表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の願い  作者: なむそ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/46

39.お姉様、なんで……。

ルミナ視点です。




髪を梳く音だけが、部屋に響いていた。


鏡の中で、侍女の指先が丁寧に動く。

いつもなら、衣擦れや小さな足音、誰かの話し声が混じる時間帯だ。


―――静かすぎる。


「ねえ」


私は鏡越しに声をかけた。


「最近、使用人の皆……少し静かじゃない?」


侍女の手が、一瞬だけ止まる。


「……」


答えが来ない。

その沈黙が、もう答えを含んでいるように感じられた。


「教えてほしいの」


私は、視線を逸らさずに続ける。


「責めるつもりもないわ。ただ、何かあったなら……教えてほしいだけ」


侍女は、鏡の中で私を一度だけ見た。すぐに視線を伏せ、再び髪に触れる。


「……お嬢様」


声が、わずかに揺れた。


「私の立場で、お話していいことか……」

「大丈夫よ」


私は、先に遮る。


「誰かの名前を聞きたいわけじゃないの。ただ、屋敷で何が起きているのかを知りたいだけ」


彼女の指先が、ゆっくりと動きを再開する。


「……数日前、です」


言葉を選ぶように、一語ずつ。


「規則違反があった者が……処分されました」


処分。

その単語だけで、胸の奥がひやりとする。


「数名、です。解雇……という形で」


侍女は、少しだけ息を整えてから続けた。


「……詳細は、伏せるようにと」


言外に、これ以上は話せない、という線が引かれる。


「ただ……」


指先が、またわずかに止まる。


「屋敷の規律が、はっきりと示された、と……皆、そう受け取っています」


私は、鏡の中の自分を見た。

いつも通りの顔。けれど、どこか硬い。


「……怖がっているの?」


問いは、静かだった。

彼女は、すぐには答えなかった。数拍置いてから、慎重に言葉を選ぶ。


「……恐れている、のだと思います」


否定でも肯定でもない、逃げ道を残した言い方。


「誰が、ではなく。どこまで見られているのか――それが、分からないから」


胸の奥が、きゅっと縮んだ。

それは、規律ではない。支配の感情――。


「……そう」


私は、小さく頷いた。


「教えてくれて、ありがとう」


それ以上、踏み込まない。

それが、彼女を守る距離だと分かっていた。


「今日の支度は、ここまででいいわ」


侍女は、ほっとしたように一礼する。

私は、椅子から立ち上がった。

静かな屋敷。整いすぎた空気。


―――今度は、何を考えているの?


