なので、
「ようやくそこにたどり着いたか。俺もそう思ってたぜ」
と、上からの意見を放っておいた。
「本当に分かっていたのか…?」
ネイヴィスはかなりいぶかしげである。
「愚問だな。いっそ地面を掘って進むか、っていう言葉自体がヒントだったのさ。気付くのがちょっと遅すぎじゃねぇか?」
「ほーう…?」
ネイヴィスに信じた様子は無い。
しかしさすがに騙せるとは思っていなかった為、ルーインは気にはしていなかった。
「それよりどうすんだ?マジで海の中を捜索すんのか。相当骨が折れる作業になるぜ…?」
「他に道は無いだろう。優れた提案が別にあるなら喜んでそれに従うが」
「城に突入してだな、ザルザントの野郎を人質にとって関所を抜けるっていうのはどうだ?」
「では海の中を探すとしよう。明日は早いぞ。早く寝ろ」
ルーインの最終手段は軽くスルーされる形になった。
ネイヴィスは踵を返し、自分の寝室へと向かって行く。
「……国王の方がよかったか?おい、どう思う、お前」
いきなり話を振られたミシェナは、
「あ、い、いえ、まだザルザントさんの方がマシだと思います!じゃあわたしもこれで!おやすみなさい!」
顔色を変えて一気に言い切ると、殆ど逃げるようにして自分の部屋へと走って行った。
「オイ、嫌われてるじゃねぇか」
一人取り残され、呟くルーインは少しだけ可哀想な男に見えた。
五
ルーイン達はミシェナと別れ、海の中を捜索していた。
無論、海底にあると思われる洞窟への入り口を探す為である。
ミシェナは出来ればついていきたいと「ネイヴィスに」むかって懇願したが、調べる事になるのは海中で、ただの人間であるミシェナにはそれは不可能な事であるため、彼女は故郷の村へと帰された。
「随分と懐かれてるじゃねぇか。落とそうと思えば落とせるんじゃねぇの?」
ミシェナの背を見送った時、なんとなく面白く無かったルーインがネイヴィスにそんな嫌味を言った。
それを聞いたネイヴィスは鼻で笑い、
「貴様よりは絡み易いというだけだろう。そんな事でスネるならもう少しかける言葉を選んだ方がいいぞ」
と、お返しのように嫌味を言った。
「バカか、別にスネてなんかねぇよ」
ルーインはそう反論したが、どうせなら懐いて欲しいというのが心の中の本音だった。
口は悪いが寂しがり屋なのだ。
二人はトーラムの街を出て、川沿いに歩いて南下した。
立ち去り際、ミシェナから一番近い町と海はその方向にあると聞いたからだ。
「飛べれば楽なんだがそうもいかねぇしな。メンドクセーこったぜ全くよ…」
ルーインはぼやいていたが、まだまだ人間界の景色は珍しいようで、機嫌としては上機嫌だった。
それから二日という時をかけ、ルーイン達は港町と海をその目で見る事になる。
そして港町アシュアーから海の中へと身を移し、捜索を開始したわけである。
捜索を開始してからすぐにネイヴィスが一つ目の海底洞窟を発見した。
早速ルーインと共に中に入るが、落盤によって道が塞がれ、先に進む事はできなかった。
その翌日、ルーインが洞窟を見つけ、一人で中に入ってみたが、数時間をかけて進んだ先に見えたものはなんとアシュアー。
港街のすぐ側の高台に見えていた洞窟だった。
その後も二人は幾つかの海底洞窟を発見したが、大抵は海から出ることすらない規模の小さなものだった。
「キリがねぇな」
その日の夜。宿屋に泊まったルーインがネイヴィスに向かって弱音を吐いた。
洞窟自体は思ったよりも簡単に発見する事ができる。
しかし、目的の場所へと続く洞窟を発見する事は、砂地の中で僅かに違う色をした砂を掴む事に酷似しているような気がした。
それは気が遠くなるような、先の見えない作業だと言える。
「大体そんな洞窟が本当にあるかわからねぇしな。別の方法を考えた方が精神的に良くねぇか?」
「洞窟が存在している以上、可能性はゼロではない。納得がいくまで続けるべきだ」
探索を始めて僅か二日目。二人の意見は早くも割れていた。
「オレはもう納得したぜ。まず数的に無理、効率的にも無理だってな」
「それは納得ではなく諦めだ。ともかく明日からも続行するぞ。夜更かしはするな。早く寝ろ」
「わかったわかった。年寄りは早く寝ろ。若者のオレは夜更かしするけどな」
話し合っても平行線。そう考えたルーインが諦めた様子でソファーから立ち上がる。
「誰が年寄りだッ!貴様とたいしてかわらんわッ!」
「それでも2、30年違うだろうが。人間界じゃ間違いなく年寄り扱いされるだろ?」
「くっ、確かにここは人間界だが…!」
「だろ?わかったらさっさと寝ろよ。ネイヴィスのオッサン」
「うぬう…覚えておれよ…」
ネイヴィスは歯噛みして、納得のいかない表情のままルーインの部屋から去って行った。
オッサンなどと呼ばれた事はネイヴィスの人生でこれが初。
ショックを受けたかと聞かれたら、それは正直「イエス」であった。
「へっ、天使ってヤツは扱い易いな」
1人で笑い、ルーインはドアを開けて部屋を後にする。
向かう先は船乗りが集まる町の大衆酒場である。
もし、ネイヴィスに見られていたら「また飲みに行くのか」と呆れられていたかもしれない。
だが、ルーインは今回は、酒を飲みに行くつもりではなかった。船乗りから情報を仕入れる為に酒場に足を向けたのである。
珍しく実に献身的で、建設的な行動である。
