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悪役令嬢の願い  作者: なむそ


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18/43

16.これは、いったい?



「ルミナ、今日はありがとう」

「こちらこそ!お姉様とたくさんお話できて嬉しかった」


ルミナとのお茶会は終わり、私は侍女服へと着替えた。

名残惜しさを振り切るようにして、残っている仕事の場所へと向かう。

すると、廊下で背後から声をかけられた。


「ネメシア」


振り返ると、腕を組んだ年上の侍女が立っていた。

口元には、どこか作ったような笑み。


「ちょうど良かったわ。倉の整理、手が足りなくて」


そう言いながら、彼女は一冊の帳面を差し出した。


「ついでに、これも写しておいてくれる?」

「……こちらは?」


差し出された帳面は、私には見覚えがなかった。


「古い在庫記録よ。もう誰も見ないものだけど、形式上は必要なの」


―――"形式上"。

その言葉に、わずかな引っかかりを覚える。


「貴女、仕事が早いでしょう?他の人に任せるより安心なのよ」


褒めているようで、断れない言い方。

もしそうだとしても、本当に私の仕事なのだろうか。


「量は…まぁ、少し多いけど」


一瞬だけ、侍女は帳面を視線を落とした。

その厚みを確認してから、何事もなかったように私を見る。


…確かに、古い帳面だ。

紙の重なりが、そのまま仕事量を物語っている。


「貴女なら大丈夫でしょう?」


そう言い残すと、彼女は私の返事を待たずに踵を返した。


「ちょっと――」


呼び止める間もなく、足音は遠ざかっていく。

残されたのは、腕にずしりと伝わる帳面の重さだけだった。


「……しかたない」


私は小さく行きを吐き、帳面を抱え直した。

夕食の時間に間に合うよう、足早に倉へ向かう。



―――――――――


倉に入り、帳面を開く。

紙の色は黄ばんでいて、確かに古い記録のようだった。


数字を一つずつ写していく。

…その途中で、手が止まった。


「…?」


おかしい。合計欄の数字と、内訳が噛み合っていない。

ほんの一、二行分。

見間違いかと思い、もう一度指でなぞる。


……やっぱり、合わない。


何度見直しても、答えは変わらなかった。


「古い帳面、だから…?」


そう自分に言い聞かせて、私は作業を続けた。

気づけば、帳面は何冊目かわからなくなっていた。


腕を動かすたびに、肩の奥がじわりと重くなる。

指先も少し感覚が鈍く、文字を書く速度が落ちているのが自分でもわかった。


「…ふぅ」


小さく息を吐く。

視線を上げると、渡された帳面のまだ半分ほど、残っているのが目に入る。


「……まだ、こんなに」


一度だけ背筋を伸ばそうとして、すぐに諦めた。

伸ばしたところで、楽になるわけでもない。

それに、そのまま休憩してしまいそうだった。


時計代わりに使っている窓の外を見る。

空の色が、朝よりもずっと低くなっていた。


「夕食までには…」


そう呟いて、また帳面に目を落とす。

文字が少し滲んで見えるのは、疲れているせいだ。


ここで、手を止めたら負けな気がする―――。


私は黙々と、残りの帳面を書き続けた。



暫く経った頃、遠くで鐘の音が鳴った。

夕食の準備に入る合図だ。


私は最後の一行を書き終え、帳面を閉じた。

指先はじんと痺れていたが、立ち上がれる程度には動く。


……早く夕食の準備に戻らないと。


私は倉を出て、廊下へ向かうと。

すると、向こうからあの年上の侍女が歩いてくる。


「…まだ終わってないでしょう?」


そう言いながら、私が抱えている帳面を覗き込む。

積み重なった帳面を見た瞬間、彼女の表情がわずかに強張った。


「……もう、写し終えたの?」

「はい。夕食の準備に間に合うように」


私は淡々と答えると、彼女は帳面を一冊手に取り、頁をめくった。

