27.私は守りたい。
途中、ルミナ視点入ります。
私は庭園を、当てもなく歩いていた。
あれから本邸には戻らず、別邸で過ごしていた。
形式上、罰を受けている立場でいなければならない。
それに―――今は、ルミナの傍にいるべきではない気がしていた。
別邸にまで届く情報は、限られている。
けれど、噂というものは風に紛れて、都合よく壁をすり抜けてくる。
「……聞いた?」
「ええ、もう正式だそうよ」
「第三王子殿下と、ルミナ様の婚約ですって」
庭園の手入れをする使用人たちの声が、風に乗って届いた。
手が、一瞬だけ止まる。
予想していなかったわけじゃない。
むしろ、そうなると分かっていた。
「…そう」
私は、誰に聞かせるわけでもなく呟く。
公には、まだ発表されていない。
教会と王家、公爵家の間で話しが整った段階だろう。
だからこそ、こうして"噂"の形で先に広がる。
―――聖女は、王家に迎えられる。
それは祝福であり、同時に逃げ場のない檻でもある。
私は、そっと目を伏せた。
「ネメシア様」
名を呼ばれ、振り向くとクロードが立っていた。
「公爵様が執務室でお呼びです」
「…わかったわ」
私は執務室へと足を運んだ。
公爵の執務室は、相変わらず静まり返っていた。
重たい扉を閉めると、外の音がすべて遮断される。
机に向かっていた公爵は、私を見るなり書類から視線を上げた。
「聞いているな」
前置きも、確認もない。
「…噂で、少し」
そう答えると、公爵は短く息を吐いた。
「第三王子との婚約は、すでに内定している。教会、王家、公爵家――三者で合意は取れた」
「正式な発表は?」
「準備が整い次第だ。時間の問題だろう」
淡々とした報告。
そこに、父としての感情はほとんど含まれていない。
「ルミナは?」
「聖女としての立場を理解している。……理解せざるを得ない、と言うべきか」
一瞬、公爵の言葉が鈍った。
それだけで、十分だった。
私は一歩、前へ出る。
「でしたら、公爵様。ひとつお願いがあります」
公爵の視線が、再び私を捉えた。
「今度は、何だ」
「私のデビュタントに―――ルミナと同時に行わせてください」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「…理由は」
「必要だからです」
私は、迷わず答えた。
「私が隣に立てば、必ず比べられます」
私は淡々と続けた。
「―――聖女と、問題を抱えた公爵令嬢。清らかな光と、噂にまみれた影。人は、必ず見比べる」
一拍置く。
「そして、比較の中でルミナは"選ばれる"」
悪女と並べば、聖女はより白く見える。
それが、社交界という場所の仕組みだ。
「私が悪くあればあるほど、ルミナは正しく尊く見える。聖女として目立たせるには、それが一番確実です」
視線を逸らさない。
だから、好かれなくていい。疑われて、噂されて、蔑まれて構わない。
私が堕ちることで、彼女が上がる。
それなら、この役は私にしかできない。
公爵は、しばらく黙って私を見つめていた。
秤にかけるような沈黙。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……なるほどな」
机の上で指を組み、視線を落とす。
「お前は、自分が嫌われる前提で話している」
「ええ」
即答だった。
「守られる立場に戻りたいのではない。矢面に立ちたい、と言っている」
公爵の口元が、わずかに歪んだ。
笑みとは言えない。
「愚かだ、と言えばそれまでだ。だが―――」
視線が、再び私を捉える。
「理屈は通っている」
室内の空気が、ひとつ重くなる。
「聖女を際立たせるために、悪女を置く。社交界が好む構図だ」
その言葉に、私は一切反応を見せなかった。
公爵は椅子から立ち上がり、窓の方へ歩み寄る。
「……いいだろう」
背を向けたまま、淡々と告げられる。
「お前の提案を受け入れる。ネメシア・ルーインハイト――公爵令嬢としてのデビュタントを、ルミナと同日に行え」
