22.ルミナ、おめでとう。
誕生日当日の朝、屋敷はいつもより少しだけ早く動き始めていた。
廊下を行き交う使用人の足取りが軽く、花の香りが微かに漂っている。
今日は、ルミナの誕生日。
十二歳になる、その日だ。
私はいつもと同じ時間に起き、いつもと同じように身支度を整えた。
けれど、胸の奥だけが落ち着かない。
―――今日は、特別な日。
そう意識してしまう自分を、少しだけ持て余しながら、私はルミナの部屋へ向かった。
扉をノックすると、返事よりも先に中から足音が聞こえた。
「ネメシア!」
扉が開くより早く、ルミナが飛び出してくる。
私は思わず足を止め、腕を伸ばして受け止めた。
「おはようございます、ルミナ様」
「おはようじゃないわ。遅い!」
そう言いながら、ルミナは頬を膨らませ、私の袖を掴む。
力は弱いが、離す気はなさそうだ。
「今日は誕生日なんだから、一番最初に来てくれると思ってたのに」
「まだ朝ですよ」
「だからよ」
理屈になっていないのに、堂々と言い切る。
私は小さく息を吐き、部屋の中へ促した。
ルミナは満足したように頷き、今度は私の背中にぴたりと寄り添ってくる。
「今日は一緒にいてくれるでしょう?」
「仕事が一段落つけば、ですけれど」
そう言うと、ルミナは少し不満そうな顔を浮かべた。
「…早めに終わらせてね」
「もちろん」
私はルミナの髪に手を伸ばし、身支度に取りかかった。
身支度を終えたルミナは、いつもより一層きれいだった。
淡い桃色の髪に、控えめな刺繍が施された水色のドレス。
「どう?ネメシア」
ルミナはあどけない笑顔を向けてくる。
「とても綺麗よ」
それは、飾りのない素直な感想だった。
立ちふるまいも含めて、ルミナはもう立派な公爵令嬢だ。
「…えへへ」
私の言葉に、ルミナの顔がふっと緩んだ。
「…それでは、私は準備がございますので。また後ほど」
そう言って、私はルミナのもとを立ち去った。
今年の誕生日パーティーは、他の貴族を呼ばない。
ルミナが小規模がいい、と公爵にお願いしたらしい。
だからといって、手を抜くわけにはいかない。
私は与えられた仕事をこなすために、持ち場へと向かった。
――――――
会場の準備は、滞りなく終わった。
飾り付けは豪華に、不足がないように。
小規模とはいえ、主役は公爵令嬢だ。
花の配置、卓の位置、給仕の動線―――ひとつずつ確認し、ようやく肩の力を抜いた。
「…これで大丈夫」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
残りの細かい作業は他の人達に任せよう。
私はその足で、自室へと戻った。
廊下の喧騒を背に、扉を閉めると途端に静けさが戻る。
机の引き出しを開け、奥にしまっていた包みを取り出した。
布で丁寧に包まれた、それほど大きくない贈り物。
「……」
指先で撫でると、布越しにかすか凹凸を感じる。
時間をかけて縫った、その感触。
公爵令嬢への贈り物としては、きっと控えめすぎる。
「ルミナは、喜んでくれるかしら」
そんな心配をするまでもなく、きっと喜んでくれる。
そう思っていても、やはり少し不安だった。
私は包みを胸に抱え、深く息を吸った。
もうすぐ、誕生日の席が始まる。
この手で渡すために、私はその場へと向かった。
扉を開けると、柔らかな光と静かなざわめきが広がっていた。
食卓は整えられ、花が飾られ、いつもの広間より華やいで見える。
その中で、真っ先に視線が合った。
―――ルミナ。
部屋の奥、談笑する使用人たちに囲まれながらも、彼女はこちらを見ていた。
気づいた瞬間、ぱっと表情が変わる。
一拍置くこともなく、ルミナは椅子を離れた。
「ネメシア!」
名前を呼ぶ声が、はっきりと届く。
ドレスの裾を押さえながら、小さな足でこちらへ駆けてくる姿は、どこか子供らしくて…。
私は思わず、その場で足を止めた。
「もう、遅いわ」
そう言いながらも、非難の色はない。
近くまで来ると、ルミナは私の袖を掴んだ。
「ちゃんと来てくれたのね」
「ええ。約束ですから」
そう答えると、ルミナは満足そうに頷いた、
その手は、離れそうにない。
私は持っていた包みを、そっとルミナに差し出した。
「ルミナ、お誕生日おめでとう」
ルミナにしか届かないよう、声を落として告げる。
姉として、彼女へ贈る祝福の言葉だった。
するとルミナは、はっとしたように目を見開く。
一度私の顔を見てから、ゆっくりと包みへと視線を落とした。
「……ありがとう」
ルミナは私から包みを受け取ると、それを大事そうに胸に抱えた。
「開けてみても?」
「ええ」
ルミナは、包みを壊さないように、丁寧に解き始める。
「まぁ…」
ルミナの手元には、赤いアネモネの刺繍が施された手巾があった。
私が昔から好きな花。
「とっても嬉しい…大事にします」
そう言って、ルミナは無邪気に笑った。
私はその笑顔を見た瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、ほどけた。
……よかった。
ただそれだけで、十分だった。
高価かどうかでも、出来映えでもない。
彼女が「大事にする」と言ってくれた事実が、すべてだった。
「ネメシア?」
名を呼ばれて、私は顔を上げる。
「今度は、私の番よ」
そう言って、ルミナは少しだけ得意げに微笑んだ。
そして、そっと手を差し出す。
小さな包み。
私が渡したものより、ずっと簡素で、軽い。
「開けて」
言われるまま、包みを解く。
中にあったのは、一対のピアスだった。
小さく、主張しすぎない造り。
淡い金色の台座に、深い赤の石がはめ込まれている。
「……」
言葉を失っていると、ルミナが続けた。
「ネメシアの瞳の色。前から、きれいだなって思ってたの」
その言葉に、胸がきゅっと鳴った。
「派手なのは似合わないと思ったから、これにしたの。……嫌じゃない?」
「……いいえ」
首を横に振る。
「とても、嬉しいです」
そう答えると、ルミナはぱっと顔を明るくした。
「ほんと!?よかった!」
無邪気な声。
けれど、その選び方は驚くほど私をよく見ていた。
私はそっとピアスを握りしめる。
―――貰う側になる日が来るなんて、思ってもいなかった。
「大切にします」
そう言うと、ルミナは満足そうに頷いた。
「でしょ?だって、お姉様へのプレゼントだもの」
その一言が、胸の奥に、静かに落ちていった。
「ルミナ」
公爵の声が、少し離れたところから聞こえた。
「はい」
ルミナは名残惜しそうにこちらを一度見てから、姿勢を正す。
「またあとでね」
小さくそう囁いて、彼女は自分の立つべき位置へと戻っていった。
その背中は、先程よりもほんの少しだけ誇らしげに見える。
私は手の中のピアスをそっと握りしめ、一度だけ深く息を整えた。
―――私が、あの中に入っても雰囲気が悪くなるだけ。
ルミナのいるその場を見て、胸の奥に小さな寂しさが落ちた。
「ネメシア」
今度は、別の声。
振り向くと、年上の侍女が控えめに手招きをしていた。
「ごめんなさい。準備の方で手が足りなくて」
「はい。すぐに伺います」
私は小さく一礼し、彼女の元へ向かう。
胸の奥に残る温かさを、表に出さないようにしながら。
役目は変わらない。私は侍女だ。
けれど―――
指先に残るその重みが、今日が特別な日だと、静かに教えていた。




