表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の願い  作者: なむそ
《貴族学校》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/94

52.どうしたらいいのか、分からないわ。

 



 入学してから、半年が経った。

 季節は一つ巡り、学園の空気にも、少しだけ落ち着きが生まれている。

 授業の進度も、人間関係の距離感も――おおよその輪郭が、見えてくる頃だった。


 図書室は、相変わらず静かだ。


 高い天井。

 規則正しく並ぶ書架。

 紙とインクの匂いが、ゆるやかに漂っている。


 私とユリウス殿下は、窓際の長机を挟んで向かい合っていた。

 机の上には、開かれた占星術書と、書き込みの増えた星図。


「この配置だと……」


 ユリウス殿下が、紙の上を指でなぞる。


「火の星が強すぎる」

「ええ。感情が先行しやすい配置ですわ」


 私は頷きながら、余白に注釈を書き込む。


「争いの兆し、というより……」

「煽られやすい、か……」


 彼は苦笑した。


「以前の僕なら、きっと見落としていたと思う」


 そう言ってから、ふと視線を伏せる。


「……ネメシア」


 少しだけ、声色が変わった。


「最近、学園で……妙な話を耳にするんだ」


 私は、ペンを止めなかった。


「噂、ですか?」

「ええ」


 言葉を選ぶような間。


「貴女が……いろいろな方と親しい、と」


 私は、ようやく顔を上げた。


「随分、要約された表現ですわね」


 私は短く、笑った。


「……笑い事なの?」


 ユリウス殿下は、星図から視線を逸らさない。

 けれど、その指先が、わずかに紙を押さえる力を強めているのが分かった。


「噂というものは、大抵そういうものですもの」

「でも……」


 彼は言い淀み、それから静かに続けた。


「貴女が、誰とでも親しげに話している、と。

 それを……良く思わない人もいる」


 私は、ペンを置いた。


「殿下」


 視線を合わせる。


「事実ではありませんわ」


 即答だった。


「必要以上に親しくしている方はいません。殿下方以外とも、学業上の会話をしているだけです」


 ――大半は、噂を面白がって声をかけてくるだけ。

 けれど、それを伝えても彼は余計に怒るだけ。

 正義感が強いがゆえに。


「それだけで、"侍らせている"なんて思われるのは――」


 私は小さく息を吐く。


「想像力が、豊かなだけでしょうね」


 ユリウス殿下は、少し困ったように眉を寄せる。


「……まさか、殿下」


 私は、わずかに肩を竦めた。


「そんな噂を、本気で信じていらっしゃるのですか?」


 私は小さく笑って、殿下を見た。

 彼は、すぐには答えなかった。

 星図に落ちていた視線を、ゆっくりと上げる。


「信じていないよ」


 即答だった。


「噂が、どれだけいい加減なものかは分かっている」


 それから、ほんの一拍。


「ただ……」


 言葉を探すように、指先が紙の端をなぞる。


「貴女が、僕以外の誰かと――」


 視線が揺れる。


「……親しくしている可能性を、考えてしまっただけ」


 声音は低く、抑えられている。

 けれど、隠しきれない感情が滲んでいた。


「妬いている、というものではない……」


 言いかけて、彼は小さく息を吐いた。


「……いや。少し、妬いているのかもしれないね」


 私は、言葉を失った。


 冗談のつもりで投げた問いが、思いがけず深いところに触れてしまったようで。


「……」


 返す言葉が、見つからない。

 図書室の静けさが、いつもより重く感じられ――

 私は、自分の耳元が熱を帯びているのに気づいた。


 ――その時。


「ユリウス?」


 気負いのない声が、背後から落ちてきた。

 私とユリウス殿下は同時に顔を上げる。


 書架の向こうから現れたのは、背の高い青年。

 金の髪を無造作にまとめ、制服の着こなしもどこか軽い。

 紫色の瞳をしていて、どことなくユリウス殿下の面影を感じた。


「兄上……?」


 ――兄。

 その呼び方で、すぐに理解した。

 彼は、第一王子アレクシス。


「こんなところにいたのか」


 アレクシス殿下は笑いながら手を振る。


「教室に行ったら、ここにいると聞いてな」


 そう言って、机の上を覗き込む。