だが、この行動には当然ながら、ルーインらしい理由があった。
その理由は単純に「この捜索に飽きた」というものである。
来る日も来る日も(といっても2日目だが)海に潜り、同じような光景の海底を探し回る事にルーインは飽きてしまったのだ。
それよりは船乗り達が話す「危険な海域」等を探り、ちょっとした事件が起こる事をルーインは期待したわけである。
そして、ルーインは期待通り、「良く船が沈む海域」の情報を得た。
そこには巨大な魔物が出て、通りかかる船を沈めるという眉唾な伝説があるという。
「オイ、重要な情報を仕入れてきてやったぜ。こいつが当たりに違いねえぞ」
翌朝、ルーインはその情報を、「100%ここで間違いは無い」という、大げさな素振りでネイヴィスに嘯いた。
そうしなければ、ネイヴィスがとても承知しないからだ。
「たまには役に立つのだな」
案の定ネイヴィスはルーインに騙されてそれを信じ、「良く船が沈む海域」の調査を受け入れたのであった。
その日の昼、ルーイン達はアシュアーの町の西側にいた。
アシュアーの街の正面と東側は2日の間に調べていたので、こちら側は今日が初めてだ。
かつてはこの海域にも定期船は通っていたらしい。
が、あまりの沈没や座礁の多さに「魔の海域」などと呼ばれ、この海域を迂回した新しい航路がひかれたのだという。
確かにこの海域は素人目に見ても波が荒く、潜ってみれば海流が他よりも速く渦巻いていた。
海の中は異様に暗く、太陽が昇っている時間だというのにまるで夜中のようだった。
海中では怪しい生き物達が「チカチカ」と光を放つのが見え、ルーイン達は夜空の星の只中を泳いでいるような、そんな錯覚を一瞬だけ感じた。
そしてとうとう、その海底で驚くべきものを発見する。
「(確かに良く沈んでやがるぜ…)」
海底には無数の船が沈み、その残骸をさらしていたのだ。
その数は20や30どころではなく、軽く見ても100隻以上は積み重なっているように見えた。
「気味が悪いな…」
酸素を包んだ泡と共に、ネイヴィスがそんな言葉を吐いた。
ルーインには「ゴボゴボ」としか聞こえていなかったが、言いたい事はなんとなく理解できた。
「(一旦上に上がろうぜ)」
と、ルーインがネイヴィスに身振りと手振りで伝えた。
彼らは人間では無い為に1時間程を潜水できる。
だがその1時間が迫っていた為、酸素の補給が必要になったのだ。
「(わかった)」
ネイヴィスが頷き、浮上を始めた。
ルーインも続いて水面へと向かう。
「(……ん?)」
ルーインが海底に「ゆらり」と蠢く何かを見たのはその直後の事だった。
「それ」は二人の気配を察知し、海底の水を濁しながらルーイン達に迫ってきていた。
「(なんだこいつは?!)」
濁りの中から現れたのは巨大な化物鮫だった。
その大きさは海底に横たわる船を超越しており、ルーイン達の体はおろか、漁船でもひとのみに出来る程の全長100メートルはある化け物だった。
「(オイオイオイオイ冗談だろ!こんなの相手にできねぇぞ!)」
ルーインが慌て、浮上する為、必死の思いで水をかいた。
珍しく慌てた表情である。
それも当然。陸ならともかく、水の中で「こんなの」と戦うのはさすがに無謀だからだ。
一目散に逃げる事はこの場合には恥ではなく賢いと言える。
しかし、ルーインもわかっていたが、逃げるという事自体がこの場合は極めて困難だった。
何しろ水の中である。
魚の形状をしたものに分があるのはわかりきったことだ。
さらに障害物が無く、ルーイン達と巨大鮫は深度こそ違えど完全に一直線。
その勢いたるや凄まじく、鮫とルーイン達との距離はまさに「あっ」という間に縮められていく。
「(オイ!コラ!気付け!なんとかしろ!)」
会話が出来ないという事もあり、非常事態を教える為にルーインがネイヴィスの足を引っ張った。
ネイヴィスは下を見て、「何をするんだ」という顔でルーインの行為に怒ったが、その更に下から迫る異常な大きさの鮫を見て、その表情を驚きに変えた。
巨大鮫はすでにそこまで迫り、凶悪な口を大きく開き二人を丸呑みにしようとしていた。
「なんだこいつは!?」
と言うが早いか、ネイヴィスはその背中に輝く翼を発言させた。
直後にはそれを羽ばたかせ、まるで宙に居るかのような華麗な動きで横へと逃げる。
ネイヴィスの足を掴んでいたルーインもそのまま横へと移動し、どうにか鮫の口からは逃げることに成功していた。
獲物を失った巨大鮫はその勢いのまま通り過ぎ、二人の頭上へと突き進んでいった。
「メガロドンだ!実際に見るのは初めてだが本当に存在していたとはな!」
ネイヴィスがそう言って右手に武器を召喚した。
今までの「ごぼごぼ」という音とは違って、はっきりとルーインにも聞こえた辺り、ネイヴィスはやむを得ずルールを破ったようだった。
つまり魔力を使用して、水中で会話することを可能にしたというわけである。
「メガロドン?なんだそりゃ?」
こいつも破った事だしいっか。
ルーインはつられたように自身に課せられているルールを破った。
一旦魔界に連れ戻されたことで、しばらく魔力を使う事を自粛していたルーインだったが、目の前でネイヴィスが使った事で、その「タガ」が外れたようだ。
