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悪役令嬢の願い  作者: なむそ
《番外編:ルミナとユリウスの気持ち》

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<ユリウス視点>頼ってほしい。

62話と63話の頃の話

 



 その違和感に気づいたのは、ほんの些細なことだった。


 昼休み。

 中庭のベンチで、ルミナと向かい合って座っていた。


 いつもなら、彼女は授業の話や本の話を、楽しそうにしてくれる。

 時には、ネメシアのことを語りながら、少し誇らしげに笑う。


 けれど今日は――。


「……」


 ルミナは、膝の上で指先を組み、ぼんやりと噴水の水面を眺めていた。

 表情は穏やか。

 けれど、どこか上の空だった。


「ルミナ?」


 声をかけると、はっとしたようにこちらを見る。


「あ……ごめんなさい。ぼーっとしていました」


 すぐに、いつもの柔らかな笑み。

 けれど、その切替が、あまりにも早すぎた。


 ――隠した。

 そう感じた。


「何か、あった?」


 できるだけ自然に問いかけた。


「いいえ」


 彼女は即答した。


「何もありませんよ」


 その言い方が、逆に気にかかった。

 否定が、あまりにも迷いなく、整いすぎている。


「本当に?」


 念を押すと、彼女は一瞬だけ言葉を探すように視線を逸らした。

 それから、また穏やかに微笑んだ。


「はい。本当に、大丈夫です」


 その声音は、優しくて、落ち着いていて。

 だからこそ、違和感が残った。

 いつもなら、少し迷ったり、言葉に詰まったりする。


 けれど今の彼女は、"そう答える準備ができていた"ように見えた。


 胸の奥に、小さなざらつきが残る。


「……何か、無理してない?」


 慎重に、探るように。

 すると、ルミナはわずかに目を丸くした。


「無理……?」


 そして、ふっと笑う。


「大丈夫ですよ、ユリウス」


 柔らかく、いつもと変わらない声。


「心配してくれて、ありがとうございます」


 そう言って、軽く首を振った。


「でも、本当に何でもありませんから」


 ――それ以上、踏み込ませない。


 その距離の取り方に、胸が少しだけ痛んだ。

 彼女は、誰かに頼ることに、慣れていない。


 それどころか、頼らないことに慣れすぎている。

 その理由を、僕はまだ知らない。


 けれど。

「大丈夫」と言われるほど、安心できなくなるのは、どうしてだろう。


 視線を外した彼女の横顔は、いつもと同じはずなのに。


 どこか、遠く感じられた。


「……そう」


 それ以上、問い詰めることはしなかった。

 無理に踏み込めば、彼女はきっと、もっと上手に隠してしまう。

 だから今は、ただ、そばにいる。


 僕には、それしかできなかった。



 ―――――――――ネメシアと話した後。



 去っていく彼女の背中を、ただ見送るしかなかった。

 呼び止める声は、喉の奥で凍りついたまま、形にならない。


 石畳を打つ靴音が、規則正しく遠ざかっていく。

 夕暮れの回廊に、その音だけが、やけに大きく響いていた。


 爪が掌に食い込み、微かな痛みが走った。

 けれど、その程度では、胸の内の重さは、少しも和らがない。


『殿下が本当に、彼女を想うのなら』

『私を案じる前に。彼女の傍に、いてください』


 その言葉が、何度も胸の奥で反響する。


 正しい。

 だからこそ、逃げ場がなかった。


 僕は、ネメシアに向けていた視線を、知らず知らずのうちに"自分のため"に使っていたのだと、ようやく理解した。


 彼女の強さ。

 冷静さ。

 孤独を背負う覚悟。


 そのすべてに、心を奪われていた。


 ――けれど。

 その間に、僕は何をしていた?