「占星術?」

「……ええ。少し、勉強を」

「へぇ。珍しい」


 興味半分、面白がり半分。

 けれど、探るような重さはなかった。


 視線が、自然に私へ向いた。


「彼女は、ルミナの姉です」


 私は、軽く姿勢を正した。


「初めまして、アレクシス殿下。

 ネメシア・ルーインハイトと申します」


 形式は守りつつ、深くなりすぎない礼。


「おお、丁寧だね」


 アレクシス殿下は、にこりと笑った。


「知ってるとおり、こいつの兄だ。堅苦しいのは苦手だから、気楽にしてくれ」


 その言い方に、場の空気が少し緩む。


「……ありがとうございます」


 彼は少し考える素振りを見せた。


「先ほど君たちの話を聞いたんだが……

 学園では、あまり良くない噂も立っているようだな」


 アレクシス殿下は肩をすくめ、一度私を見てから、あっさりと言う。


「噂は噂だろ。君はそんな風に見えないね」


 本当に、気にしていない様子だった。


「目立つ人がいれば、話は勝手に膨らむ。特に、俺たち王族が絡んでればなおさらだ」


 一拍置いて、柔らかく続ける。


「君が気に病む必要はないよ、ネメシア嬢。

 俺たちは事実を見るのが王族の仕事だからさ」


 軽い口調。けれど、言葉には芯があった。


「……ありがとうございます」


 私は、素直にそう答えた。

 アレクシス殿下は満足そうに笑い、


「じゃあ、邪魔したね」

 と、ひらりと手を振った。


「勉強、ほどほどに。

 特にユリウス、お前は熱が入ると周りが見えなくなるから」

「余計なお世話です」


 そう言い返すユリウス殿下を見て、アレクシス殿下は楽しそうに笑いながら去って行った。


 しばらくの沈黙の後、ユリウス殿下が小さく息を吐いた。


「……兄上は、ああいう人なんだ」


 どこか、照れの混じった声。


「剣も、判断も、いつも一番早い。

 周囲の空気も、必要な距離も……全部、自然に掴んでしまう」


 指先が、紙の縁をなぞる。


「僕には、真似できない」


 その言葉は、卑下ではなく。

 静かな真実として落とされていた。


「……尊敬しているんだ」


 私は、彼の横顔を見た。

 飾らず、誇らず。

 それでも、確かな敬意がそこには滲んでいる。


 私は、少しだけ視線を落としてから、静かに口を開いた。


「ええ。確かにアレクシス殿下は、ひと目見ただけでもすごい方だと思いましたわ」


 言葉を選びながら続ける。


「私を見てすぐに判断したあの瞳……

 あの即断即決の速さは、ユリウス殿下とは少し違うものです」


 そこで、一拍。


「ですが」


 私は、ユリウス殿下へ視線を戻した。


「殿下は、そうである必要はありません」


 声は、柔らかいまま続く。


「殿下は立ち止まって、考える方です。

 周囲の声を聞き、流れを読み、選択の意味を確かめてから進む」


 星図の上に、そっと指先を置く。


「それは、弱さではないと……私は思います」


 ユリウス殿下は、驚いたように目を瞬かせた。


「アレクシス殿下に良いところがあるように、

 殿下にも…殿下にしかない良いところがあります」


 わずかに微笑む。


「ですから……比べる必要は、ありません」


 静かに、けれど確かに。


「殿下は…殿下にしかなれない方ですもの」


 図書室の静けさの中で、その言葉は余韻を残して落ちた。


 ユリウス殿下は、すぐには何も言わなかった。

 けれど――星図を押さえていた指先の力が、ほんの少しだけ、緩んだ。


「……随分と、買いかぶってくれるね」


 口調は軽い。

 けれど、どこか落ち着かない。


「君からそんな言葉が聞けるなんて、光栄だね」


 少しからかうような言葉。

 けれど、私を見る視線は、先ほどまでよりも柔らかかった。


「……まあ、酷いですわね。事実を述べただけですのに」


 そう返すと、彼は小さく笑った。


「ありがとう、ネメシア」


 視線は合わない。

 それでも、言葉は逃げなかった。


「……君にそう言われるなら、少しは自分を信じてもいい気がする」


 私は、何も答えなかった。

 ただ、星図に視線を戻す。


 図書室の静けさが、先ほどよりも穏やかに感じられた。


 ――彼が、ほんの少し前を向いたことを、星図はきっと記録しない。

 けれど私は、それで十分だと思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