「あれは普通の鮫ではない。魔界軍が配備した海の魔物だ。背後からの奇襲を防ぐ為にな。まさか生き残りがいようとは…」
ネイヴィスが早い口調で言った。
巨大鮫、改めメガロドンは、今はルーイン達の頭上を泳ぎ、2度目の攻撃をしかけようと巨大な体躯を旋回させている。
「何?!って事は近くに洞窟があんのか?」
もはや遊び感覚でいたルーインが本当に驚いた。
「それはわからん。だが、もはや逃げられん。戦うしか道は無いぞ」
「くそっ、後片付けはちゃんとしとけよなぁ…」
先人たちへの苦情を吐きつつ、ルーインが右手に剣を喚んだ。
メガロドンは旋回を終え、下にいるルーイン達目掛けてすでに直進を開始していた。
「固まっていては不利だ!分散するぞ!」
「このタイミングでそれを言うかよ!?」
ネイヴィスが言い、先ほどのように翼を利用して離れていく。
メガロドンの狙いはルーインに集中した。
体をくねらせ、突撃の速度を一気に上げて突っ込んでくる。
「クソッ!舐めてんじゃねえぞ!」
ルーインは水を蹴り、噛みつきをすんでの所で回避した。
そのまま顔の部分へと剣を向けて斬りかかる。
「うおっ?!」
が、メガロドンは、攻撃が当たるよりも早く海底へと猛進。
紺色の城壁のような体を見せつけあっという間に通り過ぎて行った。
「な、なんだ!?」
ルーインはその直後に発生した引力のような力によって下方向へと引っ張られた。
メガロドンの通過によって発生させられた水流である。
メガロドンはその巨体ゆえ、通り過ぎたその後にしばらく海流を発生させるようだった。
「冗談じゃねぇ、不公平もいい所だぜ!」
流れからどうにか脱出しつつ、ルーインが不平の言葉を吐いた。
魔法力を解放する事で、ルーイン達はある程度の自由を得る事ができていた。
だが、陸上以上の力をここで発揮する事は不可能である。
実力は出せた所でおそらく八分。
加えてルーインの得意とする炎に属する魔法の使用も水中ゆえに不可能だった。
縦横無尽に泳ぎ回り、かつ、通り過ぎた後には海流を発生させるようなバケモノと戦い続けるにはあまりに不利な状況と言えた。
「オイ、ネイヴィス!なんとか動きを止められねぇのか!そもそもの攻撃が当てられねぇんじゃバテていつかはあいつのエサだぜ!」
「そんな便利なものがあるならとっくに実行に移しておるわ!貴様の方には何も無いのか!」
「得意な魔法は火と闇でな!火は水の中ではつかえねぇし、闇は光が無ければつかえねぇ!つまり何も無いってこった!」
ルーインがそう叫んだ時、海底で旋回を終えたメガロドンが三度目の突撃をしかけてきた。
その狙いはルーインとネイヴィスを1度に攻撃できるような一直線を取っていた。
「サメ公が調子に乗りやがって!」
敵をギリギリの所まで引き付け、方向が変わらない事を見てから、ルーインが横へと飛びのく。
攻撃自体は単純で、どうにか回避ですることができる。
しかしその後にやってくる海流だけはどうしようも無い。
当然のように巻き込まれ、海流にもみくちゃにされるルーイン。
メガロドンはそのまま進み、さらにネイヴィスを狙うかと思われたが、
「なにっ!?」
急速に方向転換し、海流にもみくちゃにされているルーインに改めて狙いを絞った。
ルーインには未だ、再度避けられるほどの体勢が整っていない。
「ルーイン!!」
ネイヴィスの呼びかけも空しく、ルーインはその体をメガロドンに捕捉されてしまうのだった。
メガロドンは方向を転換し、今度はネイヴィスの方に体を向けた。
「くっ、仇は必ず取るぞ!」
ネイヴィスが回避に備える。
メガロドンの攻撃は、体の正面と限定されている。
そして、それは正面からの敵からの攻撃を不可能にもしていた。
玉砕覚悟で攻撃するなら、正面からでも一撃をいれる事が出来るだろう。
しかし、その直後に噛みちぎられるか、もしくは飲み込まれて終了である。
生き延びる事が前提ならば、側面か、背後から攻撃するしかメガロドンを倒す術は無い。
ネイヴィスは側面に回る為、メガロドンとの衝突に備えた。
ギリギリまでひきつけて、かわしながら攻撃をする。
地道な作業になるだろうが、それしか手段はないように思われた。
「しかし、あ奴の作り出す水の流れを一体どうするか……」
ネイヴィスが覚悟を決めた直後。
メガロドンは体を曲げて、ネイヴィスから大きく逸れて行った。
見れば背中のヒレの部分にルーインがしっかりと捕まっており、空いている右手でメガロドンの背中に剣をつきたてていた。
背中の異物を振り落とそうとメガロドンは蛇行したが、「これが最後のチャンス」とばかりに必死で捕まるルーインはそう簡単には振り落とされない。
さらに一刺し、二刺ししたところで、メガロドンがひときわ大きく暴れた。
大量の出血で、暗い海が一段と黒く染まっていくのが見える。
ルーインはここで振り落とされて、メガロドンの後方にその身を移した。
メガロドンはそのままいずこかへ逃亡。
命の危険を覚えたのだろう、しばらくしても戻ってこなかった。
「生きていたか。心配したぞ…」
「へっ、悪魔的なしぶとさだろ」
ルーインは得意げに笑った。
実のところ、もみくちゃになっているところに突っ込まれて、もう終わりかと思っていた。
だが、最後の足掻きが偶然に、メガロドンの頭上への移動へと繋がったのだ。
「ま、ちょっとだけ本気になったがな。本当にちょっとだけだがな」
