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悪役令嬢の願い  作者: なむそ
《公爵令嬢〜お茶会》

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48/95

45.良き未来へ歩めるように。

 



 書斎の窓は開いていて、紙の匂いに庭の風が混じっていた。

 机に向かったまま、私は書類に目を通す。

 署名を入れ、重ね、次へ――その繰り返し。


「相変わらず、書類の山だね」


 後ろから、遠慮のない声。


「ルミナなら自室にいますよ」


 そう返しても、足音は止まらない。

 ユリウス殿下は書斎に入ってきた。


「ええ。知っているよ。それにしても――」


 私はユリウス殿下へと視線を送る。


「公爵令嬢の書斎って、もっと優雅なものだと思ってた。紅茶とか、花とか」

「それは客間です」

「そうだね」


 ユリウス殿下は軽く微笑みを浮かべる。

 私はまたペンを走らせた。


「今日は何の用ですか?冷やかしならお帰りください」

「ふふ……。半分は冷やかし、半分はちゃんとした話」


 そういう言い方をする時点で、この人は厄介だ。

 顔を上げると、ユリウス殿下は本棚の前に立ち、背表紙を眺めている。


「勝手に触らないでください」

「触ってないよ。ただ、眺めているだけ。……ここは占星術に関する本が多いね」

「勉強してるだけです」


 淡々と答える。


「勉強にしては、偏ってると思うけど」


 図星だったので、私は答えなかった。

 ペン先だけが、紙の上を進む。

 すると、彼は一瞬言葉を探すように黙り、少しだけ真面目な声になった。


「地下牢で、妙な人に会ったんだ」


 私はペンを止めた。


「妙、とは?」


 私の問いに、ユリウス殿下は近づきながら言う。


「占星術に……取り憑かれてる、って言えばいいのかな。本人は、そう言っていた」


 言葉の割に、彼の顔は冗談ではない。


「その人が、これを」


 ユリウス殿下は、懐から小さな包みを取り出した。

 机の上には置かない。

 持ったまま、少し迷ってから言う。


「"エレノアに渡してほしい"って」


 名前が出た瞬間、私の胸の奥が波を打った。


 ――お母様…?


