第四章
一
それから五日が経過して、ルーインとネイヴィスは解放された。
主な容疑は「殺人」と「他国のスパイ容疑」だったが、スパイ容疑には証拠が見つからず、もう一方は肝心の死体が出てこなかったので、無実という事に収まっていた。
無銭飲食の件については、捕縛に現れた兵士達が支払いの現場を目撃しており、それが報告書として届いた為に冤罪だと判断されたようだった。
ルーイン達の解放に際し、その仲間だと思われていたミシェナも同様に解放された。
やはり、父の捜索に関係する逮捕ではなかったようである。
その流れを見ていた先客も「俺達も仲間でしょアニキ!」と、尻馬に乗ろうと試みたが、ルーインが「ニヤニヤ」と笑いながら「いや?まったく?」と、あっさり斬ってしまった為にそれは失敗に終わっていた。
時間にするなら0時前。
無事無罪になったとはいえ、夜中に放り出されたルーイン達は、商業街で見つけた宿で一夜の安息を得ようとしていた。
宿屋「三角亭」の一室は思ったより広かった。
大きなベッドが2つあり、暖炉の近くにはテーブルとソファーが一対ずつ置かれている。
部屋を取れたのは三階で、ベランダにも椅子とテーブルが設置されているようであり、夜空と月を見上げながら一杯やる事も可能のようだった。
ルーインは今、ネイヴィスと同じ部屋の中に居た。
「どうせならあっちの方がいいな」
と、ミシェナと同じ部屋に行こうとしたが、ネイヴィスの猛反対に遭ってしまい仕方なくこちらに来たのである。
「ふた部屋しか空いて無かったとは言え、天使の、しかも野郎と同じ部屋だってのは結構堪えるモノがあるぜ」
「ブツブツのたまわずさっさと寝ろ。寝て、明日の朝になればもはや2度と会う事もあるまい」
「さてそいつはどうかな?世の中は案外狭いからな」
ルーインはそう言いながら、上着を脱ぎ捨てて裸になった。
その体はどちらかというとあまり筋肉質ではなかったが、超絶的な力がそこに秘められている事をネイヴィスは知っていた。
「オラ、テメェも照れずに脱げよ。そんなナリじゃ寝れねぇだろうが」
ベッドの上に寝転がり、ルーインがネイヴィスに向かって言った。
「私は生憎寝巻き派だ。野蛮な貴様と同じにするな」
ルーインに軽く答え、ネイヴィスは寝巻きを探しだした。
設置されていたタンスをあさり、ベッドの下も探してみたが、そこに寝巻きは見つからない。
ネイヴィスは最後の望みとしてシャワー室へと入って行った。
「寝巻きも無いのか…この宿には…」
数十秒後、残念そうに戻って来たあたりからシャワー室にも寝巻きは無かったようだ。
「いいから裸になってみろよ…案外気持ちのいいモンだぜ?」
ルーインが起き上がり、新興宗教の教祖のような怪しげな口調でネイヴィスを誘う。
「いや、いい。このままでも寝れない事は無い」
が、眉間に皺を寄せて、ネイヴィスはルーインの誘いを拒絶。
「もぞもぞ」とした動作でベッドに入り、ルーインに背を向けて寝転がった。
「そう意固地になるなって。テメェは快感を恐れてるだけさ。早く脱いで楽になれよ」
それを見たルーインは「ニヤリ」と笑い、怪しい口調と顔で迫り、ネイヴィスの背中に「すっ」と手をかける。
「なぁっ!?か、快感だと!?何を言い出すのだ貴様は…っ!?」
「脱げよホラ!手伝ってやるから!」
言うが早いかルーインが、ネイヴィスのベッドに潜り込んだ。
「よせ!貴様、何をするかッ!?」
「ナニもしねぇよ!脱がすだけだ!」
2人はベッドの中で揉み合い、やがて落下して床に転げ、ネイヴィスに馬乗りするような形になってルーインが上に納まった。
「へぇ…なかなかいいカラダしてんじゃねえか。心配するな。オレを信じろ。すぐに気持ちよくしてやるからよ」
ネイヴィスの上着を掴み、上半身を無理矢理露出させたルーインがそこまでを言った直後。
「バリン!」という物音がルーイン達の部屋の前、ドアの外から聞こえて来た。
「いい所を邪魔しやがって…そこに居るのは誰だ?」
ルーインが魔法を使い、部屋のドアを開け放った。
「あ、あの、お、お邪魔したみたいですみません…!わ、わたし、その、皆さんに夜食を…あ、ああー!ごめんなさーい!」
ドアの前に立っていたのは、別室に泊まったミシェナだった。
落としたものは夜食のようで、ルーインとネイヴィスの騒動を聞き、今また「状態」を目にしたミシェナは、それをナニかと誤解してその場から慌てて走り去った。
「ま、待て!誤解だ!誤解だァァー!」
ネイヴィスが絶叫し、ミシェナをすぐに追った事で今回の誤解はなんとか解けたが、1人「チッ」と舌打ちをしたルーインの真意は不明であった。
その出来事から十数分後。
ルーイン達はテーブルを囲み、ミシェナが改めて持ってきた夜食をつまみながら雑談していた。
一度は裸になったルーインも女性の手前か服を着ている。
現在の雑談の内容はミシェナの父親に関する事で、ひと月前に届いた手紙が現時点で最後の手紙であること、そして手紙には珍しい花が入っていた事等を二人はミシェナから聞かされていた。
「その手紙というのは今も?」
「はい。持ってます」
「良ければ見せてもらいたい」
ミシェナの話を熱心に聞き、必要以上に絡んでいたのは意外な事にネイヴィスだった。
ルーインはネイヴィスを「どちらかといえば他人に対し無関心」だと思っていた為、この展開には少し驚いていた。