事の真相は黙して語らず、強がりで余裕ぶる相変わらずのルーインだった。
「しかしとんでもねぇのが居たな。これは期待できるんじゃねぇか?」
「とにもかくにも酸素の補給だ。そういう意味ではギリギリの危ない所での勝利だった」
「全くだ。今後は深い海とかを見ると、その度にアレの事を思い出しそうだぜ」
ルーインの言葉を聞いたネイヴィスが「確かにな」と言って笑った。
ヘズニングとメガロドン、二度の共闘を経たからなのか、その笑みにぎこちのないものは見えなかった。
六
ルーイン達は一度浮上し、酸素を充分に補給した。
そして、改めて潜水し、船の墓場と化していた海底の調査を開始したのである。
だいぶ体力を消耗していたが、あまり間を空けるとメガロドンが戻ってきてしまうかもしれないと考えた上での行動だった。
深く、暗く、光の届かない海底には、相変わらず時を止めたかのように船の残骸が積み重なっていた。
見渡す限りでは洞窟は見えない。
二人は船の下側を重点的に探索していく。
それから約三時間後。
ルーインの集中力が切れそうになる寸前、二人は船の残骸下に小さな海溝を発見した。
海溝の底には洞窟があり、そして洞窟はどこかに向かって長く伸びているようだった。
大体の見当をつけてみると、方角的にも悪くないものだった。
「こいつはアタリなんじゃねぇか?」
「行ってみる価値は十分にあるだろうな」
ルーインとネイヴィスは確信を持ち、その洞窟に足を踏み入れた。
洞窟の中は当然ながら、海水に満たされた水中だった。
ここが拠点の入り口だとしても、これでは天使と悪魔以外は使用することは不可能だろう。
道は狭く、視界も決して良いと言えるものでは無い。
暗いと思っていた海底ですら多少は明るいと思える程だ。
ネイヴィスがやむを得ず魔法を使い、洞窟の中を照らさなければ、進むべき方向すらおそらく分からなかっただろう。
洞窟の中は「ジグザグ」と、縦に横にと曲がりくねっており、不規則に伸びた岩盤が度々進行の邪魔になった。
「へし折っちまおうぜこんなもの」
苛立ちを覚えたルーインが、伸びた岩盤を右手で掴み、忌々しげにそう言った。
「やめておけ。バランスが崩れて生き埋めになるぞ」
「大丈夫だろ。こんなもんの一本や二本、折った所で何もかわらねぇさ」
「いや、頼むからやめてくれ。そういう大言壮語を吐いて軽率なマネをした者が無事であったというためしが無い」
「ならオレが無事だった奴第一号だな」
ネイヴィスの静止を聞かず、ルーインは実にアッサリと伸びた岩盤をへし折った。
一秒、二秒と経過したが、場に異常は訪れず、
「な?大丈夫だったろ?」
と、ルーインがネイヴィスに輝く笑顔を見せた直後。
「ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ」という重低音が二人の耳に入って来た。
そして洞窟全体が揺れ、小さな石や岩等が海底へと落下し始めたのである。
「それ見た事か!何が「な?大丈夫だったろ?」だ!大抵はこういう結果になるのだ!」
「結果がわかってんなら本気で止めろよ!ボーッと見てただけじゃねぇか!殴るなり蹴るなりなんでもできたろ!」
「一秒と待たずに折ったくせによくもそんな事が言えるな!責任転嫁も程々にしろ!」
まさに不毛な会話であった。
そんな事でモメるよりも、「これからどうするのかを」迅速に決めるべき状況なのだが、2人はそこに考え及ばず、口喧嘩をエスカレートさせていった。
「折れば魔界が消滅するとか、危機感がデカけりゃ折ってねぇよ!無事であった試しが無いとかチャレンジ精神を煽るからこういう結果になったんだろうが!」
「いーや貴様は折っただろう!例え魔界が消滅すると言ってもあの流れでは絶対に折っていた!120%だ!間違いない!!」
「わからねぇだろうが!!」
怒鳴り返すが、ルーイン自身「多分折った」と思ってはいた。
が、ここでそれを言うと、負けを認める事になるので「わからねえだろうが」と言ったのである。
「とにかく!喧嘩は後回しだ!!今はここから脱出するぞ!」
これ以上口論を続ける事は二人の心中を意味している。
ネイヴィスは喧嘩を後回しにして脱出する事を最優先した。
進んで来た道を急いで戻り、洞窟の入り口を目指して泳ぐ。
しかし、ようやく入り口が見えてきたというその時に、ルーイン達の眼前で洞窟の天井の岩盤が落下した。
水中なので地上と比べ、多少は緩やかなスピードだったが、外に出るほどの時間と余裕はもはや残っていなかった。
「ズシン…」と重く低い音を立てて、入り口への道が岩に塞がれる。
「あーあ。こりゃ大変だ。もう奥に進むしかねぇな」
「誰のせいでそうなったのだ!」
まるで人事のように言うルーインに向かってネイヴィスが一喝する。
さらにミシミシと音を立てる洞窟。
二人は今戻って来た道を再び引き返して奥へと急いだ。
水の中を落下する小さい石や巨大な岩。
その間を縫うようにして、二人は必死の思いで泳いだ。
ルーインが洞窟崩壊のきっかけを作った場所を抜け、更に洞窟の奥へと進む。
すると、狭かった洞窟が不意に広がり、広い空間に姿を変えた。
その空間でネイヴィスが、落下してきた岩によって押し潰されそうになったが、一時的に翼を発現して素早い動きで横に避けた。
「……!!!」