確認する指先が、ほんの少し震えていた。


「…ずいぶん、手が早いのね」


褒めているようだが、声は冷たい。

その視線には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。


「夕食の準備までには、無理だと思っていたのに」


小さく零されたその言葉に、私は何も返さず一礼する。

背中に突き刺さる視線を感じながら、私は厨房の方へと足を向けた。


―――間に合った。


それだけで、今日は十分だった。



私は夕食の準備も問題なく済ませた。

夕食の席は、いつも通り穏やかだった。

公爵が仕事の合間にあった小さな出来事を話し、サビーナ様がそれに相槌を打つ。


「それで、その商人がね―――」

「まぁ、それは大変でしたね」


楽しそうに笑うサビーナ様を見て、公爵も口元を緩めている。

私は少し離れた位置で給仕をしながら、その様子を見守っていた。


「そういえば、お父様」


話の切れ目で、ルミナがふと思い出したように言う。


「私も段々とここの生活に慣れてきました」

「ほう?それは良かった」


ルミナの言葉に、公爵は穏やかに笑った。


「それで…もっと公爵令嬢に近づけるように、前々から仰っていた家庭教師を、受け入れたいと思うの」

「…それは本当か?」


公爵は目を開き、心なしか嬉しそうな表情を浮かべた。


「わかった。なら、すぐに手配をしよう」


そう言って、公爵は近くに控えていた執事へ準備を指示した。


「ですが、条件がありまして……」

「…条件?」


ルミナは一瞬だけ言葉を探すように視線を伏せ、それから意を決したように口を開く。


「学んでいる時、必ずネメシアを侍女として傍に置いてほしいのです!」


……え?

私は手にしていたポットを、落としそうになった。


…食堂に、静寂が落ちた。


私がポットを落としかけた音すら、公爵の視線がそれを許さなかったように感じる。

公爵は、すぐには返事をしなかった。

ゆっくりとナプキンで口元を拭き、紅茶に視線を落とす。


「……理由を聞こうか」


先ほどの穏やかな表情とは打って変わって、声は低く感情を抑えたものだった。

それだけで、この場の空気が一段重くなる。


ルミナは、少しだけ背筋を伸ばした。


「ネメシアは、私の一番近くで仕えてくれています。私の癖も、苦手なことも、もう分かっている人です」


公爵の視線が、私に一瞬だけ向く。

評価ではない。値踏みでもない。―――存在を確認するだけの、冷たい目をしていた。


「別の者でもいいだろう」


正論だ。私じゃなくてもいい。

けれど。


「私はこの屋敷内で一番、ネメシアを信頼しているからです」


ルミナは、一歩も引かなかった。


「他の侍女より、ネメシアが傍にいるほうが落ち着きます。それに……公爵令嬢として振る舞う私を、一番よく知っていてほしい人だから」


公爵は、再び黙り込んだ。

その沈黙は長く、重い。

使用人である私が口を挟める空気ではない。


やがて、公爵は小さく息を吐く。


「…わがままだな」


そう呟いてから、公爵はルミナをまっすぐ見据えた。


「条件は一つ。学業の妨げになると判断した場合、即刻外す。…それでいいな?」

「はい!」


即答だった。迷いは一切ない。

公爵は、ほんのわずかに口元を緩める。


「…わかった。ネメシアは、家庭教師の時間も侍女として同席を許可する」


その言葉に、胸の奥が強く脈打った。

私は慌てて一礼する。


「……ありがとうございます」


公爵の視線が、再びこちらを向く。


「期待するな。役目だけ果たせ」


―――それだけだった。

けれど、その一言は確かに"許された"重みを持っていた。


こうして私は、家庭教師の時間にも"侍女"として、ルミナの傍に立つことを許された。

それが、後にどれほど大きな意味を持つのか。

―――この時の私は、まだ知らなかった。



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