47.彼が、もう一人の王子。
数日後。
放課後の回廊で、私は足を止められた。
「ネメシア様」
甘く、よく通る声。
――社交の場で鍛えられた、否応なく人の足を止める声音。
振り向かなくても、誰だか分かる。
「……セレフィーナ様」
彼女は、以前と変わらぬ微笑みを浮かべていた。
気づけば、貴族派の中心に名が挙がる令嬢。
「今度、ささやかなお茶会を開こうと思っておりますの」
「あら、いいですわね」
私がそう告げると、彼女は扇子で口元を隠す。
「ええ。今度は、もう少し……身内だけで」
その言葉に、私は内心で眉をひそめた。
――身内。
つまり、派閥。
「貴女にも、ぜひ来ていただきたくて」
「そのようなお席に、私を?」
微笑みが、わずかに深くなる。
「最近、貴女のことが話題でしょう?」
「……」
私は、その問いに答えなかった。
「冷酷だとか、王子殿下に取り入っているだとか」
彼女は、まるで他人事のようにそう言った。
「随分と、ご親切ですね」
私の皮肉を、彼女はさらりと受け流した。
「誤解は、早いうちに解いた方がよろしいですもの。
それとも――」
一拍、間が空く。
「誤解されたままでいる方が、お好き?」
その問いに、私はようやく彼女を見る。
――目が、違った。
以前は、探るような目だった。
けれど今は――確信がある。
……背後に、誰かいる。
答えは、一つしかない。
「……そのお茶会」
私は、静かに告げた。
「主催は、本当にセレフィーナ様ですの?」
空気が、わずかに張りつめる。
彼女は、一瞬だけ言葉を失い――
それから、ゆっくりと微笑んだ。
「さあ。どうでしょう。……ただ」
扇子越しの視線が、鋭くなる。
「"興味を持たれた"のは、確かですわ」
――ああ。
私は、内心で短く息を吐いた。
姿は見せない。声も出さない。
けれど、確実にこちらへ手を伸ばしてくる。
直接触れないあたり……随分と、性格が悪い。
「参加なさいます?」
セレフィーナ様の声は、柔らかい。
断れば、噂は加速する。
出れば――盤面に上がる。
私は、少しだけ考えた。
「……ええ。伺いますわ」
微笑み返す。
「せっかくのお誘いですもの」
セレフィーナ様の目が、満足そうに細められた。
その瞬間、遠くで誰かに見られている気がした。
青い視線。
玩具を見るような、あの目。
……お望み通り、そちらへ上がってあげる。
ただし――
遊ばれるつもりは、ありませんけれど。
―――――――――
学園内庭園の一角。
白いテーブルクロスが、午後の光を柔らかく反射していた。
ここは、学園が"交流の場"として用意した場所。
表向きは、ただのお茶会。
私は、そこで足を止める。
先に来ていた令嬢たちが、こちらを見た。驚きはない。
視線は一斉に、けれど慎重に向けられ――すぐに微笑みに変わった。
……やはり。
以前、セレフィーナ様の主催のお茶会で見た顔。
あの時、扇子の陰から私を値踏みしていた取り巻きたち。
誰も名乗らない。挨拶も、紹介もない。
――必要ない、ということ。
私はもう"外部"ではない。
この場に呼ばれた時点で、彼女たちの中ではすでに確定している。
椅子の位置。中央ではないが、端でもない。
視線が集まりすぎず、逃げることもできない場所。
よく計算されている。
ここで黙って座るだけで、私は"貴族派の一員として席についた"ことになる。
軽やかな足音。
「お待たせいたしました」
セレフィーナ様が現れた瞬間、場の空気が、音もなく整った。
令嬢たちは一斉に立ち上がる。
その動きに、迷いはない。
私は、最後に一礼した。
紅茶は、まだ注がれていない。
けれどすでに、このお茶会は始まっていた。
最初の軽い挨拶が終わり、私は周囲と当たり障りのない会話を交わしていた。
「本日は、皆さまに少しご報告がありまして」
セレフィーナ様が、穏やかに微笑む。
その声は柔らかく、けれどよく通った。
取り巻きの令嬢たちは、すでに察している。
驚く準備すら整えられている顔だ。
「このたび――」
一拍。
扇子が、静かに閉じられる。
「第二王子、セシル殿下とご縁が正式に結ばれることになりましたの」
空気が、ふわりと華やぐ。
「まあ……!」
「おめでとうございます、セレフィーナ様」
「さすがですわ!」
祝福の言葉が、重なる。
誰一人として、疑問を挟まない。
私は、カップを持ったまま、動かない。
視線が、来る。直接ではない。
祝福の波の中で、私の反応だけを測る視線。
……なるほど。
ここで黙っていれば、了承。
祝えば、完全な同意。
否定すれば――敵。
「ネメシア様」
呼ばれたのは、予想よりも早かった。
けれど、想定外ではない。
