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羊の短編集。

君と秋と神様。

作者: シュレディンガーの羊



人里から離れた高台の上に、その神社はあった。

そこへ至る長い階段には、幾つもの鳥居が立ち並んでいる。

そして、階段の一段目にキョウはいた。

隣には白猫の姿をとるアリアケがいる。

彼らは妖だった。

キョウは好んで人型をとったが、アリアケは人間嫌いで猫の姿を好む。

彼の言い分では、人型になるなら禁酒をしたほうがまだマシだということ。

キョウが秋晴れの空を見ていると、不意にアリアケが呟いた。


「もう秋か。季節が移ろうのは早いな」

「それ冬にも春にも夏にも言っていたぞ、アリアケ」


キョウが呆れると、白猫は微かにむっとした様子でしっぽを立てた。


「真にそう思うのだから仕方あるまい」

「季節なんて俺たちにとっては、些細なことなのに、アリアケは変わってるな」

「変わってなぞいるものか。秋月を見ながらの酒ほど旨いものはないのだぞ」


アリアケがあまりに憤慨するものだから、キョウは苦笑する。

風が運ぶ秋の訪れを肌に感じながら、もう一回言ってやる。


「それ冬にも春にも夏にも言っていたぞ。雪がとか夜桜がとか夏空がとか」

「む、そうだったか?」


眉根をよせた顔が可笑しくて顔が綻ぶ。

白猫は納得していない様子で首を捻った。

アリアケの世界は酒があれば十分によいらしい。

キョウはそう納得している。


「キョウ」


アリアケの耳が急にぴんとたった。

張り詰めた声音にキョウは驚いて瞳を瞬く。


「どうしたんだ?」

「……人だ。人が来たぞ」

「人?」


険のある目つきの先を追えば、こちらに歩いてくる一人の少女。

その姿に、アリアケは軽やかに身を翻した。


「キョウ、我は帰る」

「あぁ、わかった。また美味しい酒を探しとくよ」

「うむ」


ひとつ頷いて、アリアケは草むらに飛び込んだ。

綺麗な白い毛並みはすぐに緑に見えなくなる。


「あの人間嫌いは治らないよな」


苦笑い混じりに独り言を吐き出せば、いつの間にか正面に先の少女が立っていた。

闇夜で染め抜いたような黒髪が、腰で風になびく。


「こんにちは」


鈴を転がしたような声で少女は頭を下げた。

挨拶されたのだと気づいて、キョウは会釈を返す。

少女は端整な顔立ちを、ことんと左に傾けて尋ねてきた。


「私はユウヅキ。お名前を聞いても?」

「キョウ」


聞かれた通りに応えると、ユウヅキはぱっと表情を明るくした。

笑った顔は案外幼くて、歳は十五ほどだと見当をたてる。


「キョウは人ではありませんね?」


唐突な確認に、思わず目を丸くする。

嬉しそうなユウヅキに、キョウはとっさに反応できなかった。

彼女はくすりと笑って、隣に腰を下ろす。


「当たり」

「……どうして?」


姿は隠していなかった。

でも、人型をとっているのだから、正体がばれるなんてないはずなのに。

ユウヅキは笑みを浮かべたままに、次の問いを重ねた。


「キョウは、この神社の神様?」

「……」


何を言っているのか。

冗談にしては笑えない、なんてことをぼんやりと思う。

ユウヅキは身を乗り出して繰り返す。


「神様ですよね?」

「……違うけど」


自失から立ち直り、訝しげに言葉を返す。

神様。

妖の自分とは程遠い。

そうですか、とユウヅキはキョウの返事に肩を落とした。


「じゃあ、残念ながら願い事は聞いてはもらえないですか」

「願いがあるのか?」

「えぇ。だからこうして足を運んだのです」


ユウヅキはそう微笑む。

わざわざこんな所にまで足を運ぶほどの願い。

キョウは気になって問う。


「どんな願いだ?」

「いいえ」


ゆるゆるとユウヅキは拒絶を口にした。

そして、何か大切なものを包むように、胸の前で両手を重ね合わせる。


「願いは神様に言うまでとっておきます。その時がくるまで、大事にしたいんです」


