86.懐かしい知り合い。
色とりどりの反物が、積み上げられている。
麻、木綿、絹。
手触りを確かめながら、セシル様は無言で布を広げていた。
「これは織りが甘いな」
指先で糸を弾く。
「もう少し目の詰まったものはあるか」
その問いに、店主が頷き奥へ引っ込んだ。
その隙に、奥から若い女性が顔を出した。
「何かお探しですか?」
穏やかな声。
私は視線を向け――息を止めた。
見覚えのある面差し。
柔らかな目元が、懐かしく感じた。
「……あなた」
思わず声が零れた。
女性も一瞬、目を見開く。
「……あら?」
まじまじと私を見る。
そして、はっとしたように息を呑んだ。
「シア……さん?」
懐かしい呼び名。
胸の奥が、わずかに揺れる。
「こちらへ移られたのですね」
声を落として告げた。
彼女は、ぱっと笑った。
「ええ。ご縁があって」
彼女は、少し照れたように視線を伏せる。
「この店の人と、ね」
「まあ」
自然に口元が緩む。
ルーインハイト家の領地で、小さな身飾りを売っていた店主。
ヴァルディオ侯爵と出会ったあの時以来、領地へ赴くたびに私は必ずあの店に寄っていた。
「ご主人がこちらの方だったの?」
「ええ。商いで何度か行き来していたのよ」
彼女はくすりと笑う。
「気づいたら、こちらに嫁いでいたの」
その言葉に、ほんの少し安心した。
領地に関して、今はヴァルディオ侯爵家に任せている。
それ以降、様子を確認しに行っていないから。
「お元気そうで何よりです」
そう言うと、彼女はじっと私を見る。
「シアさんも……変わらなくて良かったわ」
和やかな空気が落ちる。
「今日は妹に、刺繍入りの布巾を渡したくて。布を探しているの」
そう言うと、彼女は目を細めた。
「まあ、素敵」
―――――――――
店主が布を畳み、手早く包む。
「妹さん、喜んでくれるわね」
「そうだと良いのですが」
包みを受け取り、店を出る。
「また、来ますね」
振り返ると、
「待ってるね、シアさん」
柔らかな声が返ってきた。
しばらく並んで歩く。
人通りが落ち着いたところで、彼が口を開いた。
「お前も偽名を使っていたんだな」
横目だけで彼を見る。
「ええ。昔、侍女として働いていた時に」
彼が、足を止めかける気配を感じた。
「……それはどういうことだ?」
「ユリウス殿下から聞いたことありませんか? 私がルミナの専属侍女だったこと」
彼は、はっきりと眉を寄せた。
「……知らん」
言葉が途切れ、空気がわずかに重くなる。
私は小さく息を吐いた。
「そうですか」
一拍。
「私を専属侍女にしたのは、それを知っていたのかと」
そう告げると、彼は首を横に振った。
「……その提案はユリウスからだ」
低く、短く彼は告げた。
私は瞬きを一つする。
「そうでしたの」
「どうりで仕事を覚えるのも早いわけだ」
淡々としているが、どこか含みがある。
「あら、褒めてくださるのね」
わずかに口元を緩めると、彼は視線を逸らした。
「……あいつの提案で侍女になったなら」
そこで言葉を切る。
視線が横から刺さる。
「どうしてあそこまで出来た」
その声は、責めるでも呆れるでもない。
ただ、純粋な疑問。
私は一瞬だけ足を止め、静かに息を吸った。
「彼女は私を助けるためにそう決断したんです」
一拍。
「ただ、それだけです」
それだけであっても、あの屋敷での私には、唯一の光だった。
彼は数歩、黙って歩く。
やがて小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
それは納得の声だった。
「だとしたら……少しはあいつに感謝だな」
その言葉に私は、無言で微笑む。
「あの子はセシル様――」
「セス」
即座に訂正が入る。
私はわずかに目を瞬かせる。
「……セスに対して、仲良くなりたいと思っておりますわ」
彼は鼻で笑う。
「はっ。まさか」
即答。
だが、その声音は軽すぎる。
「セスも、少なくとも嫌ってないはずです」
静かに言うと、彼の歩みが一瞬だけ止まる。
「……」
否定が返らない。
私は続ける。
「ルミナは人を見る目がありますもの」
彼は小さく舌打ちした。
「買い被りだ」
「いいえ」
柔らかく否定する。
「嫌っている相手に、ああはなりません」
視線がぶつかる。
彼の目が、わずかに細くなる。
「……あいつと俺は、今の関係でいい」
私は小さく首を傾げる。
「どうして?」
彼は珍しく、言葉を探しているようだった。
「……お前は、あいつを優先するだろ?」
ぶっきらぼうな声が落ちた。
「それはもちろん」
間を置かずに答える。
その瞬間、彼の眉がわずかに寄った。
「……なんか、負けた気がして嫌なんだよ」
「……?」
意味が掴めず、首を傾げる。
彼は視線を逸らしたまま低く言う。
「あいつの勝ち誇った顔がうぜぇ」
「……それは」
思わず言葉が止まる。
——それは、嫉妬……?
胸の奥で、そっと思う。
そして、こらえきれず、わずかに笑ってしまった。
「……なんだ」
不機嫌そうな声。
「いえ」
くすり、と笑う。
「いつも余裕そうなのに、意外だなと」
彼の視線が鋭くなる。
「余裕なんかねぇよ」
一拍。
「お前絡みは、特に」
ほんの一瞬、空気が止まる。
「他の男には負けねぇが」
低い声。
「お前の妹には、特にな」
私はわずかに戸惑う。
「……確かに、ルミナのことは優先しますが」
静かに答える。
「でも今は、貴方の侍女です」
私は視線を上げる。
「最も優先すべき存在ですわ」
一瞬、沈黙。
彼は小さく息を吐いた。
「……そういうのが、ずるい」
「何がですの?」
「義務で言い切るとこだ」
視線が絡む。
「侍女だから、優先するのは当たり前だろ」
淡々とした声。
けれど、ほんの少しだけ掠れている。
「でも」
わずかに間。
「俺は、そういうのじゃなくて……」
言いかけて、止まる。
彼の視線が逸れる。
「……なんでもねぇ」
それで終わらせようとする彼に、私は一歩だけ近づいた。
「“そういうの”とは?」
彼は眉を寄せる。
「言わせるな」
低く。
「……義務じゃなくて」
そこまで言って、息を呑む。
「俺を選んでるって顔、しろよ」
すみません……。
頭の中では話が出来てるのに、書き起こしが出来なさすぎて……次回の更新は5日にさせていただきます。




