46.ここが貴族学校ね。
貴族学校の正門は、思っていたよりも抑制された静けさに包まれていた。
豪奢な装飾も、歓迎の音楽もある。
けれど、そのすべてが――選別のために用意された舞台のように見える。
集まった生徒たちは、互いの家名を探るように視線を交わし、誰より前に立つか、誰の隣に並ぶかを無言で測っていた。
私は、その輪の外に立つ。
公爵家の名は、ここでは盾にも標的にもなる。
だからこそ、最初から近づかない。
式典が終わると、生徒たちは一斉に動き出した。
挨拶、視線、立ち位置。
それらすべてが、値踏みの延長だ。
私は、人の流れから一歩外れる。
けれど――完全には外れられない。
「あの方、公爵家の……」
「ネメシア様、ですって」
「噂では、かなり冷淡だとか」
名前が、空気に混じる。
振り返る者はいない。
けれど、声だけが確かにこちらを向いている。
「義妹が、王族の婚約者でしょ?」
「仲が悪いって、本当なのかしら」
私は、足を止めなかった。
事実かどうかは、関係ない。
"そうであってほしい話"ほど、早く広まる。
「やっぱり……」
「平民上がりを、よく思っていないとか」
――なるほど。
私は、心の中でそう結論づけた。ここでは、沈黙すら材料になる。
だからこそ、好かれる必要はない。
噂される側に、立てばいい。
私は、密かな言葉たちを背に、教室へと向かった。
扉を開けた瞬間、教室のざわめきがわずかに沈んだ。
視線が、集まる感触。
私は、気にせず一歩を踏み出す。
奥の席。
窓際に並ぶ二人の姿が、否応なく目に入った。
――金と青。
片方は、光を集めるような金髪だった。
王家のみに現れる色。
淡い紫の瞳が、こちらを正確に捉える。
……ユリウス殿下。
視線が合った瞬間、彼はほんの僅かに表情を和らげた。
それだけで、周囲の空気が緩むのが分かる。
そして、もう一人。
――名だけを知っていた相手を、初めて見る。
深い青の髪。
澄んだ空色の瞳は、窓の外に向けられたまま。
同じ顔立ち。
……第二王子、セシル殿下。
私は、その二人から視線を外し、空いている席へ向かう。
近すぎず、遠すぎない場所。
どちらの背中も、見える位置。
椅子に腰を下ろし、姿勢を正す。
背筋を伸ばすだけで、視線が一段と慎重になる。
目立つ必要はない。
けれど、侮られるわけにもいかない。
前方では、ユリウス殿下が小さく息を吐き、何事もなかったかのように前を向いている。
その横で、セシル殿下は――まだ、こちらを見ない。
窓の外。
春の光が、青い髪を淡く縁取っていた。
同じ顔立ち。
同じ血を引く双子。
けれど、背負っているものの重さは、違う。
それを、私は直感していた。
「……」
私は視線を落とし、教科書を机に並べる。
紙の音が、やけに大きく響いた。
その瞬間――
「――静粛に」
教室の前方で、教師の声が落ちる。
一斉に、空気が切り替わる。
ざわめきは消え、視線は前へ。
けれど、完全に消えたわけではない。
私に向けられた関心は、ただ形を変えて伏せられただけ。
――これが、貴族学校。
そしてここが、私が三年間の舞台に立つ場所。
私は、静かに息を整えた。
鐘が鳴り終わるより早く、教室はざわめきに満ちた。
「……あの人、ルーインハイト家の」
「ネメシア様、よね」
名前が、音を立てて広がっていく。
「噂通り……冷たい雰囲気」
「義妹がいるのに、まったく関わらないって」
「血が繋がってないから、って話よね」
私は、ノートを整えながら、それらを聞き流した。
否定も、肯定も、する価値がない。
「可哀想よね、ルミナ様」
「優しいって聞くのに……」
「姉の方は、あんなに冷たそうで」
――優しい。
その言葉が、妙に軽く聞こえた。
椅子を引く音が、近づく。
「本当に……」
「それに、王子殿下と親しいって話もあるし」
「義妹を見下してるんじゃない?」
「……最初から、邪魔に思ってたんじゃない?」
視線が、刺さる。
好奇心と、非難と、安心。
"自分じゃなくてよかった"という顔。
私は、顔を上げない。
ただ、ペン先を指で止める。
冷たい?
ええ、そうでしょうね。
守るために距離を取ることを、彼らは"冷酷"と呼ぶ。
「でも……」
「目、怖くない?」
「感情、なさそう」
小さく、息を吐いた。
感情がないわけじゃない。
ただ、見せないだけ。
見せたら守るべきものが、標的になる。
「……それ、誰が言ってた?」
ユリウス殿下が立ち上がった瞬間、教室の空気が張りつめる。
「義妹を見下している、でしたか?」
淡い紫の瞳が、鋭くなる。
――その前に。
「おやめください、ユリウス殿下」
私の声は、驚くほど静かだった。
教室の視線は、一斉にこちらへ向く。
「……ネメシア?」
彼が振り返る。
私は、席に座ったまま顔を上げ、微笑んだ。
「それ以上、庇われる理由はありませんわ」
冷たい声。
否定も、感謝もない。
「噂話に王子が口を出すなど……下品です」
誰かが、息を呑む。
「それとも」
一拍、間を置く。
「私が"守られるべき存在"だと殿下はお考えですか?」
空気が、凍る。
私は視線を外し、淡々と続ける。
「義妹と距離を取っているのは事実ですし、冷たいと言われる理由もあります」
事実だけを並べる。
だから、否定できない。
「それをどう受け取るかは、皆様の自由でしょう」
最後に、ようやくユリウス殿下を見る。
「……王子殿下が、私の評価を操作なさる必要はありません」
その言葉は、庇いを拒否する刃だった。
するとユリウス殿下は、一瞬考えをする素振りを見せ、微笑んだ。
「……そうだったね。失礼した」
そして、彼はゆっくりと椅子に座り直す。
私は、彼の言動に少し胸が詰まったが、ノートへ視線を戻した。
ここで彼が、私を庇うような事をしたら、貴族派から情報を得られなくなる。
それに、彼は光のままでいい。
椅子が引かれ、ざわめきが再び広がる。
けれど――窓際だけは、違った。
セシル殿下は、いつの間にかこちらを向いていた。
青い髪に、気怠げな姿勢。
頬杖をついたまま、空色の瞳が私を捉えている。
視線が、絡みつく。
――値踏みだ。
慈しみも、警戒もない。
あるのは、ただの興味。
面白いものを見つけた時の、無邪気さを装った目に近い。
……ああ。
私は、内心で理解した。
――目をつけられた。
ユリウス殿下が庇おうとした。
それを、私が切り捨てた。
その一連の流れが――
彼の目には、格好の玩具に映ったのだ。
セシル殿下は、唇の端をほんのわずかに持ち上げる。
笑った、と呼ぶには浅い。
けれど、その表情は明確だった。
――気に入った。
そう言っているように感じた。
……厄介そうね。
彼を知っているわけじゃない。
けれど、本能的にそう感じてしまった。
彼は、ユリウス殿下と違う王子だ。
私の発言でどう転ぶのか――まだ、読めない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この瞬間から、彼は私を見逃さなくなった。