それは、撤回されることのない宣告だった。
私は、静かに膝を折る。
「承知しました」
公爵は、振り返らなかった。
私はその背を一度だけ見据え、何も言わずに執務室を後にした。
執務室を出て、廊下を進んでいたときだった。
「お姉様!」
少し弾んだ、聞きなれた声。
振り向くと、ルミナが小走りで近づいてくる。
「お父様とお話ししていたんですね。お邪魔してしまって…ごめんなさい」
以前と変わらない。無邪気で、距離の近い態度。
私は、立ち止まらずに答えた。
「用件は?」
その声に、ルミナが一瞬だけ目を瞬かせる。
「…別邸で過ごしていると聞いて。何か、大変な思いしてないかと思って」
心配するように、覗き込む視線。
昔と同じ仕草。
私は視線を合わせず、歩みを止めた。
「そのような心配は不要よ」
淡々と告げる。
「私は罰を受けている立場。それ以上でも、それ以下でもないわ」
「でも……」
ルミナは一歩、近づく。
以前なら、その距離を許していた。
「お姉様は、何も悪くないって―――」
「私が本当に悪くないと?」
被せるように遮る。
ルミナは言葉を失う。
「……本当はね」
私は、ようやく彼女を見る。
「貴女のことが、憎かったのよ」
声は低く、静かだった。
怒りでも、涙でもない。
ただ、線を引くための言葉。
「……なんで」
ルミナの声が、掠れる。
「どうして、そんなこと言うの……」
その顔が、ゆっくりと歪んだ。
「貴女は……私の"場所"を簡単に奪ったじゃない…」
ぽたり、と。
ルミナの頬を伝って雫が落ちる。
それを見た瞬間、胸の奥がきしむ。
私は視線を逸らした。
「―――それだけで、十分な理由でしょう?」
声は、冷たいまま。
これ以上、その顔を見ていれば、演じきれなくなる。そう分かっていたから。
幸いにもルミナはそれ以上、何も言わなかった。
「……」
私は振り返らない。
そのまま彼女を廊下に残し、歩き出した。
―――――――――
廊下に、足音だけが残った。
お姉様は、振り返らなかった。一度も。
呼び止めようとして、声が喉で止まる。
伸ばしかけた手は、空を掴んだまま下ろされた。
私は、その場から動けなかった。
胸が痛い。
さっき言われた言葉が、まだ耳に残っている。
――憎かった。
――場所を奪った。
そんなふうに思われていたなんて、知らなかった。
……それでも。
私は、ゆっくりと息を吸う。
お姉様は、私を突き放した。
でも、怒鳴らなかった。責め続けることもしなかった。
ただ、距離を取っただけ。
―――いつから、そう思っていたの?
私は、頬に伝う雫を拭き取る。
けれど。
ふと、思い出す。
去っていく背中。その横顔。
揺れた、耳元。
「……」
私は、思わず息を止めた。
小さな、深い赤の石が嵌められたピアス。
間違えるはずがない。
あれは、私が――お姉様に贈ったものだ。
私の誕生日の時に、お姉様へ渡した品。
あの事件があってから、お姉様と会う機会がなくて、着けていることを知らなかった。
私は、胸の奥で何かが静かに形を成すのを感じた。
―――ああ。
やっぱりお姉様は、嘘をついている。
私を遠ざけるための言葉。傷つけるための態度。
でも、本当に嫌っていたら。本当に私を憎んでいたら……。
あのピアスを、着けるはずがない。
「……ばか」
私は、小さく呟く。
こんな、証拠を残して。
そんなに、優しいくせに。
お姉様は、きっと自分を悪者にしている。
私が守られるように。
だったら―――
私は、信じる。
言葉じゃない。態度でもない。
あの、小さなピアスを。
「…私は、信じる」
誰に聞かせるわけでもなく、私は呟いた。
お姉様がどんな顔をしていても、どんな役を選んでも。
あの人は、私の姉だ。
そして―――
私が、味方でいると決めた人。
だから今は、追いかけない。
手を伸ばさない。
でも、決して離れない。
私は、そっと胸の前で手を握った。
―――私ができることで、お姉様を救う。
それが、私の選んだ道だ。




