42.お茶会へ向かいましょう。
朝は、いつもと変わらなかった。
陽の入り方も、廊下の静けさも、使用人たちの動きも。
すべてが、規則通り。
違うのは――
私が、社交用の顔をしていることだけ。
鏡の前に立つ。
淡い色でも、華美でもない。
威圧と品位、その境目を選んだ配色。
―――私には、ちょうどいい。
背筋を伸ばし、首元の留め具を整える。
表情は作らない。笑顔は不要。柔らかさも、いらない。
扉の向こうで、控えめなノックがした。
「……どうぞ」
入ってきた侍女は、視線を伏せたまま告げる。
「ルミナ様のご準備が整いました」
その名前に、胸の奥が反応しかける。
――が、すぐに切り捨てる。
「分かったわ。先に馬車を回して」
「かしこまりました」
侍女が下がる。
部屋には、再び静寂だけが残った。
……半年。
あれから、一度も歩調を合わせていない。
今日も、きっと同じ。
並ぶことはあっても、交わらない。
私は扉を開け、廊下に出た。
数歩先に、ルミナがいた。
淡い色のドレス。柔らかな印象。周囲の空気が、彼女のところだけ少し明るい。
―――聖女。
その言葉が、ふと脳裏をよぎる。
彼女がこちらに気づき、わずかに息を呑んだ。
次の瞬間、視線が合う。
挨拶は、ない。
笑顔も、ない。
私は、ほんの一瞬だけ目礼をした。
それ以上でも、それ以下でもない。
ルミナも、小さく頷いた。
馬車へ向かう間、言葉は交わさない。
けれど、周囲の視線は確かに集まっていた。
―――やはり、見世物ね。
姉妹で出席する。
その事実だけで、噂は勝手に膨らむ。
不仲か。
利用か。
仮面か。
好きにすればいい。
馬車に乗り込む。
向かいの席に、ルミナが座る。
距離は、きちんと取った。
ドレスが触れない程度。意図的な間隔。
馬車が動き出す。
沈黙が続く。
だが、不快ではなかった。
私は、窓の外に視線を向けた。
今日の私は、物語に出てくるような悪役だ。
冷たい姉。噂通りの存在。
―――そんなの、簡単よ。
守るために引いた線を、今日も越えさせない。
それが、私の役。
お茶会の会場が、見えてきた。
舞台は、もう目の前だ。
私は、静かに息を整えた。
表情を、いつものそれに戻す。
冷たく見える顔。
拒絶する距離。計算された沈黙。
……さあ。
今日も、演じましょう。
――――――
扉が開いた。
その瞬間、会場の空気が一段、冷える。
さざめいていた声が、意図を持った沈黙に変わる。
―――来た。
そう、誰もが思ったはずだ。
私と、ルミナ。
姉妹で、揃って。
淡い光を反射する大理石の床。
中央に置かれた円卓を囲むように、令嬢たちが立っている。
柔らかな色合いのドレス、整えられた笑顔。
けれど、その視線は一斉にこちらへ向けられていた。
見られているのは、私たち二人。
視線の中心に立つ令嬢がいる。
場の空気を当然のように支配する立ち位置。
淡色の中で、ひときわ完成された佇まい。
――セレフィーナ・アーデンフェルト。
第二王子の婚約者候補であり、今日の主催者。
彼女が、私たちを見て微笑む。
それは、非の打ち所のない表情だった。
「まあ……来てくださったのね。嬉しいですわ」
歓迎の言葉で、敵意はない。
私には、そう感じた。
その左右に控える二人の令嬢の雰囲気は、よく似ていた。
セレフィーナ様を見る。
次に、私たちを見る。
表情を決める順番が、同じ。
―――取り巻きのようね。
もう一人だけ、少し離れた位置に立つ令嬢がいる。
背筋は伸びているのに、どこか居心地が悪そうだ。
視線が定まらず、私と目が合いかけて、すぐに逸れる。
両手を重ねた指に、力が入りすぎている。
……怖がっている。
私を、というよりも。
この場そのものに。
そして――
視線は、自然とルミナへ流れる。
淡い色のドレス。
柔らかな輪郭。
第三王子の婚約者であり、聖女。
その隣に立つ私を見る目は、変わる。
噂通りの冷徹なのか。
そう測るような目だった。
私は、軽く一礼した。
「本日はお招きありがとうございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
形だけの微笑みを添えて、そう告げると、ルミナも一礼をした。
セレフィーナ様の微笑みが、わずかに深まる。
「どうぞ、席へ」
「ありがとうございます」
短く応え、私は示された席へ向かった。
椅子が引かれる音が、やけに大きく響く。
先に座ったのは、ルミナだった。
その隣――半歩分の間を空けて、私が腰を下ろす。
椅子に落ち着いたのを見計らったように、セレフィーナ様が口を開いた。
「本日は、少し肌寒いですわね」
穏やかな声。
けれど、その視線はまっすぐ、ルミナに向いていた。
「こうしたお茶会も、慣れるまでは大変でしょう?
……特に、育った環境が違えば」
取り巻きの令嬢が、すぐに言葉を重ねる。
「ええ。作法や会話の間合いなど、幼い頃から身についているものですもの」
「平民のご出身だと、何かと"追いつくまで"ご苦労も多いでしょうね」
言葉は丁寧で、声色も柔らかい。
――けれど、棘は隠していない。
私は、カップに視線を落としたまま、黙っていた。
……なるほど。
私たちの噂話を話題にするつもりかと思っていたが、違う。
これは、明確に――ルミナに向けたものだ。
ルミナは、ほんの一瞬だけ瞬きをしてから、穏やかに頷いた。
「はい。平民でした」
事実を述べるだけの声だった。
誇りも、恥も、そこにはない。
「確かに、最初は分からないことばかりでした。
でも、教えてくださる方がたくさんいましたので」
淡々とした声。
感情の揺れは、見えない。
それが気に障ったのか、セレフィーナ様の微笑みが、わずかに硬くなる。
「まあ……立派ですわね」
「ええ。本当に。努力なさったのは、分かりますわ」
取り巻きの一人が、くすりと笑った。
「ただ、王族の婚約者となると……
求められるものは、努力"だけ"ではありませんものね」
含みを持たせた言い方に、周囲の空気がわずかにざわつく。
その瞬間、向かいの前の席から、か細い声が上がった。
「…そ、そんなこと……」
彼女は、確か――伯爵家の令嬢。
「あら?」
セレフィーナ様が、ゆるやかに首を傾ける。
「何かおっしゃいまして?クロエ様」
名を呼ばれ、彼女の肩が小さく跳ねた。
背筋を強張らせ、視線を伏せたまま。
それでも、逃げずに言葉を探す。
「ルミナ様は……とても誠実で……
その…出自で、価値が決まるものではないと……思います…」
言い切る前に、声が震えた。
空気が、一瞬だけ止まる。
私は、そこでようやく顔を上げ、周囲を見渡した。




