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悪役令嬢の願い  作者: なむそ


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25/43

23.ごめんなさい。




年上の侍女に呼び止められたのは、その直後だった。


「ネメシア、悪いけれど紅茶をお願いできる?」

「はい」


私は銀のポットとカップを受け取る。

湯気の立つ液面は澄んでいて、香りはいつもと変わらない。


―――変わらない、はずだった。


「主役の方へ」


そう促され、私は頷いた。

祝宴のざわめきに紛れるように、人の流れに沿ってルミナのもとへ向かう。


「ルミナ様、お茶を」


差し出すと、彼女は嬉しそうに微笑み、受け取った。


「ありがとう、ネメシア」


その声は、いつも通りだった。

ルミナは一口、喉を潤すように口をつける。


「おいしい―――」


ほんの一瞬、動きが止まる。

そして、喉を押さえる仕草。


「……っ」


ルミナの顔色が、急速に落ちる。

血の気が引くのが、目に見えてわかった。


「ルミナ様?」


呼びかけるより早く、彼女の手からカップが滑り落ちる。

床に当たる音が、やけに大きく響いた。


―――おかしい。


香りも、色も。何一つ異常はなかったはずなのに。

ルミナは息を整えようとして、うまくできずにいる。


「…ネ、メシ…ア……」


その声が、かすれていた。

胸の奥が、冷たく沈む。


―――これは、ただの体調不良じゃない。


私は視線を、さきほど紅茶を渡してきた侍女のいた方へ向ける。

―――そこには、もう誰もいなかった。


「ルミナ!!!」


サビーナがいち早く駆け寄り、口元に血をにじませるルミナの身体を支える。


理解が、遅れて追いつく。


あの紅茶に、何かが入っていた。


そう気づいた時には―――

もう、後戻りはできなかった。



「―――何があった」


公爵が現れたのは、悲鳴と混乱が広がり始めた直後だった。

低く、感情のない声。それだけで、周囲は静まり返る。


サビーナが震える声で答えた。


「ルミナが……お茶を飲んだ直後に…」


公爵の視線が、ルミナへ向く。

蒼白な顔、乱れた呼吸、口元に残る赤。


一瞬で状況を理解したのだろう。

公爵は一切声を荒げなかった。


「医者を呼べ。今すぐにだ」


短く、的確に命令。


「それと―――」


その視線が、私へと移る。


「その女を拘束しろ」


空気が、凍った。


「……っ」


私は言葉を失う。

否定も、弁解も、許される余地はなかった。


二人の使用人が、私の両腕を掴む。力は強くない。だが、逃げ場はない。


「…おね、えさま……な、い…」


ルミナのかすれた声が聞こえた。けれど、その声は咳に途切れ、言葉にならない。

私は、ただ彼女を見ることしかできなかった。


―――私が、運んだ。


その事実だけが、胸の奥で重く沈む。

ほどなくして、医師が駆け込んできた。


「毒の可能性が高いです」


医師の手は止まらなかった。

脈を取り、薬を追加し、呼吸を確かめる。

だが、ルミナの顔色は蒼白なままだ。


「…反応が弱い」


医師の声が、わずかに沈んだ。


「毒は抑えていますが、体が耐えきれていない。このままでは―――」


言葉の続きを、誰も求めなかった。

ルミナの胸が、ひくりと大きく上下する。


「…くるし……」


その声は、ほとんど息に近い。

サビーナが、彼女の手を強く握りしめる。


「大丈夫よ、ルミナ。すぐ良くなるわ」


けれど、握り返されることはなかった。

その瞬間だった。


ルミナの身体を、まばゆい光が包み込んだ。

部屋の空気が、ふっと温度を帯びる。


徐々に光は収まり、冷えきっていたはずのルミナの手に、ゆっくりと温もりが戻っていく。


医師ははっと息を呑み、しばらく言葉を失ったままルミナを診ていた。

脈に触れ、瞳を確認し、胸の上下を確かめる。


そして、ゆっくりと息を吐く。


「……毒の反応が、消えています」


その一言に、室内の空気が凍りついた。


「体内から、完全に抜けています。先ほどまであったはずの毒が…ありません」


信じられない、というように医師は小さく首を振る。


「……よか、った…」


サビーナ様は、医師の言葉に張り詰めていた表情をわずかに緩めた。

そして、力の抜けたルミナをそっと抱き寄せる。


「これは…解毒ではありません。治療です。それも、極めて高度な」


医師は公爵に向けて、慎重に言葉を選ぶように説明をしていた。

その意味を、誰もがすぐには理解できないまま―――

ルミナの身体から、ゆっくりと力が抜けていった。


「…ねむ……い……」


掠れた声が、そう零れた。

ルミナは抵抗することなく、サビーナに身を預ける。

その瞼が、ゆっくりと閉じていった。


「力を使い切ったのでしょう」


医師の声は、先ほどまでとは違い、穏やかだった。


「命に別状はありません。ただ…深く眠るでしょう。しばらくは、目を覚まさないはずです」


ルミナは小さく息を整えながら、静かに眠りについた。

まるで、何事もなかったかのように。


―――本当に、よかった。


私は、胸の奥に溜まっていた息を、そっと吐き出した。

そのときだった。

視界の端に、あの年上の侍女の姿が映る。


「……おま―――」


声にしようとした瞬間、頬に鋭い痛みが走った。


頬の痛みが引くより早く、低く抑えた声が室内に響いた。


「黙れ」


その一言で、空気が張り詰める。

公爵はルミナの眠る姿を一瞥し、次に私へ視線を向ける。

その目には、怒りも動揺もない。

ただ、裁く者の目だった。


「紅茶を運んだのは、お前だな」

「…はい」


喉が、ひりいついた。


「毒の有無は未仮定だ。だが、直接手を触れたものは限られている」


公爵は淡々と続ける。


「証拠が揃うまで、ネメシアを別邸へ隔離する」


その言葉に、周囲がざわめいた。


「拘束ではない。ただし、屋敷への出入りは禁ずる。監視はつける。逃亡、接触、私的な行動は一切認めない」


私は、一歩も動けなかった。


「……異論は?」


問われているのに、答えなど最初から決まっている。


「…ありません」


そう口にした瞬間、胸の奥で何かが、静かに折れた。


「連れて行け」


その命令で、侍従が前に出る。

私は最後に、眠るルミナを見た。


白い顔、穏やかな寝息。

さきほどまでの苦しみが嘘のようだ。


―――ルミナ、守れなくて……ごめんなさい。


そう思いながら、私は静かにその場を後にした。




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