「オラ、びびってねぇで急げ!!」
これが先程までの狭い場所だったなら避ける事も叶わずに潰されていただろう。
広い空間でそうなったのは運が良かったと言って良い。
時間にして約十分後。
二人が「本当にヤバイ」と感じるほど振動が大きくなったとき、海だと言える部分が終了し、青白く輝く砂地の上に2人はその身を上陸させた。
その場所は暗く、「じめじめ」していたが、幸いな事に空気はあった。
二人は安堵の息を吐いた。
最悪の結果のひとつでもある「窒息死」からは免れたからだ。
それと時を同じくし、洞窟の揺れが小さくなり、やがて少しずつ収まっていった。
どうやら洞窟の完全崩壊は危うい所で止まったようだ。
「…どこぞの悪魔の軽率なマネで、危うく、殺されそうになったな」
ネイヴィスが「じとり」とした目で睨み、敢えてゆっくりとした口調で皮肉る。
その対象は言うまでも無く「どこぞの悪魔」のルーインである。
「あ?生きてたんだからいいじゃねぇか。ネチネチ言うなよカッコ悪ぃぜ」
しかしルーインはそれをスルー。
明度の上がった洞窟内を、先陣を切って歩き出した。
「生きていればいいというものでは無かろう。これを教訓に反省してだな、今後は軽率な真似は慎むとか、そういう姿勢が必要なのだ」
「わーかった。わーかったって。だからしつこく言うんじゃねぇよ。テメェはオレの親かっつーの」
「(怒りに使うエネルギーが無駄に消耗されるだけか…)
ネイヴィスは大きなため息を吐き、そこで注意するのをやめた。
注意しても無駄であり、返ってくる言葉の悉くに怒りそうな自分に気付いたのである。
その意味でネイヴィスはやはり賢明で、ルーインよりは大人だった。
ただ、完全に許容することはできないのだろう。目は若干遠くを見ていた。
「おい、なんか下ってねぇか?海に逆戻りとかいうオチか?」
先頭を歩くルーインがネイヴィスに向かって聞いてきた。
「何を言っている。さっきからずっと上り坂だ」
「マジかよ。どう見ても下り坂だろこりゃあ」
「目で見ているからそう感じる。体で感じればすぐに分かる」
ネイヴィスの言う通り、洞窟の道はなだらかな上り坂へと変わっていた。
目の錯覚がルーインに上り坂を下り坂だと思わせたのだ。
上り坂は徐々に傾度を増し、やがては目で見てもすぐに分かる急勾配な坂になった。
「殆ど登山だな。やった事はねぇけどよ」
「確かに、そんな感じの辛さだ。私もやった事はないが」
メガロドンとの戦闘と長時間の水泳の為、2人は体力をかなり消耗していた。
特に、洞窟に入って以来、照明の魔法を使用し続けているネイヴィスは精神的にも疲労していた。
「ぐっ…」
ネイヴィスが小さく呻き、よろけた後に立ち止まった。
集中力が途切れたのか、照明の魔法もそこで途切れる。
明るさに慣れていたため、周りが真っ暗闇に包まれたように感じたが、洞窟の中ほど暗くないようで、少しずつ目が慣れてくる。
「どうした?大丈夫か?」
ルーインが振り向いてネイヴィスに聞く。
「大丈夫だ、と、言いたいが、正直少しキツくなってきた。すまんが少し休んでいいか?」
「あ?そりゃかまわねぇが、こんな所で休んでいたら、上から道幅ギリギリの鉄球が転がってきた場合、2人してペシャンコにされちまうぜ」
「一体どういう発想だ…そんな事にはならんからここでしばらく休憩しよう」
ルーインの妄想を一蹴し、ネイヴィスがその場に腰を下ろした。
斜めに座ると居心地が悪いので、上り坂に背を向けるようにしてネイヴィスは体育座りで座った。
背中が疲労を物語っている。
「前から聞こうと思ってたんだがよ」
洞窟の壁に背を預け、立ったままでいるルーインが聞く。
ネイヴィスと違い魔法を使用していなかったためか、まだ余裕があるようである。
ネイヴィスが顔を向け、「なんだ?」と言って聞き返す。
「人間界の天気が悪いと天界的にはなんか困るのか?霧が晴れないのが変だとかいう理由でテメェは派遣されてきたんだよな?魔界だったらそんなもん「なんかヘンだけど知った事じゃないね」って二、三人で失笑するってだけだぜ」
それは確かにその通りで、「たかが霧程度」と言えなくもない。
「そこで笑ってはいかんだろう…」
「それか大勢で大爆笑だな。「ヤバクねぇ?!人間界ヤバクねぇ!?」ってな」
「もっと悪いわ!」
これにはネイヴィスは思わず絶叫。
悪魔の悪魔たる本質を見て、背筋を少しゾッとさせた。
「突っ込みはいいから教えろよ。親切心で調べに来たとかそういう答えなら必要ねぇが……」
ルーインは目を眇めた。珍しく真剣な質問に、ネイヴィスも表情を引き締める。
「うむ…実の所天界は人間界の「天候」くらいならば自由に操る事が出来る。自然に発生した災害等は天界の関知する所ではないが、それを消滅させる事や、敢えて放置する事等は天界で判断が可能なのだ」
「マジかよ。そんなのやりたい放題じゃねぇか」
「確かに悪用しようと思えばやりたい放題だ。だが、誤解はせんでくれ。洪水や台風を天界が故意に起こしているわけではない。未曾有の大災害を食い止める為に天候を操作することがある、という程度のことだ」
「ま、そういう事にしといてやるよ。魔界だって、人間界に全く干渉していないわけじゃねぇしな。多分、地震位なら起こせるはずだぜ。で、なんで天界はテメェを人間界に派遣したんだ?」
