12.侍女として働きます。
カーテンの隙間から朝の日差しが差し込んでくる。
眩しいはずなのに、胸の奥はひどく静かだった。
今日から私は、ルミナ様の侍女として生きる。
公爵令嬢としての私ではない。
名前だけ残った、都合の良い存在として。
「…支度をしなくては」
今までは、自分のことだけをこなしていればよかった。
けれどこれからは違う。
誰かの傍に立ち、世話をする―――その重みを、私はまだ知らない。
私は用意されていた侍女服に袖を通した。
生地は丈夫で、動きやすい。
前に侍女から投げ捨てられた服とは大違いだ。
公爵令嬢としての装いは、今は必要ない。
私は部屋を出て、執事長のクロードのもとへと向かった。
彼だけは、この立場の変化を何も言わずに受け入れている。
それだけが、救いなのかもしれない。
廊下の先で、クロードはすでに待っていた。
背筋を伸ばし、いつも通りの無表情。
けれど、視線だけが一瞬私の服装を確かめる。
「…準備は整いましたか、ネメシア様」
今はクロードが上の立場ははずなのに、私の呼び方は変わらない。
「はい」
短く答えると、クロードは小さく呟いた。
「本日より、ルミナ様付きの侍女として働いていただきます。仕事内容は多岐にわたりますが…まずは、基本からです」
「……わかりました」
そう返す私を、クロードは数秒だけ見つめた。
「無理はなさらぬように」
その言葉に、思わず目を瞬かせる。
「…私に、気遣いは不要です」
そう言うと、クロードはわずかに視線を伏せた。
「立場ではなく、体調の話です」
淡々とした声。
けれど、それ以上でもそれ以下でもなかった。
「ルミナ様は、まだ若い。侍女の体調管理も努めのひとつです」
「……はい」
「では、参りましょう」
それだけ言って、クロードは踵を返す。
私は一歩遅れて、その背中を追った。
―――この屋敷で、私を"人"として扱うのは、この人だけなのかもしれない。
そんな思いを馳せながら、私はこれからの事に気を張った。
「まず、初めにルミナ様の朝の支度です」
クロードは扉の前に立ち、作法通りに軽く音を鳴らした。
ほどなくして、扉の向こうから澄んだ声が返ってくる。
「ルミナ様、入室してもよろしいでしょうか」
「…どうぞ」
入室許可をもらい、クロードが先に扉を開けた。
私はその後に続いて、静かに入室する。
「お姉様!」
クロードの背後にいる私を見つけた瞬間、ルミナはぱっと表情を輝かせた。
「おはようございます!」
弾む声に、私は思わず足を止めた。
しかし、ルミナは構わず私に歩み寄る。
「……ルミナ様」
クロードはそれを制すように、軽く咳払いをし低く名を呼ぶ。
その声に気づいたのか、ルミナははっとして口を閉じた。
「あ…えっと……」
きょろきょろと私とクロードを見比べ、少しだけ頬を赤らめる。
「おはよう、お……ネメシア」
呼び方を探るように言い直したその声は、先程よりも少しだけお嬢様らしかった。
「おはようございます、ルミナ様」
私は一歩下がり、深く頭を下げる。
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じながら。
「ここからは、侍女の手が必要となります。入室を」
低く、しかしよく通る声だった。
その合図と同時に、控えていた侍女が二人、静かに扉を開けて入ってくる。
いずれも年上で、動きに無駄がない。
「本日より―――」
一泊置いて、クロードは告げた。
「ネメシア様は、ルミナ様付きの侍女となる」
「承知しました」
二人の侍女は、揃ってそう答えただけで、それ以上の反応は見せなかった。
私へ向けられた視線は一瞬で、すぐにルミナへと戻る。
歓迎も、戸惑いもない。
それでいい。ここでは私は"仕事の一部"なのだから。
クロードは二人の侍女に任せ、その場を去った。
そして、侍女二人はルミナの髪を整え、衣服の乱れを確認する。
私は指示を受けるたびに小さく頷きながら、その手際の速さについていくのが精一杯だった。
気づけば、支度は終わっていた。
「侍女の仕事は、まず見て覚えてください」
そう言った一人の侍女は、感情のこもらない視線を一瞬だけ私に向けた。
「…わかりました」
侍女二人は無駄のない動きで片付けを終え、何事もなかったかのように部屋を退出していった。
「それでは、朝食へ向かいましょう」
年上の侍女の声に、ルミナは小さく呟いた。
私は一歩下がり、その後ろにつく。
廊下を歩くたび、すれ違う使用人たちの視線を感じた。
見慣れたはずの視線。けれど今日は、どこか様子が違う。
―――ルミナ様付きの侍女。
その肩書きが、空気を変えているのがわかった。
ルミナは時折、こちらを振り返りそうになっては、ぐっと我慢するように前を向く。
その仕草が少しだけおかしくて、少しだけ嬉しかった。
食堂の前で、侍女が足を止める。
「ネメシア様。こちらでは、お言葉は必要ありません。何かあれば、合図を」
「…承知しました」
そうして私は、言葉を胸の奥にしまい、侍女として中へと入った。




