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第二章


ルーインは自身をラグラスだと偽り、「合わせ鏡の間」を抜けて人間界にやってきていた。

そこは鍾乳石が垂れ下がる神秘的な洞窟だった。

かつてこの場所は魔族の拠点で、天界との戦があった折には、大量の悪魔達がこの場所に召還されたという事だった。

「(ンな事はどうでもいいんだよ…)」

と、ルーインはそう思っていた為、詳しい事は聞いていない。

だが、坂を下れば海へと続き、坂を上れば外に出られるという大事な事はきちんと聞いていた。

最後に、あわせ鏡の間の衛兵は、ラグラス扮するルーインに人間界でのルールを話した。


第一に人間は殺さない事。

無闇に人間を殺した場合、天界が動き出す可能性があるのでなるべく人間は殺さない事。

第二に魔法は使わない事。

人間で魔法が使える者はまだまだ珍しい存在だから、目立たないようにする為にも、魔法の使用は避ける事。ただし、自衛の場合はその限りではない。

第三にそれらを監視する為の悪魔の目を肌身離さない事。

この三つを守れなければ魔王様の魔力によって即刻魔界に連れ戻されて、厳重な処罰を受けるであろう。


衛兵は以上の事を話し、ルーインに宣誓するように迫った。

「まあ、仕方ねえな…」

正直拘束が多すぎる気がしたものの、ルーインはそれらを守る事を仕方なしの体で衛兵に告げた。

ルーインは人間界に興味があった。

このチャンスをふいにすれば、この先行けるかどうかもわからない。

それに、魔王の事は好きでは無いが、絶大な魔力と腕力を持っている事は認めている。

怒らせた場合はただではすまない。

だからこそ、三つのルールを守り、人間界でのバカンスを謳歌するつもりでいたのである。

「まっ、少しばかりメンドくせえが、今の所は従っておくさ。こっち側(人間界)に飽きるまではな」

ルーインは呟きながら、悪魔の目を懐の中にしまった。

そして、洞窟の外に出る為、なだらかな坂道をのぼり出すのだった。



洞窟の外には見渡す限りの緑の海が広がっていた。

おだやかな風で木々が揺れ、セミの鳴き声や小鳥達のさえずりがルーインの耳をくすぐった。

季節はおそらく夏なのだろう。

ひんやりとしていた洞窟内との気温差で少し暑いと感じたが、そんな事を忘れてルーインはその場に呆然と立ち尽くしていた。

季節や光景が珍しかったのではない。正直そこが墓場でも良かった。

資料や口伝でしか知らなかった人間界に初めて来た事に、純粋に感動していたのである。

「やっぱりいいぜ、人間界は」

胸の前で両手を広げ、片方の眉をつり上げるという、少し気持ち悪いポーズと顔で、ルーインが知ったかぶった発言をした。

勿論ルーインは過去に1度も人間界に来た事は無い。

感情が昂ってしまった為に、つい知ったかぶってしまったのだ。

「あまりにも居心地が良すぎるんで不自由を感じたくて破壊したくなるぜ…」

当たり前のようにそう言って、恍惚の表情になったあたり、彼も人間とは感性が違う悪魔の一員だと考えるしかない。

「さァて、まずはひと仕事して、魔王サマの心象を良くしておくか」

ルーインは一頻り風景と自分に陶酔した後、思い出したように言った。

とりあえずひと仕事して、報告書をまとめて送っておこう。

そうすればその後しばらくは遊んでいても大丈夫だろう。

その為にはまず人間が住んでいる所を見つけなくてはならない。

「まぁ、多少なら大丈夫だろ」

ほんの少し考えた後、ルーインは軽く地面を蹴って、大空へと舞い上がった。

人間界に来てほんの十数分。

「魔法を使うな」という、約束をもう破っていたのだが、本人にその自覚は無かった。

「山に森、あとは河か。人間が住んでいる様子はねぇな…」

中空で制止して辺りを見ると、ルーインの背後には山が連なり、眼前には森が広がっていた。

右手には大きな河が流れ、眼前の森に沿うようにして下流に向かって伸びていた。

左手には寂れた街道があり、遥か彼方の地平線が僅かに「キラキラ」と輝いていたが、それが海である事をルーインはまだ知らなかった。

「…行くとしたらあっちだろうな。道があるからには何かがあんだろ」

寂れた街道の先を見ながら、ルーインが一人で呟いた。

「まぁ、一日も歩けば良いか?何かあんだろ。何かがよ」

楽観的な口調でそう言い、地面の上に下りたルーインは、目標に向かって歩き出すのだった。



ルーインの楽観的な予想は外れた。

それは悪い意味ではなく、いい意味で、という事になる。

寂れた街道の上を進み、6時間程を歩いた頃にひとつの建物を発見したのだ。

右手には小川があり、向こう岸には森があった。左手には山があり、その山の一部分にその建物を発見したのだ。

どうやらその建物は、所謂「関所」のようなものらしく、門を抜けた先にある何かを守っているように見えた。

その警戒は厳重で、門の前には10人程の武装した人間が立っている。

ルーインが気配を察した結果、他にも20人程の人間がここには駐屯しているようで、その中の数人はかなりの実力者のようであった。

「(あまり関わりたくはねぇが、道を聞くぐらいなら問題ねぇだろ)」

そう考えたルーインが建物に足を向けた時、ルーインはそこで起こっていた騒動に気づく事になった。

「だから何度も言っているだろう!落盤の原因は調査中で、復旧はいつになるかはわからん!どうしても先に行きたいのなら国王陛下の許可を貰って来い!そうでなければ通す事はできん!」