ネイヴィスの言葉を信じた上で、ルーインは更に質問を続ける。
交換条件というのだろうか、自分達に出来る事を話した辺りは、ルーインの変なフェアな精神だったのだろう。
「つまり、可能なはずのことができなかったからだ。霧を晴らす事ができなかったのだな。天界は人間界への、魔界側の接触を懸念して私を調査に派遣した。年配者の中にはまだまだ居るのだ。魔界との因縁にいまだに心を捉われている者が」
「どっちの世界も一緒だな。こっちにも居たぜ、天界と戦をしたがってるバカがよ」
「彼らには彼らの言い分があろう。実際因縁もあるのだろうしな。だからといって支持はできんが」
笑いながらネイヴィスが言い、それを見たルーインも同じ気持ちだったのか「にやり」と笑った。若い二人には、つもり積もった「因縁」というものがない。
故に、とりあえずは戦いはしたが、話し合う事で和解でき、その後の行動を共にして現在があるというわけである。
こいつは敵だ、絶対の敵だ。決して許すわけには行かない、と、頭の中で思っていたら、決してこうはならなかっただろう。
「じゃあつまりアレなわけか。アウド地方に立ち込めている霧が、魔界側の仕業かどうかを確かめるのがテメェに与えられた任務なわけか」
「要約すればそういう事だな。だからそれを確認するまでは私は天界には戻れないのだ」
「どうなんだろうな。オレは何も言われてねぇが…どうせなら聞いてくりゃ良かったな…」
調査員を送るタイミングが同じだったということは、魔界側にも何らかの気にする事があったのかもしれない。
そう思い、独り言をいうルーインの事を見やりながら、ネイヴィスが重い腰を上げた。
「もういいのか?」
「ああ。休憩につき合わせて悪かったな」
「別に付き合ったつもりはねぇよ。聞きたい事があるから残っただけだ」
「フッ、そうか」
素直では無い奴だ、と、ネイヴィスはその時思ったが、そういうのも悪くは無いと感じるようになっていた。
出会った当初はカタブツで、冗談さえ通じないような男だった。
だがルーインと行動する事で思考が柔軟になったようだ。
悪く言えば影響されて、いい加減な男になりつつあるのだが、根幹の部分が違うのでルーインと同じようにはならないだろう。
七
坂道はその後も延々と続き、およそ1時間という時をかけて2人は坂を上りきった。
ルーイン達の正面には地底を流れる川があり、右側から左側へ、怒涛の勢いで流れて行っていた。
地上に降った雨等が地面に滲んでこの場へ届き、大きな川と勢いになり、海へと向かって流れているのだ。
光を含んでいる苔でもあるのか、幸いにもその場所は坂道よりも明るかった。
ルーイン達はしばしの間、目的と疲れを忘れたように川の流れに見入っていた。
天井部分の岩が欠け、川の中に落ちた事で大きな音が立たなければ、もう少し見入っていたかもしれない。
「…山がある方に向かうんだから上流って事でいいんだよな?」
「あ、ああ。おそらくそうだろう」
我に返ったルーインが聞き、ネイヴィスがその質問に答えた。
二人は地底の川の流れに逆らう形で歩き出した。
流れ行く先が海ならば、流れ出る元は山だというのが自然だと考えたからである。
五分程を歩いただろうか。
左手の川は道から逸れ、だんだんと音しか聞こえなくなっていく。
そして、ルーイン達の眼前で洞窟の様子が一変した。
かつては出入り口だったと考えられる壊れた門の残骸を境目に、自然のままの土の壁が、加工された白壁に変わったのだ。
「どうやらこっからが本番か?この場所には門があったみてぇだな」
ルーインが言って、残骸を見た。
門であったと考えられる残骸は今は完全に風化しており、それが壊れたのか壊されたのかは判別に難しい状態だった。
「間違いなく魔界軍の拠点だろう。何があるかわからんぞ。ここからは注意を深めて行こう」
ネイヴィスがそう言って、眉間の皺を更に深めた。
ネイヴィスは通常時にも若干眉間に皺を寄せてはいるが、真面目になった時にはそれが更に強くなるようだった。
ルーインを先頭に、二人はかつての拠点に入る。
拠点の中はかなり明るく、数十メートル先の風景が不自由無く見えるくらいだった。
白壁に挟まれた通路は続き、侵入者であるルーイン達を巨大な門の前へと導く。
その門は幅広で、高さも備えた立派な「城門」で、こちらこそが本当の拠点の入り口と考えられた。
しかし、その城門も、先程のものと同じく風化しており、城門としての役目はすでに果たせていない状態だった。
「ここで敵を食い止めてあそこから矢とかを撃ってたわけか」
城門だった場所の頭上、アーチ状にかかる石橋を見て、ルーインが独り言のように言った。
勉強するのは嫌いだが、実際に見る事は好きなのか、その表情は心なしか楽しそうである。
直後、ルーインが見上げていた石橋の上に何者かが不意に姿を現した。
「それ」の動きは緩慢で、重心が定まっていないかのように「ゆらゆら」と体を動かしている。
「なんだありゃあ?まさか人か?」
「ん?」
ルーインの言葉を聞いたネイヴィスが、ルーインの視線の先を見た。
そこには人影のような何かが立ってこちらの方を伺っていた。
「こんな所に人などいるわけが…」
言いながら、ネイヴィスが照明の魔法を発動させ、それを照らそうと試みる。
「なっ!?」