思わず吐息が零れた。

よくアリアケが憤慨していたのを、思い出した。

何故あれ程、人は語りたがりなのだ、と。

今の台詞をあの白猫に聞かせてやりたい。

彼女ならアリアケにも気に入られそうだと思った。


「明日なら会えるかもしれない」

「え?」


気づけばそう音を零していた。

瞳を瞬くユウヅキはことんと左に首を傾げる。

さっきもやっていたから恐らく、癖なのだろう。

少し愛らしいと感じた。

人間相手に、我ながらおかしい感情の起伏。

今度は意識的に同じ音を唇にのせる。


「今日は無理でも、明日なら会えるかも」

「明日……」


思案するような顔が徐々にほころんだ。

いたずらっぽくユウヅキの目が輝く。


「それは、明日もお邪魔してよろしいという許可?」

「どうぞ、ご自由に解釈して」


おどけたように肩を竦める。

アリアケには申し訳ないけれど、自分はどうやら彼女を気に入ってしまった。

キョウは純粋にそれが面白かった。

アリアケほどではないけれど、キョウも人をあまり快く思ってはいなかった。

だから、そんなふうに心を動かされたのが好奇心を生んだ。


「そろそろ帰ります」


すっと隣でユウヅキが立ち上がる。

さわさわと草木が秋風に揺れた。

彼女の黒髪も風に遊ばれる。

ユウヅキがキョウに視線を合わせた。


「それで明日も神様に会いにきます」


こちらに向けられたのは笑顔。

その笑顔に自然に笑みが浮かんだ。


「あぁ。また」

「はい。また明日」





小さなおじきのあと、ユウヅキはまた来た道を帰って行った。

その背中が見えなくなって、自分がずっと彼女を見送っていた事実に気づき苦笑を零す。


「アリアケ、怒るかなー」


キョウは後ろ手をついて空を見上げる。

さっき見上げた時にはなかった飛行機雲が、空を二つに分けていった。





それから、ユウヅキはほとんど毎日のように現れた。

階段の一段目にキョウがいるのを見つけるたびに、ぱっと表情を明るくする。

そんな彼女にキョウも自分の顔がほころぶのを感じた。

たくさんの言葉を交わした。

他の誰かと話せばつまらなく感じるようなことも、ユウヅキとすれば不思議と楽しかった。

ことんと首を左に傾げる癖も、控えめな微笑みも、会うたびに好ましいと思えた。


「アリアケにも会わせてやりたい」


ひとしきり会話したあとに、知らず知らずにそう言っていた。

驚いたようにユウヅキが目をしばたく。


「アリアケ?」

「俺の友人」

「初めて聞くよ?」


始めは敬語を崩さなかったユウヅキも、最近は以前より砕けた口調になった。

それがなんだか少し嬉しい。


「ま、喋る白猫だと思えば想像に難くない」

「魔法使いの猫さんみたいね」

「実際はそんなに可愛くもないけど」


キョウは苦い笑いを浮かべる。

自分がユウヅキと仲良くなっていることを、アリアケはきっとよく思っていない。

口にはしないけれど、頻繁に訪れる彼女を見るたび白猫は身を翻す。

何度か引き合わせることも、試みたけれど上手くいかない。

思い返してため息をつく。

きっとユウヅキなら気に入ってもらえると思うのに。


「アリアケは人間嫌いなんだ」


俯いて呟く。

一瞬だけ、ユウヅキが息を止めたのがわかった。

それがもどかしかった。

もう地面に影が伸びている。

日が暮れるのが風が寒くなるたびに、だんだんと早くなっていく。


「いままでも何度か会わせようとしたんだけど、いつも失敗なんだ」

「それも初耳」

「始めて言ったからな」


風が吹いて、ユウヅキの髪がなびく。

手でその髪を抑えながら、彼女は不意に首を傾げた。


「ねぇ、アリアケは何が好き?」

「ん?酒全般だけど」

「それなら大丈夫」


きゅっとユウヅキが胸の前で掌を握りしめた。

そして、楽しそうに肩を揺らす。

訳がわからないキョウに、彼女はいたずらっぽく笑う。

初めて会った時のように。


「いいこと思いついたの」


夕陽が無言で、世界と二人とを染め上げていった。





