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第三章



シード王国という国の東に、トーラムという名の都市がある。

トーラムは大河の中にあった三角州を利用して作られた街で、5万人程の人が暮らすシード王国の首都であった。

「ほらな?オレの言った通りだっただろ?デカイ河の下流にはだいたいデケェ街があるんだ」

「ああ全くその通りだ。わかったから恩着せがましく言うのはやめろ」

その、トーラムの街の郊外。

大河に沿うようにして伸びている街道に2人の人物の姿があった。

「おいおい随分とトゲがあるじゃねえか。本当に感謝してんのかテメェ?」

「感謝?そんなものはしていない。私と貴様は偶然に向かう方角が一緒だったのだ。つまり貴様が言わずとも、私はここにたどりついていた」

それは悪魔であるルーインと、悪魔と敵対しているはずの天使であるネイヴィスだった。

2人は戦いの後で接触し、不本意ながら命を救いあった。

その事でなんとなく和解した二人は、目的の一致を見た為に行動を共にしていたのである。

その目的とは「人間達が住んでいる街を見つける」という事。

どちらかが

「一緒に行こうか?」

と、相手を誘ったわけではないが、

「デカい河の下流には大抵デケェ街があるぜ?」

という、ルーインの言葉をきっかけに行動を共にしたというわけだ。

「天使ってのは素直じゃねぇな。ありがとうの一言もいえないのかねぇ」

「本当に感謝していれば、私とて素直に礼は言うさ。それよりも天使だの悪魔だのそういう言葉は口にするな。誰に聞かれているともわからん」

「ハイハイ。天使サマのおっしゃる通りに」

「だからそういう言葉をだな…!」

ネイヴィスが怒りを露にして睨んだが、ルーインはニヤニヤしているだけで反省の色は見られなかった。

「(天使をからかうのはおもしれぇぜ)」

ルーインは内心でそう思っていたから、見られないのは当然ではある。

「まぁいい。貴様との付き合いもここまでだ。街に入ったら他人だからな。気安く声をかけんでくれよ」

「今までだって他人だろうが?それとも何か?テメェの方では仲間だとでも思ってたのか?」

「そ、そんな事は思っていないッ!私は今のようにだな!気安く声をかけられるとな!」

「あーわかったわかった。街に入ったら他人な他人。門番が見てるぜ?落ち着けよ」

2人は結局の所連れ立って歩き、トーラムの街の門へと続く短い架け橋を渡りきった。

「そこで止まれ」

門を警備していた門番が、二人を目にして呼び止めた。

門番の数は4人。

その全員が武装しており、普通なら鞘に収めているはずの剣を抜き身で腰に下げていた。

「現在、このトーラムは警戒態勢の中にある。身分を証明できるものが無ければ街の中に通す事はできん。身分を証明できるならば提示し、できぬのならこの場から立ち去るが良い」