「随分と熱心じゃねぇか。もしかしてこの女にホレたのか?」
そう言って茶化してみたが、ミシェナの頬を染めただけで、ネイヴィスからの反応は無かった。
「これです」
ミシェナがスカートのポケットから一通の手紙を取り出した。
それが最後の手紙なだけあって、肌身離さず持ち歩いているようだ。
ネイヴィスはそれを受け取り、慎重に封を開けて手紙と花を取り出した。
花はかなり萎びており、花びらの色も褪せている。
だが、それがどんな花なのかを知る事はまだ可能な状態だった。
「これはこの辺りでは珍しい花だと?」
「はい。少なくともわたしと母は今までに1度も見た事が無いです」
「なるほど」
ネイヴィスはそう言って、手紙の内容に目を滑らせる。
そこには「元気にしているかい?」だの「誕生日に帰ってやれそうに無い」だの、他愛の無い事が書かれているだけで、事件を解決に導くような重要な事は書かれてなかった。
しかし、子を思う親の気持ちに心を打たれたネイヴィスは、
「私も捜索を手伝おう。私が果たすべき目的とあながち無関係では無いかもしれん」
と、ミシェナに申し出てしまうのだった。
ミシェナは喜び、ネイヴィスに感謝した。
そして頬を赤らめてネイヴィスへの好意を増すのである。
「はっ、物好きなこったぜ。自分から荷物を背負い込むとはな」
ルーインが立ち上がり、「つきあってらんねーぜ」といった口調でわざとらしく肩をすくめた。
ルーイン自身何が気に食わずそういう態度を取ったかは分からないが、この展開には何となく反発したい気持ちだった。
「ん?」
そこでルーインは自身の正面、高さ的には三階となるベランダに何かが居る事に気付く。
「…猫か?なんでこんな所に居るんだ?」
ルーインが呟くように、それは黒い猫であった。
見た目は普通。
しかし、手足と首にあるトゲ付きの「かせ」のようなものが異様な雰囲気を放っていた。
「どうした?」
「いや、猫がよ」
ネイヴィスに聞かれ、ルーインが猫から一瞬視線を外す。
「猫?」
言われたネイヴィスがベランダを見て、ルーインが再びそこを見た時、猫の姿はすでに無かった。
「何も居ないではないか」
「さっきまで居たんだよ。こんなトゲが付いた首輪と、腕輪をつけた黒い猫がよ…いや、待てよ…黒い猫…?」
言いながら、ルーインが何かを思い出して動きを止めた。
黒猫、に繋がる昔話に不吉な記憶があったのだ。
「いや、まさかな…」
ルーインがそう呟いた時、ベランダの外が白く染まった。
そして、宿屋、三角亭は爆発に呑まれて消滅した。
二
爆発は三角亭を包み、両隣の建物の半分以上を飲み込んだ。
かつて、三角亭があった場所には地面をえぐるクレーターができ、夜空に向かってもうもうと白い煙が伸びていた。
その煙の根元部分、即ちクレーターの中心部に青白い光が発生していた。
光は円状に展開されており、その中にはネイヴィスとルーインとミシェナの姿があった。
「くっ…一体何だったのだ…」
ネイヴィスが誰にともなく言って、魔法の障壁を消滅させた。
「さぁな。まぁ何にしても助かったぜ」
「勘違いするな。貴様はオマケだ」
ルーインに素直に感謝され、ネイヴィスが顔をそむけて答えた。
ルーイン達が助かったのはネイヴィスが魔法を使ったからだが、普通の人間であるミシェナには「それを理解しろ」というのは少々無理な話だった。
ただ目を見開いて、周囲の惨状に呆然としている。
「ほう、生きていたとはな。流石にクズとは違うようだ」
ルーイン達の頭上から何者かの声が聞こえてきた。
声の主はルーイン達の正面、そびえたつ建物の屋上に居た。
両腕を組んだままの態勢でルーイン達を見下ろしている。
「何者か」の肌は紫色で、髪の色は黒かった。
そしてその額からは1本の角が生えており、その者が人間では無い事を示していた。
身長はおよそ300センチ。
ワイルドな服装から見え隠れする鍛え上げられた筋肉が、並大抵の力では無いという事を無言の内に語っている。
人間の年齢に換算するなら、男の年齢は30前後。
その足元には先程の不気味な黒猫の姿もあった。
「チッ、なんてこった!なんでアイツがこんな所に…!」
舌打ちしたのはルーインだった。
大抵の事には動揺をせず、感情も含めないルーインだが、今回ばかりは違っていた。
忌々しいような口調で言って、額には脂汗をも浮かべていた。
「奴の事を知っているのか?」
その表情を盗み見たネイヴィスが顔を向けずに聞いた。
「知っているとも。テメェだって知らねぇはずはねぇぜ」
ルーインはそれにすぐに答えた。
視線は正面の男に注がれ、相手の動き次第ではすぐにも飛び掛らんばかりに見えた。
「私が…?いや、私は知らんぞ?」
「いや、ぜってぇ知ってるはずだ。アイツはな、魔王ヘズニングだ。テメェら天界との戦いで最後に敗れたかつての魔王さ」
「なっ…!?魔王ヘズニング!?奴が、奴がそうなのか…!?」
魔王ヘズニングの話はネイヴィスも当然知っていた。
今から4000年程昔。
ヘズニングは当時、魔界の王だった。
彼は天界を征服しようと目論み、人間界へ軍を進出させた。
天界はこれを阻止する為に同じく人間界へと進出。
天界と魔界の両軍は人間界で衝突した。
戦いは100年間に及び、両軍ともに損害は深刻と言えるものになった。
