14.私はまだまだですね。
「……ふぅ…」
一日の仕事が終わり、私は自室のベッドに倒れ込んだ。
忙しい一日だった。
あれから、掃除や洗濯、ルミナの荷物の整理…気がつけば、次から次へと仕事をこなしていた。
「あっという間に一日が終わるんだなぁ…」
天井を見つめる。
朝は少し億劫だったのに、今はただ、何も考えられないほど体が重かった。
けれど、動いている間は嫌な気持ちを考えなくてすむ。
それが今の私には救いだった。
いつも籠っているよりは…たぶん、まだ。
今までの暗い気持ちを思い出し、私は少しだけ苦笑いをしてしまった。
私はベッドから体を起こし、カーテンに手をかける。
窓の外には、今日も変わらず綺麗な星の明かり。
「……どうせやるなら、とことんやらなきゃだよね」
その言葉は、誰かに聞かせるわけでもなく、静かな夜に溶けていった。
翌朝、私は昨日教わった通りに業務を行う。
まずは、ルミナの朝の支度の準備。
「ネメシア、今日時間があればお散歩しましょう」
「承知しました」
そして、朝食。
「ルミナ、今日は何をするんだい?」
「今日は、いい天気なのでお散歩でもしようかと思います!」
他愛のない会話をするところを見ると、まるで本当の家族を見ているような気持ちになった。
……私は、その輪の外にいるけれど。
朝食後、本日言い渡されている業務は、リネンの確認、倉の簡易整理、そして記録の写し。
どれも基本業務。
だが量は決して少なくない。
「ネメシア、こちらをお願いできますか」
すると年上の侍女が、布の束を置いていく。
視線は合わない。
「……はい」
一つ終えると、また一つ。
誰かが明確に命じているわけではないのに、私の手元にだけ仕事が集まっていく。
でも、不思議と嫌ではなかった。
忙しくしている間は、余計なことを考えなくて済む。
―――仕事がある。
それだけで、今は十分だ。
「ネメシア?」
与えられた仕事をこなしていると、廊下の向こうからルミナの声がした。
ふと時間を見ると、朝にルミナと約束した散歩の時間になっていた。
けれど、手元の仕事はまだ終わっていない。
私は一度だけ迷い、それでもルミナの元へと向かった。
「申し訳ありません。まだ仕事が終わっていなくて…」
そう告げると、ルミナの眉は少しだけ下がった。
「…そっか。お仕事だもんね」
それでも納得しきれないのか、私の袖をきゅっと掴む。
「それでも、少しだけ…だめ?」
その言葉に、胸の奥がほんの少しちくりと痛んだ。
「申し訳ありません、ルミナ様。今日は―――」
言い切る前に、背後から硬い声が割り込んだ。
「何をしているのですか、ネメシア」
振り返ると、廊下の奥に侍女の一人が立っていた。
視線はいつもよりも冷たく、私を見ている。
「持ち場を離れてよいと、誰の許可を得たのですか?」
「……ルミナ様に呼ばれまして」
そう答えると、侍女は小さく息を吐いた。
「それでもです。仕事は仕事。ルミナ様のお気遣いに甘える立場ではありません」
その言葉に、ルミナがはっとして私を見る。
「え…私、そんなつもりじゃ……」
「大丈夫です、ルミナ様」
私はすぐに首を横に振り、膝を折って頭を下げた。
「お心遣い、ありがとうございます。ですが私は、侍女ですから」
私はそう言うしかなかった。
ルミナは唇を噛みしめ、何か言いたそうにしていた。
けれど、結局何も言わずに手を離した。
「…わかった。じゃあ終わったら、また誘ってもいい?」
「……はい」
少し躊躇う私を見て、ルミナは不安そうな表情を浮かべた。
今日の仕事が本当に終わるのか。私自身にもわからなかった。
ルミナの後ろ姿を見送りながら、私は再び仕事の残る廊下へと戻った。
結局その日の仕事は終わらず、気づけば夜になっていた。
「ルミナに申し訳ないことをしちゃったな……」
あの後、ルミナが何度か誘いに来てくれたけど、私は仕事に追われていた。
その度に断ってしまった。その時のルミナの悲しそうな表情が、何度も頭の中に浮かぶ。
仕方のないことだと、頭ではわかってる。
それでも、今の私の力不足で申し訳ない気持ちになる。
ふと、引き出しに視線が向いた。
「…リサも、こんなに忙しかったのかな」
小さい頃、私の世話をしてくれたリサのことを思い出す。
今なら、あの人にたくさんの感謝の言葉を伝えたい。
私はもう一度、リサの手紙を読もうと思い、引き出しを開けた。
―――その瞬間。
母の形見である箱が、引き出しの奥で淡く光を漏らしていた。
「…え?」
思わず息を呑む。
月明かりが反射しているだけ―――そう思うとした。
けど、その光は確かに箱そのものからにじみ出ている。
ゆらり、と。
呼吸をするみたいに、弱く、強く。
胸の奥がざわついた。
鍵は、まだ開けていないはずなのに。
「……今、なの?」
当たり前のように返事はない。ただ、箱は静かに光り続けていた。
その事実に私は、箱にそっと手を伸ばした。
…やっと。
長年、開く日が来るのを待っていた。
私はそっと鍵に手を触れた。
「……」
鍵穴に差し込み、力を込める。いつもなら、ここで止まるはず―――。
―――カチリ。
乾いた音が、小さく部屋に響いた。
「……あい、た…?」
信じられなくて、もう一度手元を見る。鍵は、確かに回っていた。
恐る恐る、蓋に手をかける。
拒まれる感触は、ない。
私は息を殺して、箱を開いた。
中には―――何も、ない。
……いや、何かは"ある"。
空っぽではないのに、形も色も…掴めない。
触れようとして、指を入れてもすり抜けていく感覚。
まるで、霧のような―――。
胸の奥が、じくりと痛む。
「……まだ、なのね」
開いたのに読めない。触れたのに理解できない。
今の私では、ここまでなのだ。
私は静かに箱を閉じた。鍵をもう一度回しても、抵抗なく最初と同じ位置へ戻った。
「…お母様」
私は夜空へ目を向けた。
「続きを知るなら、もっと先へ進みなさい」
星にそう言われた気がした。