4人の門番の内の1人、太い声の男が言って、ルーイン達からの反応を待った。

「どうするよ?」

ルーインがネイヴィスに尋ねる。

ルーインは自分を「悪魔」だとは証明できるが、「人間の誰々で、ドコソコの村に住んでます」と、証明できるようなものはもっていなかった。

正直に言えば想定外の出来事だ。

「うむ、これは参ったな…」

どうやらネイヴィスも同じようで、すぐには回答が出せないらしく、その場で考え込んでしまった。

「いっそ、殺っちまえたら楽なんだがな…」

これは実に悪魔らしいルーインが呟いた言葉である。

だが、それを実行した場合、確実に自分の首を絞める事になるのを悔しいながらも理解していた。

魔法を使った事に対しては連れ戻されずにすんだようだが、おそらく人間を殺せばあっという間に魔王の怒りに触れてしまうだろう。

だからこそルーインは思いとどまり、他の方法を考えようとしていた。

「どうした?証明できるものが無いのか?ならばここから去ってもらおう」

ルーイン達の反応を見て、身分を証明できるものが無いと判断した門番がそう言った。

「やむをえん。ここは一旦引いて…」

と、ネイヴィスがルーインに言いかけた時。

「いくらだ?いくら渡せば通してくれる?」

ルーインはやけに強気な態度で、門番達を買収すべく金額を質問したのであった。

「まぁこいつはいいんだがよ。オレとしてはどうしても街の中に入りてぇんだ。テメェらも苦労してんだろ?こういうチャンスは生かしておけって」

ネイヴィスを含め、全員がしばしの間沈黙した。

十数秒。全員の間に呼吸するだけの時間が流れる。

「交渉成立だな」

門番達が「ポカン」としているのを、ルーインは肯定ととったようだった。

金貨が入っている(と、思われる)袋を門番の1人に手渡し、「お勤めご苦労さん」と言って、悠然と歩きだしたのである。

ルーイン自身は完全に買収は成功したと思っていたが、

「ま、待て!怪しい奴め!」

実際には完全に失敗していた。

我に返った門番達は、武器を構えて一斉に走り寄ってルーインを包囲した。

「愚かな奴だ…」

右手を自身の額にあてて、ネイヴィスがうんざりしたように呟いた。

ここでおとなしく引いていれば、証明書を偽造するなりして後日の再挑戦も可能だった。

だが、ルーインが強引に突破しようとした事で、それは不可能となってしまった。

騒ぎを起こしてしまった以上、調べはこれよりも厳しくなるだろう。

事ここに及んでしまっては、包囲を突破し逃走するか、或いは無理にでも侵入し、街の中に紛れてしまうかしか、選択肢はもう無いようだった。

「こうなっちまったら仕方ねぇな…オイ!街の中に侵入するぞ!」

そして、トラブルメーカーであるルーインが選んだのは後者であった。

むしろ表情は生き生きとして、こうなった事に嬉しげでさえある。

ネイヴィスは改めて頭を抱えた。

「わ、私を巻き込むなッ!」

と、抗議をしたが、それはもう遅かった。

「大人しくしろ!」

ネイヴィスを仲間だと思った門番が捕縛しようと向かってきたのだ。

「くっ…やむをえない…か…!」

ネイヴィスはやむを得ず、捕縛の手を避け後方に回避する。

人間の動きを見切ることは、彼にとって容易いことだった。

門番達から距離を取って、ルーインの様子を「ちらり」と伺う。

そこでネイヴィスは信じられない光景を目にすることになってしまった。

「お、おい!よせ!まさか貴様…!?」

「おら!ぶっとんじまえ!」

なんとルーインは爆発の魔法を使い、門を吹き飛ばしてしまったのだ。

「あ……」

門番達もネイヴィスも、その様子を「ぼんやり」と見守っていた。

ルーインが普通の人間のフリをするのは、もはや不可能に近い状態だった。

「ば、バケモノだ!応援を!応援を呼べ!」

門番達が我に返り、口々にそう叫びだした。

門の破壊が現実である事と、自身達の任務を思い出し、鐘を鳴らして危険を知らせる。

その行動は増援と、街の中の仲間達に迎撃の態勢をとらせる為の行動だった。

「行くぞネイヴィス!もたもたすんな!」

ルーインはそれを横目に、破壊された門を抜けて街の中へと入って行った。

「戦争になるわけだ…考え方があまりにも違いすぎる…」

諦めたネイヴィスは首を振り、そう呟いた後にルーインを追った。

こうなってしまった以上、もう前に進むしかなかった。

ネイヴィスが門を抜けて、街の中に一歩入ると、そこは既に戦場だった。

十数人の衛兵と、その衛兵達と戦っているルーイン。

衛兵達は抜刀し、負傷させる事は覚悟の上でルーインを捕らえようと迫っていた。

だが、人間を殺さないというルールだけは守りきるつもりなのか、ルーインの方はまだ素手だった。

「ちっ、流石に厄介だな…ボケっと見てねぇでテメェも手伝え!こいつらを眠らせる魔法とか、麻痺させる魔法とかなんかあんだろ!」

衛兵の数はどんどんと増え、包囲の輪が狭まっていく。

彼らに怪我をさせずに捌くのは流石に難しくなってきたのか、ルーインはネイヴィスに助けを求めた。

「あるにはあるが数が多すぎだ!それに…!」

貴様を助ける義理は無い、と、ネイヴィスは言おうとしたのだが、背後から門番に襲われた為、最後まで言うことができなかった。

衛兵達は次々と増え、今や50人程の大人数になっている。

二人は完全に包囲されていた。

兵士が増えると共に野次馬達もどこからともなく沸いてきて、この大騒動をひと目見ようと遠巻きに様子を見守る始末。

その為安易に魔法も使えず、ルーインとネイヴィスは実力的には天と地程もある衛兵達に思わぬ苦戦を強いられていた。