そこで天界は一計を案じ、魔界軍が人間界に来る為の「連絡路」を一時的に凍結した。
魔界からの援軍を断ち、生き残っていた魔界軍を孤立させる事に成功したのだ。
そして始まる天界の総攻撃。
魔王ヘズニングは善戦したが、数万の天使を相手にしては流石に敵うはずはなかった。
最終的には捕縛され、天界にある天刑に送られる事になったのである。
余談ではあるがこの戦争にルーインの父も参加しており、「連絡路」が復活するまで戦い、見事魔界に生還している。
この際に彼につけられたのが、例の「暴虐のペコロス」という二つ名である。
「そういえば天界の刑務所からヘズニング様が脱走したらしい。あの厳重な警戒の「天刑」からどうやって脱出したのかと皆首をかしげていたよ」
「相方の猫が逃がしたんじゃねーの。黒猫を飼ってたって話じゃねぇか」
「おおそうか。あれも一応悪魔だしな。そうかそうか、そのセンがあったか」
ルーインは人間界に来る前の父との会話を思い出していた。
確かに「ヘズニングが脱出したそうだ」という話を聞いていた記憶があった。
「天刑から脱走したとは聞いてたが、こんな所に居やがるとはな…友好的とは思えねぇし、嫌な予感しかしねぇぜクソッ…」
ルーインはぼやきながら自身の得物を召還した。
現時点で戦闘になるかどうかはわからなかったが、有無を言わせず宿屋ごと爆破するような攻撃を仕掛けてきた者が、友好的な話し合いを提案してくるとも思えなかった。
「そうだ。戦え。虫けらのように殺されたくないのならな!」
ヘズニングが哄笑を響かせながら、疾風のような勢いでルーイン達に襲い掛かった。
「オイ!女を逃がせ!そんなのが居たら足手まといだ!」
ルーインがネイヴィスに言い、盾になるべく前に飛び出る。
直後にルーインはヘズニングとぶつかり、周囲に衝撃の波が走った。
「ちっ、馬鹿力が…!」
ルーインは押されて一歩を下がる。
怪我こそないが、衝撃を受け、軽い眩暈すら感じていた。
「止めたか。面白い」
ヘズニングは後方に飛び、空中で一回転した後に離れた場所に着地した。
「すぐ戻る!」
口を開いたのはネイヴィスで、言い終えるよりも早くミシェナを連れて戦線から一時的に姿を消した。
「あの男は天使だろう?貴様も悪魔の端くれならばなぜ天使をかばい立てする?」
その様子を見たヘズニングが表情を変えずルーインに聞く。
「別にかばってるわけじゃねぇよ。ていうかアンタこそおかしいぜ。悪魔の端くれのオレに対して問答無用で攻撃たぁな。オレ達は一応仲間なんじゃねぇのか?」
ルーインが答え、返答を待つ。
ルーインは負けず嫌いであるが、おそらくは桁が違うであろう、こんな化け物との戦闘は避けたいというのが本音だった。
「出生が同じというだけで仲間にされたらかなわんな。そもそも悪魔は孤高の存在。仲間だのなんだのとほざいていては、いつか足元をすくわれるぞ」
どうやらヘズニングの目的は天使であるネイヴィスの抹殺らしく、たまたま行動を共にしていたルーインは巻き込まれたという形のようだった。
「ありがたい言葉だが、生憎オレの考えも同じだ。他人を頼りにした事はねぇよ」
「いい心構えだ。この先も生きていけたなら大悪魔になっていたかもしれんな」
ヘズニングが「にやり」と笑った。
この段階でルーインはヘズニングが同族でも見逃さない事を察知し、「じゃそういう事で…なんかすみません…ヘヘッ」と、お茶を濁して逃げ去る道が無いと言う事を理解していた。
「すまん!大丈夫か!」
そこへミシェナを連れて消えたネイヴィスが武器を携えて戻ってくる。
ミシェナを安全な所に置いて急いで戻ってきたようである。
「馬鹿正直に戻ってこなくてもオレ1人でやれたのによ」
「大口を叩くな!奴が本当にヘズニングなら貴様1人で敵う相手か!」
ルーインの軽口に答えながら、ネイヴィスがハルバードを正面に構えた。
ヘズニングはその様子を腕を組んだまま眺めていたが、準備が整ったと見たのであろう、
「では、続きを行うとするか」
と、2人相手にも余裕の表情。
「さぁ行くぞ」
そして直後にはオーラを纏い、ルーイン達にと飛び掛かった。
「来るぞ!」
ルーインが叫び、双方で戦いを開始する狼煙が上がった。
突撃してくるヘズニングと最初にぶつかったのはネイヴィスだった。
ヘズニングの素手とネイヴィスのハルバードが瞬く間に何度も交差した。
金属であるハルバードと渡り合う拳。
ルーインは表情にこそ出さないものの、「さすがは元魔王だぜ」と畏怖の念を抱いて感心していた。
「くっ!しまっ…!!?」
拳を受け止め、時に弾き、善戦していたネイヴィスだったが、左からの蹴りを食らい、右方向へと吹き飛ばされる。
致命傷こそ負わなかったようだが、建物に激しく突っ込んでいき、すぐに復帰するのは困難と思われた。
「共闘なんざ本意じゃねえが!」
それを一瞥し、ルーインもヘズニングへと切りかかる。
ネイヴィスと渡り合っていた時間を使った背後に回っての攻撃だったが、その攻撃はヘズニングの衣服を僅かにかすめただけで、体を捉えるには至らなかった。
「遅すぎるな」
ヘズニングは攻撃をかわしつつ、ルーインに背を向け「くるり」と回転した。
そのままルーインの左顔面に強烈な裏拳を叩きこむ。
そして続く右拳でルーインの腹部へ一撃を入れた。
「ガハッ…!」
ルーインはたまらず剣を離し、クレーターの中へと吹き飛んで行った。
