7話「境界に立つ者」
祐介は、気づけば立ち止まっていた。
どこへ向かうつもりだったのか。
いつから足が止まっていたのか。
自分でも、はっきりしない。
ただ――
目の前に、**“道ではない何か”**があった。
街灯の光が届かない一角。
空気だけが、そこだけ少し冷えている。
アスファルトは続いているはずなのに、
視線の先が、ぼんやりと歪んで見えた。
「……また、か」
呟いた声は、すぐに自分の耳へ返ってきた。
現実だ。夢じゃない。
手の中の氷が、静かに脈を打つ。
――カラン。
音は小さい。
けれど、確かに合図だった。
(……来い、ってことか)
以前なら、きっと立ち去っていた。
意味のわからないものからは距離を置く。
それが、普通の判断だ。
でも今は違う。
祐介は、もう知ってしまっていた。
妹は死んだ。
それは事実だ。
けれど――
“どうして死んだのか”だけが、どこにもない。
事故だった、と皆は言う。
警察も、学校も、家族も。
けれど祐介の中には、
事故を“見たはずの記憶”が、存在していなかった。
怖かった記憶はある。
叫んだ感覚もある。
なのに、決定的な瞬間だけが、抜け落ちている。
(……俺は、そこにいた)
だからこそ、気づいてしまった。
この欠落は、悲しみのせいじゃない。
忘れたのでも、受け入れられないのでもない。
最初から、無かったことにされている。
氷が、少しだけ温度を変えた。
冷たいはずなのに、
手のひらに、確かな“重み”が伝わる。
「……お前が、連れてくって言うなら」
祐介は、歪んだ空間へ一歩近づく。
怖くないわけじゃない。
戻れなくなるかもしれない、という直感もあった。
それでも。
「――逃げるのは、もうやめだ」
葵を失った理由が、
“分からないまま”で終わる世界なら。
そこに戻っても、前には進めない。
氷が、強く光った。
次の瞬間、
空間の境目に、扉の輪郭が浮かび上がる。
取っ手も、装飾もない。
ただ、境界そのものを切り抜いたような“入口”。
祐介は、少しだけ息を整えた。
「……行こう」
誰に言うでもなく。
それでも、確かに“決意”として。
扉に触れた瞬間、
世界の感触が、ふっと薄れる。
音が遠ざかり、
光の向きが分からなくなる。
そして――
境界は、静かに開いた。