もう幾度も言葉を交わしたけれど、キョウはユウヅキの願いをまだ知らない。

それは彼女が神様に会ってはいないから。

あの日以来、彼女はそれを口にしないし、キョウも尋ねはしない。

階段の一段目。

ユウヅキはそこに腰を下ろす。

キョウの隣に座る。

そして、キョウと話をして、笑って、そして日が落ちる頃に帰っていく。

ユウヅキは階段を昇らない。

鳥居をくぐらない。

自分の隣に留まる。

そのことを考える度にキョウは、上手く言葉を選べなくなる。

そうして時折黙るキョウにユウヅキはいつも優しく笑うのだ。

また難しいこと考えてるの、と。

何が難しいのかは正直よくわからないし、これが難しいことなのかもキョウにはよくわからない。

ただユウヅキがそう笑う度に、キョウの中で何かが動く。

まるで時計の針のように、ひそやかに確実に。





夜闇の中に欠けた所のない月が浮かぶ。

キョウは盃を口に運びながら感嘆を呟いた。


「綺麗な月だな」

「真に酒を飲むにはよい月夜だ」


満足げに応えてアリアケも空を仰いだ。

神社の屋根の上で酒盛りをするのは、アリアケが始めたことだ。

今夜は満月だからと言うことで誘われた。


「つまりは何かにかこつけて、酒盛りしたいだけだろう?」


茶化してみれば、白猫は酒を飲むのを中断して顔を上げた。


「む、心外な。この月夜に酒を飲まない者など、余程の愚か者か聖人以外の何者でもないのだぞ」

「すごい啖呵だな」

「誘ってやったのだから、有り難く思え」


キョウが苦笑すると、アリアケは鼻をならして、また盃から酒を飲みはじめた。

その拗ねたような姿に、笑いを噛み殺しながらもうひとつ申し立てる。


「でも、酒を持ってきたのは俺なんだ。そこは忘れないでくれ、アリアケ」

「忘れるわけがなかろう。今宵の酒は格別に美味い。このような上物を持ってきてくれるとは、遅らせながら礼を言う」


そう言って、アリアケが芝居がかったお辞儀をするものだからキョウは堪え切れずに笑い出してしまう。

猫がお辞儀をする姿が、こんなにも違和感があるのだと初めて知った。

くつくつとした笑いの芽は、一瞬にして枝を広げ花を咲かす。

酒が回ってきたせいか、なかなか笑いが収まらない。

趣深い月夜の神社に笑い声が響く。

と、それまで恨みがましい視線を送ってきていたアリアケの瞳が不意に揺れた。


「キョウ、これ以上はあやつと関わるな」


それは本当に突然だった。

キョウはぴたりと笑うのを止めた。

風が凪いで、月が見下ろす世界にしじまが訪れる。

冴え冴えとした月光の中で、キョウは静かにアリアケに目を向けた。

凍えるような色を讃えた黄金の瞳。

キョウはいつも月のように美しいと思っていた。

そして今、それには明らかな悲しみが伺える。

そんな目をしてほしくなかった。


「アリアケ」

「我だってこんなことは言いたくない」


アリアケの表情が歪む。

憂うように黄金の月は陰りを見せた。


「だが、所詮は人と妖だ。相いれぬ」

「……アリアケ」

「真はわかっているのだろう」

「アリアケ」

「これ以上は」

「聞いてくれ、アリアケ」


キョウは懇願するように頭を垂れた。

悲しげな瞳をもう見ていたくなかった。

アリアケが口を閉ざす。


「今夜の酒、ユウヅキから貰ったんだ」


仲良くなりたい。そう笑っていた彼女。

あの日。黄昏の空の下。

優しい声が耳朶を撫でていった。


『好きなものを貰えば少しは嬉しくない?こんな考え方、本当はずるいよね。でも、仲良くしたいの』


振り返る彼女は夕陽に染まって。


『だって、キョウの友人でしょ?』


花咲くような満面の笑みを、瞼の裏に思い描く。

あの言葉たちを覚えてる。


「美味いって言っただろ?ありがとうって思ったばすだろ?」


なら――――――心の枷を取り払うように叫ぶ。


「どうしてそれを同じように、ユウヅキには言えないんだよっ」


風が慟哭するように鳴いた。

月が二人を照らす。

