43.彼女を悪く言われるのは、あまり好まないわ。
―――貴族派の考えね。
聞いたことがある。
第二王子、セシル殿下は平民を嫌っていることを。
血と家名を重んじ、身分の混じることを何よりも忌む。
だからこそ、
彼を支持する者たちは、同じ価値観を疑いもしない。
生まれ。
血筋。
育った場所。
それだけで、人の価値が測れると信じている思想。
……分かりやすいわ。
ルミナが何を成したかではない。
何を救ったかでもない。
ただ、どこから来たか。
それだけで、忌み嫌われる。
ルミナは、クロエに向かって小さく首を振った。
「大丈夫よ。気にしていないから」
それは本心だ。
彼女は、本当に気にしていない。
何年も同じ屋敷で過ごしてきた。
その声の調子も、目の色も、私はよく知っている。
私は、カップを持ち上げ、静かに一口含んだ。
まだ、動く必要はない。
けれど、この空気。
ルミナを罵るだけなら、私を同席させる必要はない。
―――何を、企んでいるのかしら。
私はふと、セレフィーナ様へ視線を向けた。
その動きに気づいたのか、彼女はにこりと微笑む。
そこに、敵意は見えない。
「……それにしても」
柔らかな声で、セレフィーナ様は続けた。
「ネメシア様は、本当にご立派ですわね」
一瞬、場の空気が落ちる。
「公爵家を支え、屋敷をまとめ上げて、
厳しい決断もきちんとなさっていると伺っていますわ」
――褒め言葉のようね。
非の打ちどころのない、社交辞令。
けれど。
その視線は、探るものではなかった。
試すことでも警戒でもない。
最初から、そうだと決めている目だった。
私は、わずかに唇を緩めた。
肯定とも否定とも取れない、曖昧な微笑み。
「……過分なお言葉ですわ」
静かに、そう返す。
「私がしているのは、家を預かる者として当然のことですわ。
特別なことではありません」
謙遜としては、完璧。
同時に――否定もしない。
セレフィーナ様の目が、わずかに細まる。
私は、あえてルミナを見なかった。
彼女を庇う言葉も、距離を取る言葉も、口にしない。
……やはり、そういうことね。
私は紅茶の水面を見つめたまま、静かに結論を下す。
この場に集められたのは、ただの冷やかしじゃない。
―――彼女たちは、私を"味方"だと思っているのね。
平民を王族の隣に立たせることを、快く思わない人たち。
そして、私がルミナに対して冷たい、という噂。
なら……利用させてもらうわ。
敵になる可能性があるなら、なおさら。
外から睨むより、中にいた方がいい。
誰が口火を切るのか。
誰が噂を広げ、誰が実行に移すのか。
―――これからのために、見ておく必要がある。
ルミナは、気にしていない。
だからこそ、私が気にしなければならない。
私は、ゆっくりと顔を上げる。
―――貴女たち、私のために使わせていただくわ。
守るために、ね。
紅茶の香りが、少しだけ濃くなった気がした。
「……誤解なさらないでくださいね。ルミナ様」
セレフィーナ様は、柔らかな笑みを崩さない。
「誰も、貴女を責めているわけではないのですわ。
ただ……立場というものは、本人の意思とは関係なく、周囲に負担をかけてしまうこともあるでしょう?」
カップを置く音が、静かに響く。
「王族の婚約者ともなれば、守られるだけでは済まされませんもの。
それを思うと……少し、心配になるのです。
貴女が悪いわけではないからこそ」
セレフィーナ様の言葉に、取り巻きの一人が、同調するように続ける。
「ええ。可哀想、という意味ですの。
期待される役目が、あまりにも重すぎて」
別の令嬢も、クスクスと小さな笑いを交じりに言う。
「背負いきれないものを背負わされるのは……辛いですものね」
「ええ。だからこそ、なおさら心配になりますわ」
―――心配。
便利な言葉ね。
「……皆様。ご心配をありがとうございます」
ルミナは、そう言って一度だけ深く頷いた。
その所作は、丁寧で、静かで――揺らぎがない。
「ですが……少しだけ、訂正させてください」
場の空気が、わずかに張り詰める。
「私は、自分の立場が"重い"ことを理解しています。
王族の婚約者であることも、期待されている役割も」
穏やかな声。