「チッ、調子に乗りやがって!いっそ全員殺っちまって証拠隠滅するのもアリか…」

「無いわ!危険な考えは捨てろ!とにかく今は逃げるのだ!誰も傷つけぬよう穏便に!」

「簡単に言うけどなぁ!こいつら…!数が多すぎで逃げだす隙がねーっつーの!」

ルーインとネイヴィスは衛兵達の攻撃をかわしながら、逃げ出す為の策を練った。

しかし、ルーインの言う通り衛兵達の数は多く、二重、三重となるようにルーイン達を囲んでいた。

誰1人傷つけず逃走するのは至難のわざだった。

「…飛ぶしかねぇな」

「ボソリ」と呟いたのはルーインだった。

前後左右の隙間の全ては衛兵達で埋まっていたが、ルーイン達の頭上となる空は、当然と言えば当然だったが、がら空きの状態だったのである。

「何?」

ネイヴィスは聞き返した。

理解できなかったわけではなく、戦闘中であった為に、普通に聞こえなかったのだ。

「飛んで建物の屋上から逃げる。これなら誰も傷つけねぇだろ?」

「そ、それは確かにその通りだが…!」

「他にいい手があるってのか?血眼になってるこいつらが笑顔で道を空けてくれるような手がよ!」

衛兵達の攻撃を器用に避けつつ、ルーインはネイヴィスの答えを待った。

本来、答えを待つ義理はない。

だが、いつの間にか多少の仲間意識が芽生えたのか、ルーインは1人で逃げる気は今の所は無いようだった。

「…わかった。それが最善だろう」

3秒ほどが経過した後、うめくような口調でネイヴィスが言った。

考えをめぐらせても、他に良いアイデアは沸いてこなかった。

「それじゃあ先に行かせてもらうぜ。ヘマ踏んで捕まるなよ!」

ルーインが「ニヤリ」と笑って言って、自身の左前方にあったアパートの屋上へ飛び上がった。

アパートは5階建てで、15m程の高さがあったが、ルーインは余裕でその高さを飛び、アパートの屋上へと着地していた。

「目立つ事はしたくなかったのだがな…!」

続き、ネイヴィスが大きくジャンプする。

そして、ルーインと同じようにアパートの屋上へと無事着地した。

「テメェもなかなかやるじゃねぇか。届かねぇんじゃねぇかとヒヤヒヤしたぜ」

「舐めるな。この程度の高さ、どうという事はない」

「そりゃあそうだろ。この程度の事は魔界じゃあ赤ん坊だって出来る事だぜ」

「なっ!?そ、それは本当か!?」

「それにゴネて泣き出した時には四方八方が吹き飛ぶんだぜ?魔界の赤ん坊はデンジャラスだろ」

「なんという事だ…恐ろしい…」

ルーインの言葉はほとんど嘘だった。

さすがに赤ん坊の時にそんな力を発揮することはできない。

しかし、真面目なネイヴィスはルーインの言葉を信じてしまい、「魔界はとんでもない所」だと誤解して認識してしまうのだった。

「じゃあとりあえず逃げるとするか。ここまでして捕まっちゃ意味がねぇしな」

「あ、ああ、そうだな。その通りだ」

この後、ルーインとネイヴィスは屋根の上を伝って逃げて衛兵達の追跡を撒くことができた。二人と違い人間達は、そこまで身軽に動くことはできない。

少し目立つことを許容すれば、逃げ切るのは容易いことだったのである。



大衆酒場「酔っ払い達のねぐら」には、時間が昼という事もあり、他に客の姿は無かった。

ルーイン達がついた席は酒場の右手の壁際の席。

壁を背後にするようにして座ったルーインの右手には、二階に続く階段が見え、この酒場がそれりに大規模なつくりだと証明していた。

一階部分には客が居ないが、ひょっとしたら二階には昼から飲んだくれた男達が何名かはいるのかもしれなかった。

「メニューはお決まりですかいの?」

マスターらしき老人がルーイン達の元へやってきて、メモを片手に注文を聞く。

老人はかなりの高齢のようで、体を「プルプル」と震わせながらルーイン達を見守っていた。

「特にこだわりがねぇんならオレが適当に注文するぜ?」

「…あ、ああ。すまない。任せる」

ネイヴィスの反応が遅れた理由は、こういう事に慣れていないせいではなかった。

老人がメモから視線を外さず、「むにゃむにゃ」と何事かを小さく口走っていた事に釘付けになっていた為である。

ある程度の良識家として、また、天使という立場として、ネイヴィスは気にはなったが何も言わなかった。

「むにゃむにゃうるせーんだよジジイ」

が、一方のルーインはさすがに悪魔という事なのか、老人に平然と文句をつけた。

「そりゃあすまん事ですなぁ」

一応謝った老人はそれでも「むにゃむにゃ」言う事を止めなかったが、不毛な会話になると思ったのか、ルーインもそれ以上は注意をしなかった。

「んじゃあこれとこれ、これとこれをとりあえず頼むわ。あとビールとかいうんだっけ?労働の後に飲むとうまいっていう黄色い液体も2つ頼む」

「ハイハイ。すぺさるAセット2つとビールね。ビールはすぐ持ってくるのかい?」

ルーインが「ああ」と答え、それを聞いた老人がカウンターへ戻って行った。

「人間界はもう長いのか?」

不意に、ネイヴィスがルーインに聞く。

「あ?いや、2日前…くらいに来たばかりだな」

なぜそんな事を聞くのかと少し疑問に思ったが、別に隠す必要も無かったので、ルーインは正直に日数を答えた。

「そうか。いや、あまりに注文に慣れていたのでな。長く居るのかと誤解してしまった」

ネイヴィスがそう言って鼻で笑った。

「そういうテメェはどうなんだ?」

ルーインも気になったのか、同様の事をネイヴィスに聞き返す。

「私か?私は今日で7日目になるな。もっともその内の3日間は、極寒の地をただひたすらに方角も分からず彷徨っていたが」