武装した人間の1人がわめき、最後に「わかったか!」と怒鳴りつけて門の中へと入って行った。

怒鳴られていた相手はルーインからは、背中しか確認できなかった。

ただ、武装した人間達とは違う、旅人のようないでたちだった。

その人物は輝くばかりの金髪を背中にたらしており、背中だけでは男とも女とも見分けがつかない中性的なオーラをまとっていた。

「ん…?」

その人物がルーインに気付き、怪訝な表情で振り返った。

顔を見ればそれは男性で、しかめっ面をしている為に少々キツめな印象だったが、美形に入る部類であった。

年齢はおそらく20才程度。

瞳の色は蒼色で、身長はルーインよりも5cm程高いようだった。

「(こいつ人間じゃねぇな…)」

直感的にルーインが思う。

そう思った理由は不明だが、「こいつと関わるのは危険だ」と、ルーインの本能がそう告げていた。

「貴様!人間では無いなッ!」

それは直後の男の言葉。

何も無い空間から武器を呼び出し、地の上を滑るような素早い動きで、一気にルーインに襲撃してくる。

その手に現れたのはハルバード。

斧のような刃がついた150cm程の槍であった。

「そういうテメェも人間じゃねえだろ!」

言いながらルーインは剣を召喚。

「サリーちゃんの館」と同じく、父親の宝物庫から持ち出したものだ。

赤く輝く宝石が柄にはまった剣であり、金銀の豪奢な装飾がルーインとしては気にいっていた。

その剣を使い、すんでの所で男の攻撃を受け止めて、突き飛ばすようにして押し返す。

「も、という事は認めるのだな!ならばやはり!」

謎の男は「さっ」と飛び退き、左手に魔力を集中したようだった。

輝きが生まれ、その掌に白い塊が凝縮されていく。

「貴様は悪魔かッ!」

そして男はその塊をルーインに向かって投げつけてきた。

「ああ!?だったらなんだっていうんだ!」

ルーインが空中に飛び、光の球を回避する。

「悪魔ならば滅殺するのみッ!」

謎の男は間髪入れず空中のルーイン目掛けて攻撃。

青い、細やかな粒子を散らして凄まじい速さでルーインに迫った。

「くそっ!てめぇ一体なにもんだ!」

その速さを見たルーインは「これは避けられない」と即座に判断。

「ちっ!おらぁあ!」

ギリギリの所で武器で受け止め、空中で踏ん張るようにして、両手を使って全力でその突撃を防ぎきった。

「私か?私は」

だが、謎の男の攻撃はまだ終わっていなかった。

「私は天使だ!」

男の背中に白い翼が、頭上には光輪が発生する。

「何っ!?」

その様子を見たルーインに一瞬の隙と油断が生まれた。

「滅びよ!悪魔!」

男が言って武器を振り上げ、油断し、防御が遅れたルーインに遠慮無くそれを叩き込んだ。

「ぐっ!?があああああっ!」

ルーインはたまらず吹き飛び、小川を挟んだ向こうに茂る森の中へと落ちて行った。

「この程度では終わるまい」

と、謎の男改め天使が呟き、ルーインの様子を伺う為に中空を駆って距離を縮める。

森の一部が「キラリ」と輝き、十数本の黒い矢が天使に目掛けて飛んできたのはその直後の事だった。

ルーインの放った魔力の矢である。

天使はその攻撃を更に上昇する事で回避し、矢の放たれた一画に向け光の球を投げつけた。

それが炸裂する寸前、ルーインは森の中から飛び上がり、2人は再び空中で対峙した。

もはや「魔法を使ってはいけない」という掟はルーインの頭には無かった。

宿敵である天使と出くわした。こんな事は滅多に無い事だ。

さて、これからどうなるのだとルーインは心を躍らせており、掟やルールを思い出す程の余裕と意識は無かったのである。

