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悪役令嬢の願い  作者: なむそ
《王宮侍女》

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98/100

90.彼女の策略。

 



 生誕祭の広間は、眩い光に満ちていた。


 双子の殿下を祝う声。

 重なる杯の音。


 その喧騒の中で――視線を感じる。


「……ネメシア」


 振り向けば、セレフィーナが立っていた。


 完璧な微笑み、揺らぎのない姿勢。

 あまりにも整いすぎていた。


「少し、お時間をいただけるかしら?」


 柔らかな声。

 けれど、その瞳の奥は読めない。


 私は一瞬だけ周囲を確認し、頷いた。


「先日は……失礼な態度を取ってしまったわ」


 意外な言葉だった。


 伏せられた睫毛、慎ましい仕草。


 だが――

 この人が、ここまで素直に頭を下げるだろうか。


「殿下のこととなると、つい視野が狭くなってしまって」


 そう言いながら、わずかに私の反応を窺う。


 測っている。

 ……やはり。


「セシル殿下の傍で支える者同士、仲良くしましょう?」


 その言葉に、胸の奥がわずかに冷える。


 “傍で支える者”。


 曖昧な線引き。

 私たちは婚約者と、側近。

 同列に置くには、都合がよすぎる。


「ええ。殿下のためであれば」


 私は笑みを崩さない。

 警戒は内側に沈めたまま。


 そのとき、セレフィーナは給仕から杯を受け取った。

 淡い色の液体が、灯りを受けて揺れる。


 ほんのわずかに。

 ――躊躇?

 いや、演技か。


「そうだわ」


 自然すぎるほど自然な調子で。


「殿下がこちらをお望みでしたの。お忙しそうで、私からは渡せなくて……」


 杯が差し出される。


「ネメシアから渡してくれる?」


 一瞬、時間が止まる。


 なぜ、自分で渡さない?


 婚約者のあなたが。


 視線が、広間中央へ向く。

 セシル様は貴族たちと談笑していた。


 私は杯を見下ろす。

 透明な硝子、揺れる液体。


 ――異変はない。

 匂いも、色も。


「……承りました」


 私は杯を受け取る。

 指先に伝わる冷たさが、妙に重い。


 セレフィーナは、安堵したように微笑んだ。

 だがその笑みは、どこか硬い。


 広間の中央へ向かう足取りが、わずかに重い。


 嫌な予感。


 けれど、それは“予感”でしかない。


 根拠はない。

 止める理由も、ない。


「殿下」


 セシル様は談笑を切り上げ、こちらを見る。

 金の瞳が、柔らかく細められる。


「どうした」

「こちらを……」


 彼に差し出す。

 その瞬間、わずかに躊躇った。


 ほんの一拍。


 言葉にできない違和感が、指先を鈍らせる。


 ――待ってください、と。

 そう言うべきか。


 けれど、何を理由に?


 私が疑っていると知られれば、それこそ――。

 その迷いの隙を縫うように、


「ちょうど喉が渇いていた」


 セシル様は、軽い様子で笑った。

 私の手から、躊躇いなく杯を取る。

 疑いなど、欠片もない顔で。


「気が利くな」


 止める間もなく、彼は口をつけた。


「……」


 声が出ない。


 一口。


 喉が動く。


 二口。


 私は、ただその動きを見ている。


 嫌な予感が、確信へと変わる前に――

 杯が、彼の手の中でわずかに揺れた。


「……上手い――」


 その声が途切れた。

 次の瞬間、セシルの喉がひくりと震える。


 赤が零れた。


 彼の唇から、床へ落ちる。


 白い石に、染みが広がっていく。


「……セシル様……?」


 彼は何かを言おうとした。

 だが、言葉の代わりに血が溢れる。


 手から滑り落ちた杯が砕けた。


 鋭い音。


 広間のざわめきが止まる。


 セシル様の膝が崩れた。


「セシル!」


 私は反射的に腕を伸ばし、体を支えた。


 重い。熱い。


 呼吸が乱れている。

 胸元を掴む指が、わずかに震えた。


 血が喉を伝い、衣を濡らす。


「医者を――!」


 その声を掻き消すように、別の声が響いた。


「私が見ます!」


 振り向くと、ルミナがいた。

 人垣をかき分けて駆け寄る。


「離れてください!」


 震えている。それでも目は逸らさない。


 彼女は膝をつき、セシルの胸元に手をかざす。

 淡い光が溢れた。

 聖女の力に、広間が息を呑む。


「ルミナ……お願い……セシルを……」


 声が震える。

 縋るように言うしかない。


 セシルは、うっすらと目を開けた。


 空色の瞳が、私を探す。

 そして何かを伝えようと、唇が動く。


「……に……げ……」


 掠れた音。


 逃げろ、と。

 その意味を理解した瞬間。


「その女を捕らえよ!」


 皇帝の怒号が広間を震わせた。

 一斉に視線が集まる。


 私へ。


「違います……!」


 言葉はかき消される。

 警備兵が腕を強く、容赦なく掴む。


「離して! セシルが!」


 引き剥がされ、腕の中から体温が消える。


 ルミナの光が強まる。

 誰かが祈りの言葉を叫ぶ。


 セシルの口元から、それでもなお血が零れている。


 どうして、止まらないの……?


「殿下をお守りしろ!」


 怒号。

 足音。

 混乱。


 私は押さえつけられたまま、ただ見る。


 ――違う。


 頭が白くなる。


 違う……違う、違う、違う。


 私は、ただ渡しただけなのに。

 あの杯を。

 セレフィーナに言われて。


 理解が追いついた瞬間、背筋が凍る。


 空色の瞳が、まだこちらを探している。

 その視線が揺れ、かすむ。


「……セシル……」


 手を伸ばす。


 その瞬間。

 鉄の感触が手首に食い込んだ。


 ――拘束。


 足元には、砕けた硝子。


 赤に染まった石床。


 祝福の装飾が、嘲笑うように揺れている。


 双子の生誕祭。

 王都が最も華やぐ夜。


 その中心で、皇子は倒れた。


 そして私は――

 罪人として連れて行かれる。


 背後で、誰かが囁く。


「やはり……」

「噂通りの女だ」

 

 殿下を惑わせた女。


 ――悪女。


 すべての言葉が、今、形を持つ。


 私は、一瞬だけ振り返る。


 人垣の向こうに、セレフィーナの姿が見えた。


 蒼白な顔。震える唇。

 それは――完璧な演技。


 理解する。


 ()()()()()


 扉が閉ざされた。

 祝宴の喧騒が、遠ざかる。

 残ったのは、鉄の音だけ。


 生誕祭の夜は、崩れた。




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