セレフィーナ様は、柔らかな笑みのまま、私を見る。
「お祝いのお言葉を、いただけます?」
逃げ場は、ない。
私は、ゆっくりとカップを置いた。音は立てない。
それだけで、周囲が静まった。
「……失礼しました。少し驚いてしまって」
声は、穏やかに。
感情は、伏せたまま。
「ご婚約、おめでとうございます。
学園にとっても、喜ばしいことですわね」
"王家"ではなく、"学園"。
その言葉を選んだ瞬間、何人かの令嬢が、わずかに目を細めた。
セレフィーナ様は、一瞬だけ瞬きをして――すぐに、満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
その微笑みは、祝福を受け取ったものの顔ではない。
――線を引いた者を見る、あの顔だ。
「これからはより一層、"身内同士"支え合っていければと思いますの」
"身内"、ね。
その言葉が、紅茶よりも苦く落ちる。
私は、微笑み返した。
ええ、と。否定も、肯定もせずに。
この瞬間、私は正式に――"貴族派として認識された"。
祝福の席で。
拒否権のない形で。
紅茶は、香り高い。
けれどその底には――確かに、毒が沈んでいた。
その後、お茶会は何事もなかったかのように終わった。
最後まで、誰一人として声を荒げない。
最後まで、誰一人として本音を零さない。
――だからこそ、ひどく疲れる。
私は庭園を後にし、学園の回廊を一人で歩いていた。
窓から差し込む夕方の光が、床に長い影を落とす。
……やっぱり、面倒なことになったわね。
貴族派として"席"に座らされた。
拒否権は、もうない。
まあ、ここまで来たら信頼されている。……と思っていいのでしょうけど。
私の計画に必要だからこそ。
今はこのままでいい。
そんなことを考えていた、その時。
「随分、楽しそうな茶会だったじゃねぇか」
背後から、気だるい声。
――来たわね。
足を止める前に、分かってしまった。
振り返らなくても、誰だか分かる。
「……盗み聞きは、王族の嗜みですの?」
そう返して、ゆっくり振り向く。
そこにいたのは――
青い髪。
空色の瞳。
廊下の壁に寄りかかり、腕を組んだままの男。
第二王子、セシル殿下。
「盗み聞き?」
彼は鼻で笑う。
「聞こえるようにやってただろ。わざわざ、あんな場所で」
視線が、私の上から下へなぞる。
衣装でも、表情でもない。
――"中身"を測る、目。
「でしたら……いかがでした?」
私は、歩みを止めたまま答える。
「殿下のご期待に沿う"見世物"には、なりましたか?」
「はっ」
殿下は、短く楽しげに笑った。
「期待以上だ」
一歩、距離が縮まる。
「貴族派だと"誤解される席"に座って、否定もせず、迎合もしねぇ」
空色の瞳が、細くなる。
「……普通なら、どっちかに転ぶ」
私は、静かに言葉を返す。
「それは、殿下が"普通の貴族"しか、ご覧になってこなかったからでは?
私は――最初から、盤面に立つつもりで座りましたの」
一瞬。
空気が、きしむ。
次の瞬間、彼は――笑った。
「いいねぇ。その言い方」
愉快そうに、肩を揺らす。
「やっぱり、あいつが庇うわけだ」
その一言で、空気が冷えた。
「……」
私は、目を細める。
「今日の茶会」
彼は続ける。
「セレフィーナ令嬢の"お披露目"だ」
婚約者候補から、事実上の婚約者へ。
――無言の、宣言だ。
「そこにお前を呼ばせたのは――」
一拍。
「俺だ」
隠しもしない。
「あいつの"弱み"になりそうな女が、どんな顔で座るか。
見たかった」
空色の瞳が、獲物を捉える。
「泣くか。怯えるか。媚びるか」
一拍置いた。
「まぁ……結果は、どれでもなかったがな」
私は、静かに息を吐いた。
「それで?殿下の結論は?」
彼は、私のすぐ前まで来る。
「結論?」
低く、愉しげな声。
「さぁな。
駒にしても壊してもいいが……それじゃ、これからの楽しみが減るだろ?」
視線が絡みつく。
「あいつが、どこまでお前を気にするかも含めて様子見させてもらう」
私は、微笑んだ。
「それは、忠告ですか?」
セシル殿下は、ゆっくりと身を引く。
「好きに取ればいい」
最後に、意味ありげに言った。
「ただし、逃げるなよ。ネメシア。
こちら側に来たのは――お前の方からだ」
彼は、もう興味を失ったかのように踵を返す。
「せいぜい俺を楽しませてくれよ」
廊下に、足音が遠ざかっていく。
私は、その背中を見送らず、前を向いた。
――なるほど。
弱みとして扱われるなら。
使われる前に、使うまで。
「……厄介な王子ですわね」
そう呟いて、再び歩き出した。
この学園で、
最初に"牙をむけてきた相手"として。