「やれやれこいつは参ったぜ。こんな所で宿敵の天使サンと出くわしてしまうとはな」

ダメージは殆ど無かった様子のルーインが言って「ニヤリ」と笑った。

口を開かず、不意をつけば攻撃の一回もできただろうが、ルーインはまずは戦いよりも会話を楽しみたいようだった。

「まぁ、もっとも親父の代か、そのひとつ前の代くらいに争っていたってだけの話で、オレは宿敵とは思っちゃいないがね」

「…」

ルーインが首を振る様を天使は黙って見つめていた。

その表情は無表情で、ルーインが何を言ったとしても聞く耳を持ってはいないだろうと容易に察することができる。

「話に付き合うつもりはねぇか?…それじゃもう仕方ねぇな。自衛の為に…戦わせてもらうぜ!」

ルーインは一転して攻撃を開始した。

これ以上の会話は無駄だと察し、天使に向かって突撃をかける。

どうやら今までは手をぬいており、本気を出してなかったらしく、そのスピードは今までとは比べ物にならないほどに速かった。

だが、一方の天使もまた本気を出してなかったようで、そのスピードはルーインに決して負けてはいなかった。

ルーインと天使は森の上空、中間地点で激しく衝突した。

剣撃は数十合におよび、その中にはお互いの命をかすめる危うい一撃もあるにはあったが、実力はほぼ互角のようで、剣での決着はつきそうになかった。

「はっ、なかなかやるじゃねぇか。テメェ、名前は?」

剣を交え、顔を近づけ、不適な表情でルーインが聞く。

「名前?そんなものを聞いてどうする!」

不機嫌な顔は元々なのか、眉根を寄せた表情で不審に思った天使が返す。

「なぁに覚えておきたいのさ。オレと互角に渡り合った天使サマの名前をよ」

「フッ、ならば覚えておいてもらおう。貴様を倒した天使の名はネイヴィスだったという事をな!」

天使改めネイヴィスが言い、ルーインを力ずくで弾き飛ばし、そこに向かって武器を投げた。

狙いはルーインの無防備な胴。当たれば勿論致命傷だ。

が、この攻撃は、やや命中率に欠けた博打性の高い攻撃だった。

「こんな攻撃にあたるかよ!」

案の定ルーインはそれを回避。

眼下の森に落ちていく相手の武器を横目で追った。

そして武器を失った無防備のネイヴィスを攻撃するべく、態勢を直そうと正面を見た。

「なっ…!?」

が、ネイヴィスはその時すでに、ルーインの目前に接近していた。

そしてルーインの左横面を右足で思いっきり蹴ったのである。

ルーインはその衝撃で、魔力の統制を一時的に消失。

重力に引かれて地面に向かい、急激に高度を下げていった。

「油断をしたな!これで終わりだ!」

ネイヴィスは勝利を確信し、落ちていくルーインを追撃しようと自らも森へと降りていく。

だが、ルーインはそんな攻撃で素直にやられるようなタマではなかった。

「それはこっちのセリフだぜ!」

落下していく様は演技で、ネイヴィスが油断した一瞬をつき、炎の球を投げたのだ。

油断していたネイヴィスはその攻撃を顔面にモロに受ける事となった。

前髪が縮れ、顔が焦げる。

「き、貴様ァァア!」

人間ならば致命傷になったかもしれない。

だが、ネイヴィスは命と戦意をそれで失う事はなかった。

むしろ以前より敵意を高め、眼下のルーインへと襲い掛かっていく。

「思ったより単細胞だな」

その様子を鼻で笑い、ルーインは落下しながら詠唱し、左手に漆黒のオーラを集めた。

「さっきのより強烈だぜ?果たして何発まで耐えられるかな?」

そして1本1本が腕程もある漆黒の矢をネイヴィスに向けて一気に放った。

「くっ!」

ネイヴィスはすぐにこの攻撃を避ける事は無理だと判断したようだった。