キョウの顔も、アリアケの顔も世界にさらけ出していく。暴いていく。

盃の酒が風に揺れた。

やがて、アリアケが言葉を落とした。


「キョウ、我は人嫌いではない」


驚いて顔を上げる。

目が合うと自嘲気味に白猫は続けた。


「我も一度だけ、人と共に過ごしたことがある。猫として人と共に生きた」

「……そんなこと、一度も聞いたことない」

「今この時まで、語らなかったからな」


呆然と呟けば苦笑が重ねられた。

アリアケが自分のことを語ることは今までなかったから、キョウは戸惑う。


「どうして、そんな」

「よく我を訪ねてくる者がいた。初めは気まぐれだったのだ。奴の相手をするのは愉快だった……」


キョウは何も言えなかった。

アリアケの優しげな眼差しがなんの上に成り立っているか、理解してしまったから。

その先に続く言葉を、幾度も見ないふりをしてきた。

キョウはきっとずっと解っていた。

されど――――――月の瞳を持つ白猫は言った。


「奴はいなくなってしまった」


風にざわめく木々が、心を冷たく撫でていく。

凍える指先に冬を感じた。

あぁ、と思う。

あぁ、秋が終わる。

アリアケが盃に目を落とす。


「人の形をとらなくてよかった。我には人の情を持つのは耐えられぬ」

「アリアケ」


静かに名を呼ぶ。


「それでも、俺は……」


けれど、キョウは続く言葉を見失う。

言うべきことも、言わなくてはいけないこともあるのに、喉が震えるばかりで言葉にならない。

握りしめた掌に力が入る。


「俺は……」

「こんな話しをしてすまない」


すまない、キョウ――――――頭を垂れた白猫に、キョウは完全に言葉を失う。

あんなに綺麗だった満月が気づけば、雲に隠れていた。

風がまた冷たくなる。

冬が来るのだとキョウは呆然と感じた。





長い沈黙の末に呟いた言葉は、黄昏の鐘に掻き消された。


「え?」


振り返った彼女は、本当に虚を衝かれたような顔をしていた。

心に迷うように波がたつ。

それでも、今言わなければと声を絞り出す。


「だから、もうここに来るのはやめろ」

「……どうして」

「それは」


静かに問われて返答に困る。

取り乱してくれたら、それらしいことを言えた。

でも、明らかにユウヅキは冷静だった。

多分、キョウよりずっと。


「私が人だから? キョウと違うから?」

ユウヅキは傷ついたように歪んだ笑いを浮かべる。


「でも、そんなの初めから、解ってたこと。それでも、私はキョウと一緒に」

「ユウヅキは何も解ってない」


遮ったのは、自分も同じことを考えていたからだ。

そんなのは解ってる。

でも――――――――


「置いていかれるのは俺だ」


ユウヅキが目を見開いた。

長い睫毛が微かに震えて。

泣き出すように顔が歪む。

それに目を逸らして口を開く。


「もう会わない。俺の居場所を奪いたくないと思うなら、もう二度と来ないでくれ」


何も言わずに別れても良かったのだ。

でも、そうしたら自分はユウヅキの姿を見守り続けてしまうと思った。

踵を返したキョウの背中越しに、ひぅっと息を吸うのが聞こえた。

泣きそうに自分を呼ぶ声。


「キョウ」

「謝るよ」


振り返らないで、応えないで、最後に自分勝手な言葉を投げた。


「神様はここにはいない」


そんなもの、いない。





とぼとぼと離れていく背中を放心したまま見ていれば、背後から声がかけられた。


「あれがユウヅキか」

「あぁ」


振り返らずに頷く。


「キョウ、我は余計なことをしただろうか」

「違うよ。俺が決めたことだ」

「そうか」

「そうだよ」


俺が決めたんだ――――――声が震えた。

足元に広がる紅葉は冬の訪れ。

葉を落とした木々は北風に凍える。

立っている場所が崩れ落ちそうに頼りなかった。

笑いたいのに笑えなかった。

アリアケ、と震える声で振り返る。

向かい合った月の瞳に映る自分は歪に嗤う。


「季節が移ろうのは早いな」


