28.駒として十分だわ。
「……随分と、派手なことをしたそうね」
目の前には、紅茶を嗜むサビーナ様。
紅茶の湯気の向こうで、その目だけが笑っていなかった。
私は彼女に呼び出され、この部屋へと足を運んでいた。
「座りなさい」
促され、私はサビーナ様と向かい合うように腰を下ろす。
「使用人たちの間でも、噂になっているわよ」
「…そうですか」
目の前のカップに、静かに紅茶が注がれる。
「毒は入ってないわ」
紅茶の水面を見つめていた私に、サビーナ様は何気なく告げた。
私はカップに手を伸ばし、温もりの残る磁器に指先を触れさせる。
一口、口に含む。
香りは穏やかで、わずかに渋みが舌に残る。毒の気配など、どこにもない。
「ルミナからも聞いたわ」
その名を聞いた瞬間、私はあの時のルミナの顔を思い出した。
「……」
私は静かに、カップを置く。
「彼女は…何か言ってましたか?」
「いいえ」
私の問いにサビーナ様は即答をした。
「…言わなかったわ。でもね」
サビーナ様は、紅茶に視線を落としたまま続けた。
「泣き跡が残っていたのよ。それに、あなたの話になると声を抑えるのが下手でね」
「……そうですか」
それだけ答えて、私は視線を伏せた。
「私はルミナの母です」
静かだが、はっきりとした声。
「――あの子に害が及ぶのであれば、私は容赦しない。……それは、あなたも分かっているでしょう?」
「ええ」
短く、肯定する。
サビーナ様は、ゆっくりと顔を上げた。その視線が、真っ直ぐに私を射抜く。
「……噂の言葉。あれは、真実なの?」
問いは曖昧だが、指しているものは一つしかない。―――私がルミナに告げた、「憎んでいた」という言葉。
私は、息を置いた。
「……それはお答えできません」
「…答えない、という答えね」
サビーナ様は、ため息ともつかない息を吐いた。
「それは、肯定とも否定とも取れる。……随分と、不器用な選び方をしたものだわ」
「そうですね」
私は、顔を上げる。
「ですが、これが私の決断です」
サビーナ様の指先が、カップの縁をなぞった。
「あなたは、自分がどう見られるかを分かってやっている?」
「はい」
私はその問いに即答する。
「嫌われても?」
「構いません」
沈黙が落ちる。紅茶の表面が、わずかに揺れた。
「……それが貴女の決意なのであれば、私からは何も言いません」
サビーナ様は一口、紅茶を口に含む。
「ですが――」
カップを置き、視線だけをこちらに向ける。
「ルミナを、あまり悲しませないことね。私は、貴女の義母でもなければ、味方でもないのですから」
サビーナ様は、私をじっと見つめていた。
怒りでも、警戒でもない。ただ、私の覚悟を量るような視線。
「理解しております」
私は短く答えた。それ以上、付け加える言葉はない。
サビーナ様は何も言わず、静かに紅茶へ口をつけた。
――それが、この対話の終わりを示していた。
「―――そういえば」
サビーナ様が、ふと思い出したように口を開いた。
「例の侍女は、今どうなっているの?」
私は一瞬だけ、視線を伏せてから、答える。
「現在も、別邸の地下に拘束されています」
「公爵様は?」
「処遇については、こちらに一任すると」
紅茶の器が、かすかに音を立てた。
「…そう」
サビーナ様は、少しだけ間を置いてから、私を見る。
「では、その侍女の処遇は――貴女に任せるわ」
その言葉を受けて、私はすぐには答えなかった。
「……どんな処遇でも構わないと?」
私の問いに、サビーナ様は静かに頷いた。
「構わないわ」
「…それでは、私の方で決断させていただきます」
私は、地下牢にいる彼女の顔を思い浮かべる。
――利用するには、十分すぎる。
―――――――――
薄暗い地下の一室は、湿った石の匂いがこもっていた。
灯されたランプの光が、鉄格子の影を床に落としている。
「……あら」
低く、掠れた声。
拘束された侍女は、顔を上げて私を見た。
「貴女が…来たのね」
私は数歩、彼女に近づく。
だが、檻の外からは一歩も踏み込まない。
「―――処分をしに来たわ」
その言葉に、侍女の唇がわずかに歪んだ。
「ふふ…」
喉の奥で、くぐもった笑い声が転がる。
「ネメシア…貴女は、いつまでもいいなりの"人形"であればよかったのに」
私は何も言わない。
ただ、静かに彼女を見下ろしていた。
「せっかく……貴女のために、私が手を汚してあげたのに」
視線が、私を射抜く。
「本当は、あの子が憎いはずよ」
その言葉に、胸の奥がわずかに軋む。
けれど、表情は動かさなかった。
「……いいえ」
私は、淡々と否定する。
「私が憎いのは、選ばれなかった自分自身」
一拍、置く。
「それと……守られていることに甘えて、何も変えようとしなかった自分よ」
侍女が、目を見開いた。
「だから、貴女は――」
言葉は、最後まで続かなかった。
私は、一歩だけ近づく。
鉄格子の向こう、彼女の目を真正面から見据える。
「ルミナに刃を向けた時点で、もう言い訳はできない」
静かな声だった。
裁く声でも、怒りの声でもない。
ただ、事実を告げるだけの声。
「エリザ」
一拍、置いてから続ける。
「――貴女は、私ではない」
一瞬で、侍女の顔から血の気が引いた。
「…っ、人形風情が……!」
吐き捨てるような叫びが、地下室に反響した。
その言葉に、私は眉一つ動かさなかった。
「そうね」
短く、肯定する。
「人形でも、悪女でも構わない」
私は懐から小さな硝子瓶を取り出し、彼女の足元の石床に置いた。
ランプの光を受けて、中の透明な液体が鈍く揺れる。
侍女の視線が、吸い寄せられるようにそこへ落ちる。
「……それ」
声が、わずかに震えた。
「ルミナが飲まされたものと、同じ毒よ」
淡々と告げると、彼女は息を呑んだ。
「安心して。即効性はないわ。苦しむ時間は…貴女が選べる」
沈黙。地下の空気が、重く沈んだ。
「悪魔……!」
侍女が、嗄れた声で叫んだ。
「全部、貴女のためにやったのに!」
「違うわ」
私は、首を横に振る。
「貴女は、自分の憎しみのためにやった。そして私は――」
一歩、距離を取る。
「その憎しみを、利用することにしただけ」
言葉を、選ばない。
取り繕わない。
「世間には、こう伝わる」
私は、視線を逸らさず続けた。
「ルミナへの嫉妬に狂った私が、侍女を唆した。けれど計画は失敗し、口封じに処分した、と」
侍女の顔が、理解に追いつかず歪む。
「そうすれば、ルミナは被害者でいられる。私は、誰からも信じられない"悪女"になる」
淡々と告げる。
「…歪んでる……」
「ええ、そうよ。愛しいルミナのためですもの」
震える声。
その瞳に宿るのは、恐怖だけ。
「選びなさい、エリザ」
私は、硝子瓶を指で押し出した。
「自分で飲むか。それとも、誰かの手を借りるか」
答えは、急かさない。
それもまた、罰だった。
私は、ゆっくりと踵を返す。
「…さようなら」
振り返らない。
情も、後悔も、ここには残さない。
鉄扉が閉まる音が、地下に低く響いた。
それで、終わりだった。