「オイオイ。よく生きてたな。つか、なんでそんなとこに行ったんだ?」

口調に笑いを含みつつ、興味を持ったルーインが聞く。

「本来の場所とはズレた場所に転送されてしまったのだ。おそらく転送器の故障だろうが、危うく死ぬ所だった」

「へぇ。天使でも寒いと死んじまうのか?」

ネイヴィスが素直に答え、それを聞いたルーインが言う。

「貴様(悪魔)達も死ぬだろう?」

「まぁな。極端に寒いとさすがにな」

2人がそこまでを話した時、老人が両手にビールを持ってルーイン達のテーブルへやってきた。

そのビールには最初こそ見栄え良い泡が乗っていたが、老人が「プルプル」と震えている為に、ルーイン達の前に並んだ頃には殆どが床にこぼれ落ちていた。

「殆ど半分以下じゃねえか。随分とヒデェ商売するな」

「ええ?ああ、はいはい。今年で92才になりますよ」

ルーインの皮肉をさらりと誤魔化して(本気の可能性もあるが)、老人はカウンターに戻って行った。

「…これはなんだ?」

ネイヴィスは目を細めてジョッキを覗き込み、老人が持ってきた液体を興味深げに見つめていた。

どうやら天界にはビールの存在は知られていないようである。

「ビールだよビール。オレも飲むのは初めてだがな。親父の話じゃうまいらしいぜ」

「そ、そうなのか。では一口…」

ルーインが一気に「ぐびり」と。

そしてネイヴィスが「ちびり」と飲んだ。

ルーインは「なかなかうめぇな」と言い、ネイヴィスは「に、苦いな…」と眉を顰めた。

が、その味に興味を持ったようで「ちびりちびり」と飲みながら、その度に「むぅ…」と小さく呻いていた。

「で、テメェは何をしに来たんだ?」

「ん?すまん。なんと言った?」

「大丈夫か?なんか顔が赤いぜ?」

「あ、ああ。多分大丈夫だ。それより今なんと言った?」

ルーインの言うとおり、ネイヴィスの顔は少しだが、前より赤くなっていた。

ネイヴィスは酒に弱く、微量でも酔ってしまう体質だったが、今日初めて酒を飲むネイヴィスにはそれがわかるはずがなかった。

「本当に大丈夫かよ。で、その。オメェは人間界に何しに来たんだ?」

ルーインは少し不安になったが、同じ質問をネイヴィスにぶつける。

それを聞いたネイヴィスは「うーむ」と1つ唸った後に、「すまないが、それは話せない」と、真顔になって答えるのである。

「そうか。それじゃ仕方ねぇな」

ルーインはあっさりとそうひと言。それを最後に静かになった。

「あー…貴様の方はどうなのだ?何か重要な目的があって人間界にやってきたのか?」

しばらくの沈黙に少々の気まずさを感じながら、ネイヴィスがルーインに向かって聞いた。

自分が答えなかったものをルーインが答えるとは思わなかったが、なんでもいいから話をし、この沈黙から逃れたかった。

「オレか?オレはバカンスだな。人間界を調査するっていう大層な名目もあるにはあるが、こいつはオマケみたいなもんだ」

しかしルーインはあっさりと、包み隠さず正直にネイヴィスに目的を話すのだった。

「な、なんと!貴様も調査にやって来たのか…!」

ルーインの言葉に余程驚いたのか、ネイヴィスは思わず口を滑らせた。

「も?…って事はテメェもか?天界も魔界も変わらねぇな。やってる事は同じじゃねぇか」

ルーインが言って鼻で笑った。

しかし、ルーインが受けている調査の内容は「流行や事件を調べろ」というアバウトなものだったが、ネイヴィスが天界から受けてきた命令はそれよりはもっと具体的だった。

それは「特定の地域で発生している怪現象の理由を調べろ」というものである。

「まっ、もしかしたらそれは名目で、本当の所はまた別の使命があったかもしれねぇんだがな」

黙っているネイヴィスを見て、ルーインがポツリと言葉をこぼした。

何しろ彼は魔王から直接指令を受けてきたわけではない。

ラグラスを騙して任務の目的の概要を聞き出しただけなのである。

もっと具体的な内容があった可能性は無いとは言いきれない。

「……」

ネイヴィスはしばらく黙って考えていた。

そして情報交換をするのも悪くないと考えたのか、ルーインに自分の調査内容を少し説明することにしたのである。



「当初、私は「その地域」の近くに転送されるはずだった。しかし、何らかのトラブルにより別の場所へと転送されてしまった…というのは先程少し話したな」

「ああ」

極寒の地を三日間彷徨ったという話である。

ネイヴィスはその地を彷徨い、数日をかけて村を見つけた。

そしてそこから出ていた船でシード地方へとやってきたという。

「正直ろくに手掛かりがないのでな。周囲に住む人間に聞いただけなのだが……」

なんとか情報を集めた結果、「その地域」の中でもさらにとある地方が怪しいという結論にたどり着いた。

それがあの関所の先の洞窟を抜けた場所にある「アウド地方」だという事だった。

関所を抜けてそこに向かい調査をしようとしたところで、ルーインに出会ったというわけだ。

「その…アウド地方だっけ?そこで何が起こってるんだ?」

純粋な興味心から、ビールを飲みつつルーインが聞く。

ネイヴィスはそれに「そこまではわからん」と短く返答。

そこから更に言葉を続け、

「だが、ひとつだけ分かっている事がある」

と、神妙な顔でルーインに言った。

「それは?」

「天気がおかしい、という事だ。そこは霧が良く出る地域らしいが、天界が異常を感じて以来、霧がずっと晴れていないのだ。日にちにして20日程度。さすがに何かおかしいという事で私が派遣されたわけだ」