降下する勢いは殺さないまま、自身の前方に青白い膜のような壁を発生させる。

漆黒の矢は一直線に飛び、魔法の壁を展開するネイヴィスへの直撃を開始した。

黒と青の火花が散って、一撃毎にネイヴィスの降下するスピードが落ちて行った。

そして、全てを受け止めた時、青白い膜は消滅し、ネイヴィスもそこで停止していた。

どうにか防ぎきった、と、ネイヴィスが安堵の息を吐いた瞬間。

「さすがだな。テメェなら耐え切ると信じていたぜ」

「!?」

それはネイヴィスの背後に回ったルーインが発した言葉だった。

ネイヴィスが矢を防いでいる間に素早く背後へと回ったのだ。

「じゃあな。あばよ。テメェの名前は覚えておいてやるよ」

ルーインがそう言いながら、振り上げていた剣を振り下ろす。

斬撃はネイヴィスの右肩から左脇を走りぬけた。

それは致命傷と言って良い、戦いの決着となる一撃だった。

斬りつけられたネイヴィスは凄まじい勢いで吹き飛ばされて、何本かの木をなぎ倒しながら森の中へと落ちていった。

「やれやれ、色々と使っちまったな。魔王に連れ戻されなきゃいいが…」

ため息まじりにルーインが言い、召喚していた剣を消した。

派手に魔法使ってしまったと、今更の後悔に顔を曇らせる。

もし、これで連れ戻されるような事になれば、人間界への滞在はとても短いものになってしまう。

念の為、30秒程を待ってみて、ネイヴィスが立ち上がってこないことを確認する。

戦いは終わったと確信し、気を緩めた。

それが、ルーインにとっての命取りの行為となった。

ネイヴィスの武器であったハルバードが遠隔操作によって戻り、ルーインの腹を背後から貫いてしまったのである。

「マジかよ…洒落になんねぇ…ぜ…」

血が逆流し、口から溢れ出てくる。

少しの間よろけた後、ルーインは意識を失ってネイヴィスと同じように森の中へと落ちて行った。



ルーインが意識を取り戻したのはその日の夜の事だった。

夜空には月が昇り、虫と動物の鳴き声が森の中に響いている。

昼間に負った腹部の傷はすでに完全に癒えていた。

彼が人間であったなら、それは勿論致命傷になっただろう。

だが、悪魔という種族の自然治癒能力は、人間と比べて数千倍は高い。

それ故にルーインは死から逃れたというわけである。

「ちっ、結構気に入ってたんだがな。ネイヴィスとかいったか、やってくれるぜ」

ルーインはその場に立ち上がり、服が破れてしまった為に露出された腹部を少しさすった。

傷はすでに完治しており、僅かの痛みも感じ無い。

だが、お気に入りの服が破れてしまった事にルーインは少し不満気だった。

「トドメを刺しにこなかったって事はアイツの方は死んじまったか」

ルーインは夜になるまでの間、意識を失い無防備だった。

にも関わらず生きており、傷が完治するまでの間無事でいたわけである。

という事はルーインの敵であるネイヴィスは、トドメを刺しに来なかったか、あるいはそれをできない理由があったという事なのだろう。

「…とりあえず確認しておくか」

何故止めを刺しに来なかったのか。それとも来る事ができなかったのか。

ルーインはそれを確かめる為、ネイヴィスが落下した場所へ向かった。



ネイヴィスは木々が倒れた先の、巨木の「幹」で発見された。

体がめり込み、突き刺さったような奇妙な状態になっている。

凄まじい勢いで吹き飛ばされたネイヴィスは森の木々をなぎ倒し、それでも停止する事が出来ず、巨木の幹にめり込んでそこでようやく止まったのだ。

「こいつぁさすがに死んでるか」

ルーインの視線の先には、巨木の幹に突き刺さったネイヴィスの下半身があった。

「おい、生きてるか?」

