84.二人で出かける理由。
「……ところで」
私は、棚の上に飾られた額縁へ視線を向けた。
「なぜ、私があげた手巾が飾ってあるのかしら?」
ルミナの誕生日の時に、刺繍を入れて渡したもの。
それが丁寧に額装され、まるで宝物のように鎮座していた。
「それはもちろん!」
ルミナが身を乗り出す。
「推しから貰ったものを大事にするのは当然じゃない!?」
「……おし?」
聞き慣れない単語に、思わず復唱する。
「ええ、そうよ!」
ルミナは誇らしげに胸を張った。
「私の最推しはお姉様なのだから!」
「……さいおし、とは」
「一番好きってことよ!」
即答。
私は額縁を見やる。
……刺繍の糸が少し歪んでいる。
あれは確か、途中で指を刺してしまったのだったか。
「実用したほうが、手巾も本望でしょうに」
「だめよ!」
即座に否定された。
「日常使いなんてとんでもないわ。これは観賞用よ」
「……観賞用」
思わずこめかみに指を当てる。
「……たくさんあげるから、せめて使ってちょうだい」
半ば呆れながら告げた。
すると。
「ほんと!?」
ルミナの瞳がぱっと輝いた。
「たくさん宝物ができるわ!」
「……飾るのはやめてね」
釘を刺す。
「善処するね」
にっこりと、まったく善処する気のない笑顔だ。
私は小さく息を吐く。
「使ってもらうために作るのよ。刺繍も、布も」
「でも、お姉様が作ってくれたものだもの」
ルミナは額縁を振り返る。
「私にとっては、どれも特別よ」
まったく。
……本当に、私はこの子には甘いわ。
「増やしすぎて、部屋が手巾だらけになっても知らないわよ」
「そのときは専用の棚を作らなくちゃ!」
「作らなくていいの」
即答すると、ルミナはくすくすと笑った。
その笑い声を聞きながら、私は改めて思う。
――この子の笑顔を、また見られて嬉しい。
―――――――――
セシル様の私室は、相変わらず静かだった。
彼に報告しろと言われ、私は出向いていた。
セシル様に促され、向かい合うように座る。
「……それで?」
彼は片眉を上げた。
「随分と機嫌が良さそうだな」
「そう見えますか?」
「見える」
即答される。
「普段はもう少し棘がある」
「失礼な」
素っ気なく返すと、彼は喉の奥で笑った。
「で、何があった」
少しだけ、迷う。
妹の話をこんなふうに口にすることが、まだどこかくすぐったい。
だが、隠すほどのことでもない。
「ルミナに、手巾を渡す約束をしました」
「……手巾?」
「以前渡したものを、額に入れて飾っているのです」
一瞬の沈黙が落ちる。
そして。
「……はは」
彼は肩を震わせる。
「お前の妹は筋金入りだな」
「笑い事ではありません」
「いや、十分に微笑ましい」
……まったく、この人は。
私は紅茶を淹れるべく、立ち上がった。
「で? 渡すと言ったからには布がいると」
彼の言葉に私は頷いた。
「商人を呼べば済む話ではありますが……」
「呼べばいいだろう」
即答。
しかし、私は首を振る。
「今の私は、ただの侍女です」
その言葉に、彼の視線がわずかに鋭くなる。
「その立場で、私的な贈り物のために御用商人を動かすのは……気が引けます」
王宮に出入りする商人は、事実上"特権"の象徴。
侍女の立場でそれを使うのは、筋が通らない。
「……なるほど」
セシル様は、顎に指を当てた。
紅茶をテーブルの上に置く。
「ですから、街へ出向こうかと」
さらりと告げると、彼の動きが止まった。
「一人でか?」
「問題はありません」
「ある」
即答。
「護衛は?」
「必要ありません」
「駄目だ」
淡々と続く。
私は視線を上げた。
「では、どうしろと?」
数秒の沈黙。
そして、彼の口元がゆっくりと歪む。
「俺も行こう」
「……は?」
思わず、声が零れた。
「街だろう? なら問題ない」
「大ありでは?」
あまりに軽く告げた。
この人は、自分の立場を分かっているのだろうか。
「……では、せめて護衛を」
「いらん」
即答。
今度は逆の立場になる。
「そっちの方が問題あります」
「それじゃ二人で出かける意味が無いだろう」
さらりと落ちた声。
私は一瞬、言葉を失う。
「……意味?」
セシル様は、紅茶を一口飲んだ。
「街へ布を買いに行く。それだけなら護衛付きで十分だろう」
そして、カップを置く。
「だが、俺は"それだけ"のつもりはない」
鼓動が、わずかに跳ねた。
「……どういう意味でしょう」
――本当は、分かっている。
けれど、聞き返した。
彼はわずかに目を細めた。
「お前と出かけたい」
からかいも冗談もない、真っ直ぐな声。
「買い物は口実だ」
低く落ちる声。
「俺はお前と二人で街を歩きたい」
一拍遅れて、熱が頬に集まる。
「……それは」
「嫌か?」
確かめる問い。
視線を逸らそうとして、できなかった。
「軽々しく口にしていい言葉ではありません」
「軽く言っているつもりはない」
即座に返ってくる。
「だから護衛はいらん」
少しだけ笑う。
「邪魔だ」
――俺達の間に、という意味だと分かってしまう。
胸の奥がわずかにほどけた。
拒む理由が、見つからない。
私は小さく息を吐いた。
「……変装は必須です」
「当然だ」
彼の口角が上がる。
「服はこちらで用意しよう」
迷いなく彼は告げる。
「……派手なのはやめてくださいね?」
「当たり前だ」
間髪入れないのが、妙に腹立たしい。
「街に溶け込めるものを選ぶ。色も抑えよう」
「本当に抑えてくださいね」
「信用がないな」
彼は喉の奥で笑っている。
「髪は侍女に頼もう。少し結い方を変えるだけで印象は違う」
「……布を買いに行くだけなんですよ?」
思わず言えば、彼は肩を竦めた。
「ああ。布を買いに行くだけだ」
そこで一拍。
「だが、道中で何が起きるかわからんだろ?」
「……」
呆れて、言葉が出ない。
「甘い匂いに釣られるかもしれん」
「釣られません」
「新しい武器も見たいな」
「セシル様」
淡々と。
そして彼とぴたりと、視線が合う。
少しだけ楽しそうに目を細めていた。
「備えは万全にしておくに越したことはない」
理屈は、通っている。
だからこそ、余計に腹立たしい。
「……分かりました」
――止めても、きっと聞かない。
それならば、こちらが折れた方が早い。
ため息混じりに告げると、彼は満足そうに頷いた。
「楽しみだな」
明らかに機嫌が良い声。
王子としての顔ではない。
策を巡らせる男の顔でもない。
ただ、出かける前の少年のような顔だった。
「……仕方ない方ですね」
胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
布を買いに行くだけだったのに。
彼が、こんな顔をするなら。
――悪くないかもしれないわね。




