88.次の生誕祭に向けて。
「さて、どうするか」
気の抜けた声が、重苦しい空気を撫でた。
長机を囲むのは、セシル様と――貴族派の重鎮たち。
燭台の火が揺れるたび、男たちの影が歪む。
焦りと苛立ちが、静かに滲んでいた。
「このままでは、殿下の即位は遠のきます」
低く口火を切ったのは、アーデンフェルト公爵。
「第一王子が継承権を辞した時点では……我らに追い風が吹いておりました」
わずかな沈黙。
「ですが……第三王子が聖女との婚姻を決めた今、情勢は変わった」
重く、静かに落とされる言葉。
聖女を得た王子は、民衆の支持を得る。
それは貴族の理屈では覆せない力だ。
「こちらも早急に婚姻を進め、勢力を固めるべきです。殿下のご婚約者は我が娘、セレフィーナ。すでに話は整っております」
その言葉に、数人が頷く。
「加えて――資金基盤の再整備を」
“再整備”。
便利な言葉だと思う。
この場にいる何人かは、すでに帳簿を二重にしている。
焦りは、善良さを削る。
私は一歩下がった位置で、視線を伏せた。
耳はすべてを拾っている。
セシル様は椅子の背に身を預け、指先で机をとん、と叩いた。
退屈そうに天井を見上げながら、まるで他人事のように。
「婚姻ねぇ」
わざとらしく、鼻で笑う。
「それで? お前たちは俺に、何をさせたい?」
試す声音。
公爵は一瞬言葉を詰まらせ、それでも続けた。
「殿下が主導し、貴族派の結束を内外に示していただきたいのです。
次の生誕祭で、正式に――」
「発表、か」
セシル様は顎に手を当て、わずかに口角を吊り上げる。
「いいだろう。俺とユリウスが祝われる夜だ。どうせなら、派手にやろうじゃないか」
場の空気が、ほっと緩む。
愚かだ。
彼らは気づいていない。
その日を“祝宴”だと思っている。
けれど私は知っている。
帳簿も、裏取引も、横領の証拠も――
すべては、その夜に白日の下へ晒されるために整えられていることを。
アーデンフェルト公爵は、満足げに頷いた。
「さすがは殿下。ご英断にございます」
「それでは、次に資金基盤の強化ですが……」
別の男が書類を広げる。
沈んだ声。焦りが滲んでいた。
「王都商会への追加融資が滞っております。このままでは――」
「金が足りんのなら、取ればいいだろう?」
軽い声音。
部屋が、しんと静まる。
男たちの目が揺れた。
「……“どこから”、と?」
探るような声。
セシル様は椅子に深くもたれ、ゆるく笑う。
「さてな。俺に聞くな。――ネメシア、お前はどう思う?」
視線が、一斉に私へ向く。
重たい沈黙。
恐れと、値踏みと、そして――期待。
私はゆっくりと息を整え、穏やかに微笑んだ。
「資金を“取る”のは、今ではありません」
「では……?」
焦れた声。
「名目を整えるのです」
机上の書類に指先を滑らせる。
「殿下のご生誕祭。その祝意として、“自主的な献上金”を募る」
何人かの目が光る。
私は続ける。
「強制ではない、と明言すること。
あくまで忠誠の証。名誉ある貢献として扱うのです」
「なるほど……」
「そして額は、各家の“力量に任せる”。公にはしないが、内々で一覧は作る」
わずかに声を落とす。
「当然、献上額が低い家は――
忠誠心を疑われても仕方ありませんわね?」
小さなどよめき。
理解が、広がる。
――自ら進んで、競わせるのだ。
「見栄も、対抗心も。すべてが資金になります」
私は淡々と言う。
「しかも自主的。
後日、何があろうと“強要された”とは言えません」
部屋の空気が、変わる。
これは強奪ではない。
貴族派の“選別”だ。
アーデンフェルト公爵がゆっくりと頷く。
「……見事な策ですな」
別の男も笑みを浮かべる。
「確かに。これならば忠誠の度合いも測れましょう」
「裏切り者の炙り出しにもなりますな」
愚かね。
炙り出されるのは、あなた方だというのに。
公式記録に残る。
献上金の出処。帳簿の不整合。横領分を埋めるために動かした裏金。
――すべてが繋がる。
私は静かに視線を伏せる。
そのとき、椅子に深くもたれていたセシル様が、ゆるく笑った。
「忠誠を示したいと言うのなら、止める理由もないな?」
彼はわずかに、こちらを見た。
貴族派の男たちが一斉に頷く。
「なるほど……」
ひとりが感嘆の息を漏らす。
「これほど若くしてこの策謀……恐れ入ります」
「さすがはあのヴォルクハルト公のご息女ですな」
賛辞が重なる。
私は淡く微笑み、礼をとるだけ。
そのとき、一人の男がにやりと口元を歪めた。
「それにしても……」
視線が、ゆっくりと私をなぞる。
「殿下が侍女にご乱心と噂に聞いておりましたが――」
わざとらしい間。
「なんとも、素敵な女性ではありませんか」
空気がわずかに変わる。
彼の目は、もはや政治の話をしていない。
肩から、指先までを値踏みするような視線。
品のない笑み。
「殿下もお若い。心を乱されるのも無理はない」
くっくっと笑いが漏れる。
私はまっすぐに視線を上げた。
感情を削ぎ落とした目で。
「光栄ですわ」
柔らかな声で告げる。
「ですが私は、殿下の臣でございます」
にこり、と微笑む。
「乱すなど、とても」
男の喉が鳴る。
それでも視線は外れない。
その瞬間。
「――ならん」
低い声が落ちる。
空気が、重く沈んだ。
セシル様は椅子にもたれたまま、ゆるく笑っていた。
「面白い冗談だ」
そう告げつつも、目だけが笑っていない。
「誰の前で、誰を値踏みしている?」
視線が男を射抜く。
逃げ場を与えない。
「こいつに手を出すつもりなら」
ゆっくりと、体を起こす。
「今ここで決めろ」
一拍。
「貴族派に残るか、家を失うか」
凍りつく空気。
冗談ではないと、誰もが理解する。
「この女は俺のだ」
はっきりと、所有を示す言い方。
「触れていいと、いつ俺が許可した?」
男の額に汗が浮かぶ。
「も、申し訳ございません……!」
「二度目はない」
淡々と告げる。
「次は家ごと潰す」
怒鳴りもしない。
だが、選択肢はないと分かる声。
男の顔から血の気が引く。
「し、失礼いたしました」
椅子が軋む。
皆の視線が、床へ落ちる。
誰も笑わない。誰も動かない。
政治の話が、今ここで終わるかもしれないと理解したからだ。
私は、ゆっくりとまぶたを伏せる。
“触れるな”という――彼の宣言。
「……わかればいい」
興味を失ったように、セシル様は男から視線を外した。
救われたとでも思ったのか、男は崩れるように頭を下げる。
だが本当に許されたのかどうか、それを確かめる術はない。
「さて」
空色の瞳が、ゆっくりと場を撫でた。
「俺とユリウスの誕生祭を、世間を揺るがす舞台にしようじゃないか」
ざわ、と空気が震える。
双子の誕生祭。
それはただの祝宴ではない。
王位継承を巡る均衡。
貴族派と王族派の力関係。
そして――誰がどちらの側に立つのか。
すべてが晒される夜になる。
「準備は任せる」
短く命じると、セシル様は私を見た。
私は静かに礼をする。
「かしこまりました」
誕生祭は祝福の日。
――だが。
その夜、何かが選ばれる。
王都が揺れるのは、歓声のせいではない。
静かに、確実に――誰かが消える。




