24.お姉様…
―――やってしまった。
胸が、ぎゅっと締めつけられるように苦しくなて、私はそう思った。
せっかく、お姉様がこの屋敷に少しずつ馴染んできたところだったのに。
私が毒を呑んでしまう場面は、前の人生で読んだ物語の中に、確かにあった。
この世界に生まれ変わった時から、忘れようとしても消えなかった記憶。
けれど―――今日じゃない。
今日は、違うはずだった。
だからこそ、油断してしまった。
読んだ小説の中で、ネメシアは―――
侍女になることはなかった。
誰かに重要されることも、目立つこともなく、ただ屋敷の片隅で、静かに日々を過ごしてたはずだ。
デビュタントまでは―――。
それが、当たり前だった。
だから私は、安心していた。
彼女は物語の外にいる存在だと、勝手に決めつけていた。
けれど、今回は違う。
私がこの世界で口を出し、運び、行動したせいで―――
ネメシアは、侍女になった。
私の傍に立ち、私の紅茶を運び、そして今日、この場にいた。
……知らない展開だ。
本の中には、書かれていない。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
物語は、もう私の知っている形じゃない。
これから先、何が起こるのか―――私は、もうわからない。
だからこそ、これからは一つ一つの選択を、より慎重に重ねていかなくてはならない。
私は、ネメシアの笑顔を思い出す。
―――もう、彼女を物語の犠牲にはしない。
――――――
目を開けた瞬間、最初に感じたのは―――音の、なさだった。
いつもなら聞こえるはずの足音も、衣擦れもない。
代わりに、柔らかい布に包まれている感覚だけが、はっきりと伝わってくる。
……ああ。
私は、ゆっくりと瞬きをした。
天井は見慣れたもの。けれど、光も昼より落とされている。
「…生きてる」
掠れた声が、わずかに喉を震わせた。
そのとき、すぐ近くで小さく息を呑む音がした。
「……ルミナ?」
聞き慣れた声。
私は視線を動かし、そちらを見る。
「お母様…」
ベッドの脇に座っていた彼女は、私の顔を見て、ほっとしたように肩を落とした。
「目が覚めたのね……よかった…」
お母様の頬には雫が流れる。
そして彼女の手が、そっと私の手を包む。
温かい。生きている人の手だ。
―――助かったんだ。
毒は、消えた。
あの瞬間、身体の中で何かがほどける感覚があったのを覚えている。
聖女の力。
私の知っている物語でも、ルミナが毒をきっかけに目覚めていた。
それは、偶然ではない。
―――物語の強制力。
そんな言葉が、冷たい感触を伴って胸の奥をよぎる。
私は、布団の上で指先をわずかに動かす。
力は入らない。けれど、確かに生きている。
「…ネメシアは……?」
気づけば、そう尋ねていた。
お母様は一瞬だけ言葉に詰まり、それから静かに答える。
「…今は、ここにはいないわ。別邸で隔離されているわ」
その言い方に、私は小さく息を吐いた。
最悪の事態には至っていない―――そう思えて、胸の奥がわずかに緩む。
紅茶を渡してくれたときの、彼女の顔が浮かぶ。
青ざめて、目を見開いて。
まるで、自分が毒を飲んだみたいな顔をしていた。
―――本当は。
この物語で、ネメシアはそこにいない。
侍女にもならず、目立つこともなく、屋敷の隅で静かに生きているだけの存在だった。
私が、呼び寄せた。
私が、傍に置いた。
私が、あの場所へ来るように言った。
だから、展開が変わった。
知らない未来へ、踏み込んでしまった。
「…ごめんなさい」
誰に向けるでもなく、そう零す。
「大丈夫よ」
お母様の声は、穏やかだった。
「あなたは、生きている。それでいいの」
私は、ゆっくりと目を閉じる。
それでも、胸の奥でははっきりと思っていた。
―――この先が、どんな物語になっても。
ネメシアだけは、手放さない。
それは、物語への反抗ではない。
私自身が選んだ、ただ一つの答えだった。