魔法の光が照らしたモノは、もはや生物の体を持たぬ骨と皮だけのバケモノだった。
「ギィヤアアアアアアアア!」
バケモノは魔法の光に驚き、生理的嫌悪感を覚えるようなおぞましい叫び声を上げた。
そして、ルーイン達の周囲の地面が「ボコボコ」と次々に隆起し、地面の中から同じようなバケモノが姿を現しはじめた。
それは「アンデッド」と呼ばれている命を持たない魔物であった。
アンデッドはかつての生者であり、ルーイン達と同じようにどこかで普通に生活していた。
しかし、何らかの理由で命を落とし、深い思いを残した事や、魔法力を吹き込まれたことによって、生ける屍となってしまい、近寄る者や命ある者を襲い掛かるバケモノとなってしまった哀れな者達なのである。
このアンデッドは人間や動物がなったようなものであれば、戦闘力は概して高くない。
だが、ルーイン達に襲い掛かったこのアンデッド達は少しだけ普通のアンデッドと違っていた。
「元々は悪魔の兵士だった奴がバケモノの中に混ざってやがるぜ」
「おそらく天使だった者も居る。死んだ後にも残った無念が彼らの体を動かしているのか…」
ルーインとネイヴィスが言ったように、このアンデッド達の生前は悪魔と天使だったのだ。
かつてこの地で戦い、無念を残して死んだ事でアンデッド化してしまったようだ。
元々が人間や動物ならば、ルーインたちにとって脅威ではない。
しかし、元が天使や悪魔、しかもおそらく軍に所属していた、個体として優れたものだったなら話はまた別である。
腕力や早さに優れ、かつ、魔法を使うという死なない敵がいたならば誰もが絶望を感じるはずだ。
ルーイン達は今まさに、そんな連中に周囲を囲まれ、攻撃されようとしているのだ。
「こいつはさすがに勝ち目がねぇな。さっさと逃げる事を提案するぜ」
基本的には即断即決。思い立ったが吉日の判断の速いルーインである。
「異論は無いがどちらに逃げる?前か?それとも後ろか?」
その提案には賛成だったか、ネイヴィスが周囲の隙を伺う。
「アァァァァ!」
おぞましい叫び声を上げ、元は悪魔だったアンデッドが右手に黒い炎を喚んだ。
「決まってんだろ?前だよ前!」
ルーインはそう言って、右手に剣を召喚した。
そして正面に塞がっていたアンデッドの一体を斬り倒し、城門への道を確保した。
「そういうだろうと思っていたがな!」
続き、ネイヴィスも武器を召喚し、ルーインに続いて走り始めた。
おそらく時間が経てば経つほど、泥沼になるだろうと考えられた。
ゆえに、全速力で走り抜ける。
アンデッド達の動きは早く、攻撃の狙いも的確だった。
が、かつての悪魔や天使と違い、「現役」であるルーインやネイヴィスは判断力で勝っており、かろうじての形だが全ての攻撃を回避していた。
アンデッド達の数は多く、次から次へと沸いてきてはルーイン達の前に立ち塞がった。
「どれだけの者が死んだと言うのだ……」
戦争を体験したことのないネイヴィスは、あまりの光景に眉をひそめた。
城門の前の一団を斬り、ルーイン達は石橋を抜け、拠点の中へと侵入していく。
そこは四方を封鎖された闘技場のような空間だった。
その場所はかなり広く、広場のように見えなくもない。
だが、左右は壁で埋められ、唯一正面に見える門も堅く閉ざされていたのである。
地面には石畳のようなものが所々に残っていたが、それよりもルーイン達は、閉ざされた門の近くにあった2体の石像に目を奪われていた。
武器を持った巨大な戦士がその石像のモチーフで、右側の戦士は大剣を。
左の戦士は手斧と盾を。それぞれ携えて立っていた。
「なんだろうな…すんげー嫌な予感がするぜ…」
「残念ながら私もだ。気のせいであって欲しいものだが……」
門の脇に「お約束」のように佇む巨像に、二人は若干冷や汗をかく。
「こういう場所にある石造っていうのはよ、大体……」
巨大な石像の頭が動き、ルーイン達を「ギロリ」と睨んだ。
そして直後に体を動かし、侵入者を排除するべくルーイン達に向かってきたのであった。
「やっぱりかよ!!御丁寧なもんだぜ!」
「現実とはいつも残酷だな!」
ルーインとネイヴィスがそれぞれ言って、石像の前に躍り出た。
ルーインは大剣を持った石像に。
ネイヴィスは手斧と盾を持った石像と剣を交えるべく素早く動く。
背後から迫るアンデッドとはまだ若干の距離があり、石像に加えてアンデッドという泥沼の混戦に巻き込まれるには、しばらくの余裕があるはずだった。
「全力で行け!瞬殺するぞ!」
「言われなくてもやるつもりだっつの!」
頭上には光輪、背には翼。眩しい後光を携えながらネイヴィスが宙に飛翔した。
一方のルーインは剣を構え、全身から銀色のオーラを発しながら、地面の上を疾走した。
ネイヴィスを敵と選んだ手斧を持った石像は、頭上に向かって盾を構え、ネイヴィスの攻撃を受け止めようとした。
ネイヴィスは宙に翔んだ後、ハルバードを両手に持って勢いをつけて一気に降下。
縦方向に猛回転し、回転の威力を武器に加え、石像の盾を破壊した。
そして、盾を破壊した衝撃をうまく利用して更に飛び、手斧を持った石像を頭から叩き割ったのだった。
ルーインの戦いも、もはや決着がつこうとしていた。
石像の1刀目はルーインを真っ二つにしようと企む頭上からの切り落としだった。
しかし、ルーインはこの攻撃を前方に転がる事で回避。