「…この剣には見覚えがあるな。確かペコロスの物だったか」
空中に放られた剣を掴み、ヘズニングが誰にともなく呟く。
彼にとってはかつての部下であり、戦友でもあるペコロスの剣だ。
その一瞬の感慨が彼にとっての油断となったか、ヘズニングは左から飛んできた光の球を体に受ける。
それは戦線に復帰したネイヴィスが放ったものであった。
ネイヴィスはその時すでに次の魔法の詠唱に入っていたが、お返しのように飛ばされてきた紫の光球を避ける為に詠唱を中断するしかなかった。
「くっ!」
ネイヴィスはやむなく左後方に飛び、紫色の球を回避する。
「なっ?!」
が、ヘズニングの攻撃はそれで終わってはいなかった。
ネイヴィスの頭上、その少し後ろに素早く移動したヘズニングは、両手での叩きつけで更なる攻撃を加えてきたのだ。
「ぐはあっ!」
もはやこれはかわせない。
そう思ったネイヴィスは防御をしたが、凄まじい重さの一撃を受け、地面の上へと叩き落とされた。
「……終わりだ」
ヘズニングが短く呟き、土煙があがる地面に向けて、流星の如き蹴りを放った。
轟音をたてて地面がえぐれ、土煙が更に大きくなった。
ネイヴィスは地面の上を転がり、その攻撃をどうにか回避していた。
しかし、態勢を立て直そうとその場で右手をついた直後、目前にまで迫っていたヘズニングに喉首を鷲づかみにされるのだった。
「期待外れだな。まるでザコだ」
ヘズニングが右手の力を強めた。
「ぐっ…!はな…せ…!」
ネイヴィスはもがいて抵抗したが、力では及ぶべくもない。
そのまま首をへし折られ、葬られてしまうかとおもわれた。
その時。
「ぬ!?グオオオオッ!?」
ヘズニングが突如、業炎に包まれ、足元から一気に燃え上がったのである。
火柱は天をつかんばかりに上り、ヘズニングの足元の地面を宛ら溶岩のように変質させた。
「少しは期待に応えられたか?」
それは戦線に復帰したルーインが発動させた魔法だった。
ルーインは口調こそ余裕だが、内心、神に頼むような気持ちだった。
今使用したものは現時点でルーインが使用出来る中で最強の魔法だったのだ。
もしこれが効かなかったら、二人にヘズニングを倒す事は不可能と言っても問題無かった。
「(頼むぜ…少しは効いててくれよ…)」
ルーインは半ば祈るような気持ちで、結末を静かに見守っていた。
「……」
解放されたネイヴィスも態勢を立て直して見守っている。
「グオアァァァアア!」
あまりの高熱に地面が溶け出し、周辺の地面がガラスのように輝きだす。
だが、ヘズニングの体の黒影はいまだに焼けず、かたちを保っている。
ヘズニングは炎に包まれたまま絶叫のような声を上げていたが、
「アアアア!!」
やがてそれは気合の声に変わり、炎を吹き飛ばしてしまうのだった。
「フウウ…」
満足そうに息を吐き、「ニヤリ」と笑ったヘズニングにダメージがあるとは思えなかった。
「チッ、マジかよ…」
ルーインが呟き、剣を構えた。
勝つ術はもはやない。
今まで培ってきた自信も失ったが、このまま黙ってやられる事はルーインのプライドが許さなかった。
逃げるのも1つの選択肢だが、おそらく逃げ切れる相手ではない。
「オイ、ネイヴィス。逃げるなら最後のチャンスだぜ。逃げ切れるとは思えねぇが、戦って勝てる相手でもねぇ。自分で考えて選択しろや」
「考えるまでもない…天使は悪魔に背を見せん」
ルーインに向かってそう答え、ネイヴィスが再び武器を構えた。
思えば不思議な状態である。
悪魔であるルーインが、なぜか天使であるネイヴィスの味方をしている。
だが、ここに至っても、ルーインには不思議とネイヴィスが「敵」であるという気持ちはわいてこなかった。
「いい心がまえだ」
と、ルーインが言った直後、凄まじい音が響き渡った。
ルーインの懐が赤く輝き、「キィィィン」という高い音がそこから急に発生し始めた。
耳を塞ぎ「うるせぇーー!」と悲鳴を上げたルーインだったが、響き続ける音に消され、それが聞こえる事はなかった。
そしてルーインはネイヴィスと、ヘズニングが見ているその前で姿を「ふっ」と消すのである。
「奴に気付かれたか、興が殺げたな」
ヘズニングは眉根を顰め、誰にとも無くそう言って、黒猫と共に夜空に飛び上がり、溶けるようにして姿を消した。
「一体…どういう事なのだ…」
見渡す限り廃墟となった街。地面は残された熱気によって、まだ赤く光り輝いている。
突然静寂に包まれ、その場に一人残されたネイヴィス。
彼は何が起きたのか理解できずに、ただただ呆然とするだけだった。
三
音はようやく聞こえなくなった。
ルーインは押さえていた耳を離して、現状の確認の為に片目を開く。
「ここは……」
ルーインが驚き、両目を開いた。
そこは人間界では無かった。
かといって知らない世界ではない。
空気で分かるがこの場所は、ルーインの故郷の魔界であった。
「んだぁ…?どうなってんだぁ…?」
魔界に戻った事は分かるが、場所としては見覚えのない場所に、ルーインが呟き眉をひそめた。
「ゲップリャス…」
結論から言うとこの場所は「魔王ナタックー」の玉座の間だった。
玉座の間にはルーインと、ペコロスと魔王の姿があった。
