89.貴女が、悪いのよ。
セレフィーナ視点
幼い頃から、欲しいものはすべて手に入れてきた。
手を伸ばせば届いた。
願えば与えられた。
流行のドレスも、宝石も、舞踏会で注がれる羨望の視線も。
そして――殿下の隣という、最も価値ある場所も。
それは当然のことだった。
アーデンフェルト公爵家の娘である私が、第二王子の婚約者に選ばれることなど、最初から決まっていた未来のようなものだったのだから。
……そう、思っていた。
あの女が現れるまでは。
――ネメシア。
あの冷たい目をした女。
最初は、ただ利用できる駒だと思っていた。
殿下を皇帝にするためには、障害を排除すればいい。
双子とはいえ、ユリウスは王位継承の対抗馬。
あの方が穏やかな顔で笑っている限り、支持は二分される。
だからまずは足元から崩すつもりだった。
――ユリウスの婚約者、ルミナ。
噂では、姉に冷たく扱われている可哀想な妹。
社交にも不慣れで、守られてばかりの少女。
崩すにはちょうどいいと思った。
そして、その一番近くにいるのが――姉のネメシア。
妹を疎んじている。
冷酷で、情が薄い。
そう聞いていた。
だから、お茶会に誘った。
ほんの少し背を押せば、妹を切り捨てる側に回るはずだと。
……けれど、彼女は違った。
空気を読むのが、あまりにも上手い。
言葉を選び、沈黙を選び、誰がどこで何を期待しているのかを瞬時に測っていた。
そして――
決して、自分の手を汚さない。
あの場で、私は確かに主催者だった。
けれど、主導権を握っていたのは、あの女だった。
気づいたときにはルミナは守られ、私は“善意ある主催者”の顔を保たされていた。
……侮った。
あの冷たい目は、妹を見下すためのものではない。
守るために、切り捨てる目だ。
そのとき初めて思った。
――あの女は、敵に回してはいけない。
けれど同時に。
排除しなければならない、と。
そして、貴族学校に入学した。
殿下は正式に私を選んだ。
婚約者候補ではなく――婚約者として。
あの日の誓約は、これまでのどんな宝石よりも重く、眩しかった。
当然の結果。
そう、自分に言い聞かせるまでもなく当然だった。
だから私は、お茶会を開いた。
祝福の名目で。
……本当は、確かめたかっただけ。
あの女が、どういう顔をするのか。
悔しそうに目を伏せるのか。
それとも平然と笑うのか。
けれどネメシアは、微笑んだ。
完璧な礼儀。
完璧な祝辞。
「学園にとっても、喜ばしいことですわね」と。
その声音に揺らぎはなかった。
――まるで、最初から興味がないかのように。
……いいえ。
あれは、興味がないのではない。
見せないのだ。
あの女は、何も。
その後。
殿下とネメシアが何度か言葉を交わしていると、友人たちが教えてくれた。
偶然だと笑った。
ただの挨拶だと。
けれど、回数が重なる。
図書室で。
回廊で。
中庭で。
そして――学校行事の舞踏会。
殿下は、ダンスの練習相手にネメシアを選んだ。
形式上の練習。
それだけのこと。
そう理解している。
理解しているのに。
胸の奥が焼ける。
私が隣にいるのに。
私が選ばれたのに。
なぜ、あの女なの。
殿下の視線が向くたび、あの冷たい目がわずかに揺れるたび――胸の奥で、何かがひび割れていく。
けれど――
殿下は、再び私を選んだ。
差し出された手は、迷いなく私へ。
あの女ではなく。
その瞬間、胸の奥のひびは、ぴたりと止まった。
ほら、やはり。
一時の気まぐれよ。
ただの、興味本位。
あの冷たい女に、飽きただけ。
私は、殿下に選ばれたのだから。
……だから私は、決めた。
終わらせる、と。
ならば今度は、正面から潰す。
私は殿下に伝えた。
あの女から受けた“仕打ち”を。
階段で、背を押されたこと。
誰もいない廊下で、水をかけられたこと。
一つひとつ、丁寧に。
震える声で。泣きそうな目で。
殿下は黙って聞いてくださった。
怒りを滲ませながら。
「……卒業式で、明らかにしよう」
そう仰った。
公の場で――断罪する、と。
地下牢行きと身分剥奪。
その言葉は甘く、重く、確実だった。
私は頷いた。
震えるふりをしながら。
――勝った。
あの冷たい目は、もう見下せない。
あの余裕も、あの沈黙も。
すべて奪える。
私は、殿下の隣に立つ女だ。
彼女は、地に落ちる。
そう思った。
疑いもなく。
疑う理由など、どこにもなかったから。
それなのに。
なぜ、あの女は殿下の隣にいるの。
なぜ、殿下はあの女を傍に置くことを望んだの。
なぜ――私ではなく。
胸の奥で、何かが崩れていく。
……いいえ。崩れてなどいない。
私はまだ、勝てる。
生誕祭。
双子の殿下の祝宴。
すべての視線が集まる夜。
私は机の奥から、小さな瓶を取り出す。
透明な硝子の中で、液体が静かに揺れた。
「……貴女が悪いのよ」
あの女が現れなければ。
あの女が、余裕の顔で立っていなければ。
あの女が、殿下の視線を奪わなければ。
私は、こんなことを考えなくて済んだ。
これは、正しいこと。
そう、これは――正すための行為。
殿下は騙されている。
あの女に。
ならば、証明してあげればいい。
殿下を害するのが、あの女だと。
私は瓶を強く握る。
「大丈夫……」
震えは止まらない。
けれど、それは恐怖ではない。
奪われたものを、取り返すだけ。
私は、殿下の隣に立つ女よ。
あの女ではない。
決行は、殿下方の生誕祭。
――誰かが、堕ちる。
そう決めたのだから。
女性の嫉妬は怖いですね〜。