 肝心の、守るべき存在の小さな異変に、気づきもしなかった。


 ルミナの笑顔が、いつから少しぎこちなくなったのか。

 声が、どこから弱くなったのか。

 足取りが、なぜ慎重になっていたのか。


 思い返せば、兆しはいくつもあったはずなのに。


 僕は、それを「大丈夫だろう」と見過ごし、

 代わりに、ネメシアの影を追いかけていた。


 ……最低だ。


 喉の奥が、ひりつく。

 ネメシアは、知っていたのだ。

 ルミナが、傷ついていることも。

 その原因も。


 そして――誰よりも先に、動いていた。

 だからこそ、彼女は言えたのだ。


『守る相手を、履き違えないでください』


 胸の奥に、鈍い痛みが広がる。

 僕が抱いてた感情は、恋だったのだろうか。


 ――違う。


 それは、憧れと、尊敬と、そしてほんの少しの嫉妬が混ざりあった、未熟な衝動だった。


 強い彼女の傍にいれば、自分の弱さも、無力さも、見なくて済む気がしていた。


 ルミナを守る責任から、無意識に、目を逸らしていた。

 だから、ネメシアの言葉は、刃のように正確に突き刺さった。


 彼女は、僕の幻想を容赦なく断ち切った。


 ――それでいいんだ。

 いや、そうでなければならない。


 ネメシアが背負っているものを、僕が奪う資格など、どこにもない。

 彼女は、自ら立ち、戦い、選び続ける存在だ。


 ならば、僕がすべきことは、ただ一つ。


 視線の先を、正しい場所へ戻すこと。


 ――ルミナ。

 君の傍に、立つこと。


 婚約者として。……いや、それ以上に。

 君の隣に立つ者として。


 そして、守ると誓った者として。


 胸の奥で、何かが静かにほどけていく。

 それは、甘い痛みを伴った未練で、同時に覚悟へと形を変えていく感情だった。


「……僕は、愚かだ」


 ネメシアへの想いは、もう、恋ではない。

 尊敬と、感謝と、そして――

 彼女の選択を、遠くからでも支えたいという、静かな祈り。


 きっと、これが正しい。


 夕暮れの回廊に、一人立ち尽くしながら、僕はゆっくりと深く息を吸った。

 そして、進むべき方向へと、足を向けた。



 夕暮れの中庭。

 噴水の水音が、静かに空気を満たしていた。


 ベンチに腰掛けたルミナの横に、そっと立つ。


「……ルミナ」


 名を呼ぶと、彼女は少し驚いたように顔を上げた。


「ユリウス……?」


 一瞬のためらい。

 それから、いつものように、穏やかな微笑み。

 その笑顔が、胸に痛みが響いた。


「……ごめん」


 思わず、そう零れていた。


「守れなくて、気づけなくて」


 彼女の目が、わずかに見開かれる。


「本当なら……一番近くにいる僕が、真っ先に気づくべきだった」


 視線を逸らし、奥歯を噛みしめる。


「それなのに……君を、不安なままにさせた」


 一拍。

 噴水の水音だけが、やけに大きく響いた。


「……ごめん」


 静かに、もう一度。

 ルミナは、しばらく何も言わなかった。

 それから、ゆっくりと首を振る。


「……違います」


 小さな、けれどはっきりした声。


「私のことは……いいんです」


 そう言って、彼女はそっと微笑んだ。

 その表情に僕は、胸が締めつけられた。


「それより――」

「……そんなに、僕が頼りない?」

「え?」


 告げた言葉は、無意識だった。

 けれど、口が止まらない。


「何かあったと聞いても、"大丈夫"って返されるたびに」

「……」

「本当は、大丈夫じゃないって、分かっているのに」


 小さく、息を吐く。


「それでも、踏み込めなくて。君が線を引いているなら、越えちゃいけない気がして」


 指先が、膝の上で強く握られる。


「……でもそれが、苦しかった」


 噴水の水音が、静かに流れる。


「君が、一人で全部抱え込んで、平気なふりをして」


 ルミナは静かに、聞いていた。


「その横にいながら、何もできない自分が……嫌だった」


 沈黙。

 次の瞬間、ルミナが、ぎゅっと唇を噛みしめた。


「……違う」


 震えを含んだ声。


「頼りない、なんて……思ったことない!」


 顔を上げた彼女の瞳が、揺れている。


「むしろ……っ」


 言葉が詰まり、喉を鳴らす。


「頼りすぎてしまいそうで……怖かったの」


 必死に、感情を抑えるように。


「ユリウスは、優しくて……全部、受け止めてくれるから」


 指先が、スカートの裾を掴む。


「甘えたら、きっと…‥止まらなくなるって……」


 一瞬、言葉に詰まり。


「それが……怖くて……」


 吐き出すように告げていた。


「……だから」


 息を吸い直し、必死に続ける。


「自分で、距離を取ってたの……」


 その声には、後悔と、戸惑いと、少しの自己嫌悪が混ざったものだった。


「……だから」


 ルミナは、小さく息を吸って、言った。


「ユリウスは……悪くない」


 視線を上げ、真っ直ぐに僕を見る。


「私が……勝手に、抱え込んでいただけ」

「……」

「だから、責めないで。自分のことを」


 それは、静かな声。

 必死に、そう伝えようとする響き。


 その言葉に僕は、胸の奥に潜んでいたものが溢れ出た。


「……それが、嫌なんだ」


 低く、少しだけ荒い声。


「どうして、そうやって全部、自分のせいにするの?」

「……ユリウス?」

「君が一人で背負って、我慢して、耐えて」


 一歩、距離を詰めた。


「それで僕に、"大丈夫"って笑う」


 拳が、ぎゅっと握る。


「そんなもの……納得できるわけないだろ」

「……っ」

「僕を、もっと頼ってよ」


 少し、怒り気味に。けれど、その奥に滲むのは、焦りと、不安だった。


「何のための、婚約者なの」


 言い切るように、告げる。


「いつも君は……一番大事なところで、僕を遠ざける」


 ルミナの喉が、ひくりと鳴る。


「……それ、結構……傷つく」


 最後の言葉だけ、少しだけ、弱かった。

 本音が、ぽろりと零れたように。


「……ユリウス……」

「僕は、君にとって……」


 ほんの一瞬、言葉に詰まり。


「――何の役にも立てない?」


 その問いは、責めるようでいて、必死な願いだった。


 ――違う。

 本当は、そんなことを言いたいんじゃない。

 責めたいわけでも、追い詰めたいわけでもない。


 ただ――

 君が一人で抱え込むたびに、僕の存在が、少しずつ遠ざかっていく気がして。


 それが、怖かった。

 だから――もう、遠ざけないでほしい。




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