41.5 お姉様を守りたい理由。
ルミナ視点
「――どうして、そこまでして彼女の傍に立ちたい?」
静かな声だった。
責めるわけでも、探るわけでもない。
けれど、その問いは――
私の胸の奥を、正確に突いてきた。
「……」
私は、すぐには答えなかった。
視線を落とし、指先を膝の上で重ねる。
理由なら、いくつもある。
物語の知識。
先の展開。
危険を避けるための、最善の判断。
……全部、本当だ。
でも。
それだけじゃ、ない。
私は、小さく息を吸い――
そして、心の中でだけ、扉を開いた。
――――――――――――
昔の家は、いつも薄暗かった。
昼間でもカーテンは半分閉じられていて、空気が重い。
「おかえり」
母は、よくそう言って笑った。
口角を上げるのが、少しだけ不自然な笑顔だった。
台所に立つ背中。
洗い物をする手。
時々、袖を引っ張って、腕を隠す仕草。
子どもだった私は、理由を深く考えなかった。
考えないようにしていたのかもしれない。
夜になると、声が聞こえた。
低くて、荒い声。
次に、何かが倒れる音。
私は布団の中で、耳を塞いだ。
すると、母が来た。
「大丈夫よ」
小さな声で、そう言って。
私を抱きしめて、背中を撫でる。
母の身体は、いつも少し震えていた。
「心配しなくていいからね」
その言葉が嘘だと分かるまで、そう時間はかからなかった。
それでも母は、私の前では泣かなかった。
泣く代わりに、笑った。
殴られても。
罵られても。
壊れたものを片付けながら、何事もなかったように。
私を――守るために。
あの日も、特別な日じゃなかった。
学校から帰ってきて、玄関のドアを開けた。
靴が揃っていない。
家の中が、妙に静かだった。
「……お母さん?」
呼んでも、返事はない。
胸の奥が、ざわついた。
理由は分からない。
ただ、嫌な予感だけがあった。
廊下を進む。
奥の部屋の前で、足が止まる。
ドアノブに手を伸ばすのが、怖かった。
でも、そのまま立ち尽くすこともできなかった。
――開けてしまった。
天井から垂れた縄。
揺れる影。
母は……そこにいた。
声は出なかった。
時間が止まったみたいだった。
叫んだかどうかも、覚えていない。
ただ、頭の中が真っ白で。
目の前が、暗かった。
その後のことは、断片的だ。
警察が来て。
大人たちが、代わる代わる質問してきて。
父は、捕まった。
「もう大丈夫だよ」
と、誰かが言った。
私は、施設に送られた。
「あなたは悪くない」
何度も、そう言われた。
それが"正しい答え"なのだと、分かっていた。
でも――
母は、逃げたのだと思った。
私を守り続けることに、疲れ切って。
誰にも責められなかった。
だからこそ、どこにも怒りを向けられなかった。
私は、守られる側のまま、生き残った。
――――――――――――
ネメシアが、私を遠ざけるようになった時。
お父様が、彼女を利用していると知った時。
重なった。
前世の母の背中と。
今の、ネメシアの姿が。
最初は、物語の中の人物だった。
好きなキャラクターだった。
けれど、気づいたら違っていた。
死んでほしくなかった。
消えてほしくなかった。
理由なんて、それだけで十分だった。
「……無理に答えなくてもいいよ」
ユリウス殿下の声で、意識が戻る。
顔を上げると、彼は私を急かす様子もなく、ただ待っていた。
――もちろん、この話をするつもりはない。
だから、私は言葉を選び、
真実だけを、嘘にならない形で口にする。
「……私にとってのお姉様だから、です」
短い答え。
でも、それ以上はいらなかった。
ユリウス殿下は、何も言わなかった。
否定も、追及もない。
ただ、少しだけ目を細めた。
心の奥で、私はそっと誓う。
今度は。
今度こそは。
――守る側でいたい。
たとえ、隣に立てなくても。
たとえ、手を伸ばせなくても。
彼女が、生きていられる未来を。
私は、選び続ける。




