44.夜の街は綺麗ね。
話題は、いくつか移ろった。
殿下の政務、最近の宮中行事、流行の装飾品。
どれも当たり障りのないものばかり。
けれど、言葉の端々に混じるのは、同じ価値観を共有しているかの確認だった。
私は、それに過不足なく応じた。
深く踏み込まず、否定もせず。
ただ、"分かっている側"の距離で。
やがて、扉の方から控えめな足音が聞こえる。
ルミナと、クロエ様が戻ってきたのだ。
庭園で言葉を交わしたのだろう。
二人の表情には、来た時よりも打ち解けた色が浮かんでいる。
セレフィーナ様は、その様子を一瞥し、すぐに微笑みを整えた。
「まあ……お散歩はいかがでした?」
声は穏やかで、先ほどまでの緊張は一切感じさせない。
「ええ。とても、気持ちがよかったです」
ルミナは、そう答えて一礼した。
余計なことは言わない。何もなかったかのように。
……賢いわね。
私は、内心でそう評価する。
その後、セレフィーナ様は軽く手を打った。
「それでは、そろそろお開きにいたしましょうか。
本日は、皆様お忙しい中、ありがとうございました」
令嬢たちが一斉に立ち上がる。
椅子の音、ドレスの裾、社交用の笑顔。
――すべてが、予定通りね。
見送りの流れの中で、セレフィーナ様が、ふと私の側へ歩み寄った。
「ネメシア様」
周囲には、誰もいない。
ちょうど、一瞬だけ生まれた隙間。
「今日は……本当に助かりましたわ」
声は低く、確信を帯びている。
「場を読める方がいてくださると、安心いたします。
やはり、公爵家を預かる方は違いますわね」
―――完全に、こちら側の言い方ね。
私は、軽く微笑んだ。
「恐れ入りますわ。セレフィーナ様の心配あってこそです」
そう返すと、セレフィーナ様は満足そうに頷いた。
「また、ぜひご一緒したいですわ。……今後とも、よろしくお願いいたします」
その"今後"が何を指すのか、分からないふりをしたまま。
私は、静かに一礼した。
「こちらこそ」
馬車へ向かう途中、ルミナがちらりとこちらを見る。
何も言わずに、私たちは馬車へと乗り込んだ。
今日、私は"敵側"に立った。
けれど、それは裏切りではない。
守るために、踏み込んだ場所だ。
私は、視線を前に戻す。
セレフィーナ様は、もう疑っていない。
私は、完全に――味方だと思っている。
次に何が起きるか。
誰が、どこまで動くのか。
―――全部、見届けてあげるわ。
――――――
馬車が動き出す。
車輪の音だけが、一定の間隔で続いた。
向かいに座るルミナは、外を見ている。
沈黙。
私は、あえて何も言わなかった。
今日一日の役目は、もう終わっている。
……先に口を開いたのは、ルミナだった。
「――お姉様、ありがとう」
声音は低く、控えめ。感情を押し付けない言い方。
私は、窓の外から視線を外さないまま答える。
「何のことかしら」
素っ気なく。
本当に、思い当たらないふりをする。
「……ただ、お礼を言いたかっただけ」
私は、ようやく彼女を見る。
ルミナは、小さく笑っていた。
「……そう。なら、それでいいわ」
それ以上、続けなかった。
沈黙が、戻る。
けれど今度は、行きの時間より少しだけ柔らかかった。
馬車は、静かに夜へ向かって進んでいく。
―――――――――
馬車の揺れは、思ったよりも静かだった。
規則正しい車輪の音が、胸の奥に溜まった緊張を少しずつ削っていく。
向かいに座るお姉様は、窓の外を見たまま、こちらを見ない。
今日一日、何度も見た横顔。
冷たくて、遠くて、それでも――変わらない人。
……やっぱり、言わないつもりだった。
感謝の言葉なんて口にすれば、お姉様はきっと困ったように距離を取る。
それが、分かっていた。
けれど、沈黙が続くほど、胸の奥が少しだけ苦しくなった。
「――お姉様、ありがとう」
声は、自分でも驚くほど静かだった。
説明も、理由も込めない言い方。
返ってきたのは、予想通りの言葉。
「何のことかしら」
外を見たまま。
視線は、最後までこちらに来なかった。
……そういうところ。
私は、思わず小さく笑ってしまった。
「……ただ、お礼を言いたかっただけ」
それ以上、求めるつもりはなかった。
分かってほしいわけでも、認めてほしいわけでもない。
ただ――
今日、私を守るために立ったその背中を、ちゃんと見ていたことを伝えたかった。
お姉様が、ようやくこちらを見る。
少しだけ、困ったように肩をすくめていた。
一瞬だけ、目が合う。
「……そう。なら、それでいいわ」
そこで、終わり。
優しい言葉も、慰めも、ない。
けれど――拒絶でもなかった。
沈黙が戻る。
でも、行きの馬車とは違う。
空気が少しだけ、柔らかい。
お姉様は、再び外へ視線を戻した。
耳元で光る紅い飾りが視界に入り、私も外を見る。
夜の街灯が、静かに流れていく。
……まだ、距離はある。
それでも……同じ馬車に、同じ方向へ向かっている。
それだけで、今日は十分だと思えた。