「それでも、背負えないとは思っていません」
セレフィーナ様の微笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「守られるだけの存在でいるつもりもありません。それに――"可哀想"と言われるほど、弱い覚悟でここに立っているわけでもありません」
ルミナは言い切った。
声を強めたわけではない。
感情をぶつけたわけでもない。
ただ、事実を述べただけだ。
「平民であったことは、変えられません。
でも……それで学んだこと、見てきたものもあります」
一拍置いて、微笑む。
「それらすべてを含めて、私はここにいます」
視線は、誰か一人を射抜くものではない。
けれど――逃げ場も、与えていなかった。
……ああ。
やっぱり、この子は折れない。強いわね…。
しかし、一瞬だった。
セレフィーナ様の口元が、わずかに強張った。
微笑みは崩れていない。
けれど、目だけが冷えていた。
……来る。
私は、そう直感した。
このまま続けば、言葉はもっと酷くなる。
それでは――私が、ここにいる意味がなくなる。
――ここで、止めさせていただきますね。
私は、ゆっくりとカップを置いた。
音は小さく、けれど、確かに場に届く。
「……少し、空気が重くなりましたね」
唐突な一言。
けれど、誰も否定できない。
私は、ルミナへ視線を向ける。
「ルミナ。貴女は庭園を少し歩いていらしたら?
クロエ様も、ご一緒に」
柔らかい声で告げた。
名を出されたクロエ様が、はっと顔を上げる。
「え……わ、私も…?」
「ええ。気分転換になるでしょう?」
断定ではない。
けれど、選択肢を与えない言い方。
ルミナは、私を見た。
ほんの一瞬、迷うように。
――すぐに、察した。
「……ありがとうございます。そうさせていただきます」
立ち上がる所作は、落ち着いている。
怯えも、逃げも見せない。
セレフィーナ様が、言葉を挟もうとするより早く、私は視線を戻した。
「私たちは、"楽しく"お話でも続けましょうか」
ルミナたちの背中が扉の向こうに消える。
それを見届けてから、セレフィーナ様はゆっくりと息を吐いた。
まるで、場が整ったかのように。
「……お気遣い、ありがとうございます。ネメシア様」
声は柔らかい。
先ほどまでの棘は、綺麗に仕舞われている。
「やはり、少し張りつめていましたものね」
私は、曖昧に微笑んだ。
「お茶会は、楽しい場であるべきですから」
否定も肯定もしない返答。
けれど、それだけで十分だったらしい。
セレフィーナ様は、満足そうにカップへ口をつける。
「流石ですわ。無駄に波風を立てない。
感情で動かれないところ……とても、貴族的ですね」
その言葉に、取り巻きたちが小さく頷く。
―――なるほど。
やはり、私を"こちら側"として扱っている。
「義妹様には……少々、難しい空気でしたわね」
探るような言い方。
同情を装った、確認の言葉。
私は、紅茶の水面を見つめたまま答えた。
「育った世界が違えば、価値観も違います。それ自体は、仕方のないことですわ」
冷たいほどに、整った言葉。
セレフィーナ様の目が、わずかに輝いた。
「ええ!そうですわよね。やはり、血の違いというものは、簡単には埋まりませんもの」
その言葉が、空気に落ちる。
私は、表情を変えなかった。
否定も、肯定もしない。
ただ、カップを指先で軽く回す。
「……ところで」
一拍置いてから、穏やかな声で続けた。
「セシル殿下は、本日もご多忙だと伺いましたわ。
第二王子ともなれば、政務に追われる日々でしょうね」
価値観から、立場へ。
思想から、役目へ。
それは、誰も否定できない話題だった。
セレフィーナ様の視線が、すっとこちらへ戻る。
一瞬だけ、空気が切り替わるのを感じた。
「ええ……そうなのです」
彼女は、微笑みを整え直して頷く。
「殿下は責任感がお強いお方ですから。最近は特に、お休みもほとんど取られていないようで」
その言葉に、取り巻きたちも同調する。
「本当にご立派ですわ」
「お身体が心配になりますわね」
話題は、完全に移った。
私は、再び紅茶へ視線を落とす。
――これでいい。
これ以上、ルミナを話題にされる必要はない。