ペコロスは「やれやれ…」といった顔で、戻って来た息子を眺めていたが、魔王ナタックーは玉座には無く、玉座の横に設置している謎の器具に足を吊られ、そこで腹筋する事で自身の肉体を鍛えていた。
「フン…!フン…!」という声と、困った顔で佇む父親。
耐え切れ無かったルーインが「どういうこった?」と質問したのは仕方が無い事だと言えた。
「私が呼び戻したのだ」
これは謎の器具に足を吊られた魔王ナタックーが発した言葉である。
現魔王、ナタックーの身長は250センチと少し。
筋肉はヘズニングと同等かそれ以上についている。
髪の色はこげ茶色で肌の色はやや黒かった。
年齢は、人間の見た目で言うなら男盛りの30前後。
ぴしりと撫で付けたオールバックに、渋いと表現して問題無い顔。
そして、後頭部の三つ網が特徴的な男だった。
「呼び戻しただぁ?テメェがか?」
「オンナスキー!口の利き方に気をつけろ!」
叱りつけたのはペコロスだった。
魔王を「テメェ」と呼んでしまったルーインに怒る部分もあったが、万が一にも不興を買って、愛する息子がナタックーに始末されないかという親心もあった。
「うるせえ!その名前で呼ぶんじゃねえ!」
そんな親心が理解できなかったルーインが別の部分で怒る。
「魔王様に向かって無礼であろう!オンナスキーめ!困った奴め!」
「困った奴はテメェだろうが!せめて外では普通に呼べよ!」
「普通に呼んでおるではないか!ゲップリャスの方が良かったというのか!?」
「いいわけねぇだろクソ親父!」
ルーインが反抗した事で2人の間で「いつもの争い」が始まる。
その紛争に、「良い良い」と言いながら魔王ナタックーが仲裁に入った。
「だいたいテメェのペコロスにしたってどんだけアレなネーミングだよ!どう聞いてもゆるゆるキャラのホンワカペットなイメージだろうが!」
「そこに暴虐の二文字が付けばギャップの激しさで恐さ倍増よ。暴虐のオンナスキー。暴虐のゲップリャス。暴虐のルーインより恐ろしげじゃろうが?ん?」
「ああなんか別の意味でな!?」
だが、長年争っている二人の問題はナタックーの仲裁でも止まらなかった。
ナタックーは「ふん!ふん!」と、口論の間も鍛錬を継続。
「ともかくオレはルーインだからな…それ以外はシカトだシカト」
「バカモンが…頑固な所はアレによう似とる…」
やがては収まった口論を見て、ナタックーは再び口を開いた。
「オンナスキー、と言ったな?」
「…ルーインだ」
相手が例え魔王であっても、妙な名前が定着してはたまらないと訂正を入れるルーインである。
「そうか、ならばルーイン。人間界の調査員にはラグラスを選んだつもりだったが、そこには敢えて触れんでおこう」
「……」
「問題は、だ」
前置きの言葉をそこで区切り、ナタックーが器具に吊るされたまま、上半身を起こして拘束を外した。
そして器具の上部を掴み、ルーインに背を見せる形で床に足をつく。
「問題は、なんなんだ?」
ルーインが続きを急かすが、タオルで体を拭いているナタックーは言葉を続けなかった。
「……問題はな」
ナタックーは体を拭き終わり、タオルを器具にかけた後にようやく玉座に腰を下ろした。
見守るルーイン達の前で、続く言葉を紡いでいく。
「人間界では魔法を使うな、というルールをお前が破ってしまった事だ。それも1度や2度ではない。忘れているかのように何度もだ」
「(そういう事かよ…)」
人間界に向かう前に番兵から聞かされた三つのルール。
第一に人間は殺さない事。
無闇に人間を殺した場合天界が動き出す可能性があるのでなるべく人間は殺さない事。
第二に魔法は使わない事。
人間で魔法が使える者はまだまだ珍しい存在だから、目立たないようにする為にも魔法の使用は避ける事。自衛の場合はその限りではない。
第三にそれらを監視する為の悪魔の目を肌身離さない事。
この三つを守れなければ魔王様の魔力によって即刻魔界に連れ戻されて、厳重な処罰を受けるであろう。
この内容を覚えていたかと聞かれると、ルーインは「ノー」といわざるをえない。
人間界に来た初日には一応覚えていたのだが、2、3日が経った時にはその事は完全に忘れ去っていた。
自衛の為なら可だったという記憶は僅かに残っていたが、全てが自衛の為だったかと聞かれると決して「イエス」とは言えなかった。
初めに使ってしまった時は、少し警戒していたように思う。
だが、その時に何も起こらなかった事で、「少しくらい使っても大丈夫」、「もう少し使っても大丈夫…」となり、最後の方では規則自体を完全に忘れてしまっていたのだ。
「何かの間違いなんじゃねぇのか?」
ルーインはとりあえずすっとぼける作戦を実行してみた。
それで押し通せるかどうかはこの後のリアクションを見てから決める。
「…人間界に行く時に「悪魔の目」というアイテムを衛兵から受け取っているはずだが」
「ああ、ちゃんと持ってるぜ。これの事…うおっ!?」
ルーインは驚いた。
懐から出した「悪魔の目」が真っ赤に染まっていたからである。
以前は白目の部分もあったが、今は眼球以外の部分は充血したように真っ赤だった。
「魔法力を感知する度、少しずつ赤に染まっていってな。真っ赤になると信号を出し、私に伝わるという仕組みなのだ。どうだ。まだ、身に覚えが無いか?」
「……あるよ、ある。ある、どうにも言い逃れできねぇなこいつぁ」
ルーインは観念し、ルールを破った事を認めた。