とりあえず石を投げ、それで反応を見てみたが、ネイヴィスは「ぴくり」とも動かない。

「……生きてるわけねぇよな。一体何を期待したんだか…」

ルーイン自身、言葉にするまで、自分が何を期待してここに来たのかがわからなかった。

だが、自分が言葉にした瞬間、期待していた何かに気づいた。

ルーインは自分とここまで渡り合った強敵と話がしたかったのだ。

これは今までにない事であり、そんな気持ちを抱いた自分にルーインは少し驚いていた。

「ま、ちょっとした気の迷いってやつだろうな…」

首を振り、残念な気持ちを押し殺してその場から去ろうと歩き出す。

「待…て…」

小さな声が聞こえてきたのはその直後の事だった。

「待て…私はまだ…生きているぞ…ッ…」

それは死んだと思われたネイヴィスが発した言葉だった。

痛みの為体は起こせないのか、相変わらず下半身しか映ってないが、その声は明らかにネイヴィスの上半身から発せられていた。

「へぇ…生きてやがったか」

50%は純粋な驚き。残る50%は奇妙な嬉しさでルーインが後ろを振り返った。

「天使のクセにタフじゃねぇか。致命傷だったと思ったんだがな?」

「何の…この程度では…死なん…」

ネイヴィスがゆっくりと体を起こし、ルーインに応えるように言った。

彼の体は傷だらけで、服も顔も汚れていたが、致命傷となったはずの裂傷は殆ど塞がっていた。

その原因はネイヴィスの微かに輝く右手にあった。

「…回復魔法か。色々できて羨ましいね」

ルーインが察して言った通り、ネイヴィスは回復魔法という、治癒能力を驚異的に高める魔法を自らに使用していた。

この魔法を使う為には適性や才能が必要であり、ルーインには残念ながらこれを使う事はできない。

しかし、ルーインには強力な自然治癒能力がある為、自身の為には必要なかった。

「待っていろ…すぐに傷は塞がる。そうすれば再び対戦だ…今度は決して不覚はとらんぞ」

「冗談じゃねぇ。そんなもんに付き合えるかよ。あくまで戦うっていうんならオレはここで消えさせてもらうぜ」

せっかく生きていたのなら何か話でもできるかと少し期待したのだが、ネイヴィスはあくまで戦う気しかないようだった。

頑なな意思を知ったルーインは、そこでネイヴィスとの対話を諦め、再び「くるり」と身を翻した。

「トドメは刺さないでおいてやる。縁があったらまた会おうぜ」

ルーインはネイヴィスに背中を向けて「あばよ」と言って歩き出した。

背後から「待て!」と叫ぶ声が、1度、2度と聞こえてきたが、ルーインに待つつもりはなかった。

待てば再び戦いになり、体力と魔力を消耗するだけ。

もし再び魔法を使えば、今度こそ魔王に呼び戻されて痛い目に遭わされるかもしれないのである。

そうならない為にはもはや、戦いに執着するネイヴィスを無視して去るしか道は無い。

「おい!待て!待てというに!」

ネイヴィスはなおもしつこく、ルーインを呼び止めようと叫んでいたが、もはやルーインは聞く耳もたず、目を瞑って無視し続けていた。

が、ネイヴィスを無視する為のこの行動がいけなかった。

「その先は崖だぞ!」

と、ネイヴィスがそう忠告した時、ルーインはすでに崖の先に右の足を踏み出していた。

目を瞑り、ポケットに両手を突っ込んだ体勢のまま、ルーインの体が前に傾く。

そして、頭から飛び込むようにして崖下へと落ちていった。

「ドプン!」という鈍い音が響き、ルーインは崖下に広がっていた沼の中へと体を落とす。

「ぐああ!なんだこりゃあ!!?どういうこった!?」

沼の中から肩上を出し、パニック状態のルーインが叫ぶ。