白猫は何も言わずに、それでも目だけは逸らさずにいてくれた。





もし、別れなかったら。

自分はあと何回、ユウヅキと秋を過ごせただろう。

キョウは考える。

その数はユウヅキにとっては数多でも、キョウにとってはあまりにもわずかだった。

そうしたわずかな時を、いつかなくして生きていけるとは思えなかった。

ひと季節など、いままで流れた歳月に比べればあまりに短い。

けれど、きっと自分はユウヅキのことを忘れられないのだ。





酒を飲もう。アリアケが言った。

月が綺麗だからとか、夜風が気持ちいいからとか、そういう理由なく。

ただ一言、酒を飲もう。そう言った。


「あぁ、飲もうか」


力のない笑みを返す。

アリアケの気遣いはいつも不器用だ。

けれど、それにキョウが幾度も救われてきたのも事実だった。

いつも通り、神社の屋根に上る。

二人して、無言のままただ酒を飲んでいれば空が急に明るくなった。

そして、それを追い掛けるように轟音。

夜空に咲いた花に、キョウは目を瞬く。


「花火か」

「夏の風物詩を冬になど……」

「でも、綺麗だ」


次々と夜空に浮かび上がる光の花。

季節外れの大輪花。

懐かしい。そう思った。

胸の奥底から水面を目指す泡のように、砂嵐がかける忘れられた記憶が――――――――


「キョウ……っ!」


呼び声で覚醒した記憶と、目の前の状況が完全に符号する。

あぁ、そうか。

だから、ユウヅキは知っていたのか。

花火に照らされた境内に、肩で息をするユウヅキがいた。

黒い髪が夜闇に揺れる。


「君のことを思い出した」


ユウヅキ――――――彼女はキョウを見上げて、泣きそうに笑った。


「思い出してくれて、ありがとう」






数年前、一人の少女が夜に神社にやってきたことがあった。

どうやらめちゃくちゃに走って、ここまで辿り着いたので、帰り道がわからないらしい。

心細いやなんやのでその少女は泣き出し、慰めるのも面倒だったから、落ち着くまで、一緒に季節外れの花火を見た。

その日はどうやら、その少女の町で何年かに一度のお祭りだったらしい。

けれど、友達と喧嘩をして飛び出してきたのだと、ぽつりぽつりと語った。

特に興味なく聞き流し続けて、花火が終わる頃、まどろむその少女を背負って町に届けた。

キョウにしてみれば過去に埋没した、ほんの些細なこと。

記憶の水底に沈んでいた小さな思い出。






手を貸して、ユウヅキを神社の屋根に引きあげた。

アリアケが酒を飲むのを止める。


「はじめまして、アリアケ」


ユウヅキは白猫の姿に目を止めると、小さく頭を垂れた。

アリアケは視線を上げることなく言う。


「この間の美酒のこと、礼を言う」


その謝辞にユウヅキは少し驚いてから、とても優しく笑った。

風邪が凪いで、花火の音が辺りに響く。

そうして、花火を見上げながら、ユウヅキが静かに語りはじめた。


「ずっとキョウにお礼をしたかったの。この間、偶然の用事でこの辺りに来て、神社への道を思い出した。懐かしくて神社に来たら、キョウがいたの。あの頃と少しも変わらないまま」

「だから、神様だろうって?」


あの時の少女が、いま自分の隣に座って笑う。

キョウも笑った。


「このなりで神様は詐欺だ」

「でも、私にとっては神様に近かった。だから、願いを叶えてもらいに来たの」


ユウヅキがキョウを見て、そう微笑んだ。

もう、彼女は今夜を堺にここには来ない。

キョウにはそれが分かっていた。

それでも、心が不思議なほど静かで、けれど、それが心地好かった。

キョウ――――――花火がユウヅキの顔を照らす。

あの少女の泣き顔の面影はもう見えない。

ユウヅキはきっとこれからも、秋を過ごし、花火を見て、生きていく。


「私の願いは」


その先に続く言葉にキョウは微笑んだ。














fin

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