「なるほど。…確かにそいつは異常かもな」

2人の会話はとりあえず、ここで一旦短く途切れた。

出来上がった料理を持って、老人がやってきたからである。

「鶏のカラ揚げシード地方風味ですじゃ」

老人が言いながら、テーブルの上に料理を置いたが、ルーイン達はその料理を頼んだ覚えは無かったし、震えの為にカラ揚げも殆どが床に落ちていた。

「おいおいたったのふた切れかよ。いい加減にしとけよジジイ」

「おお、そうですか。随分とまあ遠い所から」

果たして本当にわかっていないのか、老人は「ぬるり」と苦情をかわし、何食わぬ顔をしてカウンターへと戻って行った。

「ったく、とんでもねぇジジイだな」

ルーインがそう言った時、酒場の入り口のドアが開いて、1人の少女が姿を現した。

少女の年齢は15、6才。

やや、金色がかっている栗色の長い髪を伸ばしたおとなしい印象の少女だった。

「ああ、また来たのかいお嬢ちゃん。残念だけど新しい情報は入ってないよ」

少女を見つけた老人が言い、出来上がった料理を持ってくる為にカウンターの奥に消えた。

少女はカウンターの前で待って、老人が料理を持って戻ってくると「本当に何も入ってませんか?」と、念を押して老人に聞いた。

「悪いが本当に入っとらんのじゃ。ワシは19時には店を上がってしまうで、それ以降の事はようわからんしな。もしアレなら、引継ぎのソーンという奴に聞いておくれ」

老人は少女にそう言い、皿に乗った料理を落としながらルーイン達の元へとやってきた。

「トーラム海老の甘辛仕立てですじゃ」

老人が言って皿を置いたが、そこには甘辛いソース跡と野菜しか乗っていなかった。

肝心の海老は言うまでも無く、老人の後方の床の上だ。

「…何を言っても無駄だなコリャ」

ルーインもさすがに諦めたのか、もはや文句をつけることはなかった。

「すぐにパンをお持ちしますじゃ」

老人はメインディッシュを落としたという一大事に気付く様子も無く、一礼して下がって行った。

この店に昼間客がいないのは、彼のせいだと思う他ない。

「あ、あの…すみません」

それと入れ替わるようにしてルーイン達の元へ来たのは、先程老人と話していた栗色の髪の少女であった。

見ればなかなかの美少女で、スタイルもかなり良いようだ。

しかし、どんな人間が美しいのか、それがわからない2人にとっては、それはプラスでもマイナスでもなかった。

さらに運の悪いことに話しかけた二人の片割れは、れっきとした悪魔だった。

「あん?なんだ?奢って欲しいのか?図々しいメス豚だな」

故に、美少女は生まれてこの方、1度も言われた事が無い暴言を浴びせられるのである。

「あ…す、すみません。違います。奢って欲しいとかじゃなくて、話を聞いて欲しいんです」

生まれて初めて言われた言葉に少女はかなり戸惑っていた。

一瞬、「話すのをやめようかな…」と、心が折れそうになったが、自身の目的を果たす為に一生懸命な表情で訴えた。

「私達に関係がある話なのか?」

これは酒の為に紅潮しているネイヴィスが発した言葉である。

さすがに天使は頭ごなしに罵倒したりはしないようだ。

「それは…まだ分かりません。でも、関係があったとしても、直接関係は無いと思います。迷惑は絶対にかけません。だから話だけでも聞いてください」

少女が必死の表情でルーインとネイヴィスからの答えを待つ。

二人は少し顔を見合わせたが、

「私は別に構わないが…」

「ま、言うだけ言ってみろや」

特に異論もなく少女の話を聞くことにしたのだった。




少女は名をミシェナと言った。

年齢は16で、トーラムの東にあるというデイルの村に母親と2人で生活しているらしい。

ミシェナは父親を探す為にトーラムに出て来たのだと言った。

定期的に手紙を出し合い、2ヶ月に1回は顔を合わせていた父親。

その父親からの連絡がぷっつりと途絶え、音信不通になった為に会いにやってきたのだという。

父親の名はピート。

国の研究機関に仕え、ひと月前まではこのトーラムで生活していた事が分かっている。

ミシェナの父ピートには、1週間に1回は手紙を出す癖があるらしいが、もうひと月近くの間、手紙を出してこないのだそうだ。

ピートの単身赴任に慣れている妻も、「こんな事は過去に無かった」と心配し、怪しんでいるようで、仕事をしている母の代わりにミシェナがトーラムに出て来たわけだ。

ミシェナはまず、この街にある国王が住んでいる王城に行き、父の行方を役人に聞いた。

勤め先なのだから何らかの情報が得られるだろうと考えてのことだった。

しかし、役人は「多分大丈夫だ」と、適当な答えを返すだけで、ピートが今何所に居るのかという具体的な回答は示さなかった。

その後もミシェナは2度、3度と王城を訪ねて聞いてみたが、その回答は変わる事無く、現在に至ってしまっている。

「大丈夫」と言ってもらえた事にほんの少しは安心したが、やはり疑念が完全に晴れるという事はなかった。

そもそも本当に「大丈夫」ならば手紙が不意に途絶える事も、会えなくなる事も無いはずだからだ。

何か怪しい、と、ミシェナは感じていた。

だが、頼れる人が居るわけでもなく、酒場やギルド等を訪ね、地道に情報を集める事で捜索を続けてきたのだそうだ。

「んで、目立った収穫は?」

「無いです。ゴブリンが畑を荒らしたとか、殺人蜂が群れをなして襲って来たとか、そんな話がお父さんと関係あるとは思えませんし…」

ルーインに質問されたミシェナがすぐに答えて顔を下げた。

「父上が住んでいた所には?」

それを聞いたのはネイヴィスだった。

よせばいいのに好奇心か、ビールを「ちびちび」と飲んでいる為、顔の紅潮は進んでいく一方だ。今は半分以上が赤く染まっている。

「行ってみました。アパートなんですが、荷物は何もありませんでした。隣の部屋の人が言うには「夜中にゴソゴソやってた」とかで、その翌朝には居なくなってたみたいです」

「夜逃げじゃねぇのか?女とか借金取りとか、そういうのから慌てて逃げたんじゃねえの?」

ルーインのその言葉にミシェナは反論はしなかった。

だが、ルーインを「きっ」と睨む事で「そんな事をする人ではない」と無言の内に訴えていた。

「オイオイ、そんな怖い目で睨むなよ。まぁとりあえずアレだな。お嬢チャンが期待しているような親父さんに関わる情報はオレ達も持っていないってこった。気の毒だが他を当たってくれや」