胸の奥に、名前が浮かぶ。


ネメシア。……私のお姉様。


私は、ドアへと足を向けた。



扉の前で、私は一度だけ足を止めた。

深呼吸。

胸の奥に残る、あの静かな違和感を抑え込む。


―――怒りたいわけじゃない。でも、黙っていられるほど、平気でもなかった。


コン、と控えめにノックする。


「……ルミナです」


返事がないまま、数拍。

それから、中で足音がした。


「どうぞ」


短く、いつも通りの声。

私は、扉を開けた。


部屋の中は整っていた。必要なものだけが、必要な場所にある。

華美ではないのに、隙もない――お姉様らしい空間。


お姉様は、机の前に立っていた。

書類を揃える手を止め、こちらを見る。


「何か用?」


感情の揺れを感じさせない声だった。

私は、一歩だけ中へ入る。


「……少し、話がしたくて」


扉を閉める音が、思ったより大きく響いた。


「私は忙しいの。手短にね」


それは拒絶ではない。

けれど、距離を明確に示す言葉だった。


「最近……屋敷が、静かでしょう?」


探るような言い方になってしまう。

直接的すぎないように、慎重に。

お姉様は、一瞬だけ目を伏せた。


「そうね」


それだけ。

否定もしなければ、説明もしない。

私は、思わず拳を握った。


「使用人が……処分されたって、聞いたわ」


言った瞬間、胸が少し苦しくなる。


「噂でしょ?」


お姉様は、淡々と返す。


「誇張も混じっているわ」


正論だった。

だからこそ、反論できるほどの材料が、私にはない。


「でも……怖がっている人もいる」


私は、視線を逸らさずに続けた。


「規則が守られたって分かっていても、どうしても……冷たいって、思われてしまう」


お姉様の表情が、わずかに変わる。

ほんの一瞬、眉が寄った。


「だから?」


言葉の続きを、最初から想定している声だった。


「……だから」


声が、少しだけ強くなる。


「どうして、そこまでしなきゃいけなかったの?」


息を吸って。


「今まで通りで、よかったじゃない」


お姉様は、すぐには答えなかった。


机の上に揃えていた書類を、きっちりと一列に整える。

それから、ようやくこちらを見た。


「今まで通り、ね」


声は低く、感情の起伏がない。


「それは――誰にとっての、今まで?」


問いかけるというより、確認だった。


「噂を流しても見逃される。盗みがあっても、表沙汰にしない。新人だから、という理由で曖昧にする」


一つずつ、淡々と並べる。


―――そんなの。

私は、知らなかった。


「……そんなことが起きているなんて、私は聞いてない」


お姉様は、私の言葉にすぐには反応しなかった。

叱ることも、否定することもなく、ただ一度だけ静かに瞬きをした。


「……そうでしょうね」


静かな肯定。


「貴女が知らなかったこと自体は、責めないわ」


その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。


「でも、それは"起きていなかった"ことにはならない」


お姉様の声の調子は、変わらない。


「貴女が見ていない場所で起きたことは、なかったことにはならないわ」


私は、言葉を失う。


「私は、情では判断しない。起きた事実と、規則。それだけを見る」


お姉様は、机に手を置いた。


「それが、公爵家を維持する側の役割だから」


一瞬、視線が重なる。


「怖がられるかどうかは、二の次よ」


冷たい言い方なのに、不思議と突き放されている感じはしなかった。


「守るために線を引く。越えたら、誰であっても切る」


それだけを、淡々と告げる。


「貴女は、知らなくていい。でも――私は、知らないままではいられない」


私は、少しだけ息を吸った。


「……でも」


その一言に、思っている以上の重さが乗る。


「やり方は、他にもあると思うの」


お姉様の視線が、こちらに向く。

逃げ場のない、真っ直ぐな目。逸らせば、負ける気がした。


「規則を守らせることと、怖がらせることは……同じじゃない」


指先が、知らずに強く握られる。


「今のままだと、お姉様は"悪"として見られる」


口にしてから、胸が痛んだ。

それでも、止めなかった。


「本当は、違うのに」


声が、少しだけ震える。


「間違っていることを正しただけなのに、冷たい人だとか、容赦ない人だ、って……」


一拍置いて、言い切る。


「誤解されるくらいなら、やり方を変えればいいんじゃないの?説明するとか、段階を踏むとか……」


拳に、思わず力が入る。


「怖がらせなくても、守れるものはあるはずよ」


そう告げると、お姉様は少しだけ視線を逸らした。


「……ルミナ」


名前を呼ぶ声は、叱るものではなかった。

むしろ、区切るための音だった。


「私は、昔からこの屋敷で"信用される側"じゃない」


淡々とした言葉。

事実を並べているだけ。


「公爵に疎まれて、

使用人に見下されて、

何を言っても、"裏がある"って顔をされてきた」


そこで、ようやく視線が戻る。


「そんな人間が、優しく言って、

『お願いします、理解してください』なんて」


お姉様は小さく、首を振った。


「――誰が、聞くと思う?」


声は、責めていない。

ただ、諦めを含んだ問い。


「優しさは、信頼がある人の言葉よ。最初から"悪"として見られている私が、それを使えば……"偽善"か、"弱み"にしかならない」


間を置いて、続けた。


「だから私は、恐れられる方を選んだ。聞かれない言葉を、何度も投げるより……一度で、従わせたほうが――確実だから」


最後は、低く。


「それが、生き残る方法だった」

「……それでいいって、言うの?」


声が、思ったより大きく響いた。

自分でも驚くほど。


「皆に怖がられて、冷たいって言われて……悪役みたいに噂されて――」


言葉が、止まらない。


「それを"仕方ない"で済ませるの?」


一歩、前に出る。


「お姉様が、どんな目に遭ってきたか、

この屋敷で、どんな扱いを受けてきたか」


声が、震える。

けれど下げない。


「それを知っているのに……どうして、全部一人で背負うとするのよ!」


最後は、ほとんど叫びだった。

けれど次の言葉だけは、はっきりしていた。


「私がいるでしょう?」


一拍、息を吸う。


「悪役が必要なら、二人でやればいい。

―――一人で抱え込まないでよ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