これ以上すっとぼけてもそれは無駄になるだけではなく、今は温厚なナタックーを怒らせてしまうかもしれないからだ。
ナタックーが怒りに任せて誰かを殺したという噂は無いが、その記念すべき第一号になるというのは御免だった。
「すぐに認めた事は良し。今後は気をつけると誓うのならばこの件は不問にしてやってもよい」
ナタックーから返ってきたのは、ルーインにとって意外な言葉だった。
魔法を使ってはいけないというルールを破ってしまっていたし、そもそも調査員に選ばれたのはラグラスであってルーインではない。
それらがばれた時点でもはや人間界にはいけないものだと思っていたのだ。
「今後…?って事はまた、人間界に行っていいのか?」
そんな疑念を払拭する為、ルーインが魔王ナタックーに聞く。
「お前に続ける気があるのならな」
ナタックーは右手で頬杖をつき、疑念するルーインに向かって答えた。
「あるに決まってるじゃねぇか。アンタ、意外に話が分かるな。誤解してたぜアンタの事」
それを聞いたルーインは、魔王の意外な度量の大きさに、過去の偏見を吹き飛ばすのである。
「ヘコーーーーッキー!!」
が、ペコロスは顔を赤くしてルーインの無礼に再び激怒。
大声でルーインを叱りつけたが、ルーインは「いい加減にしろよ」といううんざり顔をしただけで、態度を改めはしなかった。
「良いと言っておるだろうペコロス。若者はこれくらいでなければいかん」
「は、はぁ、魔王様がそうおっしゃるのならば…」
ナタックーにたしなめられたペコロスが困ったような顔になった。
「フッ…」
その様子がおかしくてルーインは父を見て「にたり」と笑った。
「むっ?!」
それに気付いたペコロスは「後で覚えて居ろよ」という顔つきでルーインを睨んだが、ルーインは「にたにた」するだけで目を逸らそうとはしなかった。
「ちなみに貴様はヘズニングに会ったな?」
唐突に言ったのはナタックーだった。
玉座の手すりで両肘をつき、手に顎を乗せながら、両脚を組んでルーインを見ている。
「なんでもお見通しだな。ついさっきまでそのヘズニングと楽しいパーティーをしていた所さ」
両手を広げ、呆れたような、それでいて感心したような顔でルーインがナタックーの質問に答えた。
「ヘズニングは何と言っていた?」
「さぁ?特には何も言わなかったな。あいつには言ったかもしれねぇが…ってやべぇ!あいつ今1人じゃねえか!?」
あいつ、即ちネイヴィスを残して来た事を思い出し、ネイヴィスが直後に顔色を変えた。
「あいつ、とは天界の調査員の事だな。心配せずとも生きている。どうやらヘズニングが退いたようだ」
「そうなのか?…フゥ、さすがに焦ったぜ」
「…」
ナタックーから知らされた情報を聞き、ルーインは深く安心していた。
なぜ、自分が安心したか。ルーインは自覚していなかった。
だが、父であるペコロスはその様子を心配そうに見守っていた。
「再び人間界へ行き、調査を続ける事を許可する。ヘズニングに再び遭遇したらすぐに私に知らせるように。目に向かって私の名を呼べ。話は以上だ。下がってよいぞ」
ナタックーの話はそこで終わり、ペコロスとその息子は一礼をして間から下がった。
「頭を下げろ!」
ルーインは父によって無理に礼を強制されたが、父の立場を考えて、珍しく何も言わずに従った。
四
「全く、お前という奴は…」
玉座へと繋がる扉が閉まり、ペコロスがルーインに顔を向ける。
苦虫をかみつぶしたような表情である。
言う事は聞かない、勝手な事をする、言葉遣いはなってない、と、良い点が全く無い息子。
だが、ペコロスは駄目息子でも、そんなルーインを愛していた。
それ故についつい甘やかし、きつくは言えずに育ててしまったのだ。
「まぁ、ワシの教育のせいでもあるのか…」
そう言って今回も結局甘やかす。
ペコロスはルーインを叱る事が出来ず、自分を責めて息を吐いた。
「そんなに自分を責めるなって。戦いを挑まなかっただけマシじゃねぇか」
悪魔の中には魔王に会えば、自分が魔王になる為に戦いを挑む馬鹿者もいる。
そうした者は大抵は(現時点では100%)戦いに敗れて死亡する。
家族としても本人が希望して戦いを挑んだ以上、誰にも文句は言えないわけで、悲しみが残るだけなのだ。
そんな馬鹿な事を実行しない息子に育っただけマシじゃねぇか。
ルーインはそう言っているのだ。
「そこまで馬鹿なら諦めがつく。中途半端に馬鹿だから諦めがつかずに困っておるのだ」
「おいおい、ヒデェ言い方じゃねぇか。そんなの聞かされたらグレちまうぜ」
「すでにグレとる」
ルーインの抗議を軽く流し、ペコロスは廊下を歩き出した。
赤い絨毯が敷かれている廊下は、魔界に似合わず美しい白の大理石で埋められている。
脇に立っている大きな柱や、壁にも同じものが使われていた。
一定の間隔で立っている衛兵は、性別や種族は様々だったが、ペコロスを見る度敬礼し、態度と姿勢を改めていた。
家では威厳もなく、馬鹿なだけに感じられる父親だが、その様子を見たルーインは少し見直したものだった。
言うのは流石に恥ずかしいのでその事は口にしなかったのだが。
「ああ、そういや聞きてぇ事があるんだった」
そして代わりに、思い出したある事を聞く為に口を開く。
「なんつったかな、こう……古い悪魔語だと思うんだが、レビアルなんとかって意味わかるか?」