「そういえば、ルーインハイト家の前公爵夫人の名前だと、聞いたことがあったから……」


 ユリウス殿下は包みを解いていく。


「そこで、ルミナにお聞きしたところ、貴女のお母様ということで持ってきた」


 包みから現れたのは、一枚の"紙"。


「意味は、分からない。でも、放って置くのも嫌だたから……」


 私は、ユリウス殿下の手元にあるその紙へ、そっと指を伸ばした。

 触れる前から、胸の奥に嫌な予感が走る。


 紙は、古いものではない。

 けれど、文字の配置が――どこか、歪んでいる。


 円。線。星を示す記号。

 ……占星術。


 私は、思わず息を止めた。


 似ている。


 頭の奥で、別の紙が重なる。


 デビュタントの夜。

 お母様からの形見である箱から出てきた――

 最後まで書き切られていなかった、あの占星図。


 完成していない円。

 途中で途切れた線。

 意味を持たないはずの配置。


「……」


 私は、紙から目を離せなくなっていた。


『必要なものは、すでに別の場所にあります。あなたの手ではなく、他の誰かが持っています』


 ふと、お母様からの手紙を思い出す。


 ――これが、必要なもの。

 だとしたら……これは、続き。


 喉の奥が、ひりつく。


「……殿下」


 自分でも驚くほど、声が低くなった。


「その方は……他に、何か言っていましたか?」


 ユリウス殿下は、少し考えてから首を振る。


「いえ。ただ――」


 一瞬、言葉を選ぶ。


「"まだ、終わっていない"と」


 胸の奥で、何かが音を立てて噛み合った。

 私は、紙をそっと机に置いた。


「……そう」


 それだけ答えて、視線を落とす。

 これは、偶然じゃない。


 完成させる"時"が、動き出した。


 ユリウス殿下は、しばらく黙っていた。

 それから、思い出すように言葉を選ぶ。


「……あと地下牢の人が、もう一つだけ言っていた」


 私は顔を上げる。


「"双子の災いは、人が呼ぶ"と」


 その瞬間、胸の奥で嫌な音がした。


「……それから?」

「"王家に生まれた双子は、必ず争う。争わなければ、国が傾く"とも」


 私は、ゆっくりと息を吐いた。


「それは……王家に古くから伝わる話ですわね」

「伝承?」

「ええ。正式な記録ではありません。表に出せば、"縁起が悪い"とされる類のもの」


 私は椅子にもたれ、視線を遠くに向けた。


「王家の双子は、片方が"光"になり、もう片方が"影"になると――そう語られてます。

 争いの末に立った者が王となり、負けた方は……歴史から消える」

「……消える、とは」

「記録に残らない、という意味です。

 死、幽閉、追放……形は様々ですけれど」


 私は、ユリウス殿下から一度視線を外した。


「これは私なりに調べて考えた結果ですが……」


 私は、言葉を選ぶように一拍置いた。


「重要なのは、"争いそのもの"ではありません」

「それはどういうこと?」


 ユリウス殿下は、真剣な顔でこちらを見ている。


「人が、争わせようとすることです」


 指先で、机の上の紙を軽くなぞる。


「周囲が煽り、比べ、優劣を決め、追い詰める。

 だから"双子の災い"が起きてしまうのではないかと」

「……地下牢の人が言っていた言葉と、同じだ」


 彼の声は落ち着いていたが、指先がわずかに震えていた。


「"災いは、人が呼ぶ"――ですね」


 私は小さく頷いた。


「そんな話を僕は知らなかった……」


 ユリウス殿下は俯いた顔で告げた。


「仕方ないと思います。王位に付く前の方に、争いを前提とした話は――かえって、歪みを生む可能性があります」


 一拍置く。


「星は、未来を決めません。ただ、傾きを示すだけ。

 だから……」


 言葉を選び、視線を紙へ落とす。


「この占星図が、その"傾き"を正す手がかりを示している可能性はあります」


 彼は、言葉を失ったように息を呑んだ。


「……解除できる可能性が、あると」

「断言はできません。これも、あくまで憶測の話ですから」


 沈黙が落ちる。

 紙の上の星図から視線を離さないまま、ユリウス殿下がぽつりと言った。


「完全に否定は、できない……そういうことだよね」

「ええ」


 私は彼を見た。

 真剣な瞳をしている。


「……最近、セシルの様子がおかしいと思っていたんだ」


 私は、ただ黙って耳を傾ける。


「昔のセシルは、僕が転んだら、手を差し伸べてくれて。

 剣の稽古でも、負けると悔しそうに眉を寄せて……でも最後は、必ず笑っていた」


 自嘲するような、小さな息。


「双子であるから、ある程度はお互いの気持がわかるんだ。けど――」


 一拍。

 言葉が途切れ、空気が、ひとつ重くなる。


「いつからか、セシルの気持ちが分からなくなった。

 たぶん……取り巻く環境が変わった頃からだと思う」


 彼は、決意するようにこちらを見る。


「この占星術、僕にも学ばせてほしい」


 その言葉には、覚悟が滲んでいた。


「もし、昔みたいに……

 セシルと、笑い合える日が来る可能性があるなら」


 そう言って、彼は一度視線を落とし――

 静かに、続けた。


「何もしないまま後悔はしたくない」


 私は、しばらく彼を見つめた。

 少しだけ間を置いて、私は告げた。


「占星術は、都合の良い答えをくれません。

 望まない未来を、映し出すこともある」


 それでも、と彼は言った。


「僕は、知りたい」


 彼の声は、わずかに揺れた。

 それでも、視線は逸れなかった。


 私は、紙の上の星図に視線を戻す。


「わかりました」


 ゆっくりと、言葉を落とす。


「元々、私もお母様が残していた占星図を解読してたところです」


 ユリウス殿下は、安堵したように息を吐いた。


「ありがとうございます、ネメシア」


 その呼び方に、私は何も言わなかった。

 ただ、星図の隣に、もう一つの席を思い描いただけだ。

 ――それが、何を意味するのかは考えずに。



 ユリウス殿下が書斎を去ったあと、私は一人で机の上の星図を見つめていた。


 未完成の円。

 重ならない線。


 それは、まだ"選ばれていない未来"の形だった。


 貴族学校――

 王族も、敵も味方も集まる場所。

 きっとあの場所なら、答えを見つけられる。


 私は、そっと紙を畳む。


「……始まりますわね」


 誰に向けた言葉でもなく。

 ただ、これから踏み込む"盤面"へ向けて。

 窓の外では、庭の木々が静かに揺れていた。


 ――この国の風向きが、変わり始めている証のように。



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