ルーインは肩をすくめ、戯けた顔と口調で言った。

それは本当の事ではあるが、困っている者をあっさりと見放して突き放す内容ではあった。

「おい、そういう言い方は…」

「じゃあどういう言い方があるんだ?優しく言えば結果が変わるのか?はっきりと突き放してやった方が本人としても得だろうが」

「それはそうだがもう少しだな…」

天使ゆえの優しさで、ネイヴィスがルーインに注意したが、ルーインの言う事も情を抜けば正しい事だと言えなくも無く、2人の意見はかみ合わなかった。

「あ、あの、すみません。わたしはもう消えますから、喧嘩とかはやめてください」

2人の喧嘩を止める為に、ミシェナが言って去ろうとしたが、

「わかんねぇ奴だなテメェも!」

「優しさが足りんのだ!だから戦になったのだろうが!」

二人の喧嘩はミシェナを置いてヒートアップする一方だった。

きっかけが自分である為にミシェナも帰るわけには行かず、口論を始めた2人の男を見守るハメになるのである。

「おい、あいつらもしかして…?」

「確かに人相は良く似ているな…」

そこへ、5人組の衛兵が酒場の中へと入って来た。

衛兵はルーイン達を見て、なにやら「ひそひそ」と話していたが、口論に夢中になっているルーインとネイヴィスは気付いていなかった。

「あの、お2人は何か悪い事でもしたんですか?」

唯一、衛兵達に気付いたミシェナがルーイン達に小声で言った。

「あん?」

「ん?」

ルーイン達が顔を向け、衛兵達の存在に気付く。

二人はお互いの首を両手で絞め合うというとんでもない体勢のままだった。

「ちっ、しつけぇ奴らだな。あいつら気付いてると思うか?」

「わからん。が、私達を怪しんではいるようだな」

「なら気付かれる前に…逃げるか!」

ルーインとネイヴィスは殆ど同時に、お互いの首の両手を離し、二階に向かって駆け出した。

「く、食い逃げェ!食い逃げェェエ!!」

と、大騒ぎし始める老人には、代金の五倍に相当するだろう金貨がルーインから投げられたが、

「全然足りんぞ!!」

欲深き老人はその代金を見ても怒り心頭。

エプロンの中に金貨をしまい、「食い逃げです!捕まえてくだされ!」と、衛兵達に向かって頼んだ。

それが老人の誤魔化しなら良いが、本当に足りなかったとしたらとんでもないボッタクリ営業である。

「逃げたぞ!やはりあいつらは!」

「追え!追えー!」

ルーイン達が逃げた事で、衛兵達は二人の素性を「逃亡犯」だと確信したようだ。

一気に行動が騒がしくなり、2人の追跡を開始する。

呼び子を吹いて仲間に知らせ、階段に向かって走りだした。

「おい大丈夫か?真っ直ぐ走れてねぇぞテメェ」

ネイヴィスは酒に酔って平衡感覚を失っていた。

右に左にと体を揺らし、「よたよた」としか走れていなかったのだ。

だが人間界の「酒」を飲んだ事が初めてだった為、二人ともネイヴィスが「フラフラ」している原因はわからなかった。

「加えて妙に気分が悪い。走っている途中で吐くかもしれん」

「吐くかもしれん、じゃねーんだよ!サラリと何言ってんだテメー!?」

妙なテンションのネイヴィスが言い、それを見聞きしたルーインが引く。

ネイヴィスがなぜかニヤついており、「ヘンだな。真っ直ぐ走れないぞ?」と、楽しそうに言っていたからである。

「(やべぇなコイツ…何か病気でももってたんじゃねぇか…?)」

思うだけで口にせず、ルーインは眉を顰めて走った。

階段を駆け上り、ホールを走り抜け、二人は隣家の屋根が見える窓の近くへたどり着いた。

この酒場は二階建てだが、一般的な住居と比べると三階建てに匹敵するほどの高さがあるようであった。

二階建ての隣家の屋根が窓の下に見えていたのだ。

「ここまで来たら行くしかねぇだろ?」

ルーインが肘で窓ガラスをかち割り、隣家の屋根へと飛び移った。

「やー、たいしたもんだよ、さすがださすが」

酔いが回ってしまった為か、妙なテンションのネイヴィスが言い、ルーインに続けて飛び移ろうとした。声はなんだか「ヘロヘロ」で、やはりは微妙に楽しそうだ。

「待て!」

「動くな!」

しかし衛兵に追いつかれ、ネイヴィスは肩を掴まれる。絶体絶命か、と思われたその時。

「うわぁ!?」

「なんだこいつ!?」

ネイヴィスは衛兵達に向け、先にルーインに向かって言った、「あるモノ」をブチまけてしまったのである。

すでに隣家に飛び移っていたルーインにはその様子は見えなかったが、衛兵達が大騒ぎして悲鳴を上げていた事等からある程度の事は想像できた。

そして、ようやく飛び移って来たネイヴィスは心なしすっきりとした表情だった。

ルーインはなんとなく「こと」を察し、にやりと笑って肩を叩いた。

「見直したぜ。テメェもやるときはやるじゃねぇか」

「言うな!もはや何も言うな…ッ!」

それは褒め言葉だったのだが、皮肉を言われていると思ったネイヴィスは、ただ顔をそむけていた。

ネイヴィスは最悪な心持ちのまま、この時強く心に誓った。

「あのびーるとかいうモノは、何があろうと2度と飲まない」

と。



ルーイン達は屋根を走り、街の城壁へと移動していた。

その目的は街を出て、衛兵の追撃をまく為である。

もはやすっかり顔は割れており、街の中に潜んでいても、すぐに見つかってしまうだろうとルーイン達は考えたのだ。

「しかし普通ここまでやるかぁ?城門を爆破したくれぇでよ?」

「やるだろう。魔界を出る時教えられなかったか?人間界では魔法は異端だ。だから魔法を使うなと」

「或いは教えられてたかもな。カラ返事してたんで覚えてないがね」

「ならばメモにでも残しておく事だ。人間界では…ッ!?魔法を…使うなと!」

ネイヴィスが言葉の途中で、地上から投げられた縄をかわした。

2人は屋根の上を走り、城壁に向かっているのだが、ルーイン達の眼下には10数人の衛兵がおり、2人を追って併走しながら捕縛しようと試みているのだ。

今の所はそれは縄や網のようなものであり、殺傷力は皆無だった。

だがもし上からの許可が出れば、それは矢や槍に変更され、ルーイン達の生死を問わず、捕らえようとしてくるだろう。

これ以上被害を広げない為にも(ネイヴィスとしては)、それまでには街を脱出したかった。

「あれが人間達の王宮か?なかなかいい趣味してんじゃねぇか」

「ふむ。確かになかなかのものだ。山なりになっているあそこの木々が全体を美しく映しているな」

しかし、2人には余裕があるのか、「ちらり」と見えた人間の王城に興味を示して立ち止まった。

さらにそれをのんびりと眺め、時間を無駄に使う始末。

このツケは早々に支払わされる事になる。

我に返って走り出したルーイン達の眼前に、ボウガンを構えた衛兵達が「ズラリ」と待ち構えていたのである。

その数正面に約15人。

そして、眼下の通りを挟んだ左右の屋上に約10人ずつだった。

衛兵達は全員が、矢を番えたボウガンを構えており、ルーイン達正面の一団に居る隊長の命令を待っていた。

「やべぇな。ちぃと油断したか」

ルーインが舌打ちし、右足を一歩後ろに動かす。

「動くな!動けば発射命令を出すぞ!」

それはルーイン達の正面に居る隊長らしき男の言葉だった。

男の年齢は40程度。頑固そうな髭面が「二度目は許さない」という事を無言の内に語っている。

「どうする?試しに逃げてみるか?」

「やめておこう。私達の身はともかく、関係の無い人間に危害が及ぶ」

屋上へと続くドアの中、そして窓から様子を見つめる野次馬達の姿を見て、ネイヴィスがルーインにそう言った。