それは、トーラムの街の王城でルーインが聞かされた言葉だった。
さほど重要では無いと思うが、人間が悪魔の言葉を使用したという事が気になっていた。
自分よりはるかに年を経た父ならば知っているかもしれないと考えたのだ。
「レビアルなんとか…?レビアルだけなら「使い」もしくは「使いの」だな。その後に続く言葉によってはその性質が変化する」
「レビアル…ララカ?それか、ラルカ、だった気がするな」
「それなら多分「使いの、者か」だ。どこでそんな言葉を聞いた?そんな言葉はワシら世代でもさすがにもう使っとらんぞ」
答えたペコロスが怪訝な顔をする。
「人間界でちょっとな。しかし使いの者か、か…あいつは一体何者だ…?」
ルーインがそう呟いた時、親子の前で視界が拓けた。
長い廊下が終了し、そこからは城門へと下る階段と、魔界の荒野が一望できる外の風景が広がっている。
しばらく人間界にいたせいか、ルーインにはその光景は少し懐かしく、吹く風は少し淀んで感じられた。
「ん?おお、ペコロスか。息子連れとは珍しいな」
見れば、ルーイン達の眼下から、3人の悪魔が上ってきていた。
ペコロスに向かって声をかけた悪魔の年齢は40くらい。
髪の色は黒色で、髪も髭も伸ばし放題。海賊のような風体だ。
身長は200cm程度。体も、話す声も大きい陽気な印象の男だった。
その男の右に居る老人は年齢80才くらい。場の中で背が一番低く、お世辞にも良いとは言えない目つきでルーインを「じとり」と睨みつけていた。
「(カビ臭ぇ爺さんだぜ…)」
ルーインはそう感じたが、係わり合いになりたくないのでそのまま視線を流しておいた。
最後の1人は女性の悪魔。見た目の年齢は20代前半。
赤い髪に白い肌。「スラリ」と伸びた長身で、そのスタイルを誇示するようなきわどいドレスに身を包んでいた。
女悪魔はルーインを少しの間見ていたが、ルーインが目をあわせた途端、顔を逸らして「ツン」となった。
「息子連れというか親父連れられじゃ。コヤツが問題を起こしたせいで魔王様に呼ばれてな」
顎先で息子のルーインを指し、ペコロスがうんざりした口調で言った。
ペコロスに声をかけてきた海賊風の悪魔は笑い、
「相変わらず苦労しているな」
と、ペコロスに労いの言葉をかけた。
「こいつら親父の知り合いか?」
ルーインが父に質問し、ペコロスが「うむ」と頷いた。
そして海賊風の悪魔が「オウヴァーン」という名前である事。
老いた悪魔が「フィーガー」ということ。
女悪魔が「ラズリ」という名前である事をルーインに紹介しながら教えた。
「よお。大きくなったなルーイン。お前とは何度か会っているが昔の事だから忘れたか?」
海賊風の悪魔改め、オウヴァーンがルーインに気さくに言った。
どうやら過去に会った事があるらしい。
「あん?」
ルーインはオウヴァーンの事を思い出す為、少しの間考えたが、記憶に残っている名前ではなかった。
「生憎だが記憶にねぇな」
素直にルーインがそう伝えると、オウヴァーンは「がはは」と豪快に笑った。
「そうか。昔の事だしな。アレは赤子の頃だったかな?いつまで経っても泣きやまんので、睡眠薬を飲ませちまってな、3日も4日も眠り続けて、しまいには顔色が悪くなって昏睡状態になってなあ!あの時はお前の母親にそりゃあこっぴどく叱られたもんだ!」
オウヴァーンが更に大きく笑う。
ルーインと女悪魔のラズリは「冷ややかな目」でそれを見ていたが、本人は気付いていないようだ。
「おしめなんかも良く替えていたぞ?おっぱいをやった事もあったな。男だから出ないがな!」
と、オウヴァーンは更に言って、自らの評価を落すのだった。
ルーインは吐き気を覚え、口を押さえて顔面蒼白。
このオウヴァーンという悪魔に対し、軽い殺意をも感じていた。
「あ、あー。それよりどうした。三人でいる事は珍しいが?」
話の流れを変える為、ペコロスが三人に向かって聞いた。
これ以上「過去のオイタ」を語られると、殺傷事件に発展しかねないからだ。
ペコロスとオウヴァーン、そしてフィーガーは共に戦った戦友だったが、オウヴァーンもペコロスもフィーガーとは仲が悪かった。
それはオウヴァーンとペコロスが「どちらかというと肉体派」で、「どちらかというと頭脳派」であるフィーガとソリが合わなかったからだ。
ラズリとは話はしなくも無いが、それほど親しい仲ではなかった。
まず年がかなり離れている事と、ラズリが「現在の魔王」から仕え始めたという新参者であるという事が、ペコロスらの接触を遠ざけていたのである。
要するに、この三人はお互いに仲が悪かった。
魔王の命令でも無い限り、三人で揃って行動するなど今までに無かった事だったのだ。
「うむ、まぁ、偶然だ。城門でたまたま鉢合わせてな。皆、魔王様に用があるので行動を共にしているだけだ。言われてみれば珍しいか」
そう応えたのはオウヴァーン。
フィーガーとラズリの顔を見て、「ハハハ」と軽く笑ったが、二人は一切反応しなかった。
「ま、まぁそういう事だ。機会があったらまた飲もう。少し前に人間界に用事があってな、良いワインを手に入れたんだ」
オウヴァーンは気まずさを誤魔化す為か、ペコロスの肩を「ポン」と叩き、大股で階段を上がって行った。
フィーガーもそれに続き、ラズリも遅れて後に続いた。
「あん?」