目を瞑っていた為に、なぜ、どうして自分が沼にはまっているのかがわからなかったのだ。

ここでパニック状態にならず、すぐにも魔力を使用して沼の外に出ていれば第2の不幸はなかっただろう。

「シギャアア!」

沼地には魔物が潜んでいたのだ。

一見古い樹木にしか見えないが、それは落ちた旅人の生命力を吸い取りながら、ひっそりと生息しているものだった。

ルーインはその古い樹木に、頭を「バシバシ」と叩かれて、水の中に強引に沈められそうになったのである。

「て、テメェ!力の差がわかってんのかこの野郎!テメェなんざ本気になれば…っていてっ!いてぇ!やめろって言って…!いてェ!」

ルーインが主張するように、魔物とルーインの間には比べようが無い程の歴然とした力の差があった。

だが、手足が沼にハマり、身動きが出来ないルーインには、まさに成す術が何も無かった。

太い腕のような枝で叩かれ、少しずつ水の中へと沈没していった。

「テメェらは絶滅させてやる!あとでどうなるか覚えて…!」

ルーインの口から下は、その言葉を最後に沼の中へと水没した。

そして鼻も水没し、ルーインは呼吸する術を完全に奪われてしまうのだった。

「ケトケトケトケト!」

古い樹木高らかに笑い、ルーインの頭を叩く事をやめた。

彼(?)は決して悪戯や嫌がらせでルーインを沈めたのではない。

沼の中に「肥料」を入れて、それが腐った時にうまれる「養分」を自分に取り込む為にルーインを沼に沈めたのだ。

植物なのか、植物でないのかはよくわからないが、古い樹木はそうやって今まで生きながらえてきたのである。

古い樹木の企みは成功し、ルーインも成す術無くこのまま腐っていくかと思われた。

沈んだ場所からは呼吸の名残なのか「ぷくぷく」と泡が浮き出ている。

「なんとも間の抜けた奴だ…」

その時頭上の崖の上に、思いもよらない助っ人が現れた。

その人物はルーインと敵対していたはずのネイヴィスだった。

ルーインと同じように衣服こそ破れてそのままだったが、傷口は魔法で治した為に、跡形も無く消え去っていた。

頭上から眼下の沼を見下ろし、ルーインの沈んだ場所を眺めて不快そうに眉をひそめている。

「私と互角に渡り合っておいてこんな事でやられてどうする!」

ネイヴィスは右手にハルバードを召喚し、それを構えて崖の上から沼を目掛けて飛び降りた。

「キキッ!?」

古い樹木はネイヴィスに気づき、槍のような根っこを使い、落下してくるネイヴィスを空中で串刺しにしようと企んだ。

しかし、ネイヴィスはその攻撃を体を逸らして横へと回避。

根っこの脇をなぞるようにして武器を振り上げて落下していく。

そして、落下の速度をプラスした重い一撃で樹木を攻撃し、古い樹木を頭から真っ二つにしてしまうのだった。

「キキャァァア…!」

古い樹木は根っこを含む体全体を激しく動かし、その数秒後には「ぐったり」としてそれから2度と動かなくなった。

ネイヴィスは僅かを飛んで、沼の岸へと華麗に着地。

「…これで借りは返したぞ。さぁ、さっさとあがって来い」

武器を収め、沼地の中のルーインに向かって声をかけた。

が、ネイヴィスから見える範囲にすでにルーインの姿は無く、ハスの上に乗った蛙が「げこっ」と鳴いただけだった。

「…こ、これで死なれたら後味が悪いわッ!」

それを見たネイヴィスが慌てて助けた事でルーインは一命を取り留めた。

そしてこの一件で、天使と悪魔である、宿敵とも言える種族の二人の関係に微妙な変化が生まれたのだった。


お付き合いありがとうございました。

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