「天使サマはお優しい事で。ま、オレもそうまでして逃げ出してぇとは思わねぇけどよ」

ルーインが両手を上げて投降の意を敵に示す。

続き、ネイヴィスも両手を上げる。

「なんだ。そっち(天界)でもこうするのか?コイツは世界共通なんだな」

両手を上げるこの行為が「抵抗する気は無い」という世界共通の行為と知って、ルーインは少し鼻で笑った。

「世界共通の意味でなければ、恐ろしくてうかうか実行できんわ…」

「そりゃもっともだ」

ネイヴィスの言を聞き、ルーインが笑いながらに頷く。

この時、ネイヴィスは完全に投降する気でいたのだが、ルーインの方にはまだ本当に投降するという気持ちはなかった。

「よし、そのままおとなしくしていろ」

隊長らしき男が言って、部下の数名に縄を持たせ、ルーイン達の捕縛に向かわせた。

「う、動くなよ…」

捕縛の為の縄を持ち、近寄って来たのは4人の衛兵。

その誰もがまだ若く、「城門爆破犯」の異名を持つルーイン達に恐怖しているのはあきらかだった。

「な、何をニヤニヤしてる!目を逸らしておとなしくしていろ!」

中には明らかに腰が引けて「ブルブル」と震えている輩も見られ、ルーイン達が「ギャウー!」と吼えたら、それだけで腰を抜かすようなチキンなオーラを漂わせていた。

「(おあつらえ向きだぜ)」

と、ルーインがチャンスを見つけたのはその時だった。

「あー、やめだやめ。テメェらみてぇなザコに捕まったらご先祖サンに申し訳がねぇぜ」

ルーインが言って、両手をおろした。

「なっ…?!」

その行為に衛兵達が驚き、そしてネイヴィスも驚いた。

「つうわけで悪いけどな。…テメェら全員皆殺しにするわ!」

ルーインが素早く動き、目前にまで迫っていた衛兵の1人の頭を掴んだ。

「う、ウワァァア!!!?」

頭を掴まれた衛兵が悲鳴をあげて抵抗したが、抵抗空しく衛兵はそのまま体を持ち上げられる。

「ハハァ!まずは1人目だ!」

ルーインが狂気の声を上げて、衛兵の腹部を手で貫いた。

「ギャァアァ!!」

腹部を貫かれた衛兵は断末魔の声を発し、それを最後に動かなくなる。

「次はテメェだ!」

続き、ルーインは近くに居たしりもちをついていた衛兵を補足。

「やめっ!やめて!助けてママー!」

泣き叫ぶ衛兵を背後から掴み、頭から「ぐい」と持ち上げた。

「オラよ!2人目だ!」

そして空いている左手で喉を一気に貫くのである。

「う、うわぁああ!?逃げろ!バケモンだ!」

迸る血飛沫。あがる断末魔。

その様子を見た衛兵達が恐慌をきたして逃げ出し始めた。

「ど、どうしますか隊長…って隊長が居ない!?」

数少ない任務に忠実な衛兵も、隊長が逃げ出していた事を知って、クモの子を散らすように逃げて行った。

「ハハハハ!人間風情が悪魔に逆らうからだ!次はテメェか!それともテメェか!」

ルーインが睨む度、野次馬達はドアを閉め、窓を閉めて消えて行った。

そして屋根の上にはルーインと、ネイヴィスと衛兵の死体だけが残った。

「…おい」

口を開いたのはネイヴィス。

「ハハハハハ!」

ルーインは興奮が収まらないのか、その言葉には気づいていない。

高らかに笑い続けている。

「…おい」

「あ?なんだ?」

2度目のそれでようやく気付き、ルーインはネイヴィスに振り返る。

「…この、陳腐な劇はなんだ?」

「劇ィ?一体何の事だ?」

「誤魔化すな。こちらの角度からはバレバレだ。腹部も首も、貴様は貫いていなかったではないか。血飛沫は大方貴様の魔法だろう」

ネイヴィスの言う「角度」とは、「衛兵達とネイヴィスの立ち位置」の事を指している。

ルーインは2人の衛兵の体を貫き殺したが、それは殺したように見せただけで、真実は腹の脇、首の脇をかすめただけで殺害してはいなかったのだ。

「なんだ、気付いてやがったのか」

つまらなそうにルーインが言い、衛兵の腹を軽く蹴った。

真実、気絶していた様子の衛兵はそれで「うぅぅ~…」と小さくうめき、蹴られた場所を掻いた後に再び死体のようになった。

「まぁいい。陳腐な劇だが結果的には…」

ネイヴィスがそう言いかけて、ルーインの行動を少しだけ褒めようとしたその瞬間。

「待…て~…!」

「ハァ、ハァ…逃げ…ハァ、られると思うなよ…ゲロ野郎…!」

ルーイン達の背後の彼方に、酒場からずっと追跡してきた衛兵達の姿が見えた。

彼らもルーイン達同様、屋根の上を走って来たが、そこはただの人間の事。

彼らは完全にバテており、息も絶え絶えの様子だった。

声もすっかり掠れている。

「なんか、捕まってやりたくなるぜ…」

「ああ、あまりに気の毒でな…」

衛兵を哀れみの瞳で見つつ、ルーインとネイヴィスが呟いた。

それは勿論冗談だったが、ルーイン達は本当にこの衛兵達に捕まる事になってしまった。

追って来た衛兵の中の1人が

「仲間の女はもう捕まったぞ」

と、ルーイン達に言ったからである。



衛兵達に投降し、身を拘束されたルーイン達は、トーラムの街の中心にある王城に連行されていた。

衛兵達から城の兵士に、そして兵士から牢番にとルーイン達は盥回され、最終的には城の地下の牢屋の中に納められた。

そこは粗末なベッドがある多人数用の牢屋のようで、ルーイン達が着いた時には、すでに先客の姿もあった。

囚人は2人居て、新入りであるネイヴィスとルーインを「じろり」とひと睨みした。

が、それに負けじとルーインが「ギロリ」と睨み返した為に、慌てて視線を逸らした後に負け犬のように静かになった。

「あ、あなた達は…」

その時、1人の女性の声がルーイン達の耳に入った。

それは、二人が入れられている牢屋の正面からの声で、その声の主が酒場で話したミシェナのものである事はルーイン達にはわかっていた。

「ああ、やっぱりテメェだったか。近くに入れられてて助かったぜ」

ルーインがそう言って、正面の牢屋の中を見た。

そこにはルーイン達と同じように、両手を拘束された状態のミシェナの姿が確かにあった。

「安心しな。すぐに助けてやるからよ」

ルーイン達が投降し、敢えて連行された理由はミシェナを助ける為だった。

「めんどくせぇ。そんなの見捨てりゃいいじゃねぇか」

と、ルーインはそれに反対したが、

「貴様それでも人間か!」

と、ネイヴィスが真面目に反論した為、

「人間じゃねぇんだが……まあ今のは面白かったな」

ひとしきり笑った後に付き合う事にしたわけである。

基本的にノリと勢いを重視しているルーインなのだ。

「すみません…巻き込んでしまったみたいですね…」

ミシェナはそういって深くうつむいた。

ルーイン達は「どういうことだ?」と、揃って顔を見合わせる。

二人は、自分達のとばっちりでミシェナがつかまったと思っていたのだ。

こと、ここに及んだ今は、さすがに少しは悪い事をしたとルーインでさえ感じていたほどだ。

「よく…意味がわからないな。説明してもらえると助かるのだが」

その言葉の理由を知る為、ネイヴィスがミシェナに向かって聞いた。

先客の囚人が聞き耳をたて、「ちらちら」と様子を伺っている。

この行為は若干気に障ったが、同じ牢屋に入っているので防ぐ事はできないともネイヴィスは思った。

「酒場で少しだけお話しましたよね?お父さんの行方を役人に聞いたって。何度かお願いして、その時1度だけなんですけど、偉い人に会わせてもらってるんです。それで、その人に「お父さんの行方はこちらで探すからあまり騒ぎを広めないで欲しい」と、釘を刺さされていたんです。それなのにわたしが冒険者とか色々な人に聞いて回っていたから…」