「あっ…」
ルーインはその際に再びラズリと目が合った。
「さっきからなんなんだ?オレの顔に何かついてんのか?」
訝しげに思ったルーインが振り返ってラズリに質問する。
「な、なんでも無いわ…」
ラズリは言って、焦った顔で足早に階段を上って行った。
その結果、ルーインとペコロスは取り残される形になる。
「ったくわけがわかんねぇな…」
ルーインが首を傾げた。
「案外お前惚れられたかもな?」
ペコロスが軽い口調で、年頃の息子をからかってみる。
その冗談によってルーインが慌てる様を見たかったのだ。
だが、すぐに返されて来た息子からの言葉によって、ペコロスは顔面を蒼白にする事になる。
「あ?冗談だろ。オレは女に興味はねぇぜ」
「な…」
ペコロスは絶句して、少しの間動けなかった。
それから残念そうに「そうか…」と呟く。
ルーイン本人にしてみれば、「今は」女に興味は無いという言葉を短くしただけだったが、父親であるペコロスにはそうは伝わらなかったようだ。
「それでも…お前はワシの息子だ。強く生きろよオンナ…いや、オトコスキー」
優しく言って、息子の頭を不憫そうに撫でたのだった。
「その名前で呼ぶなっつうの!つうか微妙に変えてんじゃねぇよ!」
ルーインはさすがに拒否反応を示し、抗議の声で右手を跳ね除ける。
「その方が相応しいかと思ってな…ワシとしては名残惜しいが」
「ああもういい、いい。この話はするだけ無駄だしな……」
名前についてはもう先ほど一戦交えたばかりで食傷気味だった。
「んで、あいつ、あのオウヴァーンだっけ。あいつらの用って何なんだ?」
「ん?フィーガーとラズリの用は知らん。だが、オウヴァーンの用は多分…「戦をしろ」という提案じゃろうな」
「戦?西とか?」
ルーインの言う「西」とは、魔界の西半分の事を指している。
前魔王であるヘズニングは、魔界をひとつにまとめていた。
しかし、そのヘズニングが天界に捕まった事により、魔界は分裂してしまったのだ。
魔王は長く不在となり、魔界の治安は乱れに乱れた。
そこに名乗りをあげたのがナタックーとキルマーだった。
ナタックーは個人の力で。
キルマーは優れた統率力で。
それぞれが東と西を治め、魔界には現在ひと時の平和な時代が訪れていた。
以来、存在を知ってはいるが、居ないと思う方針で2人の魔王は君臨している。
「西とはいつか戦が起こる。だがオウヴァーンが薦めておるのは西との戦などではない。ワシらに運命づけられた天界との戦じゃよ」
ペコロスが遠い目をしながら言った。
「ハァ?運命づけられたつっても4000年前の話だろうが。オレにはあんまり実感ねぇな」
「そう、お前には関係ない。じゃが天界と戦ったワシらには執念といって良いのかな、決着をつけたいという気持ちもあるんじゃ」
「巻き込まれる若者はかなわねぇな」
「魔王様もそれを仰られた。殆どの住民にとって天界との戦は昔話。住民の総意がそこに向かえば考えない事も無いと。一部の者の執念で戦を起こすわけにはいかんと、魔王様はそう仰ったわけじゃな」
「ま、普通に考えりゃそうだよな。親父的にはどうなんだ?」
「魔王様がそう仰るなら、ワシは喜んで従うよ。オウヴァーンやフィーガなどは不満を覚えとるようじゃがね」
「そうかよ」
ルーインは気の無い言葉を返しながら、「こういう話をするのは珍しいな」と、心の中で呟いていた。
本音を聞き、語る事で、父親の辿ってきた歴史をも知り、少し不思議な気持ちにもなる。
なんだかんだでルーインは父親の事が好きなのだったが、ひねくれ者のルーインにはその事はまだ認められなかった。
「さて」
階段を下りながら話した親子は、魔王城と荒野を分ける城門の前にたどり着く。
「これからどうする?家に帰るか?人間界にまた行くか?」
そこは人間界へと繋がっている「合わせ鏡の間」へ向かう分岐点となる場所でもあった。
「決まってんだろ。人間界に行くぜ」
ルーインが即座にペコロスに答えた。
「そうか、ならば気をつけてな。ヘズニング様に襲われたらすぐに魔王様に知らせるのだぞ?ヘズニング様と戦ってもお前の力では…」
「分かってるって。あんなのとやりあうつもりはねぇよ」
ルーインが父に言い、城壁沿いに歩きだした。
ヘズニングはルーインにとって過去の遺物のようなものだった。
興味があれば触れもするが、自ら近付き、危険を冒して、ヘズニングを知りたいとは微塵も思わない。
「ま、もしまた襲撃されるようなら、素直に魔王サマにヘルプするさ」
故に、そんな事があるのならそうするだろうと父に約束し、人間界への道を振り向かず右手を上げて歩くのである。
「あ」
ペコロスはそれを見送りながら、一つの事を思い出した。
「剣の事を聞くのを忘れていたな…」
それはまさにルーインが持って行った、赤い宝石の埋まった剣の事だった。
「…まぁ、あやつが持って行ったとは限らんし、帰ってきた時に聞けばいいか。どうせたいした剣じゃなし」
ルーインは父親の宝物庫から宝を失敬していく度々あった。
ペコロスも本当に大切なものは身に着けておく性質だったので、それをあまり気にしていない。
使っても問題がないようなものだけ置いて、持って行くに任せていた。
その剣がルーイン達の命、引いては人間界を救う事を、ペコロスは予想もしていなかった。
お付き合いありがとうございました!