態勢を立て直す暇を与えず、石像の右足を切り捨てた。
そしてそのまま背後に抜けて、石像が倒れ込むより早く左足をも切り捨てたのだ。
両脚をあっという間に失い、石像は一瞬、腰から上を空気の上に置く事になった。
ルーインは両手で剣を握り、天に向かって一直線に石像を背中から切り上げた。
石像は地面の上に落ち、その衝撃で真っ二つになり、機能を完全に停止した。
堅く閉ざされていた門が音をたてて開き始めたのはその直後の事だった。
「あの時は本気じゃなかったみてぇだな」
「それは貴様も同じだろう。食えん奴だな。全く」
二人は短く言葉を交わし、迫り来る群れから逃れる為に開いた門の先へと向かった。
ルーインとネイヴィスが門を抜け、三秒程が経ったときだろうか。
門は再び音をたて、今、解放したばかりの道を容赦無く閉ざしてしまうのだった。
どうやら、かつての警戒のためだったのかそう長くは開いていないようである。
これはルーイン達にとっては幸運と言える出来事だった。
すぐそこまで迫ってきていたアンデッドの群れが向こう側に隔離されたからである。
「オイオイ、まるで動物園だな。エサを与えないでくださいってか?」
すぐにもアンデッド達をからかい、「アー!」とか「ウー!」とか抗議されたのは言うまでも無くルーインだった。
「「アンデッドの群れ」とかいう看板があったら間違いなく動物園だろ。モノがモノだけにクサすぎて誰もこねぇかもしれねぇけどな」
「そのへんにしておけ。いつまでも閉まっているとは限らん。今のうちに先を急ぐぞ」
ルーインはこの時「大丈夫だっての」と、一瞬、余裕の発言をしようと思った。
しかし、水中洞窟での傲慢が呼んだ悲劇を思い出し、
「そうだな。この門には感謝しねぇとな」
と、謙虚になっておいたのだった。
「……?」
ネイヴィスは珍しく素直なルーインに不気味さを感じていたが、ここから早く去りたかった為に、敢えて何も言わなかった。
そこからは敵には襲われず、罠にかかるという事も無かった。
さすがに拠点の内側には罠を仕掛けてはいないようだ。
魔界軍は後方には注意を払っていたようだったが、前方には自分達が控えている為、何も仕掛けなくても大丈夫だとタカをくくっていたのだろう。
いくつかの武器倉庫と下級兵士のタコ部屋らしき詰め所を発見したが、そこにはゴミが転がっているだけだった。
ネイヴィスの「近寄るな」という忠告を無視し、ルーインはいくつもの部屋を調べた。
好奇心には勝てないようである。
その部屋の中のひとつでルーインは奇妙なものを見つける。
それは、天界と魔界との戦いを描いた壁画だった。
地上では天使と悪魔が戦い、海中では無数のメガロドンが天使達の体を引き裂いている。
空を飛んでいる天使と悪魔は魔法や矢で応戦し、その真下からは巨大な竜が悪魔達に向けて火を吐いていた。
「こういうのを見るとなんとなく背中がゾッとするんだよな」
「不気味といえば不気味な絵だからな。ああ、これがヘズニングか。さすがに大きく描かれているな」
「まぁ、他のと同じにしたら、小さくて誰だかわかんねぇだろうしな。大暴れしてる最中か…捕まった直後なら最高だったんだが…」
悪魔の拠点の壁画の中に魔王捕縛の図等は不要。
そんな壁画があったりしたら、士気に関わるだけでなく、提案者の「首」にも繋がるだろう。
しかし、そのような理屈は抜いて、悔しそうにルーインが言い、「ヘズニングに踏みつけられている小さな者」から線を引いて矢印を伸ばす。
そして、壁画の空いたスペースに「ヘズニング」と書き込んで、
「これでよし。」
と、満足そうに笑うのだった。
「(やり方が暗いな…)」
ネイヴィスはそう思ったが、その「暗いやり方」で、今までに見せた事が無い至福の表情でいるルーインを見ては、もはや何も言えなかった。
「ん?なんだこりゃ?山か?」
ルーインが壁画の中に更に何かを発見した。
それは小高い山のような緑色の何かだった。
「山というよりは丘だな。周りに居る天使達はこの丘を守っているのではないか?」
「じゃあこの丘は天界軍の拠点かなにかか?」
「おそらくな。しかしわざわざ壁画に描くのだ。天界と魔界側にとって相当重要な拠点だったのだろうな」
ルーインは「フーン」と一声。かなり興味があるようで、満遍なく壁画を見て行った。
「そういえばよ」
「うん?」
「なんで魔界と天界は人間界で戦ったんだ?魔界側が攻めたんだから天界で戦っても良くねぇか?」
ネイヴィスはその質問にため息をついた。どうやらルーインの勉強嫌いは本物らしい。
「本当に勉強が嫌いなようだな…直接行く事ができんからだ。例えば青、黄、赤の砂が縦の層になって積もっていたとする。青は黄と隣接しているが、赤とは隣接していない。青が赤に行く為には黄を通過する必要があるのだ」
「その青色が魔界だったって事か?」
「そうだな。どういう仕組みかはわからないがそういう事になっているらしい」
「人間界にはいい迷惑だな。つまりは壁って事じゃねぇか」
「まぁ、そういう見方もできる」
ルーインとネイヴィスはしばらく壁画を眺めた後に、本来の目的を思い出して地上へ向けて歩き出した。
それから約2時間後。
ルーイン達は洞窟を抜け、ようやく地上へたどり着くことになった。
お付き合いありがとうございました!