「目障りになって逮捕した、か」

どすんと音を立てて座り、ベッドの上に横たわりながらルーインが最後を補完した。

「……」

一応5人用のベッドではある。

だが、あまり広くは無い為、先客の2人はそそくさと隅へと移動し大部分を譲った。

「ま、筋が通ってると言えば通ってるな」

「あ、ああ。一応はな…ん?」

ベッドの上に横たわったルーインがネイヴィスを指先で呼ぶ。

それに気付いたネイヴィスが少し歩いて顔を近づける。

「(どうも勘違いしてるみてぇだが、利用させてもらおうぜ。説明するのはメンドクセエだろ?)」

「(それは、確かにその通りだが…)」

ミシェナの言う「つかまった理由」は、ひょっとしたらありえるのかもしれない。

だが、どちらかというと現実的ではなく、やはりネイヴィスとルーインが巻き込んだ確率の方が高そうである。

二人はミシェナには聞こえないよう、ひそひそとした声で会話を続けた。

「(万が一、悪魔だの天使だのと正体がバレても厄介だろうが。余計な事は言わないに限るぜ)」

「(ううむ…それも…そうだな。……彼女には気の毒だがそういう事にしてもらおうか)」

「(そういう事にしてもらっとけ。じゃあ「とんだ迷惑だ」ってちゃんとアイツに言っとけよ)」

ルーインが「ニヤリ」と笑った。

「(な、私が言うのか!?貴様が言えばいいだろう!?)」

巻き込んでおいて被害者面し、その上で文句をつけるのは生き物として流石にひどい。

そう感じたネイヴィスはルーインに小声で抗議した。

「(バカか?オレが思いついたからこそ秘密を守れるわけだろうが。テメェは一体何をした?まだ何もしてねぇだろうが)」

「(くっ…それは、確かにそうだ…やむをえんな…私が言おう…)」

ルーインが一見正論とも思えることを言った。

元はといえば門を爆破したルーインが全て悪いのだが、ネイヴィスは良く考えず、つい、それを承知してしまう。

「ゴホン…あー…」

そして咳払いをし、ミシェナの方に向き直る。

どうやら決意を固めたようだ。

「全く!とんだ迷惑だ!こっちの都合も考えてくれ!ああ迷惑だ!困ったものだ!時間の無駄だ人生の無駄!名誉もプライドも傷ついた!一体どうしてくれるんだかな!?」

「ひっ、すみません!許してください!」

真面目なネイヴィスはこれまであまり他人を非難したことがなかった。

その為うまく加減ができず、思いっきりやってしまい、ミシェナに抱かれていた少々の好意を自ら破壊してしまうのだった。

「まさかマジにやるとはな。テメェはホントに面白ェぜ」

ベッドの上で「ニヤニヤ」しつつ、ルーインがネイヴィスに向かって言った。

「き、貴様が言えと言ったのだろうが!」

ネイヴィスはルーインに反論したが、ルーインは「ニヤニヤ」としているだけで特に何も言わなかった。

そこへ、地下牢の通路を歩く幾人かの足音が聞こえてきた。

足音はだんだんとルーイン達の牢屋に近付き、そして目の前で立ち止まり、足音もそこで停止した。

「この者達です。宰相様」

「うむ。ご苦労」

牢屋の前に立っていたのは牢番らしき1人の兵士と、黒く長い衣服を纏った40才程の男だった。

男の肌は浅黒く、髪の色はより黒い。

顔のつくりは悪くは無いが、目つきがあまり良くない為に、一般的には「怖い」と言える身の細い男であった。

白い肌と金髪が殆どを占めるシード国では、このような者を「異人」と呼んで、まともな職にはつかせない。

しかし、この男は「異人」だが、牢番の言葉を信じるのなら、宰相という高い地位に就任している男のようだった。

「下がって宜しい」

宰相と呼ばれた男が言って、案内してきた兵士を下げた。

兵士の背中を見送った後、男は二人に向き直る。

「私は、このシード国で宰相を務めているザルザント・ヤーという者だ」

男、ザルザントが口を開く。ザルザントは言うなれば「渋い中年の男性」だったが、宰相という立場にある為なのか、態度が少し高慢だった。

その事が多少は影響したのか、牢屋の中の囚人たちは無言で、突如やってきた珍客を訝しげに見ているだけだった。

「ふむ、会話を楽しむ余裕は無いか。まぁ、気持ちはわからんでもないが」

ザルザントがそう言って、自身の口髭を「ジョリリ」とこする。

「まぁいい。それなら手早く済ませよう。先程連行されてきたペコロスとラグラスというのはどいつだ?」

そして方針を変更し、牢屋の中の4人に質問。

ペコロスとラグラスという名前は言うまでも無くルーインが出した偽名だ。

よりにもよって父親と友人を偽名のリストに挙げるルーインは最悪の男と言っていい。

「オイ、お前らの事だろう?正直に話した方がいいぜ」

ルーインが悪びれなく先客の2人に向かって言った。

「いやいやいや知りませんよ!」

「勘弁してくださいよ!」

二人は慌てて否定する。

罪の擦り付けは失敗したが、二人ともなぜか敬語なのがルーインには愉快に感じられた。

「という事はお前たちか」

ザルザントがネイヴィスとルーインの方に視線を移した。

懐から手帳を取り出し、そこに記されている罪状を淡々とした口調で述べる。

「罪状は城門爆破。衛兵達への傷害罪。無銭飲食に器物破損。恐喝に殺人etc…。よくもここまで暴れたものだ」

「2件しか、身に覚えが無いな…」

「特に無銭飲食とかな。あのジジイとんでもねぇぜ」

ザルザントの言葉を聞いた2人が、それぞれ呆れた口調で言った。

殺したように見えた兵士は当然今も生きているはずだし、老人には多すぎるほどの金貨を投げてきたのが事実だ。

「調べれば分かる事ではあるが、人を割くのもそれなりに手間でな。当事者が白状してくれるなら手間をかけずに済むのだが」

ザルザントはルーイン達に「罪を認めろ」と言っているようだった。

お前達が認めれば事実を確認する必要が無く、時間をかけずに済むのだと。

しかしこの六つ、すべてを認めれば重罪重刑は確定である。

どうでもよさそうなルーインはともかく、ネイヴィスは慌ててザルザントに事の真相を語った。

実際には全く記憶に無い行為もあり、どこがどうなってこんなことに発展してしまったのか、考え込むネイヴィスである。

「なるほど。ならばそう記しておこう」

ネイヴィスから話を聞いたザルザントが手帳に文字を記した。

「さて」

そして手帳を閉じて一言。

「ここからが本題だ」

と、手帳を懐にしまいながら更に話を続けたのだった。

「お前たちは他国のスパイか?」

「ハァ?」

思いがけないその言葉に、ルーインとネイヴィスが目を瞬かせた。

そんな容疑をかけられるとは夢にも思わなかったのだ。

しかし、考えてみれば確かにいくら重罪とはいえ、いち、犯罪者に対する聞き取りに宰相が出てくるはずは無い。

「他国のスパイ」と疑われて連行されてきたのであれば、この展開はルーイン達にも納得できる事だった。

「お前たちは城門で身分を証明しなかったという。その上で強引に街に侵入し、姿をくらまそうとした。他国のスパイと疑われても仕方の無い行為ではないか?」

「まぁ、疑われても仕方ねぇな。だが生憎オレ達は他国のスパイなんかじゃねぇぜ」

ザルザントの意見を否定したのは体を起こしたルーインだった。

『強いて言うなら他世界のスパイだ』

と、言おうと思ってやめたのはルーインにしては上出来だったろう。

「ほう…?」

ザルザントは信じたのか信じなかったのか、表情からは読み取ることはできなかった。

「ならばただの旅人か?」

「そんなもんだ」

「調べればすぐに分かる事だが?」

「ならさっさと調べてくれや。こっちも暇じゃないんでな」

「了解した。面倒だが調べてみよう」

ザルザントはそこで話を区切り、懐から再び手帳を出して何事かを書き込んだ。

そして手帳を懐にしまい、ルーインとネイヴィスの2人に向けて、

「レビアル・ラルカ?」

と、謎の言葉を吐いたのだった。

「あん…?」

「?」

ルーインとネイヴィスはその言葉に揃って疑問顔である。

何かを期待しているようなザルザントに何も返すことはできなかった。

「……」

ザルザントは小さなため息をひとつ。ルーイン達を一瞥した後、元来た道を戻って行った。

「……一体何を言ったのだ?」

宰相の謎の行動に、ネイヴィスは呆気に取られていた。

「古い悪魔語みてぇだったが、何を言ったかまではわからねぇな。ウチの親父ならもしかしたら意味がわかるかもしれねぇが……」

ルーインは答えながらベッドの上から体を降ろした。

「ほんとにヴァルタミア人だったんだな」

「ああ、なんかマジっぽいな…」

と、話し合っているのは牢屋の先客。

どういう事かとネイヴィスは話を聞こうと思ったが、ルーインが何かを始めた為に興味がそっちに移ってしまう。

「よし、こんなもんだろ」

ルーインは魔力を集中し、ベッドの上に自分そっくりの人形のようなものを召還していた。

人形の目は完全に「死んでおり」、なぜか「気をつけ」の態勢でベッドの上に立っていたが、ルーインは満足しているようだ。

「おい…魔法は使うなと…」

「アン?なんだって?」

ネイヴィスが一応言ったが、もはや「人間界で魔法を使わない」というルールはルーインの中には無いようだった。

「じゃ、後は任せるわ。1日に1回くらいは帰ってくるからよ」

そして牢の壁をすり抜けて、どこかへ行ってしまうのである。

「…呆れた奴だ」

ネイヴィスはそう呟いて呆れるだけで済んでいたが、それを見ていた人間達は口を「ぽかん」と開けたままでルーインが消えた場所を凝視していた。

どう考えても異常な光景に理解が追いついていないようだ。

「(しまった!モロに見られたかッ!?)」

それに気付いたネイヴィスが慌て、どうにか誤魔化そうと思案をめぐらせる。

「な、なんとアイツは幽霊だったのかー!幽霊なら壁抜けが出来るのも当然だー!」

やがて出たものはそんな言葉で、人間達の開いた口を更に広げるだけとなった。



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